「あんまり、周りをキョロキョロしないほうかいい。
目立ちすぎる」
護衛の男はそう言った。
リッテンは、ため息をついた。
男は、リッテンの―――ハイネ家に残った破壊工作員の中では、トップランクのひとりだった。
単に腕前の問題だけではない。
ハイネ家への忠誠心という意味でも、トップだ。
事実、雇った傭兵団がすべて逃げるように去り、さらにシュヴァイク公の機嫌を損ねたことが判明してからは、代々、ハイネ家に仕えていたような工作員まで逃げ出したあとでは、比較的新参者のこの男が残ってくれただけでも御の字だ。
もはや、シュヴァイク公から示唆された最期の仕掛け。
フリードルフ卿の結婚記念パーティに潜りこみ、その発言内容によっては、卿とそのアンネローゼの命を奪う―――こともままならない状態にある。
護衛の男が足を止めた。
「……誰だ。」
ホテルのロビーへ続く通路。
壁にもたれ、ポケットに手を突っ込んだ白衣の女は、天井を見上げている。
「こんにちは。」
穏やかな声だった。
「ムラサメ研究所のもんなんだけど?」
その名を聞いて、護衛の男の視線が鋭くなる。
リッテンを振り返る。
「ム!ムラサメ研究所!!」
よろよろとリッテンは前に進んだ。
「お、遅いぞ! すでに金は振り込んだ。
そのときの話では強化人間を含むチームを直ぐに送り込むと言っていたはずだ。
いままで、なにをしていた。」
「はいはい。お金はたしかに受け取りました。」
ゼロは、ポケットに手を入れたまま、トントントンと、階段を降りた。
「それほど遅れたつもりはないけれど。」
声は快活。動作は幼女のように軽やかだ。
「ずいぶん、そっちの立場は変わったみたい。」
リッテンの表情が凍りつく。
「……あんたは、ゼロ・ムラサメ、か。」
「ムラサメ研究所に護衛の依頼をしたんでしょ?
わたしが自ら来てあげたのに、感謝しなさい。
仕事の内容には変更はないわよ、ね?」
「し、仕事……」
「フリードルフ家を護るってこと。」
それは、その通りだ。
最初から暗殺やテロを示唆すれば、まともな傭兵はよってこない。
名目は護衛の募集。
細かなところは、着いてから話す。
“フリードルフ卿は稀代の悪女アンネローゼにうつつを抜かし、その全財産を彼女に譲って、フリードルフ家を破滅させるつもりだ。
今後も名誉ある家系を守るために、当代の卿には引退していただく。
これは親族一同の総意だ”
とか。
「でも今は違うようね。」
ゼロ・ムラサメは楽しそうだ。
だが、その高揚には狂気が混じっている。
恐怖を感じて、リッテンは下がった。
「そ、その通りだ!
だが、いまのフリードルフ閣下は、若い女に溺れ、このままでは伝統あるフリードルフ家は破滅だ。
そのために立ち上がった親族に、彼はあの赤い彗星を呼び寄せて、粛清を始めた!」
赤い彗星?
シャア?
ああ、クワトロさんか。
あの男が本気で粛清に走ったらそんなものではすまないだろうな。
と、ゼロはのんきに考える。
「そりゃどうも。」
白衣の裾をひるがえし、ゼロはさっそうと階段を降りる。
護衛の男が一歩前へ出る。
「ここは俺が。」
リッテンは頷き、転げるように後ろへ下がった。
「殺すな。」
低い声で言う。
「ムラサメ博士はなにか誤解をされているようだ。時間を稼げ。それでいい。」
「努力はしてみる。」
男は上着を脱ぎ捨てた。
長身だが大男という程でもない。背丈はゼロと同じくらいだ。
だが、鍛え上げているのは、その筋肉の付き方からわかる。
武器はもっていない。
「いいのか?」
ゼロは不思議そうに言った。
「このところ、警察の警戒が厳しくてな。」
男は言った。
「武器など携帯していたらそれだけで、逮捕案件になる。」
「それで護衛の任務が果たせるのか?」
「試してみろ。」
軽やかなステップ。
肩が動くのは見えたが、拳はわからなかった。
正確に顎の先端を撃ち抜くパンチ。
「ふえっ……」
ぐらり、とゼロの体が揺れる。
崩れ落ちる瞬間に足を踏ん張った。
「おやまあ……こいつはいつ以来のダウンだ?」
顎の先端に掠めるような打撃を放つことで、脳を揺さぶる。
こうなると、いくら身体が大きくとも、鍛え上げていようとも関係がない。
「優しいなあ……怪我をさせないように、わたしを撃退するつもりかい?」
「そのつもりだったんだが、無理なようだ。」
男はガードを上げた。
ボクシングの構えに似ているが、踏み込んだ時の小刻みに動く足さばきは、異なるものだ。
ゼロも両手上げた。
同じ構えをとる。
男は顔をしかめた。
「同流……か。いや、この流派を伝えるのは、もう俺しかいないはず……」
「うん。でもいまの一発でおまえが、相当出来るのはわかった。」
ゼロはコロコロと笑った。
「技の体系がつかめないなから、わたしはおまえと同じ構えから、まったく同じに動く。」
「それになんの意味が……」
「おまえが動き始めたのを見てから、動いてもわたしの攻撃が先に届く。」
男は顔をしかめた。
「そんなことが」
「人間同士ならありえないよ。でもわたしは『強化人間』なんだ。悪名高きムラサメ研究所の、ね。」
男は、フッと笑うと、リッテンを庇うように後ろに下がった。
「……面白いな。
あんたが嘘を言ってないことはなんとなくわかる。
そして恐ろしく強いことも、な。」
「……戦わないのかい?」
いくぶん、気分を損ねたように、ゼロは言った。
「俺は、リッテンをケツコンキネンシキテンとやらまで守ってやる。そういう約束をしただけだ。」
「わたしも直接に、リッテンに敵対する気はないよ。」
「おおっ……それならっ!」
リッテンの顔に生気が戻った。
歩み出ようとするのを男が止めた。
「止めとけ。この姐さんはあんたを直接ぶちのめしたり、警察に突き出したりはしないって言ってるだけだ。
味方してくれるつもりもなさそうだ。」
「酷いなぁ。」
ゼロは言った。
「わたしはおまえに雇われた通りのことをするだけだ。フリードルフ家を守ればいいんだろう?
ちゃんとその役は果たしてやるよ。
現在のフリードルフ家当主とその親戚筋の争いなんざ、知ったことじゃないね。」
チロリ、と舌がくちびるを舐めた。
「で、せっかくわたしが出張って来たんだ。
ボーナス代わりにもうひとつ教えろ。
うちの『ロストナンバー』を拾ったはずだ。こっちに引き渡せ。」
リッテンの顔色が死人のそれにかわる。
「……『マイナスワン』を、か?」
「呼び方は勝手だが。
おまえらの手元においていいモノではない。」
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ニューヤーク宙港、VIP専用の到着ゲート。
フリードルフ卿の結婚記念日の祝典に参列するために、はるばるジオンからお越しいただいた「特別補佐官」の到着に対して、ガルマ・エッシェンバッハは自ら足を運んでいた。
役職についたばかりのまだ若い女性事務官と聞いてはいるが、元首アルテイシア・ソム・ダイクンの『名代』である。
そんなふうにジオンからは連絡を受けている。
フリードルフ卿もその細君も暗殺の恐れがあって、人前に出られない以上、市会議員でもあり、エッシェンバッハ家の一員でもある彼が出迎えにくるのは、まあ妥当なところでらあった。
到着案内板に、サイド6経由の定期旅客シャトルの表示が点灯する。ガルマは腕時計を一度確認し、それから小さく息を吐いた。
月面都市エアーズでのことを、いまも鮮明に覚えている。テストパイロット「ソム・エドワウ」と名乗った女が、自分を狙ったニューディサイズの部隊を叩き潰した。
あの一件を。あの時すでに、彼女が誰なのか、ガルマは気づいていた。
今回も、同じことになる予感があった。
タラップが降ろされ、機体のドアが開く。航空会社の乗員に続いて、旅行客たちがぞろぞろと姿を見せる。スーツケースを引く商用客、はしゃぐ子供を連れた家族連れ――その流れが、一瞬だけ、ふっと途切れた。
そこに、一人の女が現れた。
仕立ての良い、しかし決して派手すぎないコートに、きちんとまとめられた栗色の髪。公王府が公式に配布した「ミーア・キャンベル特別補佐官」の写真と、寸分違わぬ姿だ。
たいしたものだ。
もう一度、ガルマは心中でため息をつく。
その女は。
彼の知っている「アルテイシア・ソム・ダイクン」にも「ソム・エドワウ」にもあまり似ていない。
髪は染めればなんとかなる。
顔立ちもメイクひとつでいくらでも印象を変えられる。
それにしてもわかっている自分だからわかるのであって、なんの予備知識もなければ、目の前の女性と、アルテイシア・ソム・ダイクンを結びつけるものはいないだろう。
「ようこそ、ニューヤークへ。ミーア特別補佐官」
「お出迎え、感謝いたします。ガルマ・エッシェンバッハ議員」
女は立ち止まり、きっちりとした角度で一礼した。
「本日は、フリードルフ卿の慶事に際し、公王陛下からの祝辞を携えて参りました。若輩ものゆえ、至らぬ点もあるかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。」
「もちろん、心から歓迎いたしますよ。」
ガルマは公式の笑みを浮かべたまま、半歩だけ距離を詰めた。
「――公用車をまわしてあります。まずはホテルへ。」
女の表情は、微塵も動かなかった。
「感謝しますわ。
それよりもアレはいかがでしょう。なにか悪さをしていないとよいのですが」
「悪さもなにも!」
ガルマはにこやかに。
礼儀正しく、彼女をエスコートするフリをしながら、口早に言った。
「フリードルフ卿を狙ったテロを二度までも撃退してくれたんだ。
大活躍だよ。」
「なにか企んでる様子は?」
「なにも企んでいないはずはないだろう?
なんと言ってもあの男だぞ。」
フッとミーア・キャンベル特別補佐官の表情が緩んだ。
「……でしょうね。」
「わたしの友人に、アナハイム・エレクトロニクス社の重役で、ラインハルトという男がいるんだが」
『外交官』の出迎えにリムジンは大袈裟すぎるような気がしたので、通常のセダンタイプだ。
自らハンドルを握ると、ミーア・キャンベルは、助手席に体を滑り込ませた。
「グラナダにある月面支社の支社長に就任した男ね?」
「情報が早いな。」
「グラナダは、ジオン管理下にある都市よ。
そこでモビルスーツまで持ち出して戦闘をされたら、それは、ね。」
「いまのフリードルフ閣下の奥方は、そのラインハルト専務の姉だ。
アンネローゼという。」
「……フリードルフ卿が、その若い奥さんに資産を相続させないか、ご親族の皆様方はご不安なわけね?
でもモビルスーツまで持ち出すほど焦っているということは、この度の結婚記念式典で、なにか決定的な発表があるということなの?」
「そこらは不明だよ。」
ガルマは、滑らかに車を発進させた。
「まあ―――『そう』判断したんだろうが、なにをもって『そう』判断したのかはわからない。
表立って動いたのは、フリードルフ家の警備や諜報部門を担当していたハイネ家だ。
モビルスーツの襲撃については『クランバトル』で公式には誤魔化しているが、別に屋敷を襲撃したものたちもいる。
そっちの関係から殺人教唆の疑いで、捜査を進めている。
本人は雲隠れしてしまったが、構成員の検挙は続いている。組織としては壊滅状態だ。」
パーティまでは数日ある。
それにしては、『ミーア・キャンベル』の荷物は少ない。
小さなトランクは、後部シートに放り投げてある。
「ではテロを指示した親族はまだわからないの?」
「フリードルフ卿から、アンネローゼに権威や財産が継承されることについては、親族一同、そろって反対だろう。
だが、非合法的手段に訴えてまで、それを阻止しようとするのが、全員だとは思えない。」
「可能性が高いのは?」
「もっとも有力なのは、シュヴァイク公ブラウンだ。
これまでもフリードルフ家の実務面はほとんど全て代行していた。
私腹も肥やしただろうが、自分あってのフリードルフ家だという自負もあるはずた。
ハイネ家とも親しい。」
「そっちは引っ張れないの、エッシェンバッハ議員?」
「無理を言ってくれるな、ミーア・キャンベル特別補佐官。」
ガルマは苦笑いした。
「エッシェンバッハ家も名家だが、わたしは婿養子でね。そこまでの権力はないんだ。」
「ああ……そう。でも逃亡中のリッテンとは違って、そのシュヴァイク公というのは居場所はわかるのでしょう?」
「ああ、もちろん! フリードルフ家系列の財団や企業をいくつも束ねているVIPだからね。」
「“レイダー”がキャリフォルニアベースについてるはずよ。
ニューヤークで稼働テストをさせてくれないかしら。
ちょっと流れ弾が」
「……ジオンは、フリードルフ家との長年に渡る友好と親愛の証のために、式典に元首の名代としてあなたを送り込んだのだと理解していますが。」
「冗談よ。」
ほんとに冗談だったのかは、深く考えないことにした。
「ああ。そう言えば、ニューヤークに正規軍のモビルスーツを配備するように意見したのはだれ?
マ・クベ中将が、ニューヤーク市街に被害を出さないようにするためには、適切な手段だったって褒めていたわ。」
ガルマにとっては、マ・クベはキシリアの腰巾着をしていた陰気な男というイメージしかないのだが、いまのマ・クベは、ジオン軍の実質的な最高指導者だ。
「ラインハルトとヤン・リー…だったかな。」
「へえ? あのヤンも来てるの?」
“ミーア・キャンベル”はガルマのほうに身を乗り出した。目が輝いてる。
「なら、彼も進んでこういうゴタゴタに首を突っ込む気になった……というわけね!
彼との面会をセッティングしてください、ガルマ!!
彼はジオンにとって、絶対に必要な人材なの。」
ゼロが、アン・ムラサメたちから、「フリードルフ家の護衛任務」をもぎとったのは、この件があったからです。