ラインハルトの姉アンネローゼと、フリードルフ卿の結婚は、悪い意味で評判になっていた。
なにかの法に触れる問題ではない。
アンネローゼは、とりあえず、彼らが婚姻届を出した地域では、法的に結婚しても差し支えない年齢ではあった。
当代のフリードルフ卿は―――
少なくとも女性関係では、浮ついたところのない人物であるとの印象を持たれていた。
三十代のころに一度、結婚し、最初の妻を事故で失って以来、独身を通していた。
彼は、名前だけになった爵位以外にも、財産やら家柄に付随するさまざまな栄誉、あるいは役職といったもので全身を飾り立てていたから、直系の後継者なしに亡くなるのは、かなりの混乱が予想されたが、彼の親戚筋は、それならばそれでと考えていた。
古くからの王家の血筋であるフリードルフ家には直系が絶え、親類筋が跡をとったことなどいくらでもある。
「それならばそれで」
フリードルフの名のもとに集まるものたちが、美味い汁を吸う方法はいくらでもあった。
もしろ、彼らのうちのだれかが後釜に坐る可能性がある分、好意を持って受け止められた
だからこそ、彼が老境といってよい年齢になって、アンネローゼを妻にしたことは、予想外。
驚天動地の出来事だった。
若い娘に、老人がうつつを抜かしたことではない。
そんなものは一向にかまわない。
その娘と正式に婚姻し、妻の座を与えたことに慌てたのだ。
フリードルフは若い頃から、野心や覇気のある男ではなかった。
彼の先代は、実に女性関係においては、お盛んな人物で、正婦人以外にもあちこちに子どもをつくり、先代が急死したあとは、血で血を洗う相続争いが繰り広げられたのだ。
結局、積極的に爵位を継ぐつもりなど毛頭なく、なにもしなかった青年が、ひとり生き残りフリードルフ家を継ぐことになった。
彼は、親戚筋のすすめるままに結婚し、死別し、ほぼ周りのものの意志の通りに暮らしてきた―――だが、それはそれで惨めでも窮屈でもなかった。
フリードルフ家の家名を後生大事にするもの達は、フリードルフの名を名乗るものが、貧しい暮らしをするのとなど許さなかったし、フリードルフ家を継いだ青年はまことに素直で、なにを言われても異を唱えず、そして、それなりに人生を楽しんでいるかのように見えた。
ラインハルトたちが、ニューヤークにあるフリードルフ家の屋敷を尋ねるのは、数年ぶりである。
もともと、ここはニューヤークという大都市におけれた執務室も兼ねた豪邸であり、ふだんフリードルフ夫妻は、もっと風光明媚な場所にある別荘で過ごすことが多い。
独立戦争の荒廃により、そのいくつかは景勝地ごと消滅したが、すべてではなく。ニューヤークの社交界でアンネローゼが、必ずしも受け入れられていないこともあって、いまでも年の半分は、別荘を転々として過ごしている。
ちなみに、ラインハルトは別荘は一度も尋ねたことが無い。
姉が、祖父ほどに歳の離れた男とどんな暮らしをしているか。
虐げられているならもちろん、それなりに仲睦まじくしていても、少年ラインハルトの心は痛く傷ついただろう。
ニューヤークの屋敷ならば、多くの従業員も働き、フリードルフ卿が理事や代表を務める組織の事務もここで行われている。
来客も多い。
そのために設えられた応接室のひとつで、アンネローゼと互いの安否と短い話をすませ、プレゼントを交換する―――この10年はずっとそんな付き合いかだだった。
「―――こんなにセキュリティが厳しかったか?」
半時間近くかけて、念入りなボディチェックをうけたあと、ラインハルトは思わずぼやいた。
「いえ……初めてですね。
警護の人員がずいぶん増えてます」
キルヒアイスが答えた。
「ヨク、訓練されてるネ」
イェがぼそりと言った。今夜の彼女は、大きくスリットの入ったチャイナドレスである。
既製品だが、ラインハルトが買わされた。
“パーティ用だから経費で”
ということだったが、今夜はまだその場ではない。
「わかるのか?」
「ワタシらは、別に健康体操のタメに、武術をキワめてるわけではないのことネ」
通されたのは、珍しい。
何十人かが、会食できるようなひろびろとした部屋だ。
部屋の奥は、吹き抜けになっていて、夜の帳が覆った庭園が静かにライトアップされている。
「ラインハルト! キルヒアイス!」
3人の来客にはあきらかに広すぎる部屋に、丸テーブルがいくつか。
そこで、『彼女』は待っていた。
立ち上がり、笑顔を浮かべて、駆け寄る。
ほとんど、抱きつくような距離なってから歩み止めた。
「お仕事はどう?
少し痩せたのではなくて?
ちゃんと食べてるのかしら」
「あ、姉上……」
ラインハルトは、注意深く愛する姉を見つめた。
まえにあったときと。
いや、フリードルフと結婚を強いられた10年まえとまったく変わってないように見える。
どうかとすれば、十代にも見える若々しさ。
繊細なまでの美しさは、このふたりが、誰からも紹介されずとも姉弟だとひとめで分からせるものがあった。
「キルヒアイス! 遠くからありがとう。
ラインハルトはちゃんと食べてる?」
「姉上! それはいまわたしが答えようと……」
「あなたは正直に答えてくれないから。
こういうことはキルヒアイスに聞いた方が確かなの」
コロコロとアンネローゼは笑った。
ラインハルトを黙らせる人物は、すくないが少なくともアンネローゼはそのひとりであることは間違いない。
アンネローゼは、ふたりを席に案内しようとはせず、その視線は、見覚えのない3人目。チャイナドレスの少女に向かっている。
「そちらのお嬢さんをわたしに紹介してくれるのではないの?」
「ああ、彼女はアナハイム月面支社が新しく雇ったボディガードです。今回の地球行きに同行してくれている」
アンネローゼの翡翠色の瞳は、今度はキルヒアイスに向かう。
「……間違いありません。彼女はイェ・チャージー。今回保安部にかわって、社内セキュリティを担当することになった警備会社の腕利きです」
「まあ……ラインハルト!」
アンネローゼはがっかりしたように、ため息をついた。
「あなたがかわいいお嬢さんを連れてるってきいて、てっきりすてきなパートナーができたことを報告してくれるのだと思ったのよ」
ラインハルトは憮然としたが、その肩をイェ・チャージーが優しく叩いた。
「アイヤ。わたしが可憐過ぎる美少女なので勘違いされたネ。
キミがガッカリすることなないのコト」
三人はテーブル席を用意され、アンネローゼがお茶を入れた。
隣に用意されたサーバーには、クッキーや一口サイズのケーキが盛られていた。
すべて、アンネローゼの手作りのもので、ラインハルトとキルヒアイスにとっては、幼い頃から親しんだ懐かしい味だったが、イェもそれらが気に入ったようだった。
「姉上は料理が得意なんだ」
ラインハルトは、イェにそう自慢した。
しばらく四人は楽しく歓談した。
会話の中心は意外にも、イェだった。
彼女は、クッキーやケーキをほめ、そこからチャイナやエスニックのスイーツ類に話を広げ、アンネローゼを大いに楽しませた。
グラナダや香港のグルメガイド。
そこまでは、ラインハルトとキルヒアイスも、アンネローゼの楽しそうな笑顔を見ながら、イェを連れていたのは必ずしも失敗ではなかったと思い始めていた。
そこから話はデートスポットの話になり、さらいイェは、自分がいかにモテるかの自慢話を始めた。
「それが、クランバトル界のオオモノで、クワトロ・バジーナっているのヨ!」
イェは、身振り手振りをいえながら語った。
「人気のないビルの屋上で押し倒されそうになったトキは、かなりドキドキしたのコトね!
でもジャマ、はいった!」
「まあ……誰かに見つかったのですか?」
「モビルスーツね!」
にこやかに、イェは答えた。
「都市制圧仕様の軽キャノン改が襲いかかってきたネ!」
アンネローゼのキョトンとした顔をみて、イェは被せた。
「ホントホント!
ラインハルトとキルヒアイスも一緒にいたから、証人になってくれるヨ!」
「まあ……まったくの作り話ではないのです」
ラインハルトは言った。
「たしかにわたしたちのいたビルの周りでモビルスーツ戦闘が行われていいました。
クワトロが、イェを押し倒したのは、その爆風から彼女を守るためです」
「……心配されるようなことではありません!」
顔色が悪くなったアンネローゼを見て、キルヒアイスが慌てて言った。
「わたしたちは全員無事でした」
「……危険なことはやめてね、ラインハルト」
アンネローゼは、頼み込むように言った。
「キルヒアイスもラインハルトをお願い!」
「イェ……姉上が心配される。余計なことは言うな」
「クワトロさん……というのは?」
ラインハルトはため息をついた。
「いま、イェが言った通り、ネオ香港でクランバトルの興行をしている人物です。
グラナダでテロに巻き込まれそうになったときに助けてくれた。
わたしの……新しい友人です。一緒にニューヤークに来ているので、パーティの席上で紹介できるでしょう」
「楽しみにしてるわ!
……それでは、イェさんはクワトロさんとお付き合いされてるの?」
「モチロン!」
イェは胸を張った。
「ワタシと会いたくて、ここに来る前にいったんネオ香港で合流したくらいに、ワタシにゾッコンね!」
スーツを着込んだ男たちが、部屋に入ってきた。
「奥方様」
ラインハルトたちにも丁寧に頭を下げてから、男は言った。
「旦那様が、時間ができたので、同席させてもらいたいと」
ラインハルトの表情がわずかにこわばったが、アンネローゼはそれを無視した。
「もちろんです。
ディナーはみんなでいただきましょう」
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「いかがです、大佐! 百式の調子は!」
モニターのなかのデニムが、ニヤリと笑う。
コクピットのクワトロも同様な笑みを返した。
「ニューヤークまで、すぐに動かせる状態で運んでくれたのは、上出来だったぞ、デニム」
「ビームライフル以外に、90ミリのアサルトライフルをつけました。
都市部の戦闘ならそっちを使ってください。
ちなみに弾頭は、最新の装甲材にも効果のある特殊仕様です」
「了解だ、デニム」
クワトロは、ちらっとコンソールパネルを見やった。
「ハイネ家の息のかかった傭兵団が、ニュヤークにモビルスーツを持ち込んでいた⋯という情報は間違いなさそうか?」
「市街地戦仕様軽キャノン改クゥエルが、四機。七日前に船で搬入されています。隠し場所は、港湾部の倉庫」
「クゥエル? 聞かんな。どんな機体だ?」
「大佐もご存知の機体です。
グラナダで、『女王派』が、大佐たちの襲撃に使った機体ですよ」
「支社長たちの一派や彼らが金を流していたゴロツキどもは、一掃されたはずだぞ」
「それ以前に横流しされたんでしょうな」
「いろいろと厄介ごとを残してくれる。狙いは?」
「フリードルフ卿とその奥方でしょうな」
なるほど。
クワトロは頷いた。
ならばいままで仕掛けて来なかった理由は一つしかない。
ラインハルトたちが到着するのを待っていたのだ。
百式対クゥエル。
市街地戦なので、また
「向こうは本気、こっちはクラバルール」
になるかな。
クワトロさんは、仮想シミュレーター以来、ひさびさの戦闘です。