「暗殺は中止だ。」
アナハイムムーン支社長は吐き捨てるように言った。
場所は、グラナダ本社の支社長室。
「部屋」という概念からはいささか遠い。
彼がいま居るのは執務室だが、隣接する形で、リビング、寝室、バーティルーム、プールまでそなえたプライベート空間が用意されている。
アナハイムほどの大企業ともなれば、その最高幹部の暮らしは王侯貴族と変わらないらしい。
いや、もともと支社長自身が、そのような階級の出身者だった。傍らに控える秘書も、彼の「家」から派遣されている。
彼はあるじの言葉に頷くと、インカムにささやいた。
「……『事故』は中止だ。」
「……金髪の小僧めがっ……」
支社長は呻くように言った。
「しかし、エッシェンバッハ卿の娘婿を巻き込んでしまったとなれば、そちらの方がまずい。まったくこんなタイミングでとんでもない人物を呼び込んでくれた……」
「それも専務の計算のうちでしょう。」
秘書は言った。
「それに、エッシェンバッハ家の娘婿は、ザビ家の一員でもあります。
ギレン総帥、キシリア様は不幸な事故で命を落とされましたが、彼はどちらの派閥からも好意を持たれています。
現在のジオン公国元首アルテイシア・ソム・ダイクンも、ドズル将軍の遺児ミネバを保護し、正面だってザビ家を敵視する政策をとっていません。
もし、彼の身になにかあれば」
「ジオンそのものが一丸となって敵に回る……か。」
支社長はぐったりとソファに体を沈めた。
「碑銘の解析はどうなっている?」
「進展はありません。
たしかに、ディアナ様のいた文明を滅ぼした兵器の存在への示唆はあり、それがおそらくはナノマシンを使用したものであることは間違いなさそうですが、技術的な部分の記述はまったく無いのです。」
「やはり、目覚めていただくしかないのか……」
支社長は首を振った。
「そちらの方はどうなっている?」
「冬眠装置そのものが、特殊なフィールドに包まれています。
解析チームは“シャロンの薔薇”を包んでいたものと同質のものでないか、と。」
「いったいなにものなのだ!彼女は!!」
ディアナ信仰。
グラナダ建設以前にも、月面への入植が試みられたことはあった。
発見された彼女はそのような、初期の入植団の忘れ形見ではないかと推測されたのだ。
不慮の事故にあい、酸素も食料も底を着いた彼らが、将来、誰かが発見してくれることを望んで自らを冬眠カプセルに閉じ込めたものが、偶然発見されたのだと。
たが、そのカプセルは、現代の人類のもつ技からは「ほどよく」逸脱していた。
これが人類のもつ技術体系とはまったく、異なるものならば、異星の文明を疑ったであろう。
だが、その技術は「似て異なる」ものだった、
まるで、一度、壊れた文明をもういちど、立て直したような。
碑銘の文字も変化はしているが、解読は可能な文法体系だった。
“シャロンの薔薇”と同じく、別の世界、別の位相からの飛来者。
アナハイムムーンの技術陣がそう結論付けたのは、ごく最近である。
それまでは、冬眠カプセルにアクセスできないのは、単なる装置の故障。なかの少女に危害がおよぶ危険があるので、無理やりこじ開けることは憚られた―――その程度の存在だった。
現在彼女は、グラナダ中心部のとある建物に安置されている。
毎日のようにその『棺』のまえに花を捧げるものはいるが、ごく少数ではあるし、単なる民間信仰である。
キシリアも、現在のグラナダ行政府もとくに関与する必要は感じなかったのだろう。
だが、地球とコロニー国家の互いを殲滅しようとする戦争をみたあとでは、その信仰は微かに変わったのだ。
彼女と一緒に発見された碑銘には、人類同士が血を流し合い、地球を、コロニーを破壊し合う戦を嘆く一文もあったのである。
そして、彼女の率いる月の民『ムーンレイス』はのような愚かさとは無縁であるように、と。
「金髪の小僧の始末は、我々に任せてもらおう。」
部屋の隅から声がした。
秘書は軍人としての訓練も受けていた。
すばやく、あるじを庇いながら拳銃を引き抜く。
銃を突きつけられながら、侵入者は笑った。
「我々ならば、アナハイムとの関連を疑われることもあるまい。狂信者の群れが、たまたまおまえらの重役を襲った。理由はそうだな―――アナハイムムーンが、我らに対する献金を渋った、とでもしておけばいいか。」
「『ギンガナムの腕』。」
秘書は油断なく、拳銃を構えながら言った。
「おまえらはどこに、何人の仲間が潜り込んでいる?」
「月の民はすべてが、ディアナ様の臣下“ムーンレイス”だ。」
保安部の制服を着ている。いや支部長もその秘書もその顔に見覚えさえあるのだ。
「我らはどこにでもいるし、なんでも出来る。
保安部にも何人も仲間はいるぞ。
必要ならば、モビルスーツ部隊を使ってグラナダを破壊してもいい。それをしないのは、ディアナ様がそれを望まないからだ。」
「まあまあ。そういきり立つ必要はない。銃をしまいたまえよ。」
支部長は、かえって開き直ったようだ。
「我々は、みな『女王派』……いつかディアナ様を頂いて、地球圏を統率するために活動している。
いがみ合う必要はあるまい。
それに、もし専務のことを任せられるのならば、任せよう。ただし、その場合は、保安部の人員、機材は一切使用禁止だ。」
男はニヤリと笑って頷いた。
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カンチャナが目を覚ましたのは深夜だった。
執筆中に眠ってしまったらしい。
目の前のモニターには、書きかけの文字が踊り、カーソルがゆっくり点滅している。
『シャイの逆襲』―――
ネオジオンの総帥となったシャイ大佐が、地球に小惑星を落下させ、人類を粛清しようとする。
来月には、大画面推薦コンテンツとして配信が開始する予定だ。
予約状況から見ても、大ヒットは間違いなさそうで、カンチャナは、編集から続編を迫られている。
とは言われても、本作で、主人公とそのライバルを殺してしまうので、はたしてどう続けたらよいものか。
一応、企画としては
他の恒星系に移住した人類が、第87系文明人の遺跡を発掘してしまい、それを巡って宇宙戦争が勃発してしまうという物語。
を出していたのだが、編集部はやはり宇宙世紀の続きが見たいようなのだ。
その物語もいくつか、彼女のなかには存在する。
だが、あまり書きたくはない。
おそらく、カンチャナが夢に見る世界はひとつ。
お姉様が白い悪魔のビームサーベルに刺し貫かれたあとの世界だ。
そこでは、ジオンが破れたあと、地球連邦がふたつに別れて争い、アクシズがネオ・ジオンを名乗り、
そしてアクシズの地球落下。
そのあとも人類は戦い続ける。
地球連邦の瓦解。
コロニー同士が争う戦国の世。
新たな貴族主義の台頭。
ギロチンの音
ニュータイプたちが、リング状のコロニーに閉じ込められている。
木星勢力の侵攻。
繰り返す。
なんども繰り返す。
時刻は―――
まだ一眠りする時間はありそうだった。
カンチャナとヴァーニはそれぞれの寝室を与えられている。
学校にも通わせたてもらっているし、給金ももらっていた。
将来のことまでは考えていない。
少なくとも、自分のあるじや同僚を捨てて逃げ出すつもりは毛頭なかった。
カンチャナは、重いまぶたをこすった。
繁華街からは離れたこのコンドミニアムだが、窓なら見えるネオ香港の夜景はそれでも明るい。
戦争も、陰謀も、宇宙の秘密も関係なく、人々は眠り、笑い、恋をしている時間だ。
そのはずだった。
ふと。
部屋の温度が変わった。
肌寒い。空調ではない。
もっと根源的な、“世界の色”そのものが変質したような寒気だった。
カンチャナは、ゆっくり顔を上げた。
モニターの光が、部屋の奥を照らしている。
そこに―――
女性の姿があった。
長くのばした金糸の髪を銀の髪留めで結び、前に垂らしていた。
体のラインがわからないふっくらとした衣装。袖と足が大きくふくらんでいて、膝まであるブーツを履いていた。
まるで月光そのものを、人の形に削り出したような女だった。
だが、その姿は不安定だ。
輪郭が、ときおり砂嵐のように崩れる。
存在そのものが、こちらの世界に噛み合っていない。
カンチャナは息を呑んだ。
「……おまえは……?」
女は静かに頷いた。
「驚かせてしまいましたね。黒歴史のひと」
声は耳ではなく、直接、脳に響いてくる。優しい声だった。
だがその優しさが、逆に恐ろしい。
人間の声ではない。
カンチャナは、椅子ごと後ずさった。
「なにものなの?……どうして、ここへ?……」
怖いのは怖い。
だが、カンチャナは、主や仲間を守るためにいる。
「あなたが、わたしを見えるから。わたしもあなたが見えるのです。」
女性は言った。
「夢を通して。」
カンチャナはごくりとツバをのんだ。
怖いのはこわい―――だが、創作者として得難い経験だ。
「わたしはディアナ・ソレル。ムーンレイスの女王です。」
「ムーンレイス……月の民?
月にはそんな王国はないわ。」
部屋の空気が、ゆっくり歪む。
壁。
床。
天井。
そして、彼女の微笑み。
「そうね。まだありませんわ。」
「その『まだない』国の女王様が、いったい何のようなの?」
「お願いがあります。」
ディアナは穏やかに続けた。
「新たな黒歴史の到来を止めなければなりません。わたしに、あなたの身体を自由にさせてください。」
カンチャナの全身がこわばった。
「ほんの少しでいいのです。
わたしは、こちらの世界で動かなければならない。」
「お断りするっ!」
カンチャナの瞳が燃える。
「わたしの身体は、わたしのモノだ。誰かの自由になんてさせない!」
ディアナは困ったようにため息をついた。
「あなたを傷つけるつもりはないのです。」
「みんなそう言う! 信じられるもんか!」
幻の女王とベストセラー作家の卵は睨み合った。
ふわり。
ふたりの間にもうひとり。
人影があらわれた。
カンチャナに似た濃い肌。黒髪をお団子に結んだ美女である。
黄色の貫頭衣。
ララァ・スンは、笑みを含んで、ディアナ・ソレルを黒い瞳で見つめた。
「カンチャナを、怖がらせないで。」
声は静かだった。
だが。
空間そのものが、彼女を中心に波打っている。
ディアナが、かすかに後退した。
「改変者。始まりのニュータイプ、ララァ・スン。」
「そんな大げさのなものじゃないわ。」
コロコロとララァは笑った。
「カンチャナの小説のなかでは、第一作で早々に死んでしまうくせに、そもあともアムレとシャイの回想にちょこちょこ出てくるのに加えて、シャイやアムレのその後の関係を歪ませてるので、一部の読者からは『悪霊』呼ばわりされてるのよ。
最新作でもシャイの思慕の対象になってるから、シャイは部下から『ロリィタ趣味がある』って思われてるのよ。
ちょっと彼がかわいそうだと思わない?」
カンチャナは呆然と、ふたりを見比べた。
ララァの姿も輪郭が輝き、透けるて見える。
と言うことはこのララァは実体ではないのだ。
同じ屋根の下にいるにも関わらず。
“ニュータイプ能力の無駄づかい”
ララァが、ゆっくり振り返る。
「大丈夫、カンチャナ。」
「大丈夫です。まだ何もされてません。」
ララァは、ため息をついた。
「ムーンレイスの女王陛下。わたしの妹の非礼を詫びます。」
「どういうことですか!?」
「どういうことなのでしょう?」
ディアナとカンチャナが同時に叫んだ。
「わたしたちは、育った環境がすこし特殊なもので」
ララァは憂鬱そうに首を振った。
「あなたの身体を自由にさせろという申し出を、かなり特別な意味合いに解釈してしまったようです。」
ディアナは、ショックを受けたようによろめいた。
「そ、そんな!」
「まあ、あなたのやって来た時代にはそんなことがなくなっているとうれしいのですけど」
ララァはまた深いため息をついた。
「この時代では、年端のいかぬ少女をもて遊ぶことを趣味にする女性もいなくはないのですよ。」
「違うのですか。」
カンチャナはモゴモゴと口のなかで言った。
「いきなり女王様だとか名乗るものなので、てっきり」
ディアナ・ソレルは、呆然と立ち尽くしている。
「カンチャナが知覚できたということは、彼女が小説として描いた世界から来たのでしょう、ディアナ。
人類は、健在ですか?」
「木星域まで広がった人類の文明は、ナノマシンの暴走により消滅しました。」
ディアナは答えた。
「外宇宙に旅立ったものもいるので、人類として滅んではおりません。ですが地球もそも周りのコロニーも、火星も、アステロイドベルトも、木星圏も、すべての人造物はことごとく破壊されました。
月の地下深く、逃げ延びたわたちムーンレイスだけが、交替で人工冬眠にはいることで文明をつなぎました。
ここは、わたしたちに記録に残る過去、『黒歴史』とは微妙に異なる世界のようですね。」
「そうです。」
ララァは、ほんのすこし胸をはった。
「わたしはそれよりは少しマシな歴史を紡ぐために存在しています。」
「大佐を救うためだけのクセに」
「カンチャナ!!」
ララァは叱るというより抗議するように言った。
それはまさに図星であったのだ。
気を取り直してララァは続けた。
「わたしの大事なひとはすでに、仲間とともにグラナダへ旅立ちました。
あなたの歴史とはことなり、彼には心強い仲間がいます。必ず悲劇は回避してくれます。」
「わかりました。始まりのニュータイプ。」
ディアナも優しく微笑んだ。
「あなたを信じます。よしなに、ララァ・スン。」
その姿は月光に溶ける蝶のように消えた。
だいぶ、メタな今回