「れる」シリーズ   作:ササキアンヨ

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剥がれる

 

 

「起キナサアイ! 朝ヨ!」

 

 

 そう言ったお母さんによって、僕の布団は容赦なく剥がれた。まだ眠いから起きたくないんだけど、仕方ない。のろのろと体を動かして、ベッドから出た。時計を見るともう7時半だった。小学校に行くぶんには8時5分に起きても間に合うが、中学校へ行くとなると7時半には起きなくてはならない。

 

 小学6年生の秋になり、このままだとマズイと思って早起きを心がけているが、なかなか難しい。

 

 眠いなぁ。

 

 でも、朝ごはんの匂い(お父さんの目玉焼きだ)を感じると起きなくちゃ!という気分になる。ぎしぎしと音が鳴る階段を降りて、リビングへ行くとお兄ちゃんが目玉焼きにソースをかけている途中だった。

 

 

「おはよう、タスク」

 

「おはよう」

 

 

 お兄ちゃんは最近、髪を赤色に染めてしまったが、特に怖くなったりはしていない。普通に気さくで僕にも優しい。彼は大きく口を開けてトーストと目玉焼きを食べる。もぐもぐと口を動かしながら、僕のお皿の近くに醤油を持って来てくれた。

 

 

「お兄ちゃん。中学校って怖い?」

 

 

 お父さんが焼いてくれた完熟の目玉焼きを食べながら、気になっていたことを聞く。お兄ちゃんは中学3年生で、夜は塾に行ってしまうのでこうして喋るのは朝だけだ。ちょっと寂しいけど、お兄ちゃんが高校に合格したら、また夜も一緒に過ごせるようになるだろう。

 

 

「中1から見た中3はビビるよ。でも、大丈夫。岬台は市内でも治安良い方だし、んな怖い先輩はいないしな……。怖かったら兄ちゃんに言えよ。影響力の高いやつには心当たりあるし」

 

「うん!」

 

 

 やっぱりお兄ちゃんは優しい。にっこり笑ったお兄ちゃんが半熟の目玉焼き(2枚目だ)を箸でふたつに裂いて口に放り込む。

 

 

「にしてもタスクは偉いよ。7時半に起きるのけっこうつらいだろ。俺なんか未だに母さんに起こしてもらってるから。高校生になったら、さすがにひとりで起きないとダメだよなー」

 

「良いんじゃない? ぼくも毎日、カナミさんに起こしてもらってるよ」

 

 

 僕のぶんのベーコンとトーストと自分の分のお皿を運んで来たお父さんが話に入って来た。カナミというのはお母さんの名前だ。

 

 

「いやあ、奥さんに起こしてもらうのと母親に起こしてもらうのとでは事情が違うんじゃねーかなと俺は思うよ」

 

「……? お父さん、それだけ?」

 

 

 僕は目玉焼きが1枚乗ってるだけのお父さんのお皿を見て、聞く。いつもは更にベーコンとごはんを一緒に食べているのに。

 

 

「最近、腹が出てきてなあ。ダイエットを始めることにしたんだよ。タスクを見習って、父さんも何かひとつ頑張ってみようと思ったんだ」

 

「朝減らすのは良くなくね?」

 

 

 お兄ちゃんの言う通りだ。お父さんはこれから電車に乗って会社へ行くんだから、エネルギーを摂らないと動けなくなってしまう。

 

 

「あぁ、そうかなあ。昼の弁当はちょっとだけ豪華にしてあるんだ。だけど、マヒロの言う通りかもしれん。でも、朝の目玉焼きに砂糖は欠かせないから、これを減らしたくはないんだ」

 

「出たよ。最近ハマってるんだっけ」

 

 

 あははと笑い合う。お父さんはちょっと変なところもあるけど、料理も上手くて優しい。ぎしし……と天井が鳴る。お母さんかな? どうしたんだろう。というか、この時間はいつもならお母さんも一緒に朝ごはんを食べるのにな。僕を起こしたあと、何をしているのかな。

 

 ちょっと気になったが、お父さんもお兄ちゃんも気にしている様子は無いし、大丈夫だろう。朝ごはんを食べたあと、ランドセルの中身を少し見てから、家を出た。

 

 

「行ってきます」

 

 

 誰に言うわけでもなく、そう呟く。

 

 

「イッテラッシャイ!」

 

 

 びくっとした。お母さんの声だけど、なんか違和感がある。僕は道路から家の方を振り返ると2階のベランダからお母さんが手を振っている。首を九十度横に曲げながら笑っていた。

 

 え。

 

 見間違えた? そんなわけないよね。お母さんは手を振ってくれているのに、なにか変だからってそれに応えないのはダサい。そう思って短く振り返す。登校班の集合場所に向かう途中、考えないようにしてもお母さんの奇妙な行動が脳裏から離れない。……そう言えば、朝起こしてくれたときの発音も変だったような……。

 

 

 昼休み。僕は朝のことがモヤモヤして気になって仕方なかった。

 

 

「……おい、拓。聞いてる?」

 

「ん。あ、いや、聞いてなかった。ごめん」

 

「いいよ。じゃあ、もう一回話すぜ」

 

 

 こいつは僕の友達、仁だ。坊主刈りで背も高く、一年中半袖半ズボンで通しているが、何よりもオカルトが好きな変なやつ。クラスメイトの大半は仁の話をてきとうに聞き流している。僕もそのひとりだ。でも、嫌われてはいない。陰口を言ったり見下したりしてるやつらに比べたら、圧倒的に付き合っていて気分が良いのだ。

 

 

「いま、岬台市を席巻しているのはオバケ団地! でも、ただのオバケじゃないぜ。人に取り憑き、家族ごと奪う……“よりましさん”だ。拓も知ってるだろ、3組の鹿嶋大輝。あいつ最近、変わったって噂になってる。クラスのやつらはあれこれ言ってるけど、違うね。“よりましさん”に乗っ取られて別人になっちまったんだ。オレに言わせれば、S団地はほとんど乗っ取られてる。人間はいない……オバケの集団だ! で」

 

 

 ……っ!

 

 

「なあ、仁」

 

「あん、なんだよ? まだ話の途中なんだが」

 

「僕の名前を言ってくれないか」

 

「……? 鷹見拓。それがどうした?」

 

 

 なんでこんなことにも気付かなかったんだろう。……でも、仁の話はいつも信じられないようなオカルトだらけだ。“よりましさん”だけが真実だとは思えない。鹿嶋は3組のガキ大将だ。それなのに夏休みの後から急におとなしくなったのだ。似ている。

 

 

 夕方。あまり帰りたくはなかったが、自分の考えが正しいかどうか、あるいは仁が言う“よりましさん”が真実なのかどうか確かめなくてはならない。……他ならぬ僕の家のことなのだから。

 

 

 玄関の扉を開ける。「ただいま」と声を出すが返答は無い。しんと静まり返っている。お母さんは……いない? 買い物だろうか。でも、鍵がかかっていなかった。

 

 ぎし。ぎし。ぎし。ぎし。

 

 階段をゆっくり登っていく。慎重にお兄ちゃんの部屋の扉を開く。中は僕の記憶と印象と違っているところはない。小難しい哲学やら科学の本。小説が山のように積まれている。

 

 ……お兄ちゃんは大人しくて優しい人だ。何より真面目な人だ。髪を赤く染めるなんて有り得ない。部活にも入っていないのだし、そんな人が学内に影響力などあるのだろうか? 学習机の上に中学の教科書が置いてある。ページをめくる必要なんて無い。「死ね」「消えろ」「キモい」などと油性のペンで落書きがしてある。

 

 

「ドウシタンダ」

 

 

 ベッドからくぐもった声が聞こえた。この時間は塾に行っているはずのお兄ちゃんが布団をかぶって寝ていた。……ずっとこうだったんだ、たぶん。朝ごはんを食べたあと、彼は外へ出ることなくベッドの中に入っていた。次の朝になるまで、何も食べない。何も飲まない。トイレにも行かない。……そんな人間はいるだろうか。

 

 赤い髪をぐしゃぐしゃに掻きつつ、お兄ちゃんはベッドから起き上がることもなく、こちらをジロリと見ている。その目からは何の感情も見えない。唇がカサカサになっている。死人のようだ。口の端から目玉焼きの白身が覗いている。

 

 

「タスク。ナンカアッタラニイチャンニイエヨ」

 

「お兄ちゃん……。僕の名前は(たく)だよ」

 

 

 まるで霧がかかっていたかのように、僕も気付かなかった。仁に名前を呼ばれるまで、その違和感に気付くこともなかった。きっと、僕にも“よりましさん”の影響が出ているのだ。お兄ちゃんはもぐもぐと口を動かす。

 

 

「タスク。ナンカアッタラニイチャンニイエヨ」

 

 

 ただ言葉を繰り返すお兄ちゃんの姿に絶句する。いや、これはお兄ちゃんではない。鷹見(ヒロ)は既に乗っ取られているのだ。……それだけじゃない。お父さんもお母さんもきっと……。この家には居られない。逃げなきゃ。

 

 

「オカエリ」

 

 

 お兄ちゃんがそう呟く。何の意味も無い言葉だろうか? いや、違う。朝を思い出す。“よりましさん”は人を乗っ取ってまったくの別人にしてしまうが、家族としてのロールプレイを崩すことは無い。僕は慌てて部屋を出て階段の方へ歩く。

 

 ぎしし。ぎしし。ぎしし。ぎしし……。

 

 足音がひとりぶん余計に重い。しかし、途中で立ち止まった。僕は意を決して階段の先を見た。お母さん……の背中があった。首を九十度横に曲げてだらしなく黒髪を流したお母さんが後ろを向いていた。

 

 怖い。もし、その顔を見たら僕の心臓は止まってしまうに違いなかった。けれど、お母さんは焦らすように背を向けている。そして、再び歩き出した。背を向けたまま、足がぐにゃりと変な方向に曲がり、動かなくていい肩がぐるぐる回る。まるで、虫みたいだ。

 

 僕は自分の部屋に逃げ込み、布団を被る。逃げ場なんて無かった。他にどうしようもなかった。2階に上がらなければこんなことにはならなかった。家に帰らず、逃げていれば。せめて仁に事情を話していれば。

 

 震える。

 

 ぎしし。ぎしし。ぎしし。ぎしし。

 

 お母さんの足音がどんどん近付いてくる。どうしよう。どうしよう。どうしよう。僕は、どうすればいいんだ!!

 

 扉が開く。目を閉じて、布団の端をぎゅっと握り締める。やめてよ。いやだよ。助けて、お兄ちゃん、お父さん、お母さん……。次の瞬間、ノイズ混じりの低い声と共に布団が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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