ネオ香港は、ここが香港と言われたころから夜景の見事な街だ。
繁華街から離れた斜面にたつホテルの高層階にあるそれなりに高級な中華料理店からは、それが一望できる。
N・ロックは個室を予約していたが、これは正解だった。これだけの店ならば一応のドレスコードはあるし、食事会のことなどきいていなかったアムロ、マチュ、ニャアンはいずれもジャケットなしの軽装である。
アムロはほかに服がないのか、と言われそうなくすんだ色のパイロットジャンパー。
マチュのダルっとしたオーバーサイズのカーディガンは通学着にもどうかと思われるゆるさだったし、小柄ながらすらりと伸びたあんよは生脚だった。
ニャアンはジオン工科大学付属高校の制服で、たしかに学校制服はフォーマルな場での着用は認められている。問題はニャアンはジオン工科大附属高の生徒ではない、ということだ。
ニャアン自身は、附属高ではないが現在ジオン工科大生には違いなく、ニャアンのなかではギリセーフな案件らしい。何何年も市民権なしで根無し草を続けていたニャアンにとっては、ひと目でどこの帰属かわかる「制服」というものはなかなか心地よいものらしい。
「まずは、乾杯といこう!」
N・ロックが音頭を取った。
「ガトー少佐、コウ君、ニナさん。歓迎する。そして今回の企画に協力してくれるすべての方に感謝を!」
もしゃ。
もしゃもしゃもしゃ
あぐあぐ
乾杯の音頭をぶっちぎったニャアンの咀嚼音である。
グラスが軽く合わされる。
泡立つ金色の液体は、発泡ワインでシャンパンと同じ製法で作られたフォン・ブラウン産の070年物である。
「歓迎を感謝する。」
ガトーは、円卓を見回した。
「依頼の件は、そちらの開催するシミュレーションバトルにパイロットとして参加する、ということで間違いのかな?」
「その通りです!」
N・ロックはにこやかに答えた。
「まだ作品の内容は、我々にも不明です。ただ、『加藤大佐』と『浦木豪』については主役として全編を通じての出演をお願いしたい。
実際気は、物語りの進行に従って、シミュレーションバトルを構築できそうなところを我々が設定しますので、そこでモデルとなったあなた方がシミュレーターに乗り込んでいただきます。」
「その戦闘が実際にフロドの描いた作品と違ってしまったら?」
「いっこうに構いません。
あくまでシミュレーションの舞台装置として、フロド先生の世界観を使わせてもらうだけです。」
「それで商売になるのか?」
「なりますね。
有料での配信になりますので。
それに賭けることも出来ます。クランバトルと一緒です。」
「あくまで、シミュレーションの世界だ。実際に試合が行われているクランバトルとは比較にならない。」
「それを補完する意味でのフロドの世界観によるシナリオです。
実際に先日行なわれた『ア・バオア・クー仮想戦』でもシミュレーションは賭けの対象になり、多額の金が動きました。」
「そのテコ入れとして、わたしやコウが呼ばれた、と?」
「ご理解の通りです。」
「分からんな。」
ガトーの視線は鋼鉄の光を帯びる。
「いえ、フロド先生がモデルにしたパイロットがその作品を舞台にしたシミュレーションに参加する。話題性も充分なのでは?」
「わたしはまだわかる。
実際にデラーズ・フリートの一員として活動していた時期もあるし、これでも二つ名のあるパイロットだからな。
だが―――コウはどうだ?」
「まあ、たしかに」
N・ロックは言い淀んだ。
「たしかに、名前が似ていて、トリントン基地に所属していたことがある、というだけで、お呼びしてしまいましたが、世間的にはまったく無名ですね。」
「さらに、パイロットではないが、ニナだ。彼女は技術者で試作ガンダムの開発にも深く関わっていた。だが、世間的にはコウ以上に知られていない。」
「まあ、その、宣伝効果という点ではたしかに不足かもしれませんが、フロド先生の著作では実際に、コウさんやニナさんをモデルにしたとしか思えない人物が―――」
「なぜ、フロドはコウやニナの存在を知っていた!?
戦史をいくら読みといてもぜったいに出てこない名前だぞ!?」
「……そこらは、わたしも謎です。」
N・ロックは正直に言った。
「もとより、知らない人物をモデルにはできませんからね。ですが、事実、フロドの物語にはお2人をモデルにしたとしか思えないキャラクターが登場する。」
「フロドはなにものなのだろうか、N・ロック?」
「いえ、そこらはわたしにも不明なのです。原稿の受け渡しなどは、アムロくんがやってくれていまして……」
ガトーはアムロを。マチュを。ニャアンを順番に見た。
「……なるほど。」
ガトーは大きくため息をついた。
「フロドの作品はきみたちの合作、というわけか?」
「ほう!」
N・ロックは、感心したように言った。
「何人かの合作……ということか。
一時はうちのヤンくんが作者ではないかと考えたりもしたが、ヤンくんではアナベル・ガトーはともかく、コウ・ウラキやニナ・パープルトンをモデルに作品書けるわけが無い。アムロくんが作者だとしても同様だ。
その点、半年前のデラーズ紛争のときに、トリントンにいたマチュくんやニャアンくんが加わっているのなら、そういった知識もインプットできる。」
「……ぼくもマチュもニャアンも創作にはまったくタッチしていませんよ。」
アムロは、慎重に言葉を選んだ。
「フロド……そう名乗る作家とコンタクトできるのは事実ですが、創作についてなにかをアドバイスしたことも、相談を受けたこともありません。」
「では、誰がコウやニナの知識を提供した。」
ガトーの視線が、アムロから外れて、マチュとニャアンに向いた。
「……マチュ。ニャアン。」
ガトーは、静かに、しかし逃げ場をなくすように言った。
「きみたちは、トリントンでの一件に、実際に居合わせている。
追撃隊として、シーマ隊のゲルググともやり合っている。」
マチュは目をうるうるさせた。
唇が震え、言葉を紡いだ。
美味い!!
さすがに固まったガトーに、如才無くヤンが声をかけた。
「ここは、ネオ香港でも一、二を争うチャイニーズレストランなんです。
フカヒレの姿煮は、どうもあなたの迫力を凌ぐようですね。」
「N・ロック。」
ガトーは視線を戻した。
「わたしはそちらの申し出を受けるつもりだ。ただ、フロドの描く物語にはどうにも気味の悪さが残る。」
「……」
「あるジャーナリストからインタビューを受けた時に彼は言っていた。フロドは厳密には『創作』をしているのではない。ありえたはずの別の世界を描写しているだけなのだと。」
「ん、気持ちはわかります。」
フカヒレを飲み込んで小籠包に手を伸ばしながら、マチュは言った。
「なら、正直に言いましょうか?
『機動戦士ガンダム~行きて帰りし物語』の作者はシャアさんだよ。」
「お、おい……マチュ……」
「―――ってわたしが言ったらどうする、悪夢のダンナ。」
「い……いや。」
ガトーは真剣に考え込んだ。
「否定できる材料はないな……クワトロ大尉もあのとき、トリントンにいた。当然、コウやニナの存在も知っている。ペイント弾しかないドムでわたしのサイサリスを圧倒してみせたのも彼だ。」
「そんなことがあったんですかっ!」
N・ロックが叫んだ。
「ひ、ひょっとしたら、フロド先生の原作を待つよりも実際にあったことをそのままシミュレーションバトルにしたほうが―――」
「それが出来ないから、わたしたちは『ノンフィクションかのように見えるフィクション』―――フロドの作品をシミュレーションのネタにしてるわけです。」
フレデリカが硬い声で言った。
「デラーズ・フリートの引き起こした事件については、私も政府の公式発表よりはすこしは知識がありますよ。」
ヤンも続けた。
「失礼ながら、アナハイムの中枢にいたN・ロックさん。あなたもでしょう。だがそれは公表できない。」
「まあ、たしかにそうだな。」
N・ロックは頷いた。
「しかし、“赤い彗星”対“ソロモンの悪夢”の対決がひっそりと行われてたのは、見逃せないな。
そうだ!
シミュレーションの中で、トリントンからの追撃部隊にぜひ、クワトロ大尉にも加わってもらおう!」
話を脱線させていくN・ロックを、ガトーは睨んだ。
「それはともかく―――わたしはフロドが何者かを知るまではあなたと契約できない。わたしだけならともなく、コウやニナまで危険に晒すことはごめん蒙る。」
「だからフロドは、シャアさんだって!
それでじゃあだめ?」
「否定する材料はないが……充分でも無い。
もしその話が本当ならクワトロ・バジーナ……いやシャア・アズナブルはなぜ、自分が負け続ける物語を作ったのだ? 動機がわからん。」
「それを言い出したら、ぼくだって、自分が知り合いを無双する物語なんて気持ち悪くて書けませんよ!」
「そうかな、アムロ。きみには少なくとも動機はある。きみはクランバトル、というか戦いを好んではいないだろう。きみをクランバトルの道に追い込んだのはほかならぬ、シャア大佐のガンダム強奪だ。もしあのとき自分がガンダムに乗って入れば……」
「現在の友人、知人を片っ端から創作の中で、ぶち殺し続けている危ないヤツってことになりますね。」
ガトーは、諦めて済んだスープを口に運んだ。
たしかに美味い。
ほぼ無色透明に見えるのに、旨みぎっしりと引き出されていた。
「つまりは、アムロ……きみやマチュはフロドの正体を知ってはいるが、話すことはできない。」
「そう。そしてわたしたちがなにを話しても、あなたにはそれを信用するだけの裏付けはとれない。」
「尋ねても無駄。答えを聞いても無駄、ということか……
だかサイサリス強奪の顛末を知っているのは、あの場にいた人間だけだ。わたしや、コウと――そして、追撃したきみたちだ。」
ガトーは、テーブルに肘をついた。
「公式発表はまったく違う内容になっている。」
「そして、フロドの書いた物語もね。」
マチュはいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「まだ読んでないけど『スターダストメモリー』にはわたしやニャアンはいないんでしょ?」
「公式発表とは違う。実際にトリントンであったこととも違う。」
ガトーは首をひねった。
「たんに、マチュがコウやニナの名前を教えただけでは説明つかない、か。」
「あの……」
コウが、おずおずと口を挟んだ。
「ぼくの役回りは、どんな感じなんです?
ガトーさんを追っかけて戦うことになるんですか?」
「そうだよ。安心したまえ。追撃隊は君だけではない。ちょうど、トリントンに寄港していた連邦の新造艦アルビオン所属の不死身の第4小隊ノース・バニング大尉たちも追撃に加わる。」
「アルビオン!? バニング『大尉』だと!?」
「そうだよ。実はこれもモデルになったと思しき、サウス・バニング中尉と彼の小隊には、アムロくんから、今回の企画に参加の依頼をしてあるんだ。いま彼らは連邦のテスト艦アーガマにいるらしいんだが、明日にはネオ香港に降りてくる予定なんだ。」
「サウス・バニングは、衛星軌道上でモビルスーツの動作テスト中に、シーマの攻撃を受けてモビルスーツを破壊された。
……救助したのが、ドレン中佐のジオンのソドン級新造艦アルビオンだ……」
一同はしばし沈黙した。
フロドはなにものなのか。なにを知っているのか。
しばらくは、ニャアンが蟹の甲羅を割る音だけが響いた。
ここからはまだ未発表の原稿だけどね、気を取り直してN・ロックは続けた。
「脱出する加藤大佐のサイサリスに味方するべく、地上で密かに活動を続けていたジオン軍の残党たちが立ち上がる―――フレデリカさん、資料を持ってきているか?」
フレデリカは頷いてタブレットをたてて画面を表示させた。
モビルスーツがいくつか静止画で表示される。
「わかった。」
ガトーは頷いた。
「わたしはこいつらの協力を得つつ、追撃隊を振り切ればいいのだな?」
「そういうことになりますね。」
「わかった。だが、クワトロ氏が追撃メンバーに加えるのはナシだ。」
「ええっ?」
N・ロックは不満そうに言った。
「せっかくの“赤い彗星”と“ソロモンの悪夢”の対決が」
「機体がなんになるのかわからんが、クワトロ氏が追撃隊に加わったら逃げ切れる可能性はゼロだ。
シミュレートにもならんのでやめてもらおう。」
「ああ、ならさあ。」
マチャが3個目の小籠包をはふはふしながら言った。
「わたしが、その『ジオンの残党軍』とやらに加わるよ。それならバランス取れるでしょ?
ニャアンも来る。」
「ま……まあマチュが乗るなら」
「このジオンの残党が使ってるドム・トローペンって ホバー走行のできるドムだよね!
懐かし。わたし、トリントンでこれのテストやってたんだよね。」
「わたしはこっちのゴツい大砲もってるやつにする。」
「ウソ? 使いにくそうだよ!?」
アムロはゲームバランスが崩れるので今回のシミュレーションは出禁です。