皇帝陛下に憑依中 ~ドイツ皇帝として歴史に抗う~   作:Core472256

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夏の硝煙

1911年7月。ベルリン。

 

「……それで、陛下は何をお望みなのです?」

 

内務国家秘書官クレメンスの声は、いつも通り冷静だった。だが、その言葉の端々にはどこか棘があった。

 

(この声ももう聞き慣れた)

 

前よりも口調に“棘”がある。けれど、それは感情ではなく、あくまで事実に忠実であろうとする誠実さの裏返しなのだろう。

表情は相変わらずだが、どこか“黙って観察している”気配は、日に日に濃くなっている。

 

(警戒か、興味か――あるいは両方か)

 

「明快だ。補給体制の再編。鉄道網の整理と、軍事輸送の中央統制権限を帝国側へ移管する」

 

そう言って、俺は、用意していた書類を前に出した。

 

そこには、西部戦線を想定した輸送線の再構築案と、諸邦からの徴発ルートの見直し案が記されている。前月に終えた視察と、数週間かけた統計資料の精査の成果だった。

 

「陛下。これでは、バイエルン、ザクセン、ヴュルテンベルク各邦の権限を大きく削ることになります。連邦議会が納得するとは思えませんが」

 

 

「わかっている。しかし、戦争は我々が納得できる形で始まってはくれん」

 

 

「そもそも、なぜ今なのでしょうか。陛下が鉄道時刻表にまで関心を寄せられるとは、軍部の間でも話題になっております。ある意味で、我々は歓迎すべき変化かもしれませんが――」

 

 

「……だが、変化には常に代償が伴う。そう言いたいのだろう?」

 

クレメンスは否定も肯定もしなかった。ただ、書類の束をめくる。

 

「補給の軽視は、帝国陸軍の病理です。皇帝陛下がその是正を望まれることは、確かに意義があります。ただ、現状では――」

 

彼はページを指先で弾いた。

 

「――財政も、鉄道も、人も、余裕がない」

 

室内が静まり返る。

この国の根幹に手を入れるには、戦争が来るという大義が必要だった。だが現状、誰もが信じていない。戦争が起こる、と。

 

それが最大の壁だった。

 

皇帝の異常なほどの執着を、周囲はまだ熱意とは受け取っていない。

――警戒、困惑、あるいは滑稽と見ている。

 

デルブリュックが口を開く。

 

「陛下。……失礼ながら、フランスとの緊張が高まっているとする情報も、外交経路では確認されておりません。

先月のベルギーでの商社活動の増加も、少なくとも今のところは経済的関与にとどまっております」

 

「それが仮面である可能性は?」

 

「可能性を語れば、いかようにも。我々の務めは、実利です」

 

その言葉に、胸が冷えた。

それでも俺は言った。

 

「戦いは、いつも“準備していない側”が負ける。今、我々は備えなければならない。間に合ううちにだ」

 

デルブリュックは黙したまま頭を垂れた。

 

納得したのか、それとも諦めたのか。それは分からなかった。

 

 

夕暮れの光が、煤けた窓の格子から差し込んでいた。

 

軍の臨時本部とされた古い兵舎の一室――通称「集会所」と呼ばれる将校専用の控え室では、数名の参謀将校が静かに報告書をまとめながらも、その手は止まりがちだった。

 

ここ数日、視察に訪れていた皇帝ヴィルヘルム二世が残していった痕跡の重さが、彼らの思考から離れないのだ。

 

「……で、また補給に口を出されたそうだな」

 

口火を切った中佐は、四十代の中堅。喫煙で荒れた喉、汚れた軍服の襟、皮肉と現実主義の板挟みに慣れた目――

典型的な“現場型”の軍人だった。

髭に灰が絡んだ葉巻を灰皿に押しつけながら、嫌悪でも驚きでもなく、ただ困惑のような響きで言った。

 

「ええ。補給経路の各段階に、皇帝陛下直筆の注釈が入っていたと聞きました。しかも、現場の鉄道曹長とも直に話をされたとか」

 

 

応じたのは若い大尉だった。現地で直接視察に帯同した彼は、手元の報告書に目を落としながら声をひそめる。

 

「時刻表、予備経路、橋梁の重量制限まで――すべて頭に入っておられたようでした。演習視察というより、検閲のようで……」

 

「……異常だな」

 

「陛下は、昔から戦場ごっこがお好きだったが、こんな形で実際に踏み込む方ではなかった」

 

「今の陛下は、“戦争を起こすつもり”にも見える」

 

ぽつりと、最年長の准将が呟いた。

 

その場が静まりかえる。

 

「……冗談じゃないぞ。現在の国際情勢で、我が帝国が先に動くなど!」

 

「仮に我が軍がいま侵攻準備を始めたとして、我々は即応できるか?」

 

「できるわけがない。我々の兵站はまだ地方分散のままだ。鉄道の中央統制も未完成。砲弾備蓄も、動員体系も――」

 

 

「……それを変えようとしているのが、今の陛下なのだろう」

 

一瞬の沈黙。そして、別の声が低く言った。

 

「陛下の動きは、演習の枠を越えている。補給、鉄道、徴発、動員、産業管理、果ては外交線の遮断まで……」

 

「いや、それ以前に……陛下の目が、違っていた。演習中、直接話した連中が言っていた。」

 

「正気なのか?」

 

「わからん。ただ……何か覚悟のようなものを感じたとだけ言っていた」

 

誰も、すぐには言葉を返さなかった。

 

「……では、我々はどうする。仮に陛下が本気で“戦争の準備している”とすれば?」

 

「本来なら、止めるべきだろう。だが、その覚悟に触れてしまった者は、逆に――」

 

「従うしかなくなる」

 

集会所に、カチリと時計の音だけが響いた。

 

その日、将校たちは報告書を出すのを一日遅らせることとなる。

彼ら自身が、これから始まるものをまだ信じきれていなかったからだろう。

 

 

(やはりこの国は、見かけほど盤石ではない)

 

列強に並ぶ経済力も技術力もある。

だが、その下支えとなる制度――鉄道会社の国有化、物資輸送の一元化、農村部の徴発整備、そして国債の再設計いずれも、継ぎはぎと前例主義で固められた泥船のようなものだ。

 

民間経済も、楽観とはほど遠い。

世界市場の波に飲まれた鋼鉄産業と、保護主義の名のもとに政府と癒着した化学企業たち。

帝国の経済は競争力を育てるどころか、権益と相互依存でがんじがらめになっていた。

 

「改革なくして、勝利なし……か」

 

俺は、戦争に勝つために戦場を変えようとしている。

だが、同時に変えねばならないのはこの国の“背後”――経済、財政、官僚制の芯だ。

 

しかし――

 

(それが、おれにできることなのか?)

 

制度の壁は厚く、抵抗は根深い。俺の言葉はまだ、“奇妙な関心”でしか受け止められていない。

 

「だが、やるしかない。」

 

背後に控えていた侍従が声をかけた。

 

「陛下、お時間です。次の報告は、帝国銀行からになります」

 

「ああ……行こう」




1911年7月
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