皇帝陛下に憑依中 ~ドイツ皇帝として歴史に抗う~   作:Core472256

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新春閣議

冬の曇り空の下、ベルリン王宮の回廊を抜ける一団の足音が、静かに響いていた。

年の初め、ドイツ帝国政府は恒例の「新春閣議」を王宮にて開催していた。

 

 

 

――兵站統合室。

前年十一月、皇帝自らの草案をもとに創設されたその新機関は、参謀本部、内務省鉄道局、さらには民間からの選抜人員を交えた混成組織として立ち上げられた。

本来なら軍政局の許可を得た上で慎重に進められるべきであったが、皇帝は将来の戦時に備えた即応性を盾にその枠組みを押し切った。

 

十二月までに複数の軍管区において統合運用の試験演習が施行され、内務省を通じて、各鉄道会社・郵便局・軍需企業との協力協定が水面下で結ばれていった。

形式上は「内閣補佐機構」の管轄下である。

これに対し軍政局は形式的な抗議を発し、郵政庁も情報伝達線の割当てを巡り反発の気配を見せていた。

 

 

――あの皇帝陛下が本気で何かを変えようとし始めている。

 

それが、政府内に不穏な波紋を広げつつあった。

 

 

 

「……お入りいただけますか、陛下」

 

静かに扉が開かれ、広間に足を踏み入れたのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世であった。

付き従うのは副官のゲオルク・フォン・ミュラー。その姿は記録官のようでもあり、皇帝の意思を側で伝える補佐官としての存在感も濃かった。

 

長机の先端――皇帝の正面に座すのは、帝国宰相ベートマン=ホルヴェーク。

彼の左隣には内務のクレメンス・フォン・デルブリュック、その横には国務長官、財務長官。右手側には外務国務長官

そして末席には参謀総長、ヘルムート・フォン・モルトケの姿もあった。

 

 

 

「皆、改めて――あけましておめでとう。……そして、今日ここに揃ってくれたことに、感謝する」

 

年頭の挨拶としては、少し異質だった。

声は落ち着いていたが、冷ややかで、そして芯に何かを秘めたような口調だった。

 

「本日、余は明確な方針を述べる。帝国のための方針だ」

 

ミュラーが軽く頷き、背後で記録を始める。

 

「我が国における軍備と補給、情報伝達、鉄道輸送の全てが、未だ部局ごとに分断されていることは、もはや隠しようがない事実だ」

 

各閣僚の顔が微かに動く。誰も口には出さないが、“例の兵站統合室”のことを言っているのは明らかだった。

 

「余は、官と民、軍と文、帝国全体を貫く一体化した体制を確立したい。……戦時の話ではない。平時から備える。それが帝国の責務だ」

 

その言葉に、最初に声を発したのはクレメンスだった。

 

「内務省としても、今後の安定した輸送網と備蓄体制は喫緊の課題であると認識しております。……ただし」

 

言葉を切り、やや硬い口調で続けた。

 

「陛下のご構想は、立法と予算を通さねばならぬ点が多く、制度としての整備を伴わねば法的に難しい部分もございます」

 

「それも分かっている。だが、このままでは間に合わない

 

皇帝の声が一段深くなった。

 

「この帝国は、外から見れば一枚岩に見えるだろう。だが、実際には役所の壁、制服の色、予算の争奪戦――その全てが国家の名を借りた自壊に繋がり得る」

 

「陛下……」

 

ベートマンが初めて口を開いた。

 

「その御懸念は重く受け止めます。しかし、帝国とは法の上に成り立つ秩序です。いくら御意志が尊くとも、陛下個人の判断だけで全体を動かすことは……」

 

「ならば余は、制度をもって、皇帝たらんとする。制度を通じて、帝国を変える」

 

明快であり、そして強硬でもあった。

だがその言葉に、誰もすぐには反論しなかった。

 

 

 

――重い沈黙。

 

その中、末席に座る参謀総長モルトケが、小さく咳払いを一つした。

 

「……仮に陛下の構想通り、補給統合法案を形にするとして、それを誰がまとめ、誰が実務を負うかは、軍としても重大な関心事項です」

 

「当然だ。兵站統合室は試験機関に過ぎない。制度化の草案は、然るべき者と共に進める」

 

その瞬間、ミュラーが控えめに目配せする

そして皇帝は静かに言った。

 

「ヴェルナー・シュトルフ――内務省中堅官僚を推薦する。彼はこの帝国の仕組みではなく、理念を信じている」

 

軽くどよめきが走る。

 

その名は、閣僚たちにとって馴染み薄い。しかしクレメンスだけが、静かに目を伏せた。

 

 

(シュトルフ――あの若者か。旧来の序列に従わず、それでいて無礼ではない。だが、改革派の空気をまとった男だ)

 

そう心の中で呟いたクレメンスの横顔に、一瞬の緊張が走った。

 

 

「……改革派の一人、ですか」

 

「そうだ。帝国を縛るのが制度ならば、解き放つのもまた制度であるべきだ。その鍵となる人間が、彼なのだ」

 

そう言った皇帝の眼には、わずかながら熱があった。

だがその熱は、氷のような現実と激突することを、本人も分かっていた。

 

 

 

議論は続いた。

財務長官は予算の帳尻を語り、法務のクレーナーは既存制度との整合性を懸念し、外務国務長官は英仏の反応と外交的立場に言及した。

 

全員が反対とは言わない。

だが"慎重に”“法の枠組みで”“協議を通じて”という言葉が並ぶたびに、皇帝はゆっくりと、しかし確実に冷えていった。

 

 

 

それでもなお、皇帝は立ち上がり、最後に言った。

 

「帝国の未来に責任を持つ者が、誰であるべきかを――よく考えてほしい」

 

誰も口を開かなかった。

 

ミュラーはただ一人、皇帝の背中を見つめる。

 

そして、こう思った――

 

(陛下は……また、少しに進んでしまったな)

 

 

 

 

閣議の幕が下りたのは、昼を過ぎた頃だった。

 

官僚たちは書類を抱え、次々に退出していく。皇帝の前に残されたのは、冷めた紅茶と、無言の空間だった。

 

 

 

「……ご休憩を、陛下」

 

 

 

ミュラーがそっと声をかけるが、皇帝は応じなかった。ただ、視線を窓の外――薄く雪の降る中庭へ向けたまま、言葉を継いだ。

 

 

 

「クレメンスは、どう思っているのだろうな。いや……本当のところを、だ」

 

 

 

「……分かりかねます。ですが、今の閣議での沈黙は、敵意ではなく――」

 

 

 

「迷い、か」

 

 

 

皇帝は静かに頷いた。

 

 

 

「私が望んでいるのは、彼らを越えることではない。“彼らと歩む”ことだ。だが……あの場の空気は、もはやそれを許してくれなかった」

 

 

 

ミュラーは黙していた。

 

――今の陛下は、過去の皇帝たちとは違う。

 

勇猛でも剛毅でもない。だが、その分、静かに押し通す力を持っている。

 

そして、それはときに、誰よりも孤独な道を選ばせる。

 

(ならば、陛下を一人にはさせまい)

 

ミュラーは心の奥でそう誓った。誰よりも先を行こうとするその背に、せめて影のように付き従う者が一人でもいるのなら――

 

この帝国は、まだ沈まぬ。

 

 

 

 

ベルリン市内の官舎にて数人の若手官僚が集まっていた。

 

 

「……通達を見たか?“皇帝陛下の意向を前提とした制度案の整理に着手せよ”だとさ。クレメンス長官名義でな」

 

 

 

「ということは、やる気か?マジで?」

 

 

 

「形式上はな。ただし草案整理には、例の“シュトルフ”とかいう奴が入るって話だ」

 

 

 

「また妙な奴を……」

 

 

 

部屋の奥、黙っていた男がゆっくりと口を開く。

 

 

「……おい、お前ら。シュトルフって奴、知ってるのか?」

 

「名前だけ。直属でもないし、顔も知らん。陰気な奴って噂だけは聞いたが」

 

「陰気? 逆に妙に熱いって聞いたぞ。帝国を一つの有機体として再設計すべき――とか。そういう奴だ」

 

「……陛下の好みに刺さりそうな言い回しだな」

 

誰かが鼻を鳴らす。

 

「で、何だ。理念を信じているとか、方便を陛下に言ったのか?ソイツ」

 

「理念って言葉が、ここまで気持ち悪く聞こえたのは初めてだな」

 

苦笑とともに書類を机に放る男。

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

別の男が呟く。

 

「誰が陛下の耳に入れた? どうせ誰かが裏で繋いだんだ。そうでもなきゃ、あんな無名が――」

 

「現場の声ってやつを上手く使ったんだろ。陛下が乗ってくるようにな」

 

沈黙。

 

「くだらねぇ……。結局、俺たちはただの歯車か。新しい軸に合わなきゃ、切り捨てられるだけ」

 

「でも従うんだろ? 命令が下りてきたら、俺たちは――」

 

「……」

 

誰も続けなかった。

 

窓の隙間から、冷たい風が吹き込む。

机の上から滑り落ちた一枚の書類を、誰も拾おうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

数日後。王宮の私的執務室にて。

 

 

 

「この報告書を、見ていただけますか」

 

 

 

クレメンスが手にしていたのは、統合演習の試行報告だった。冷静な筆致で書かれていたが、随所に既存の体制との齟齬が浮き彫りになっていた。

 

 

 

「制度の整理と補正は、避けられそうにありません。ただ……」と、クレメンスは珍しく言葉を選んだ。

 

 

 

「この機会に、抜本的な見直しを図るべきだと考えます。陛下が仰るように、手段のための制度ではなく、目的のための制度が必要なのかもしれません」

 

 

 

「……君がそう言うとは、思っていなかった」

 

 

 

皇帝はほんの少しだけ、唇を緩めた。

 

 

 

「誤解されているかもしれませんが、私は陛下に反対していたわけではありません。ただ……あまりに急進的すぎると、制度そのものが破綻しかねないと考えていたのです」

 

 

 

「分かっている。それでも、時間が足りない」

 

 

 

「ええ。だからこそ、制度の外から動かす人間も必要になります」

 

 

 

クレメンスはそこで一瞬間を置き、低く続けた。

 

 

 

「……シュトルフのような、若い風が」

 

 

 

皇帝の瞳が細くなった。

 

「彼は、君たちのにならないか?」

 

 

 

「むしろ、私たち自身の試金石になるでしょう」

 

 

 

沈黙が二人の間を流れたが、それは前のような不信や警戒ではなかった。

 

 

 

同じ国の未来を見つめる者同士が、ようやく同じ地図を手にした――そんな沈黙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、鉄道統合法の草案会議が非公開で始まった。

 

中心に据えられたのは、兵站統合室と内務省、そして軍政局からの折衷案であり、シュトルフが加わった。

 

 

 

彼の名はまだ広く知られていなかったが、内部ではこう呼ばれていた。

 

 

 

――皇帝に選ばれた官吏。

 

 

 

 

 

その背後で、ミュラーは静かに筆を進めていた。

 

皇帝の命によって作成されつつある制度改革草案。将来的にそれが議会に提出される日を見越しながら。

 

 

 

「……果たして、間に合うのか。陛下の歩みが、時代に追いつかれる日は」

 

 

 

だが、答えはない。

 

その問いだけが、冬の空の下に漂い続けていた。




1912年1月

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