貞操が逆転している世界で理想を演じる   作:四季弥

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理想は見ている

 もう初夏に差しかかろうとしているある日の午後。体育館には笛の音と掛け声が飛び交っていて、体育の授業は全員バスケットボールの試合形式。コートの外で順番待ちをしている私は、友人の星野結月(ほしのゆづき)東雲瑞希(しののめみずき)と並んで座っていた。

 

「ねえ、やばくない? 杏佳。今日も九条君の体操服……マジで反則でしょ」

 

「えっ……」

 

 隣の結月がひそひそ声で言ってくる。目線は明らかに目の前のコート。シュートの構えからすっと跳び上がる彼の姿を、見逃すまいと目で追っている。

 

「いや、わかる……背高いし、細いのにちゃんと筋肉ついてるし……あれは罪。存在がエロの化身」

 

 瑞希は最低なことを言いながらも、真顔を崩さない。男子にバレたら罵詈雑言の嵐だろう。

 

「しかもさ、あの髪ね。汗でちょっとだけ首に貼り付いてるのとかあれもう演出でしょ」

 

「わかる〜! 跳んだときにシャツが揺れる感じとかさ、絶対女子の視線分かってやってるよね?」

 

「てかあの腕触りたい。二の腕だけで白飯いける」

 

「それな」

 

 茶化し合いながらケラケラ笑ってる二人に、私は口元だけ笑ってみせた。でも心の中はちょっとだけ複雑。

 

「……てか杏佳はさ、一回告白したんだっけ? 九条君に」

 

 唐突に結月が話をこっちに振ってきた。悪気はないんだろうけど、こっちの心臓は一瞬だけ跳ね上がる。

 

「う、うん。まあ、勉強に集中したいって振られたけどね?」

 

 なるべく明るく返したけど、声がちょっとだけ上ずったのは自分でも分かった。

 

「まじ勇者。私なら口開く前に心折れるわ」

 

「ていうか、まだ好きなん?」

 

 その結月の問いにはちょっと黙ってしまった。

 好き。多分、まだちゃんと。

 

「んー……どうだろ。ちょっと未練あるかもってくらい?」

 

「ちょっとって顔じゃないけど?」

 

 結月がニヤリと私の顔を覗き込んでくる。

 

「てかさ、この前九条くんと化学準備室で二人でいたって聞いたんだけど? なんで言わないの〜!」

 

「ちょっ、誰から聞いたの!? 瑞希!?」

 

「後藤が教室で言ってた。『なんか二人きりで喋ってた』って。うちらの噂話のネタにされてたよ?」

 

「えーっ、最悪……!」

 

 耳が熱くなるのを感じながら、私は慌てて顔を伏せた。確かにあの日、ちょっと距離は縮まった気がした。……だけど、それを誰かに話す勇気はなかった。

 

「でもまあ、諦めないのはアリじゃない?」

 

「むしろあんたが押しに行かなきゃ誰が行くのよ」

 

「今のままじゃ絶対誰かに取られるよあれ。最近、三年の先輩女子も九条くん狙ってるって話だし」

 

「は!?」

 

 思わず変な声が出た。

 

「ちょ、先輩って誰!? 嘘でしょ?」

 

「いや、あくまで噂だけどねー? でも九条くんってああ見えて誰にでも優しいからさ、勘違いする人は出るよそりゃ」

 

「……ズルいよね、そういうとこ」

 

 私は思わず呟いていた。

 コートではちょうど九条くんがディフェンスを躱して、綺麗なフォームでレイアップを決めている。

 その瞬間、空気が一段階だけ澄んだ気がした。

 

 シャツがふわりと揺れて、汗の光を帯びた肌がほんの一瞬だけ浮かび上がる。

 真帆が「ひゅ〜」と茶化す声を横に、私は少しだけ目を細めた。

 

 ――やっぱりズルいよね。見てるだけでまた、惚れそうになるんだよ。

 

 そのときだった。

 ふと、こっちを見るような視線を感じた。

 

 ……気のせい? いや、気のせいじゃない。

 

 眼前のコート、汗を拭いながら水を飲んでいた九条さんが、一瞬だけ視線をこっちに投げてきた気がした。ほんの一瞬、でも確かに。

 

「……見られてない?」

 

 瑞希がぽそりと呟く。

 

「え、誰に?」

 

「九条君に決まってんじゃん。てかさ、あれ絶対あんたの方見てたって。目線、直線だったし」

 

「え、うそ、やめて……」

 

 心臓が変な跳ね方をする。さっきまでの余裕ぶった会話が一瞬で霧散して、急に姿勢を正してしまう。まるで、今の自分を見透かされたような気がして。

 

 すると次の瞬間、九条さんが口を動かした。

 

「……赤松さん、そっちの試合、そろそろです」

 

 はっとして顔を上げると、彼がこちらに歩いてきていた。

 

「次、うちらの番?」

 

 結月が驚いて時計を見る。

 

「うわ、本当だ」

 

「じゃあ交代ですね」

 

 そう言って、軽く笑う九条さん。だけど、その視線が私にだけ向けられていた気がしたのは、多分――気のせいじゃない。

 

「頑張ってくださいね、赤松さん。前回の試合、いい動きしてましたよ」

 

「……え?」

 

 反射的に声が出た。ちょっと、いやかなり不意打ちだった。

 

「いや、その……ドリブルとか。ちゃんと見てましたから」

 

 九条さんはそう言って、すっと通り過ぎていった。

 

「……え、なにあれ。今の脈ありじゃない?」

 

 瑞希がすかさず突っ込んでくる。結月も目を丸くして私の肩を揺らす。

 

「やばくない!? ちゃんと見てましたからって、その言い方……!」

 

「な、なにそれ……そんなわけ……」

 

 そう言いながらも、顔が熱くなっていくのを感じる。胸の奥がふわっとして、でも少し苦しい。

見ててくれたんだ。……ちゃんと。

 

 ――この気持ち、やっぱりまだ終われない。

 

 私は立ち上がりながら、小さく息を吸った。

 

「……よし、やるか」

 

「お、やる気スイッチ入った?」

 

「入った。見といてよね、次こそいいとこ見せるから」

 

 ズルい君に、いつかは一泡吹かせて見せる。

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