小物呼ばわりされたボスらしき男は、しかし、いきなり逆上したりはしなかった。
逆に、手のひらを合わせ、チェンに向かって深々と一礼した。
「名もお顔も存じ上げませんが」
落ち着いた声で彼は言った。
「なかなかの高手とお見受けしました。
これは個人的な意趣返し。命まで取る気はございません。
この場はお手を煩わせぬよう、お願いいたします。」
「しかし、たったふたりを、これだけの人数で取り囲むのはどうかな?」
チェンは静かに周囲へ視線を投げた。
「逃がさぬための布陣です。
あくまで、戦うのは同じ人数。」
うまい手だった。
チェンたちはアナハイムの保安要員をしているようだが、ここではあくまでプライベートだ。
モトコたち自身が試合として受けて立つなら、手を出すのをためらう可能性はあった。
「二対二なら、まあ、いいんじゃない?」
モトコが肩をぐるりと回す。
「おい、モトコ……」
「お腹いっぱいで動けないとか言わないでよね、カウボーイ。」
集団の中から、ふたりの若者が歩み出た。
どちらもゆったりとした拳法着だ。
「黒白会陰陽門、リュウ・イッソウ。」
「同じく、黒白会屍操門、ウーラ・ドウラ。」
「緑一色は北派のようネ。けっこう使えるよ。浸透勁には気をつけるとヨイ。
ガードも筋肉の鎧もくぐり抜けて、直接内臓にダメージが来るネ!」
イェが、土産物店の扇子をひらひらと振りながら言った。
「じゃあ、そっちはわたしが担当するわ。」
モトコが前に出た。
「その……シントウケイ……ってやつには、ニューヨークで痛い目に遭ってるのよ。」
「裏ドラは暗器使いだな。」
シゥ・クイシェが肉まんの入った袋を持って立ち上がった。
「勝った方に一個やるぞ。温かいうちにケリをつけるんだ。」
「なんだよ、こっちは素手なんだぞ?」
マクレーンはぼやいた。
するする、とウーラ・ドウラが近づいた。
必ずしも速い動きではない。
だが、予備動作も溜めもないその移動は、見た目の速度以上に対処しにくい。
その袖口から、きらりと光るものが走った。
とっさに飛び退いたマクレーンだったが、ジャケットの前身頃がざっくりと切り裂かれていた。
「な、なんだ、こいつは。」
「鋼糸ネ。」
イェが面倒くさそうに言った。
「極細の糸は、うまく滑らせると刃物よりもよく切れるネ。
対処方法……まで教えると、あんたらに肩入れしすぎになるネ。」
「チッ! サービスが悪いな! クワトロに言うぞ!」
「アイヤ、あんた、大佐の知り合いかネ。だったらサービスするネ! そいつの対処は――」
「両手の間で操作するから、低い位置には攻撃しにくい、だろ?」
「あんた……戦闘センスあるネ。わたしの弟子になるカね?」
「お断りだ!」
マクレーンは、糸を避けるために路上を転がった。
裏路地の地面は、あまり綺麗ではない。
生ゴミと塵芥にまみれながら、マクレーンは壁際まで追い詰められた。
ウーラ・ドウラが間合いを詰める。
「そっちが武器を使うなら――」
マクレーンは、すぐ脇にあったゴミバケツを両手で掴んだ。
「こっちもだ!!」
生ゴミの詰まったバケツを持ち上げ、そのままウーラ・ドウラの頭に被せる。
視界を塞がれ、生ゴミにまみれて息を詰まらせた相手の鳩尾に、マクレーンは靴の踵をねじ込んだ。
ぐえっ。
声を漏らし、相手は身体をふたつに折って倒れる。
「くそっ! 一張羅が!」
マクレーンの視線が、忙しく路上を行き来した。
「モトコ!」
*********
体内から練り上げた“気”を集中させ、それを打撃とともに相手の体内へ送り込む。
いくら鍛えていても無意味だ。
そのはずなのに。
リュウ・イッソウの顔は、脂汗にまみれていた。
発勁が通じない。
相手はかわしているわけではない。
たしかに彼の打撃は届いている。
届いているのに、相手は平然と笑っている。
まだ若い女だ。
だが、鍛えている。物腰から見て、軍隊、それも特殊部隊上がりだろう。
しかし。
「なぜ!」
リュウ・イッソウは叫んだ。
「なぜ勁が効かない!!」
「なんていうのかな。」
モトコは笑った。
「技が綺麗すぎるのよ。」
「なん……だと?」
「まあ、普通の打撃にも言えることなんだが、パンチでもキックでも、いちばん威力が出る間合いはあるでしょう?
遠すぎれば十分に届かない。近すぎれば、狙った打ち方ができない。」
「……」
「あんたの浸透勁は、充分な威力を発揮する間合いが、はるかに狭い。
ほんの一センチ。前に出るか、後ろにずれるか。それだけで、身体の内部まで衝撃が伝わらなくなる。」
「こ、この――」
ダン!
大きく、重く。
踏み込みながら、リュウ・イッソウは肩口からモトコに体当たりを仕掛けた。
ずむ。
モトコの突き出した拳が、その胸を拳大にへこませた。
血を吐いて、リュウ・イッソウは崩れ落ちた。
「肋骨三本。粉砕骨折。
折れた骨が肺に刺さると死ぬよ。早いところ病院に――」
そのとき。
「うわぁぁぁぁぁあっ!!」
疾風のごとき勢いで駆け込んできた赤毛の少女が、取り巻きのひとりの股間を蹴り上げた。
**********
アムロは憮然としていた。
マチュが、少し裏通りの古着屋を見ていくと言い出したのだ。
まだ遅いというほどの時間でもない。ヨルたちも、ほとんどネオ香港の観光はしていないので、土産物屋でも覗いてみるか。
そう考えただけだった。
なにやら、通りの先で人が集まっていた。
喧嘩でも始まっているような雰囲気だったので、アムロはそこを避け、別の道を選ぶつもりだったのだ。
マチュが走り出して、いきなりひとりの股間を蹴り上げるまでは。
まずい!
周囲を取り囲んでいる男たちは、身なりこそさまざまだが、いずれも鍛えられた屈強な体躯をしている。
囲まれているのは、ニューヤーク市警のマクレーンたちだ。
「ニャアン、ヨルたちを頼む!」
マチュを助けるつもりで、アムロはそう声をかけて走り出した。
「なんで……ついてくる?」
なぜか、ニャアンもついてきた。
いや、ヨル、ライラック、セルマも。
「なんとなく。」
ニャアンが答えた。
「わたくしたちのことを、アムロ先生にも少し教えてさしあげます。」
ヨルが言う。
「放ってはおけないでしょ?」
ライラックも続いた。
「あははっ!! なんか面白そうだってね! セルマはそう思ったんだよ!」
マチュは、男たちが振り上げる拳をかいくぐり、またひとりの股間を蹴り上げる。
なんていうタチの悪い戦い方を……。
アムロは舌打ちした。
周囲の男たちには、武器を携えている者も多い。
さすがに刃物は見当たらなかったが、棍やヌンチャク、トンファーなどを構えている。
ひとりがアムロたちに気づき、襲いかかってきた。
素手だが、かなりガタイがいい。
争い事には縁がない――え? どの口が言う?――アムロは、とっさに身を引いた。
組みついてくる相手の襟を掴み、そのまま後方へ身体を倒す。
その勢いを利用して、相手を大きく投げ飛ばした。
弧を描いて、男は店の脇に置かれたゴミバケツに頭から突っ込んだ。
「やめろ!」
投げた相手の動きを確かめる余裕もなく、アムロは叫んだ。
だが、やめたのはニャアンだけだった。
走るのをやめて、アムロの後ろに隠れたのだ。
ヨル、ライラック、セルマの三人は、そのまま男たちの中へ入っていった。
いずれも十代半ばの少女ではある。
だが、奇襲をかけられた男たちは、頭に血が上っていた。
ひとりがヨルめがけて拳を振るう。
顔面を狙った、容赦のない一撃だった。
だが、パンチが到達したとき、ヨルの頭部はもうそこにはなかった。
くるり。
ヨルは倒立していた。
地面に手をつき、そのまま身体を回転させる。
その靴の先が、相手の顎先をわずかにかすめた。
狙ってやったことだろう。
浅く触れただけに見えたが、男の頭が振られ、その膝が崩れた。
ライラックの相手は、武器を携えていた。
棍の両端に錘のついた、双錘と呼ばれる武器である。
仲間が鮮やかに倒されたのを見た男は、錘をライラックめがけて振り下ろした。
ライラックが片手を上げ、棍の中ほどを押さえた。
ぐるん。
棍が回り、男の握りが外れる。
次の瞬間には、双錘はライラックの手に収まっていた。
「この武器の使い方は――」
細い身体に沿って、双錘が一回転する。
顎。
腹。
膝。
三度の打撃が、ひと続きに炸裂した。
いちばん小柄なセルマを襲ったのは、大男だった。
スピードも、セルマの動きを読んだ歩法も、ヨルやライラックに倒されたふたりより一段上だ。
その太い腕が、背後からセルマの首に回された。
「ガキどもがっ!」
男は叫んだ。
「おとなしくしねえと、こいつの首を――」
言い終わらないうちに、男は口をぱくぱくさせて黙った。
そのまま喉を押さえ、うずくまる。
「な、なにをしたんだ?」
アムロは問いかけた。
「ああ、ちょっと点穴を突いただけだよ。」
セルマの手には、細い針が握られていた。
「殺しはしないよ。ほんの少しの間、呼吸ができなくなるだけ。」
「ど、どのくらい?」
「……えっと、二十分くらい?」
「普通に死ぬぞ、それ!」
あんまりオリキャラは出さないようにしてるのですが、香港で、マクレーンに絡んでくるチンピラ役で、当て込める登場人物って思いつかなくて。