マクレーンは久しぶりの休日を満喫する。
まだ、クワトロたちはなにやら動いている。
ガイエスブルク城塞に逃げ出た公爵たちの討伐はこれからだが、それはもはや市警の管轄外だ。
マクレーンは休暇をもらった。
今度はまともな休暇だった。
とくに予定もなかった彼は、湾岸地区の倉庫街近くに住む姪を訪ねてみる気になった。
様子を見がてら、一緒に一服するのも悪くない。
マクレーンは、タバコをワンカートン買い込んで、湾岸地区に向かった。
式典会場のあった中心街から離れるにつれて、街の表情は少しずつ変わっていった。
ガラス張りの高層ビル群は後ろに退き、古い煉瓦倉庫と背の低い事務棟が、海からの湿った風にさらされながら並びはじめる。運河沿いには積み荷を待つトレーラーが列をなし、古びたクレーンの骨組みが、薄曇りの空をひっかくように突き出ていた。
ニューヤークが生きている街である以上、スクラップ&ビルドを繰り返すのは仕方ない。
湾岸地区のこのあたりは、ほぼほぼスクラップ。
ビルドの予定を待っている地域だ。
だが、ニューヤークが腹の底で息をしているのは、たいていこういう場所であり、彼の仕事場もここからはほど近い。
警戒線も、検問も、怒鳴り声も、報告書もない今日という日。
刺された肩と、強くぶつけた背中はまだ痛むが、それだけのことだ。時間が解決する。
マクレーンは自嘲気味に鼻を鳴らした。
休みなんてもんは、もらえないと腹が立つくせに、いざもらうと有意義な使い方がわからない。
長年の職業病だ。
倉庫街のはずれでタクシーを降りると、潮と油と埃の混じった匂いがした。遠くで貨物艇の警笛が鳴り、低空を通過する輸送機の影が、灰色の舗道をゆっくりと横切っていく。
クワトロ・バジーナ。
あの謎めいているのかいないのかさえもよくわからないクランオーナーからは、メッセージが届いていた。
どうも、彼のクランの戦力だけで、ガイエスブルクを制圧しようとしているらしい。
マクレーンは、特に返信はせずに、メッセージをそっと消した。
クランのオーナーがどの程度の戦力を動員できるかは知らないが、ガイエスブルクは元連邦軍の補給基地だ。
モビルスーツもかなりの数を用意しているはずだ。
たかだか、クランバトルという見世物の興行主が、手持ちの戦力を動員してどうなるものとは思えなかった。
大戦中のスーパーエースにでもなったつもりなのだろうか、あのクワトロという男は。
あ。
マクレーンは、くわえかけたタバコを落としそうになった。
“そうか。噂がホントならクワトロの旦那は大戦の英雄だったよな。”
そして、ネオ香港の彼のクランには、『ハートのエース』や『エース殺しの荒鷲』や『白い悪魔』、『狂犬』、『病み猫神』といったトップランカーがごろごろしているはずだ。
連邦軍は連邦軍で、なにやら動きは続いているが。
マクレーンは、煙を一杯に吸い込んで、吐き出した。
それは、まあ……いい。そこまでは、もう警察の仕事ではない。
そう自分に言い聞かせながら、彼は煙草のカートンを小脇に抱え直した。
姪の住むアパートは、倉庫を改装した古い建物の二階だった。
外壁はところどころ色が抜け、錆びるべき素材の部分は、潮風で白く錆びている。
景気のいい地区とは言えないが、治安が壊れているというほどでもない。
家賃の割に日当たりがよく、運河の向こうの光が夜になるときれいに見える――以前、姪はそんなことを言っていた気がする。
階段の入口には、まえに来た時にはなかったポスターが貼られている。
『喫煙禁止』はまあ分からなくもない。
『薬物禁止』は当然として『締切厳守』はなんなのだろう。
姪に会うのは半年ぶりだ。
部屋のドアをノックした。
反応はなかった。
さらに強くノックした。
「……いま留守……」
「開けろ! 俺だ!」
「……家賃ならもうちょっとまって欲しい……」
かつかつの生活をしているのは、知っていたが家賃も滞納しているようだった。
「……俺だ。マクレーンだ。」
「はにゃ? 叔父貴?」
「どこかの古株のギャングか!」
扉が大きく開く。
姪は、くたくたのTシャツ、緩めのズボン。
半年前にあったときから、変わらない。
片手にマグカップを持っていたが、そこにはタバコの吸殻が無造作に突っ込んであった。
少し驚いた顔のあとで、すぐに呆れたような笑みが浮かぶ。
「どした? 謹慎でもくらった?」
「俺をなんだと思ってる」
「半分くらいは本気で心配してる」
マクレーンは煙草の箱を持ち上げてみせた。
「土産だ」
「……禁煙中……」
手に持ったマグカップのタバコの吸殻と明らかに矛盾している。
「いつから?」
「もう、1時間。」
「それは禁煙とは言わん。」
姪は振り返って部屋を眺めた。
相変わらず汚い部屋だった。
「……どこか、吸えるとこ行こ。」
禁煙期間はもう終わったらしい。
「おまえの部屋は? このアパートは禁煙になったのか?」
「水道が止められてるにゃ。」
姪は、そのままサンダルを突っかけた。
姪は玄関の鍵をかけるのももどかしいというふうに、財布とタバコだけをポケットに突っ込むと、外階段を下り始めた。
「水道代、いくら溜めてるんだ。」
「二ヶ月……いや、三ヶ月かもにゃ。」
「払え。俺が立て替えといてやろうか。」
「出世払いにするにゃ。」
「おまえが出世する未来が、まったく想像できないんだが。」
「にゃあも想像できないにゃ。」
倉庫の間の道を、二人は特に急ぐでもなく歩いた。運河沿いにはトレーラーが列をなし、使われなくなったクレーンの骨組みが、薄曇りの空を無造作に切り取っている。
「どこまで行くんだ。」
「港の先っぽにゃ。誰も来ないから、吸うのにちょうどいいにゃ。」
古い柵に「関係者以外立入禁止」の看板が下がっていたが、柵はすでに半分外れて、通り抜けるのに支障はなかった。姪は迷いなく中へ入っていく。
「入っていいのか、これ。」
「警官と一緒だから問題ないにゃ。」
「警官だからこそ聞いてるんだが。」
そう言いながらも、マクレーンは柵をくぐった。
桟橋の先端には、もう船をつなぐこともない係留柱が並んでいるだけだった。
二人は縁のコンクリートに並んで腰を下ろす。波が下から板を叩く、低い音だけが続いていた。
カートンから一箱抜き、マクレーンは姪に投げた。姪は片手で受け取ると、慣れた仕草で封を切り、一本くわえる。
「火。」
「自分で持ってこい。」
言いながら、マクレーンはジッポーを差し出した。乾いた音がして、火がつく。
マクレーンも自分の分に火をつけ、深く吸って、長く吐いた。紫の煙が、海風にあっさりとさらわれていく。
「……この辺、なんにも起きてない感じがして、好きにゃ。」
「そうか。」
「世界がどうとか、よくわかんない話とか、テレビ見てても、遠い国の出来事みたいにゃ。」
マクレーンは、それには何も言わず、携帯灰皿に灰を落とした。
「にゃあ?」
「なんだ。」
「なんのために、叔父は、警察やってるんかにゃ?」
しばらく、波の音だけが続いた。マクレーンは煙を吸い込み、海の方を見たまま答えた。
「おまえみたいなスモークジャンキーが、公園でのんびりたばこをふかせる世の中をつくるためだ。」
姪は、目を丸くしてから、噴き出した。
「にゃにそれ、かっこつけすぎにゃ。」
「半分は本気だ。」
「公園、たいがい禁煙だらけにゃけどにゃ。」
「だから、だよ。」
姪はもう一口吸って、足をぶらぶらさせた。
「にゃあは、偉そうなことは言えないにゃ。家賃も水道代も溜めてるようなやつにゃ。」
「知ってる。」
「でも、こうやってダラダラ生きてても、誰にも文句言われない場所が、もうちょっと残ってればいいにゃって、たまに思うにゃ。」
「贅沢な話だな。」
「贅沢上等にゃ。」
マクレーンは短く笑った。柄にもないことを言ったと思ったが、取り消す気はなかった。
マクレーンは思う。どこかで、金ピカの化物じみた機体が飛び交おうが、公爵が城に逃げ込もうが、それは軍やクランオーナーの仕事だ。自分の仕事は、もっと地味で、もっと小さい。この桟橋で、湿ったタバコを吸いながら文句を言っている姪が、明日も明後日も、同じ調子でダラダラ生きていけること。それだけだ。
マクレーンは立ち上がった。
「もう行くにゃ?」
「飯を奢ってやる。あまり食えてないだろう?」
「ありがたいにゃあ。」
姪は、タバコを、揉み消して立ち上がった。
「大通りに戻ると、おいしいイタリアンの店があるにゃ。
ビールと赤ワインがたらふく飲めるにゃ。」
マクレーン、しばらく出番ないので、特別版です。
時系列的には、いったんグラナダに行きたいのですが、ヤザンやポプランがはやく暴れさせろとうるさいので、どうしよう。