相手もまた、倫理観を逸脱した悪だったらはたして人はどう行動するのが正しいのだろう。
いま、ムラサメ博士が、ペズンに襲来する。
女はたった一人でやってきた。
ペズンはいまや、月面都市の支持を失ったテロリストの群れである。
とはいえ、ペズンそのものを封鎖できるだけの戦力が動いている訳ではない。
このご時勢に、シャトルの一機の出入りを停止できるわけもなかった。
「ご苦労だったな、ムラサメ博士。」
禿頭の大男が、女を出迎えた。
呆れたことに、女はノーマルスーツすら着用していない。小惑星に住居ブロックやドッグを合体させた恒久性には乏しい施設である。ブロック間の移動には、ノーマルスーツが必要な部分もあるのだ。
「出迎えご苦労、バスク。」
胸をそびやかし傲然と腕組をして、ゼロ・ムラサメはバスク・オムに対峙する。
「サイコガンダムの一機でも持ってきてくれるかと思っていたが」
「持ってきてやってもよかったが、そうするとおまえのところの支払いが出来ないだろう? 安くあげてやるためにいろいろと気を使っていたのだでな。」
言い返されたバスクの顔が怒りで歪む。
だが、この女を怒らせるわけにはいかなかった。
「さっそく作業に入ってくれ。」
要塞内部に案内しながら、バスクはそう頼んだ。
「もちろん、そのつもりだ。
言っておくが簡単な手術ではないぞ。
被験者はエイノー提督自身だときいたが。」
「その通りだ。いまこちらはクランの無法者どもと交戦中でな。現役パイロットをベットに縛り付けるくらいならと自ら買って出たのだ。」
「それは……たいしたものだが、エイノーはここの指揮官だろう?
手術やリハビリ中、指揮は誰がとる?」
「そんなことをおまえが心配する筋合いではない。わたしとジャミトフ閣下で充分だ。」
ゼロ・ムラサメという女は基本的に美女である。
そして、自分の身体の曲線をあまり隠そうとはしない。
そして、口元には常に相手を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
それがポーカーフェイスの一種であることには、多くの者は気がついていなかった。
「では手術室に案内しよう。」
「カーラと打ち合わせもなしか?
こちらが希望したアンとの面談もさせないきなのか?」
「打ち合わせは手術室で行えばよい。
手術が終わり次第、アンとの面談を用意する。」
ゼロの自ら操縦したシャトルは、わざわざ、一度月面に降りて調達したものだった。
月面都市からここまではほとんどオートパイロットでいけるとは言うものの、何かをさせるために呼んだ者の態度ではない。
「ずいぶんと人使いが荒いな。」
「今回の手術が即戦力の増強に繋がるものではないとわかったのでな。
我々にはほかにやらねばならない事が山ほどある。
のんびりおまえの無駄話につきあっているヒマがない、ということだ。」
のんびりと。
わざにそう聞こえるような口調で、ゼロ・ムラサメは言った。
「噂にはきいている。クランバトルのトップランカーどもはそんなに強敵か?」
「予想以上だ。」
バスクは。少なくとも悪党同士の共感がゼロに対してはあるようだった。
居丈高な雰囲気は幾分和らぎ、素直にそう頷いた。
「新型のゼク・アインを投入しているが、押し切れん。撃墜こそないが、実戦投入した機体はかなり損傷を受けている。
50機を確保した状態だったはずが、現時点での稼働可能機は30機程度だ。
ペズン内部の工場で修理は可能だが、技術者たちも無限に働けるわけではないのでな。」
「ポメラニアンアンズのアンキー、だったな。」
ゼロ・ムラサメの笑みが深くなった。
「知らん仲でもない。実際に、今回の騒動にわたしのところの強化人間たちにも参加を求めてきていた――断ったがな。」
「稼働できる強化人間がいるのか! ならば……」
「おっと!
おまえのところにうちの子供たちを預けるのはお断りだ。ドゥーのことで懲りているからなあ?」
それはかつて、彼が直接指揮した。ギレンの側近筋から依頼を受けたキシリア暗殺計画である。
サイド6にキシリアが来訪するとの情報を得て、バスクはムラサメ研究所に強化人間とサイコガンダムを借り受けた。
だが、“灰色の幽霊”シャリア・ブルの駆るキケロガに一蹴され、サイコガンダムら撃。パイロットも重傷を負って一時行方不明となっていた。
「まあ、なんにせよ。アンキーは集められるだけのトップをかき集めたんだ。むこうはもうこれ以上の戦力は増強できない。
じっくり構えるんだな。
……おっと、ここか?」
もちろん、小惑星を改造した基地に、手術室があるわけではない。
独立したブロックを滅菌し、外科手術用のというか、それに使えそうな機材を配置した殺風景な部屋だ。
真ん中にある寝台は手術台のつもりだろう。
横に車椅子があって、初老の男が腰を下ろし、カーラ・ミッチャムとなにやら話し込んでいたが、バスクとゼロに気が付き、顔を上げた。
「あなたがムラサメ博士か。はじめてお目にかかる。連邦軍のエイノーだ。」
その声に隠れた嫌悪感を察して、ゼロは満足した。だいたい信頼にあたる人物は、ムラサメの名前に嫌悪感を示すのだ。
それはごく当然のことであって、むしろその人物がまともな倫理観をもっていることを表している。
「初めまして、反逆者の首魁。」
ゼロは陽気に言った。
エイノーは、怒り出すかわりに苦笑を浮かべた。
「……時間ぴったりの到着だが、麻酔で身体が動かせない状態での待機はなかなか辛いものがあるな…」
「大丈夫。手術がはじまればもっと辛いからね。」
ムラサメは持ってきたスーツケースを開いた。
カーラがつけているのと同様な篭手とブーツが収まっている。
「ポイントは神経の接続だから、完全に痛覚を遮断できないんだ。まあショック死しない程度には、痛みは和らげるつもりだけど」
「提督……ご安心ください。」
カーラが急いで口を挟んだ。
「そこまでの激痛はありません。ですがそれなりに不快なのは事実です。」
「あまり慰めにはならんな。」
エイノーは諦めたように言った。
「始めてくれ。」
ゼロはじろりとバスクを睨んだ。
「さて、術式開始だ。部外者は出ていってもらおうか?」
「わかった……時間はどのくらいかかる?」
「なんだ? 手術室のまえで成功をお祈りでもしながら待つつもりか?
そうだな……3時間はみてもらう。」
わかった、と言ってバスクは手術室を出た。
「どっちにしてもこの部屋はモニタリングされているのに。」
カーラが文句を言った。
「音声? 映像?」
「両方です。」
「聞こえるか、バスク!?」
ゼロは天井に向かって叫んだ。
「音声は消させてもらうぞ。
敬愛する提督の悲鳴はあまり聞きたくはないだろう。」
ザリザリ。
と、マイクの音がしてプツンと切れた。
「……ったく。ここはいまティターンズが仕切っているのですか、提督。」
そう言いながら、ゼロは、エイノーの身体を車椅子から手術台へと移した。
エイノーはそう大柄ではない。だが、軍人として鍛えた体躯をもつ。それを軽々と持ち上げて、手術台にうつす作業をゼロはひとりで行った。
助手を務めるカーラともども、ゼロは横たわったエイノーを上から見下ろす形となる。
「気分はどうかな、エイノー提督?」
「……いいはずが、あるまい。とっとと始めてくれ。」
「いや、もう少し具体的に聞かないとダメか。連邦刷新のための乾坤一擲の行動をティターンズに乗っ取られた気分は如何かな、提督閣下。」
さすがにエイノーは目を見開いた……とないえ、彼の体で動かせるところはそのくらいしかなかったのだが。
無影灯は明明と輝き、彼のバイタルを示す計器が作動している。
カーラは忙しく、数値をチェックし、もっともらしくゼロの持ち込んだデバイスを消毒しつつ、手術の準備をすすめている。
――ようでいて、なにもしていなかった。
「なぜそもそも、真っ先に排除すべき対象であるティターンズを呼び込んだのだ。」
揶揄うようにゼロは続けた。
「処断しろとは言わないが、監禁しておくくらいでよかっただろうに。」
「ジャミトフが亡命してきたときには、すでに半数近くが義勇兵を装った元ティターンズのメンバーに占められていた。」
苦々しげにエイノーは言った。
覆い被さるように見下ろすゼロのおかげでその表情も口の動きも、監視モニターからは見えない。
「その時点で、ジャミトフを監禁しようとすれば、組織が崩壊しただろう。
わたしとしては、ジャミトフを立てつつ、実際の権限はわたしとわたしの腹心たちが握ることで、やつらをコントロールできると踏んだのだ。」
エイノーは、しばらく天井を見つめていた。
照明の白が、やけに遠い。
「……正直に言おう」
ようやく、言葉を絞り出す。
「ニューディサイズは、もう私のものじゃない」
カーラの手が、一瞬だけ止まった。
ゼロが、淡々と確認する。
「名目上の指揮官は、まだあなたですね」
「書類の上ではな」
エイノーは、苦く笑った。
「現場は違う。作戦行動はわたしの許可も相談もなく、バスクたちが決めている。わたしの直属の部下たちもそれに従わざるを得ない状態だ。」
沈黙。
モニターの心拍が、わずかに上がる。
「正直なお人だ。」
ゼロの声は、嬉しそうだった。
「ならわたしもとっておきの教えてあげよう。クランに増援が来る。」
「バカな!」
エイノーは喘いだ。バイタルが異常を示すが、まあ手術が始まっていれば当然だろう。
「ジオンは動かん……連邦も動けんはずだ。そもそも宇宙での戦力が皆無なのだから。」
「アンキーはクランにパイロットを追加したんだよ。」
ゼロはメスを手にした――手にしただけだ。
「シャリア・ブルとかシーマ・ガラハウの名前はきいたことがあるかね?」
「海兵隊のシーマか! それに灰色の亡霊が!?」
「声が大きいよ、提督。音声モニターは切っているけど、手術室のドアの前でバスクが、聞き耳をたてていてもわたしは驚かない。」
「しかし……ジオンの正規軍人がなぜ?」
「軍は除隊となった。でもって、アンキーが行き場のなくなった哀れなパイロット崩れをクランバトルに誘った……という体だな。これで、賭けのレートはかなりクラン側に有利になった。
そう思わないかね?」
エイノーは、すぐに答えなかった。
「……わたしが連れてきた者たちがいる」
その一言に、重みがあった。
「ペズンに来たとき、わたしを信じて家族を置いてきた者もいる。
昇進も、未来も、すべて捨ててな。」
視線が、わずかに震える。
「わたしが逃げれば、彼らはどうなる?
投降すれば、“エイノーの派閥”として粛清されるだろう」
ゼロは、初めて少しだけ目を細めた。
「あなたは、立派な指揮官だ。
だけど、わたしも少しバスクたちとの付き合いがあってね。
もし、敗色が濃厚になれば、バスクたちはあんたを首謀者として、連邦に差し出すだろう。最初からそのつもりでニューディサイズに潜り込んでいた、と称して、な。」
「しかし」
エイノーの声は僅かに震えた。
「部下を置いて逃げる決断も、
彼らを見捨てて生き延びる選択も――
わたしにはできん」
言い切ったあと、声が落ちる。
「……だが、このままでは、部下をバスクのために死なせることになる」
それが、いちばん耐えがたい。
カーラは、何も言わず、器具を動かし続けている。
だが、その背中が、わずかに硬い。
ゼロは、少し考えるように間を置いた。
「つまり」
静かな声。
「あなたは、
“負けるとわかっている戦場”から撤退できず、“勝たせたくない相手”のために時間を稼いでいる」
「……まだ負けると決まった訳ではない。」
エイノーは、目を閉じた。
「愚かな意地だとは、わかっている」
「愚かではない」
ゼロは、即座に否定した。
「それは――
指揮官として、もっとも人間的な選択だ」
その言葉に、エイノーは目を開いた。
「だが」
ゼロは続ける。
「その選択をした以上、もはや、逃げ場はない。あなたもニューディサイズも、もう詰んでいる。」
彼女は、手術灯の角度を変えた。
「悪党には悪党を。わたしにやらせてみるかね、提督。」
エイノーは、ゆっくりと息を吸う。
「……方法はあるのか。『もう詰んでいる』
そうおまえは言ったが。」
「なくはないよ。」
無影灯の影になって、エイノーからは、ゼロの表情は見えない。だが、その口が耳まで裂けて、尖った歯がむき出しになっているような気がしてエイノーはぞっとした。
「詰んでいようがいまいが。
『盤面をひっくり返せ』ばいいのさ。」
おまえはもう
...詰んでいる!!