貞操が逆転している世界で理想を演じる   作:四季弥

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理想の恋愛相談

「なあ、九条。ちょっといいか?」

 

 放課後、教室の隅。

 そう声をかけてきたのはクラスメイトの早乙女樹(さおとめいつき)だった。

 

 普段は大人しく、目立つタイプではない。

 だが、今の彼は何かを決意したような、そんな顔をしていた。

 

「うん、どうしたの?」

「……ちょっと、話したいことがあって。あんまり人がいないとこの方がいいんだけど……………」

「……………わかった。渡り廊下のとこ、行こうか」

 

 僕たちは人気の少ない渡り廊下に並んで歩いた。窓の外には薄く陽が差し、傾いた光が静かに床を染めている。

 

 目的の場所に着くと早乙女君は何かを言いかけて、何度か言葉を飲み込んでいた。

でも、やがて息を整えて口を開く。

 

「……実はさ、先週、同じクラスの結城さんに告白されて」

「結城さん? ああ……美化委員の。しっかりした子だよね」

「そう。すごくいい子なんだ。優しいし、まっすぐだし。……だからこそ、困ってる」

「困ってるって?」

 

 彼は静かに眉をひそめた。

 

「……俺、どうすればいいか分からなくてさ。正直、恋愛経験なんて無いし、自分に自信もない。

付き合ったら絶対に相手をがっかりさせるんじゃないかって、怖くて……」

 

 ああ、分かる。

 

 誰かと付き合うって想像以上に難しいし、気負うのも理解できた。ましてその経験が一度もないなら尚更。

 ………まあ、こんな分かったように言う僕が満足のいく恋愛経験をしてはないんだけど。だがこうして何度も男子生徒からの恋愛相談を何故か僕は請け負っている。

 それは偏に僕のイメージからなのか、相談しやすいと思われているのか。

 

「……僕もそういう場面に遭遇したことあるけど、答えるのって凄く神経使うよ。例え相手に悪気がなくても」

「九条はさ、そういうのちゃんと返せるじゃん。断る時も綺麗に、後腐れもなく。俺、そういうふうに言えない……」

「それは慣れてるだけだよ。最初は僕も言葉を探してばかりだった。今でも、迷うことはある」

 

 僕は窓の外に視線を向ける。空の色が少しだけ柔らかくなっていた。

 

「でもね、早乙女君。例え自信がなくても、君の誠実さはちゃんと伝わる。結城さんが君に告白したのは、きっと君のその部分を見てるからだと思う」

「……でも、もし付き合って傷つけたらって……」

「じゃあ、まず誠実に向き合うことを目標にしたらいい」

 

 僕は静かに続ける。

 

「上手にやる必要はないよ。ただ、ちゃんと相手のことを見て、自分の気持ちに嘘をつかないようにする。それが一番大事だと思う」

 

 しばらく沈黙が流れたあと、早乙女はぽつりと呟いた。

 

「……九条って、やっぱり完璧だよな」

「完璧なんかじゃないよ。皆がそう見てるだけだから」

 

 僕は笑う。その早乙女君の言葉が、僕が理想を演じられている自信の一つになる。

 だけど、相手から褒めらる度にそのありがたみと嬉しさは無くなっていき、笑みも本物から遠ざかっていく。

 

「ありがとな、九条。少し楽になった」

「うん。頑張って。どんな答えでもきっと君なら大丈夫だよ」

 

 早乙女は照れくさそうに頭を掻きながら、少しだけ背筋を伸ばして歩いていった。

 その後ろ姿を見て僕はふっと小さく息を吐く。

 

「(……例え演じることに疲れても、誰かの役に立てるならそれでもいい)」

 

 そう思った矢先──。

 

 廊下の曲がり角で、誰かが立ち止まっていたのが見えた。

 光の向こうで、そっとこちらを見つめていたのは糸瀬さんだった。

 

「(……いつから、そこに)」

 

 僕と目が合い、声をかけようとしたその瞬間──。

 

 彼女はぎょっと目を丸くし、慌てて小走りで去っていく。

 その後ろ姿に、僕は申し訳なく思うと同時に少し面白くて笑ってしまう。

 

 まあやっていることは覗きなのだから、褒められた行為ではない。それにしても逃げたら確信犯だと思うのだが。

 正直、今日の相談にまたかと思いつつ少し気後れしていたはずなのに、なぜか気持ちは少し軽くなっていた。

 

 何だか、最近糸瀬さんとの関りが増えた気がする。この前に会った自販機の件で初めて話したが、イメージ通りの大人しめの落ち着いた生徒。

 春先に見たことがあって自分でも記憶していた生徒なのだが、ちゃんとした会話はこの時が初。

 

「(最近会うことが増えたったことは……………)」

 

 何て、自意識過剰すぎる想像は振り払い、僕は足を進める。

 

 面白くないと感じていた毎日の日々。そんな中で少しでも面白いと思えたのは久しぶりかもしれない。

 糸瀬夏芽。彼女の名前は記憶の中から消えることはないと思う。

 

 僕の足取りはいつもより少し軽かった。

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