「──────────ぅん⋯?」
「おはよう、ケルン。」
「お、おはよう⋯?⋯ここは?」
「ここは、この間と同じ島の、端っこの方にあるビーチだよ!」
「⋯⋯っ!子供たちはどうなった!?それに、俺達はあのおっさんから逃げきれたのか!?」
「ケルンが助けた子達は、みんなあの船で治療してもらってたよ!、逃げるのは簡単だったよ!!なにせ、このスーパーセリナちゃんとイルカちゃんが全速力でケルンを運んだんだからね!」
「ははっ、それは頼もしいな。⋯本当に、助かったよ」
「ケルンに助けて貰った子供たちも、きっと今頃感謝してると思うよ。
でも!!私ちょっと、怒ってるんだからね!?」
「えぇ?」
「勝手に私を一人で逃げさせたこと!本当にもう!!」
「あぁ、悪い悪い」
「思ってないでしょ!?」
2人に、久方ぶりの平穏な日常の風景が戻ってきた。しかし、いくら島の端とはいえ、陸上にいる以上セリナの姿が他の人間に見られてしまうリスクはある。二人で海に出る為にも、早々に船を用意しなければ。
「まぁそれより、さっさと新しい船を手に入れないとな。
2人乗りで、食料が十分に乗せられて、⋯他に何かリクエストとかあるか?」
「⋯その事なんだけどさ、ケルン。」
船の話題に写った途端、セリナは表情を微かに曇らせた。
「なんだ?急に改まって」
「⋯⋯。私、ケルンの船、降りることにするよ」
ケルンは、後頭部を殴られたかのようなガツンとした衝撃を受ける。
「⋯理由を聞いても、いいか?」
「ほら、私、人魚だから。今回の件で、やっぱり人間に狙われるのが怖くなっちゃってさ。⋯だから、その、人間のケルンと一緒に生活するのは、その、ほら、⋯怖いかなって⋯⋯。」
彼女の言い分は最もだ。だが、ケルンは微かな、しかし明確な違和感を感じ取った。
「なぁセリナ、ひとつ聞いてもいいか?」
「う、うん?」
「もしかして俺、死んだのか?」
「─────っへ??!?!
そそそそそんなわけななないじゃん!????」
「あの船で聞いたんだよ。『死人を生き返らせると、人魚は消滅する』って話を。
つまり、セリナは俺の命を助けた代償として消滅しかけてて、それを隠すために俺と別れようとしてるんじゃないか?」
「⋯⋯⋯。」
彼の推理はあまりにも図星だった。セリナは本気でこの事実を隠し通すつもりだったが、如何せん彼女の演技力は致命的だったようだ。
「⋯。死んだ訳じゃないんだけどね、瀕死だってあのおじさんが言ってた。
だけどやっぱり力を使い果たしちゃったから、私、もうすぐ、消えちゃうんだ。、ふふっ、ケルンにはなんでもお見通しなんだね」
「⋯人魚の涙を使って、消滅を回避することは?」
「出来ないよ。そもそも、私はもう力を使い果たしちゃったんだ。だからもう、私の涙に願いを叶える力は残ってない。」
「⋯せめて、消えるまでの時間を伸ばす方法が──」
「無いよ。何も無い。⋯ケルン、私たち、ここでお別れなんだ。」
そんな事は認めたくないという思いと、手立てが思いつかないという現状に、ケルンは片手で頭を抱えながら呼吸を浅くする。
そんな彼の様子を見て、セリナは優しく語りかける。
「ねぇ、ケルン。お別れの時間まで少しお話しない?」
「⋯っ!⋯あぁ。なんでも話そう。」
「ありがとう。⋯私ね、最近素敵な夢を見るの。夢の世界での私はケルンと同じ普通の人間でね、1人で砂浜に居た時──────────」
「─────、──────────」
「─────、?─────。」
──────────
─────
2人は、話をした。
とても最後の瞬間とは思えぬほど、日常的でありふれた、だけど2人にとっては特別な時間。
いつものように笑い合い、いつものように言い合い、いつものように共感しあい、⋯しかし、いつもよりも早く、時間は流れる。
「⋯⋯、もう、夕焼けだね」
「あぁ。」
2人きりのビーチで波打ち際に並んで座って、夕日を眺める。
自然とお互いの手が触れ合い、触感が互いの存在を認識させてくれる。
だが、美しい夕日は僅か数十分で呆気なく沈む。
それは、彼と彼女の美しい一時も同じで。
いつの間にか、触れ合っていたはずの手から感触が消えたことに気づいたケルンは、ゆっくりとセリナへ顔を向ける。
セリナの身体は、ヒレの先から順に、少しずつ、ほんの少しずつ光の結晶となって、まるで天へと吸い込まれていくようにキラキラと薄れ始めた。
「⋯そろそろ、だね。」
「⋯。」
「⋯なぁ、セリナ。⋯俺を助けるためにこんな、俺のせいで───」
「んー??」
ケルンが何かをいいかけると、セリナは人差し指でバッテンを作った。まるで、『欲しい言葉はそれじゃない』と言わんばかりに。
「⋯。⋯セリナ。俺はセリナとの旅、本当に楽しかった⋯!
それと、⋯もうひとつ伝えなきゃ行けないことがある。」
「?」
セリナは興味津々といった様子でケルンの口へ耳を傾ける。
「俺はな、セリナ⋯、その⋯。えっと⋯」
「???」
珍しく口をモゴモゴとさせ言い淀むケルンに、セリナは頭上にはてなマークを浮かべる。
言いにくいことなら無理に言わなくても⋯、と声をかけようとしたと同時に、ケルンが切り出した。
「セリナ、俺はお前を⋯⋯
─────愛してる!!」
「──────────ふぇっ⋯!?!??」
予想だにしなかった言葉に、フリーズするセリナ。
一方のケルンは勢いに任せ、理性など放り投げたと言わんばかりに己の本音をぶつける。
「好きだっ!お前の姿も、強く優しい心も!全て!」
「っ⋯!」
普段の仏頂面なケルンからは想像もつかぬ熱い言葉に、セリナの顔が夕日の如く真っ赤に染められる。
「だからセリナ⋯!俺を⋯置いていかないでくれっ⋯!!!」
ケルンは言いたいことを言い果たしたかのように、力無く崩れ落ちる。
当然、言葉にした所でどうにもならないことは彼自身もよく理解している。だから彼は返事を期待しなかった。
「⋯⋯、
⋯ふふふっ、そんなに顔をぐちゃぐちゃにしちゃって。いつもの仏頂面はどうしたの?」
直接の返事を避けながら、セリナはケリンをおちょくる。
「⋯う、うるせぇ
セリナこそ顔、グッシャグシャだぞ」
「ふふっ、そっか。なら、お互い様だね」
セリナを包む光が一段と強く大きくなる。
その光景は酷く幻想的で、非現実的で。
「ケルン、本当にありがとうね。
⋯だからさ、ケルン。──────私のことは忘れて、幸せになってね」
「⋯?すまん、最後の方がよく聞こえなかったんだが」
「ううん、⋯なんでもないよ、気にしないで!」
セリナは一瞬だけ寂しげな表情を漏らし、そしてそれを覆い隠すように笑顔を作った。
「─────それじゃあ、私はそろそろ行くね。
セリナは、かつてケルンからプレゼントされた真珠のネックレスを首から外し、ケルンへと向かって差し出しながら言った。
⋯ケルン、私もね、ケルンのことが─────
──────────大好き!───────
一人きりのビーチに、ただ1粒の真珠が零れた。
美しい夕焼けは終わりを迎え、すっかり暗闇に包まれたビーチでただ1つ、ネックレスの真珠だけが囁かな、小さな小さな光を放つ。
しかしその弱々しい光は、呆然と虚空を見つめるケルンの瞳には届かない。
「⋯⋯⋯。」
それから1時間、2時間、3時間⋯。目の前の現実を受け止めるために一体どれだけの時間を使ったのか、もはや時間の感覚を失った彼には分からない。
時間など、今の彼にはどうでも良いモノだった。
しかし、時間とは誰にでも平等に流れるようで、つい先程沈んだはずの陽が、あっという間に反対側の地平線から昇ろうとしている。
少しずつ明るむ空に共鳴するように、ビーチも僅かに色を取り戻していく。
その中でただ1つ、砂とは不釣合いな輝きを放つ何かがケルンの瞳に飛び込んだ。
「⋯。ネックレス、か。」
彼女の最後の瞬間の光景が、思い返される。
彼女は別れの寸前、ケルンにこのネックレスを差し出した。
しかしそれではまるで、ネックレスがセリナの形見だと言っているようで、セリナの死を認めてしまうようで、今この瞬間まで触れることが出来ずにいた。
しかし、いつまでも彼女との別れから目を背けるわけには行かない。向き合うべきだ。
覚悟を決めた彼は、硬直した体にムチを打つように、震えを必死に抑えながらゆっくりとネックレスを拾う。
刹那、彼の脳内に、セリナとの大切で儚い記憶が波のように押し寄せる。
楽しかったこと、嬉しかったこと、はたまた腹が立ったこと、辛かったこと、そして、
─────恋をしたこと。
一人で旅を続けてきた彼にとって、その全てが新鮮で、なにより尊いものだった。
「⋯⋯⋯」
彼は特に意味もなく、無意識にネックレスを自身にかけようとして⋯、辞めた。
野郎に真珠のネックレスなど似合わないし、そもそもこのネックレスはセリナにプレゼントしたものだ。自分のものではない。
ケルンは自分の無意識の行動に可笑しくなって思わず笑いを零しながら、ネックレスを静かにポケットへ入れた。
「⋯⋯さて、俺もそろそろ、行かないとな。」
男として、船乗りとして、いつまでも挫けているわけにはいかない。
彼は砂をはらいながら立ち上がり、大海原を一瞥してから港街へと向かい歩き始める。
トス、と砂を踏みしめる1つ目の音が辺りに響くと同時、─────彼は微かな違和感を感じ取った。
特になんてことのない1歩。だがケルンの脳は「これ以上ビーチから離れるな」と警笛を鳴らすかのように、足を動かさぬよう静止の信号を絶え間なく体に送る。
ケルンはこれを、自身の心に残ったセリナへの執着と解釈し、拳を握りしめながら強引に足を動かした。
「⋯⋯?」
しかし、1歩、また1歩とビーチから距離が離れる度に、彼に得体の知れぬ違和感が連続して襲いかかる。
その感覚はまるで、
1歩前に進む度に、脳内にモヤがかかるような。
1歩前に進む度に、何かを失っていくような。
1歩前に進む度に、大切なものを忘れていくような。
1歩前に進む度に、──────────
「────────────────────?」
ザザー⋯、
ザザァー⋯、
ザァー⋯。
波に引きずられる、サラサラとした砂の音が、まるで何かをかき消すかのように彼の頭の内側に響き渡る。
ザザー、ザザァ⋯と、何度も、何度も。
何度も、
何度も、
何度も──────────
「─────? 俺はこんな所で一体何を⋯?」
──────────
─────
ここはどこだ?、と。
仏頂面の少年は頭を掻きながら、唐突に自分が置かれたこの状況を見定めようと周りを見渡すも、そこに広がるのはなんの変哲もない、廃れたビーチ。
ならば、と自分の記憶を遡ろうと試みるも、最後の記憶は穏やかな海で帆をたたみ昼寝をした時のもので、まったく現状と整合性がない。
「まさか、あの後に嵐でも来て船ごと沈んだのか⋯?
あー⋯。ダメだ、さっぱり思い出せねぇ。」
どれだけ頭を回転させても記憶は欠片も戻りそうにないが、どうやら船を失ったことに違いは無さそうだ。
となれば、一からお金を貯めて船を買い直さなければならない。
彼は大きなため息を吐きながら、街の方角へと向かって歩いていった。