きみは返済することができるか。
ア・バオア・クーの仮想戦において、パイロット役の参加者たちは、戦闘中とはいえ、それぞれ休憩時間があったはずだ。
そして、モーションコクピットから出てしまえばそこは、ネオ香港大学のキャンパスである。
学生用の食堂もあるし、キャンパスを出れば、シャレたレストランやカフェもある。
労働環境としては、クワトロ・バジーナの提示した報酬も含め悪いものではないはずだった。
そう言った意味では、いちばん疲労困憊していたのは、運営に違いない。
主にはヤンとアッテンポローである。
ゼクノヴァでこのイベントを〆たヤンは、やっと、ほっとひといきついた。
これで、ユリアンの試合を見れるかと、AIにグラナダ上空でのデモンストレーションバトルの動画再生を依頼したところに、訪問者があった。
ノックもせずにドアを開いた精悍な若者は、ヤンがどう見ても軍人に見えないのと一緒なくらいパイロットにしか見えない。
酒と―――ハムやチーズ、そのほか肴になりそうな食べ物を詰め込んだバスケットを甲斐甲斐しく下げていた。
ジオン工科大学に通う連邦軍時代の友人オルビエル・ポプランである。
連邦軍のエースのひとりであったが、戦後あっさりと除隊に追い込まれたのは、彼が生粋の戦闘機乗りであり、モビルスーツへの配置転換を拒み続けたためである。
それでいて、彼は紛れもなくエースのひとりだ。
10機のザクを撃墜―――百機以上を撃墜したスーパーユニカムもいる連邦では目立たない成績のように言われるが、それがセイバーフィッシュを駆っての戦績ならばどうだろう。
機銃とミサイルポッド。
レーダーの阻害される視界に頼らざるを得ない戦闘。
それに対応するための革新的新兵器ザクに、かれは戦闘機を駆って、戦争を戦い抜いたのである。
さすがに軽キャノンが大量投入されたソロモン以降はもっぱら哨戒任務にまわされたが。
そこでもザクを1機。輸送艦1隻を沈めている。
「終わった? 終わったか、シミュレーションのほうは」
およそ、毒舌で遠慮というものを知らない男である。
上官にはあまり好かれることなどないのだが、どういうものかヤンには懐いていた。
ポプランは、空いた椅子に勝手に腰掛け、もってきた酒と肴を並べ始めた。
「ユリアンのやつ、やりやがったぜ。
どうせ、まだ見てないんだろ? 一緒に観戦しよう。」
「ああ、シミュレーションの運営が忙しくてね。」
ヤンはそう言って、紅茶を入れ直すために立ち上がった。アッテンボローのほうを見ると首を横に振っている。
どうも、紅茶よりもポプランが持ち込んだ酒のほうに興味があるらしい。
「一応、ユリアンが無事だったことと…ユリアンのチームか勝ったことだけは、ニュースをチェックしたよ。」
「ああ、見事なもんだぞ、ユリアンは!」
ポプランは、自分とアッテンボローグラスの縁までを琥珀の液体で満たした。
「強化人間を一瞬で蜂の巣だ。俺のデビュー戦もあそこまで派手じゃなかった。」
「なんにせよ、無事でよかったよ。」
ヤンとしては、それが本心である。
無事なのは一番ありがたい。
これで勝ったというのは、今後のクランバトルにも出場の要請が来る、ということで、それは必ずしもユリアンのためになるのかどうか……。
「可変機ってのは、悪いもんじゃないな。」
ポプランは一杯目を一息で飲み干し、次の酒を手酌で注いだ。
「あれなら、俺でも乗ってみてもいい。」
ヤンは少し驚いた。
とにかく、モビルスーツ嫌いのこの男がそんなことを言うとは!
しかし…
この男が、軍を放逐されたのは、断固としてモビルスーツの機乗を断り続けていたからである。
それが、可変機限定とはいえ、モビルスーツに乗ってもいいと言い出したということは。
あるいは、軍に復帰するつもりなのだろうか。
「いまんとこ、連邦で作られてる可変機は、試作タイプばかりだ。
コストが、かかりすぎるし、なにより、使いこなせるパイロットがいない。」
自分は使いこなせる、とポプランは当たり前のように言っている。
「軍に戻るのか?」
ヤンは尋ねた。
「そうだな。お互いどこに配属になるかはわからねえが、うまくやっていこうぜ、“提督 ”。」
「待ってくれ!」
ヤンは頭を抱えた。
「わたしは別に連邦軍に復帰するなんて話はしてないぞ。」
「ん?……ああ、そうか。ジオンか!
たしかに、ザビ家のいないジオンならいまの連邦政府より楽しそうだからな!
で、どっちから話がきてるんだ?
マ・クベか? 公王府か?」
「どちらも来ていないよ!」
「そんなバカな!」
ポプランは驚いたようだった。
実際に口をふくんだ酒を吹き出しかけて、慌てて口を拭った。
「このシミュレーションを見て、どこからも―――ジャブローのモグラどもからもスカウトが来ないっていうのか?」
ヤンは曖昧に頷いた。
―――本当は、そのジャブローのモグラの首魁たるゴップから話しはあったのだが、それを言うと、ポプランをさらに誤解させる恐れがあったので、あえて口にはしなかったのだ。
ヤンは紅茶をカップに注ぎながら、しばらく黙っていた。
ポプランの持ち込んだ酒の匂いが、部屋の空気を少しだけ軽くしている。
「……で?」
ポプランが言った。
「配信くらいはながしといたんだよな、あいつの戦い。」
「いや、だからニュースで結果を知っただけだよ。」
「はあ!?」
素っ頓狂な声があがる。
「何やってんだよ、お前!
自分のところのガキだろうが!」
「“わたしのところ”ではないよ。」
ヤンはさらりと返した。
「彼は学生だ。わたしは教師でもない。」
「屁理屈だな。」
ポプランは鼻で笑った。
「まあいい。見ろよ。ユリアン以外にも見どころ満載だ。ぶっとぶぞ。」
「とぶ?」
「常識がな。」
アッテンボローが吹き出した。
「そいつは楽しみですね。」
ヤンはようやくAIに動画再生を指示できた。
「では、見せてもらおうか。」
映像が再生される。
三対三。
高速戦闘。
ポプランは酒をあおりながら、ところどころで口を挟む。
「スパルタニアンは、訓練用の可変機だ。ここのパイロットスクールでも使われてる…ここらへんはおまえさんも知ってるよな?」
「まあ。ニュースも見るし、ユリアンからも聞かされてるし。」
「パイロット育成の段階から、可変機に慣れさせようってことで採用された機体だ。コストを抑えるために、マグネットコーティングは施されていないが、パイロットの安全性のためにもそれはいいことだろう。」
「いいこと、なんですか、それは。」
アッテンボローが、口を挟んだ。
「そりゃそうだ。変形が一秒に満たない速度で行われたら、ふつうパイロットじゃ目を回す。
なんで、変形には10秒近くかかるし、急加速や旋回時の変形にはリミッターがかかっている―――ここだここ。こいつ頭おかしいだろ」
「変形途中で加速か……」
ヤンは静かに言う。
「加速中に変形が出来ないから、変形を初めてから加速する。機体が保つ前提なら、理屈は通る。」
「機体とパイロットがもたないから、リミッターをかけてるんだ!」
「普通はその通り」
ヤンは頷いた。
「普通は。」
視線は画面から外さない。
敵前での変形は、あまりまえに行えば極めて危険だ。危険しかない。
ユリアンは、実際に、戦いの最初で変形中に攻撃をうけ、離脱。
機体のダメージ判定は軽微だったが、パイロットが意識を失ったのだろう。
その機体は、ぐるぐると回転しながら、宇宙を漂っている。
試合は2対3になっている。
やがて、戦闘は終盤へ。
ジュドーの突入。
プルの失速。
アンの射撃。
ポプランが舌打ちした。
「チッ、もったいねえ。あそこで助けに行くかよ。ほっとけとばひとり自滅で片付いたんだ。」
「行くだろうね。」
ヤンは即答した。
「これはあくまで、試合だし、参加者はまだ少年少女といっていい年代のはずだ。彼がそういう人間だったのは悪いことでもなんでもない。」
「……こいつを知ってるのか?」
「個人的には知らないよ。だが、クワトロ大尉から、フラナガンスクールにもニュータイプ研究所にも属さない若いニュータイプたちとともに戦った話はきいている。そのうちの何人かが、このデモンストレーションに参加していることも、ね。」
そして。
問題の場面。
ジュドー機とプル機を同時に撃墜してしまったアンが、手を突き上げる。
これで、試合は終わり。
誰もがそう思っている。
正確にはユリアン機は、撃破認定を受けておらず、アンに突き飛ばされた衝撃のままに、くるくると回りながら宙を漂っている。
くるくると回る機体。
ポプランが笑う。
「で、ここだ。ここからが見せ場―――」
「……いや。」
ヤンが小さく言った。
「よく我慢したよ、ユリアンは。、」
「は?」
ポプランが振り向く。
「どういう意味だ?」
ヤンは画面を指さした。
「彼は気を失っていたわけじゃない。わざと、戦うのをやめていたんだ。」
「……あ?」
衝撃をうけたまま、一切の制御を放棄する。
意識があるのなら。反射的に機体の姿勢を立て直そうとするだろう。
なんとか一発でも打ち返そうとするだろう。
「普通はここで焦る。
姿勢を立て直そうとする。
撃とうとする。」
「そりゃそうだろ」
「でも彼はやらなかった。」
ヤンの声は静かだった。
「やろうとすればその時点で、確実に撃破される。“できないこと”を、最初から全部捨てている。」
ポプランの表情が、少し変わる。
「……たまたま試合が終わりかけたこの時点で意識を回復したんじゃないっていうのか?」
「わたしは士官学校で、パイロットの教習は受けたが。」
「初耳だ。成績は?」
「Dマイナス」
「チャーリーブラウンかよ!」
ヤンは指を一本立てた。
「だがまあ、制御不能の機体に乗っているときの気分の悪さはわかるつもりだ。とくに機体がぐるぐる回ってしまってるときとか。」
「たしかにな。それを我慢して『死んだフリ』を続けるのは、巡洋艦を落とすよりも難しいかもしれない。」
「さすがにそりゃ、あんただけでしょ、ポプラン中尉殿。」
アッテンボローも、二杯目を注ぎながら言った。
その直後。
ユリアンのスパルタニアンのマシンガンが発射された。
命中。
鮮やかなグリーンの蛍光色に染め上げられるアンの機体。
文句なしの撃破認定だった。
ポプランは、しばらく何も言わなかった。
やがて、低く笑う。
「……なるほどな。」
グラスを傾ける。
「戦いは操縦テクニックだけじゃないってことだ。」
「そうだ。」
ヤンは頷いた。
「派手さはないけどね。」
「一番イヤなタイプかもだな、敵に回すと。」
ポプランがニヤリと笑う。
「…出来ればユリアンには、そういう敵だの味方だのという世界とは無縁で生きて欲しいんけどね。」
ポプランは難しい顔をした。
「―――だがな。これで引っ張られるぞ、あいつ。」
酒を置く。
「軍も、企業も、全部な。」
ヤンは否定しなかった。
その代わりに、静かに言った。
「ああ。」
そして、少しだけ視線を落とす。
「問題は―――」
「?」
「ユリアンの意志だ。彼は戦うことが好きな訳でも、自らの技術をひけらかしたい訳でもない。」
ポプランが眉をひそめる。
ヤンは続けた。
「彼は、“誰かのために動く”。その“誰か”がなにになるのか。それを彼が自分の意思で判断できるようになるまでは、彼を身近におきたいと思うんだ。」
部屋が、少しだけ静かになった。
だがそれは長くは続かなかった。
ノックの音は激しく、切羽詰まっているようだった。
「どうぞ。鍵はかかっていません。」
ドアの向こうにいたのは、クワトロ・バジーナであった。
シミュレーションを終え、寛いでいる彼らを、冷たい視線が一瞥した。
「もう勝敗は決したはずだ。すぐに全員を強制ログアウトさせて、シミュレーションを中止してくれ。」
ヤンはメインモニターを、戦況画面に戻し…そしてなにが行われているかをはじめて悟った。
「なにがどうなって…っ!!」
アッテンボローが、絶句した。
「ジオンは戦闘空域を離脱。ソロモンはア・バオア・クーへの激突を免れて、それでおしまいのはずなのに……!」
「これが仮想空間だとあらためて認識したパイロットたちが、無差別に相手を攻撃しあっている!」
クワトロは彼には珍しく、早口で言った。
「損害は、すでにこれまでの戦闘で失なわれた数を上回っている。」
「たしかに、これを収拾するには、全員の強制ログアウトがいちばんですがね。」
アッテンボローがおずおずと言った。
「まあ、ただのシミュレーションですし、実際にだれが死ぬ訳でも、損害が発生するわけでもないですし……」
「わたしは、参加パイロットに撃墜数に応じて歩合を払う約束をしている。」
クワトロは、悲痛な面持ちで言った。
「すでにアムロひとりの支払いで、配信利益がとんでいるのだ。一刻も早く、強制ログアウトを!!」
次回より約10話にわたって、ネオ香港の最高級マンションの最上階。プライベートプール付きのベントハウスを舞台に、アムロとマチュ、ニャアンのイチャイチャをお楽しみいただけ
ません。