「れる」シリーズ   作:ササキアンヨ

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探される

 

 

 向かいの男がナイフとフォークを几帳面に動かしてチキンを食べている。

 

 周囲はガヤガヤと騒がしく、都会の夜の大手レストランチェーンに相応しい賑わいをしていた。5歳くらいの子供を連れた夫婦。女子高生の集団。くたびれたサラリーマン。たぶん、ぼくたちのような組み合わせは田舎だったら、さぞ目立ったことだろう。この都会でぼくは埋没し切っている。

 

 ぼんやりとテーブルの端に置かれたメニュー表を見る。ぼくはカルボナーラとハンバーグを頼んだのだが、まだ来ていない。ラム肉の串を食べ終えた空の小皿が店員に回収されずにテーブルの上に放置されている。

 

 ぶぅぅぅん。

 

 何の音だろう? 意識がテーブルの中央に向けられる。蝿だ。飲食店なんだから、蝿ぐらいいる。いや、店の種類なんか関係無い。どこにだって蝿はいる。なのに、どうしようもなく嫌な気分になった。

 

 

「手持ち無沙汰ですか」

 

 

 男が言う。ぼくは頷いた。レストランのような人目があるところに来るのは久しぶりだ。料理が来たとしてもぼくは目の前の彼のようにナイフもフォークも上手く扱えないだろう。

 

 

「それなら、間違い探しがありますよ。ここの間違い探しは難しくて大人が集まっても楽しめるんです」

 

 

 子供騙しだ。ぼくはそう口に出そうとして、見たこともないくせに文句を言うのは田舎の人間と同じだと気付いた。思い直して良かった。メニューに隠れたところに確かにあった。ぼくは間違い探しをテーブルの上に広げた。……確かに難易度は高いかもしれない。最後のひとつがどうしても見つからず、時間だけが経過しているように感じた。

 

 ぶぅぅぅん。

 

 蝿の音がうるさい。顔を上げると男が自身の食事を終えているところだった。ずるいな、ぼくのはまだ来てないのに。

 

 

「ほとんど同じのモノから執拗にミスを探し出し、異端をあげつらう……間違い探しは現実と似ています。甲田さんはそう思いませんか」

 

 

 なんて極端な意見なのだろう。男にすべてを任せれば、たいていのモノは現実に言い換えられてしまう。でも、そんなふうに思いながらも確かにぼくが人生の大半を過ごした田舎は彼の評した現実に他ならない。すると、さっきまで楽しく探していた間違いがしがみついてくる穢れた重みのように感じてきた。

 

 

「甲田さんは……あぁいや失礼。みだりに名前を出すのは良くないですね。あなたはこの都会に埋没して生きていらっしゃいますね」

 

 

 頷く必要も無い。それは事実だ。男は神経質そうにメガネに手を触れ、ぼくをジロリと見る。嫌いな目だ。けれど、不思議と男に対しては嫌悪感は湧かない。その理由をぼくは掴み切れずにいた。

 

 ぶぅぅぅん。

 

 羽音が耳の底に響く。

 

 

「生きるというのは痕跡を残すことに等しい、というのは最近プレイしたゲームで言われていた事柄ですが、私もそう思います。食事をする、煙草を吸う、働く、ぐっすりと眠る、友達や恋人を作る……すべてはこの社会で行われていること。いくら他人に無関心な傾向が強いと言われている都会でも、それらを余人に知らせずに行うというのは不可能でしょう」

 

 

 回りくどい言い方だ。彼の言葉を聞きながらもぼくは故郷の田舎を思い出す。最悪な場所だった。あの状況なら、たとえぼくではなくても、ああしただろう。断言は出来ないが。

 

 ぶぅぅぅん。

 

 蝿が飛んだと思ったら目の前にハンバーグが置かれていた。熱々の鉄板で熱された挽肉の塊を見ていると、食欲が失せていく気がした。けれど、せっかくの食事で損をしたくはなかった。ケースからナイフとフォークを取り出す。

 

 

「あなたの出身地……××村。あそこはひどく閉鎖的だった。私が甲田有也という名前を出さずとも簡単に情報は集められましたよ。××村は互いを深く監視しつつ干渉し合う……村民全部が家族のようなところでした」

 

 

 あんな家族があるものか。

 

 

「そうですね。私も不快でしたよ。彼らから上がってきたのはあなたへの理解ではない。あなたが生きていたという痕跡そのものだ。ここからさらに踏み出す者は誰もいない」

 

 

 結局、この男は何が言いたいのだろう。ぼくはぼんやりと彼を見る。視界の端は赤黒く、()えた匂いがする。腐りかけの肉の匂いだ。

 

 

「あなたは探されていません」

 

 

 ……っ! 男の言うことは有り得ない。有り得ない、はずだった。しかし、改めて言われれば頷かなくてはならないこともあった。この社会で静かに埋没することを努めていたこの6年。ここまで動きが無いなんて××村を出たときは想定していなかった。何故、警察がぼくを捕まえに来ないのか。運が良いのか悪いのか、すべてに怯えて生きなくてはならなかった。

 

 

「甲田さん。あなたは従妹の光さんの首を絞めて殺害しましたね? その後慌てて、自殺に見せかけるために縄に括り付けるという工作を行いましたね? ですが、あなたはすぐにバレると思った。だから、××村を出た」

 

 

 ぶぅぅぅん。ぶぅぅぅん。ぶぅぅぅん。

 

 蝿がいる。ここに蝿が侵入して来たのではない。目の前の男の肉から蛆虫が湧いているのだ。ぼくは必死で吐き気を堪える。

 

 

「××村の人々はもちろん、あなたが光さんを殺したのではないかという噂を立てました。しかし、それに留まっています。××村の駐在は面倒な事態を恐れ、自殺ということで処理しました。分かりますか? この事件はとっくに終わっていたんです。あなた以外は」

 

 

 そんなこと知らなかった。知っていれば、こんなことをせずに済んだだろうか? 手元のナイフ、いや、無骨なノコギリを見る。解体し終えた挽肉がぐちゃぐちゃと並んでいる。その傍らには血に塗れ、割れたメガネが転がっている。いまさら偽装工作なんて出来ないほどの血が寂れた部屋のあちこちに飛んでいた。

 

 ……終わっていた? だが、実際この男はぼくを探してここまで辿り着いている。こいつは何のために事件を掘り返したのだ? ぼくは周囲を見渡す。ここはぼくが借りているアパートの一室だ。レストランではない。そのはずなのに、何人もの人間がぼくをじっと見つめていた。

 

 子供を連れた夫婦、女子高生たち、サラリーマン。彼らが死んだ目でぼくを睨んでいる。思わず、声が出た。……ここはどこだ? 現実だとは思えない。ぼくがいま解体しているのは、他ならぬこの男のはずなのに。

 

 

「忘れてしまいましたか? 私は麻薬取締官です。甲田有也の痕跡を追い、甲田有也のすべてを知るためにここまで来ました。あいにく、錯乱していたあなたに殺されてしまったのですが。けれど、よろしい。これまで甲田有也なる人間は売人から麻薬を購入しているにも関わらず、痕跡を残さぬ透明人間でした。しかし、これからはそうではない。分かりますか?」

 

 

 男が笑う。その笑みはひどく不吉だった。あぁ、そうだ。ぼくはこの笑みを見て彼を殺すことに決めたのだった。ぼくの故郷の田舎の人々によく似た、真意を秘めた悪しき笑み。

 

 ぶぅぅぅん……ぶぅぅぅん……ぶぅぅぅん。

 

 うるさい。

 

 

「甲田有也は私を殺した。麻薬取締官という大きな痕跡を持つ人間を殺せば、どうなるでしょう? あなたは探されるのです。この都会の警察機関が、あるいは国家機構という巨大な怪物が甲田有也を探す。想像してみてください。きっとそれは、何より恐ろしい」

 

 うるさい!

 

 ぼくはノコギリを必死に振り下ろす。蝿を遠ざけるためだ。ガン、ガン、ガンと古びたアパートを震わすような痕跡を立てて。けれど、どれだけ叩いてもなお。

 

 ぶぅぅぅん……という蝿の音はいつまでも止むことはなかった。




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