「⋯⋯⋯っ、」
不意に、眩しい光に照らされた瞼が覚醒の信号を送る。
重い瞼をゆっくりと開けながら、まだぼんやりとする頭をどうにか働かせる。
ケルンが覚えている最後の記憶は、何者かに銃で撃たれ、そしてセリナを遠くへ逃がしたところで恐らく気を失ったのだろう。
「…………っぅ…。」
あの時の出来事は全て夢だったのではないかという眩い錯覚は、不規則に脇腹から伝わる鋭い痛みで払拭される。
とにかく、今置かれている状況を探ろうと辺りを見渡すと、そこは白く統一された、医務室のような部屋だった。てっきり凶暴な海賊に捕らえられたと思い込んでいたケルンは内心拍子抜けする。もしかしたら、あの後近くを通り掛かった医療船が救助してくれたのかもしれない。
そんな彼の分析通り、程なくして白衣を着た医師風の男がケルンの元へやってきた。
「おや、目を覚ましたようだね」
「あぁ。あなたが俺を海賊から助けてくれたのか?本当に助かった、ありがとう。」
「いいや、礼には及ばないよ。
それより君、一体あの船で何があったんだい?君の左脇腹の辺りには銃に撃たれた跡があった。少なくとも、只事では無いだろう。」
「あぁ。それは、……海賊に襲われてな。強盗目的らしく、俺の財産が根こそぎ奪われたみたいだ」
ケルンは、セリナの存在を伏せるため咄嗟に話を作りかえる。いくら恩人相手とはいえ、人魚の話を出す訳にはいかない。
「…そうか、強盗か。それは災難だったね。
兎に角、傷が治るまではこの船に乗って安静にしていなさい、お金の事は気にしなくていいから。」
「ありがとう。何から何まで助かる」
「ところで、もう1つ質問があるのだが」
男はそう言うと、ケルンのベッドへ近づいて、少し目を細めた。
「────あの人魚をどこへやった。」
「──っ!?」
たった一言で、ケルンは全てを察した。あの時彼を撃ったのは海賊ではなく、この男だ。そして狙いは『人魚の涙』だろう。
咄嗟にベッドから起き上がり男から距離を取ろうと試みるも、傷の痛みに阻まれ断念する。
「…ベラベラ話すとでも思ったか?このゲス野郎。」
「おや、いきなり随分な言い草だね。
なら、質問を変えよう。『人魚の涙』について、君は何を知っている?」
「⋯⋯。」
「⋯黙秘、といったところか。なら、少しだけ私の独り言に付き合ってもらおう。」
男はベッドの脇に置かれた、簡素な造りの椅子に腰かけて、どこか遠くを見つめながら語り出した。
「────私にはかつて、婚約者がいてね。」
"人魚"と関連の見出せない、予想外の出だしにケルンは思わず耳を傾ける。
「彼女とは、物心がついた時からずっと一緒だった。遊ぶ時も、村の仕事を手伝う時も、ご飯を食べる時も。」
「それは代わり映えのしない毎日だったが、彼女と居るだけで、不思議と毎日世界が輝いて見えたよ。」
「私はそんな日々に満足していたし、これが永遠に続くと信じていた。────しかし、そうはならなかった。」
「今から30年前、…私が20歳の誕生日を迎えた日、彼女は唐突に亡くなった。」
「ひとりで市場に買い出しに出ていたところで、暴走した馬車に轢かれてしまった。⋯即死だった。」
「私はたいそう取り乱してね。結局、時間をかけて彼女の死を理解したが、しかし認める気にはならなかった。」
「だから、私は船医として海に出た。
無限に広がるこの海に出れば、亡き彼女を復活させる手立てが見つかるかもしれないってね。」
「そして10年前、私は偶然出会ったんだ。一人の"人魚"に。」
「それはそれは歓喜に震えたさ。何せ、なんでも願いが叶うという"人魚の涙"の伝承は有名だからね。」
「だから私はその人魚を捕獲して、沢山の涙を手に入れた。」
「人魚の涙の伝承は、本物だった。財宝を願えば金銀が降って湧き、軽い怪我なら一瞬で癒すことが出来た。」
「しかし、彼女を甦らせることは、出来なかった。」
「何故?願いの叶う基準が分からない。糸口を掴もうにも、未知の神秘を前に為す術が無い。」
「半ば自暴自棄に陥った私は、涙の結晶を握りながらこう願った。『どんな財も払うから、どうか彼女を生き返らせてくれ』と。」
「するとどうだろう。私の持つ家財から金銭、あらゆる財産が忽然と目の前から姿を消したと同時に、涙の結晶が僅かに青い光を帯び始めたんだ。」
「しかし数刻ほどすると、人魚の身体が少しづつ天へ向かうかのように消滅いった。」
「私は人魚の消失を悔やむと共に、大きな知見を得た。
『命の再生には、相応の代償と人魚の消失が伴う』とね。残念ながら、私の全財産程度では命の復活には釣り合わなかったようだ。」
男は、白衣のポケットから青みがかった何かの結晶を取り出して、ジッとケルンの顔に目を合わせる。
「だから、君たちには実験台になってもらいたいんだ。
私はこの後、君の友達の人魚に『彼女の復活』を願う。代償は、君の命。」
男は、言うべきことは言ったと言わんばかりに口を閉ざした。
黙秘を決め込んでいたケルンだったが、男の話を咀嚼して思わず反発の言葉が漏れ出た。
「⋯アンタは仮にも医者なんだろ。1人の命を救いたいがために、無関係の2人の命を奪うことに抵抗は無いのか。」
「はは、正論だね。だが生憎、正しさで心を図ることは出来ないよ。人の心はどこまでも自分勝手なのだから。」
それに、と男は続ける。
「私の出身の南方諸島には、『誰かにとっての家族は、誰かにとっての他人』という言葉がある。私にとっては目に入れても痛くない最愛の彼女も、君にとっては赤の他人。そんな君が私に正しさを説けるだろうか。」
一見理知的な彼の言葉には、静かで苛烈な怒りが込められていた。ケルンは、男がとうに決意を固めていることを悟り、再び押し黙る。
「⋯すまない。私は君に偉そうな事を言える立場ではなかったね。」
すると、先程までの憤怒はなりを潜め、どこか沈痛な表情を浮かべながら、男は部屋を後にした。
その後ろ姿は、どこか不安定で、儚いものにみえた。
日が落ちて、昇り、また落ちる。
雨が降り、暴風が吹き、青空が広がり、また雨が振る。
ケルンが捕らえられてから、恐らく既に数週間ほど経過しただろうか。1日3食がきっちりと差し出され、生贄と言う割には丁寧な対応を受けるも、捕虜としての日々の生活は無機質なものだった。真っ白に統一されたケルンの部屋は生気を感じさせず、隅に設けられた小窓だけが、彼に心のゆとりと時間の感覚を与えてくれる。
強いて出来事を挙げるとするなら、あの男が定期的に『独り言』とやらを語りに来ることだろう。
結果、あの男が"グレイ"と名乗っていること。そしてこの船が医療船で、今は中央諸島の西側を航海中であることを掴んだ。
脱出を諦めたつもりは無いが、脱出の手立てが無いこともまた事実。ここ数日は『独り言』を聞く以外はぼーっと窓からの景色を眺め続けていた。
窓に映る風景はいつも変わらない。青い海、白い雲、見渡す限りの地平線、の手前を並走して泳ぐセリナ。
⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯⋯。
「⋯⋯セリナ!?」
思わず窓に顔をへばりつけると、セリナもこちらに目を合わせて手を振る。
どうやら、セリナは記憶を頼りにこの船を探し出し、ケルン救出の機会を伺っていたようだ。
「セリナ!この部屋には鍵がかけられて、簡単には抜け出せ無いんだ。脱出手段を考えるから、もう少し待ってくれ」
セリナにジェスチャーを交えながら待ての合図を送る。窓に阻まれ声は届かなかったが、意図は伝わったようで了解のサインが返ってきた。
希望に原動力を見出したケルンが改めて脱出手段を求めて部屋を物色すると、物置の影の壁が1部傷んでいることを発見した。木製の壁であるため、何日かかければ1人分の穴を開けることも可能だろう。
グレイに見つからぬよう、音に気をつけながら慎重に壁を壊し続ける。1日、2日、3日と継続するうちに穴はみるみる拡がった。
そして1週間が経ち、いよいよ頭ひとつ分の大きさに迫った頃、
────突如として、轟音と共に地響きのような衝撃が船を襲った。
「っなんだ!?」
慌てて窓から外を見渡すと、数海里先で一筋の黒煙が昇っている様子が目に入った。そしてその上空には小さくてドス黒い雷雲が広がっている。
状況から察するに、これは落雷だろうと推測したケルンは、セリナに情報共有をしつつ引き続き注意深く黒煙を目で追う。
この海域は天候が不安定で、晴れていても突然の落雷に見舞われる事もしばしばある。もし雷が船に落ちれば、たちまち火災が発生して乗員諸共海の底に沈みかねない、恐ろしい自然現象だ。
だから、もし雷に遭遇したら一目散にその場から離脱するべき、なのだが。
「近づいている…?」
この船は、どうやら黒煙の元へ進路を変更して、接近を試みているようだ。グレイは自らを医者だと自称していたことを考えると、救助のためだろうか。それとも、火事場泥棒でもする気だろうか。
様々な憶測に頭を回していると、船はあっという間に黒煙の元へたどり着いた。
そこに広がっていた光景は
────地獄であった。
雷の衝撃で真っ二つに分断された大きな客船。それらに覆い被さるように巨大な炎がゴウゴウと音を立てて燃え盛る。
そして、炎から逃れようと海に飛び込み、今にも力尽きて溺れそうな人々。
おぞましい光景をただ呆然と眺めるしかないケルンは、不意に部屋の外で慌ただしく駆け回るグレイ達の声を拾った。
「炎に気を取られるな!1人でも多くの要救助者を見つけて、治療室へ運ぶんだ!
救助班!出動だ!私と共に来い!」
グレイは腐っても医者なのだろう。迅速にクルー達へ指示を出したかと思えば、非常用小舟を下ろして躊躇いもなく燃え盛る現場へと向かっていった。
非常時にも関わらず冷静かつ的確なレスキューにより、遭難者が次々へ救助されていく。海へ投げ出された人々はあっという間に全て助け出され、グレイを乗せた小舟は救助完了の掛け声とともに帰還を始めた
瞬間
「───────助けて!」
悲鳴のような声が、ケルンを突き刺した。
声の主を探ると、沈みかけの船体の2階部分、ちょうどグレイの死角あたりに、ケルンへ向けて必死に手を振って助けを求める2人の子供の姿があった。仮にグレイが子供たちの存在に気づいても、2階部分故に高低差があり、すぐの救助は望めないだろう。このままでは船が沈む前に子供たちが炎に焼かれてしまう。
「⋯。っ迷ってる暇はねぇな。」
ケルンは、一瞬の迷いを振り払い、部屋の隅から助走をつけるように駆け出し、
────────壁を突き破り、船外に飛び出た。