真珠のふたりごと   作:Tosu

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1話

 

 

夏のはじまりを予感させる、くどい程にジリジリとした日光に照らされて煌めく見渡す限りの大海原を、1隻の小さな帆船がゆらゆらと漂う。

 

 

「今日は随分波が穏やかだな。⋯少し昼寝でもするか」

 

 

帆船を操るのは、たった一人の少年。その名を 「ケルン」。

彼は生まれ育った港町で購入した、全長6m程の中古の小型帆船で漁業を営むことで生計を立てている。

 

帆船という性質上風や波には細心の注意を払う必要があるが、この日は非常に穏やかな気候であった故、彼は少し気を抜くことに決めた。

昼寝をしようと帆を畳むため、マストによじ登ったケルンは徐に遙か地平線へと続く大海原を眺めて、

 

 

「⋯⋯ん?なんだあれ…。」

 

 

航路上に小さな障害物を視認した。興味本位で障害物の方へと舵を切りつつ望遠鏡を手にしてもう一度様子を伺う。

 

と。

 

 

「─────っ人間!? 遭難者か!?」

 

 

 

障害物の正体が、流木にもたれ掛かるようにして漂流する人間であることに気づいた。

 

彼は慌てて人影の元へ船を動かし、救助を試みる。

 

 

「おい!大丈夫か!?? 生きてるか!?」

 

 

近づいてみれば、人影の正体は一見船乗りとは無縁そうな少女だった。歳は自分と同じ、10代中盤くらいだろうか。

声をかけたが、返答は無い。少なくとも意識を失っているようだ。

辛うじて海上に出ている脇の部分を掴み力一杯に持ち上げ、引きずりあげるようにして少女を彼の船へと乗せ──────

 

「──────────は?」

 

 

彼は言葉を失った。

救助した少女はまだ少しの幼さが残るものの、まるで芸術品のような美しさを孕んでいた。

だが、そんな事はどうでもいいと言わんばかりに彼はある一点を凝視する。

 

人間なら誰しもが持つはずの足が、少女には無い。その代わり、下半身全体が魚のヒレのようになっている。

その姿はまるで、

 

「⋯⋯人魚......?」

 

 

そう、人魚だ。

少年はかつて仲間から聞いたとある伝説を思い出す。

 

 

 

───この海には、幻の生物『人魚』がいる────

 

───人魚は大層美しい姿をしているが、人に破滅をもたらす悪魔である────

 

───『人魚の涙』には、どんな願いも叶える不思議な力がある────

 

 

 

⋯聞いた当時はどれもありふれた与太話の類だと思い、まともに取り合わなかったケルンだが、本物を目にすれば嫌でも信じざるを得ない。

 

とすれば、目の前の少女は人に破滅をもたらす悪魔で────

 

 

「⋯っ、ぅん...?」

 

「!」

 

 

ケルンが思考を巡らせていると、件の人魚がにわかに身じろいだ。

無事でよかったと安堵する反面、彼は人魚に対して警戒を強める。

 

「おい、目覚めたか。⋯大丈夫か?」

 

 

「⋯⋯ぅ......」

 

 

ケルンの声掛けに応じるかのように、人魚は小さく声を漏らしながらゆっくりと身体を起こした。

 

 

「⋯⋯?」

 

 

しかし、依然として脳は覚醒していないようで、こてんと首を傾けながらぼーっとした目で彼を見つめている。

 

 

「おーい?話せるか?...とりあえず、水飲むか?」

 

 

未だフワフワとした状態の人魚に見かねたケルンは、コップに水を注ぐ。

少々入れすぎた水をこぼさぬように、慎重に運びながら人魚の顔にコップを近づけ─────────

 

 

「────────っっ!?触るな!!!」

 

 

瞬間、人魚は勢いよく飛び上がってケルンから距離をとった。

あまりに突然の出来事にケルンは思わず尻もちをつく。

 

 

「イテテ...。⋯おい落ち着けって。俺はただお前を助けようと」

 

「煩い!人間の言うことなんて私は信じないから!」

 

 

人魚の予想外の反応に、ケルンは先程まで抱いていた警戒心を忘れ、何とか事を収めようと説得にかかる。

 

 

「いやいや、本当に他意は無いんだって。

君、ついさっきまで流木に掴まってグッタリしながら漂流してたんだぞ?それを俺がこの船にすくい上げたんだ。」

 

 

「漂流...?何を言って⋯⋯

⋯⋯⋯あぁ、そっか。あの後私人間から逃げて⋯、」

 

 

漂流と言う言葉を聞いた人魚は、何かを思い出したかのようにポつりと呟き、そしてゆっくりと自身の足、すなわちヒレの先に目線を落とした。つられてケルンもヒレに目を向けると、そこには大きく痛々しい深い傷があった。

その傷は明らかに人為的に付けられたものに見え、ケルンは内心動揺する。

 

一方で人魚は落ち着きを取り戻したようで、ケルンの方へ向き直った。

 

 

「⋯君が私を助けてくれたのはわかった。それはその⋯ありがとう。だけど、これ以上の助けは要らない。私はもう海に帰るよ」

 

「海に帰るって言ったって、その傷じゃ泳ぐのもキツイだろ。せめて手当てをしてからでも」

 

「いい。ほっとけばそのうち治るし。」

 

「でも」

 

「だからいいってば!!」

 

 

ケルンは再び突きつけられた、人間を拒絶する彼女の強い意思を前に言葉を詰まらせた。

彼女は本気で人間を恨んで、或いは怖がっている。ならば彼女の言うとおり海に返してやるのが道理なのかもしれない。

しかし、人魚である以前に彼女は1人の少女だ。

傷ついた少女に対して見て見ぬふりなど、一人の男として、ケルンとして出来るはずがない。

 

 

「「⋯⋯⋯。」」

 

 

2人の思惑が交差し、場は完全に膠着した。

小さな帆船を、数秒、数十秒、静寂が支配する。

 

流石に気まずさを感じたのか、人魚は短く息を吸って切り出した。

 

「⋯じゃあ、私帰るから。

助けてくれたことには感謝をし────────」

 

 

瞬間

 

 

─────グゥゥゥゥゥゥギュルル………。

 

 

 

「「 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ」」

 

 

この空気にあまりに不釣合いな、間の抜ける重低音が響いた。

 

重低音を合図に、再び数秒、数十秒、船内を静寂が支配する。

 

流石に気まずさを、否、居た堪れなさを感じたのか、今度はケルンが切り出す。

 

 

「⋯あー。 メシ、食ってくか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「⋯⋯食べる」

 

 

 

長い長い沈黙の後、彼女はワナワナと小刻みに震え俯きながら、コクリと首を小さく縦に振った。

その顔は、熟れたリンゴの如く真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

「おかわり!」

 

「どんだけ食うんだお前」

 

 

ケルンが干し肉と煮魚を与えると、人魚は恐る恐るそれらを口に運び始めた。⋯と同時に、警戒の表情が吹き飛び目をキラキラと輝かせ始めた。

どうやら彼女のお気に召したらしい。

 

先程までの緊張感はどこへやら、彼女の様相はさながら食いしん坊小僧のようだ。

 

 

「美味しい⋯!美味しすぎるよ⋯!!まさか人間の『料理』とやらがこんなに凄いものだったなんて⋯!」

 

「別に、こんなの料理のうちに入らねぇよ」

 

「そんなぁ!?それじゃあ、本気を出せば人間はもっと美味しい料理を作ることが出来るの?」

 

「まぁ、そうだな。陸に行けばいくらでも上手い料理は食える。」

 

「そっか、『陸』かぁ⋯。」

 

 

『陸』という言葉を聞いた途端、彼女は明らかに表情を曇らせた。考えてみれば、海で過ごす『幻の人魚』が易々と陸に上がることができるとは思えない。ケルンは己の失言を悟り、慌てて話題の転換を試みる。

 

 

「そんなことより、お前、名前はなんて言うんだ?俺はケルンだ。」

 

「ふーん、人間の名前って短いんだね。

私は『セリーナ・エトルーリヴィア・ネイビス』。みんなからはセリナって呼ばれてる」

 

「うわ、随分長い名前だな。もしかして貴族サマなのか?」

 

「キゾク⋯?何それ?」

 

「もしかして、人魚の世界には貴族の概念がないのか?

人間の社会には貴族って言う人たちが居てだな──────────」

 

 

「─────?───、──」

 

 

「─────、─────。」

 

 

何気なく始まった2人の会話は、本人たちも気付かぬうちに大きな膨らみをみせた。

『貴族』という、人間にとっては退屈な話題も、人魚のセリナにとっては真新しい学びになる。

気づけば2人は様々な人間や人魚の文化、生活について話し込み、漸くお互い個人の話題に差し掛かった頃には既に日が暮れ始めていた。

 

 

「─────それでね、この近くの海には可愛いイルカさんがいて⋯

⋯⋯ってもうこんな時間!?」

 

「ん?⋯あぁ本当だ、もう夕焼けが始まってるじゃないか。驚いたな」

 

「こんなに一日が早く終わるなんて、生まれて初めて!

ケルンと話すの、すっごく楽しい!!」

 

「あぁ、俺も楽しかったよ。人魚の私生活話なんて、普通じゃ絶対に聞けないからな」

 

「ふふっ それはそうだよ!私も人間に対して人魚の話をするなんて初めてで────────」

 

「?」

 

セリナは言葉の途中で、急に喉を詰まらせたかのように黙り込み、表情に影を落とした。

困惑するケルンに、セリナはやがて意を決したかのように問を投げかける。

 

 

「⋯ケルンは、どうして私に酷い事をしないの?」

 

「は?」

 

「だって私、人魚だよ?

────────『人魚の涙』の伝説、ケルンも知ってるんでしょ?」

 

 

その言葉に、ケルンはハッとした。

 

人魚の涙には、どんな願いも叶える不思議な力がある。

ならば、目の前の人魚を泣かせることが出来ればケルンはどんな願いも叶えることが─────────

 

 

「馬鹿じゃねぇの」

 

「⋯え?」

 

 

「人魚だかなんだか知らねぇけど、それ以前にセリナはセリナだろ。そもそも、私利私欲のために誰かを傷つけるような外道に成り下がるつもりはねぇよ。」

 

 

寸分の迷いもなく繰り出されたケルンの言葉に、セリナは豆鉄砲を食らった鳩のように目をぱちくりとさせた。

彼女にとって『人間』とは、己の涙を奪うためにありとあらゆる手で暴力をふるう、言うなれば『悪意の権化』のような存在であった。

これまで何度も凶暴な悪意に晒されてきた彼女は、人間の悪意を見抜く力を身につけることで己の身を守ってきた。

 

だが、ケルンからは、一切の悪意を感じない。

助けてくれた時も、食事を振舞ってくれた時も、日が暮れるまで会話した時も。そして、今彼が言い放った言葉にも。

 

 

「──────ふふっ、ケルンって変なヤツ」

 

「どういう意味だよ」

 

「別に〜? ふふふっ」

 

「⋯、俺の顔になんかついてるか?」

 

セリナは堪えきれないといった様子で声を上げて笑った。

ケルンは訳が分からず首を傾けるも、構わずセリナは笑い続ける。

 

 

「あー、よくわからないが⋯。夕飯食べるか?」

 

「うん!食べる!」

 

「ははっ、飯のことになると返事がいいな」

 

 

 

すっかり日も落ち漆黒に包まれた大海原を、2人の笑い声が優しく照らす。

この日、2人は種族を超え、セリナにとっては初めての『友達』となった。

 

 

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