皇帝陛下に憑依中 ~ドイツ皇帝として歴史に抗う~ 作:Core472256
本編は本日19時に更新します。
一話から最新話までの太字の修正とルビを振りました。
また現在一話から最新話までの人物描写の修正をしています。
感想・評価・お気に入りもぜひ!
沈黙の距離(ミュラー視点)
――ゲオルク・フォン・ミュラー記録より抜粋
皇帝陛下は、昔から“思いつきの方”であられた。
会議中に唐突に口を挟まれ、
だが、それはそのまま何も実行されぬ保証でもあった。
重臣たちは知っていた。
あの方の言葉は、熱と威厳を伴いながらも、ほとんどが数日後には霧散する。
……少なくとも、かつてはそうだった。
だが1911年の初頭を境に、その「霧」は晴れ始めた。
消えずに残り、
私はその変化を、誰よりも近くで見ていた。
最初に違和感を覚えたのは、二月の西部戦線視察の際だった。
陛下は以前なら、将校たちの戦術
だが、あの陛下が地図に食い入るように視線を落とし、幾度も質問をしたそうだ。
「補給はどこから行われている?」「予備兵力の配置は妥当か?」「鉄道線の荷重制限は考慮されているのか?」
驚きはなかった――目を見て、すぐにわかったのだ。
陛下は興味を持ったのではない。知ったのだ。
何かを、誰よりも早く。
三月に入り、私は鉄道網と兵站についての独自調査を命じられた。
その命令書は奇妙に整っていた。
文言は明確で、焦点も定まっている。
およそ「即興で思いついた」文書ではなかった。
内務省の報告によれば、いくつかの指示は軍政局の把握していない局地的な輸送障害にも言及していたという。
私は
「この情報はどこから得られたのですか?」と
すると「見た」とだけ返された。
それが現地での“視察”を意味したのか、私はそれ以上は問わなかった。
春の間、陛下は次第に「制度」そのものにも言及し始められた。
軍事ではなく、政治と経済の領域で。
それも、単に口を出すのではなく、自ら学び、整理した上で語られるようになった。
鉄道財政、税制の調整、商工会議所との関係、その他にも……
陛下がそうした分野に本気で踏み込むなど、以前であれば
だが今や、省庁の事務方が戦慄を覚えるほど、皇帝は細部に踏み込んでこられる。
ある外務省の若手が私に言った。
「まるで、何かを止めようとしているような印象です。
陛下は、”未来”でも見て動いておられるのではありませんか?」
未来――
冗談めかした口調ではあったが私も同じ感覚を抱いていた。
あの方は、我々の時間とは別の地平に立っておられる。
◆
兵站統合室設立の打診がなされ、軍政局、鉄道局、財務局との調整が開始された。
だが、その情報は官僚組織の中で静かに波紋を呼んでいた。
「参謀本部がこのまま黙っているとは思えません」
「バイエルン王国鉄道が協力を渋っている。陛下の動きは
「民間にまで波及するのでは? それは国家の輪郭そのものを動かす行為です」
現場の将校や書記官たちは、一様に困惑と警戒を抱いていた。
そして、その誰もが口を揃えた。
「今の皇帝陛下は、以前とは違う」と。
私の元にも、毎日のように非公式な報告が集まってきた。
誰もそれを公式文書にしようとはしなかった。
なぜなら、書いた瞬間――それは政変の記録になってしまうからだ。
ある夜、私は
その地図の上には、何本もの赤線が走っていた。
鉄道線。補給線。動員予定路。
それらの線は、確かに陛下の指示によって動き始めていた。
だが私が見ていたのは、線ではなかった。
その下に潜む、意図だった。
陛下が見ておられるもの――それは我々が見ている「今」ではない。
私は、時折それを感じる。
会話の端々で、視線の揺らぎの奥に、誰も知らない何かを
陛下は、我々よりも先に、どこかを通過されたのだ。
いつ、どこで、何を経てきたのかは分からない。
だが、確かに――我々とは違う地点から、この国を見ている。
「ミュラー閣下、これから……いったい何が始まろうとしているのですか?」
財務次官のひとりが控え室で私に問うた。
その場にいた他の官僚たちも、目を合わせないまま耳をそばだてていた。
彼らは、知りたいわけではなかった。
ただ、“確信がほしかった”のだ。
かつて無関心の象徴だったはずの皇帝が、今や各省庁を跨ぎ、国政の機構そのものに手を入れ始めている。
それは静かだが確実な震動だった。
私は、ひと言だけ返した。
「――まだ何も始まっていない。だが、陛下は何かを終わらせようとしている」
その言葉の意味を、彼らがどこまで理解したかは分からない。
だが誰一人として、反論はしなかった。
同じ頃、軍政局経由で参謀本部の空気も伝わってきた。
曰く、皇帝の動きが軍の自由裁量を侵す兆しがある。
曰く、兵站統合は陸軍の機密を民間に晒す結果を招きかねない。
曰く、財務官僚と帝国鉄道局の協力体制は軍の動員体制を脅かす。
それらの懸念は、表向きは控えめな言葉で届いた。
だがその裏には、これ以上は譲れないという底意が確かにあった。
それは、軍の理屈として正しい。
だが私は、どこかで彼らが陛下の言葉を信じていないことに気づいていた。
いや、信じていないのではない。
理解できていないのだ。
あの方が、何を恐れ、何を焦り、何を止めようとしているのか。
それが見えないまま、改革の速度だけが上がっていく。
その落差に、軍も官僚もついてこられなくなりつつある。
私のもとにも、情報が集まり始めた。
ベルギー東部の鉄道増強。
仏将校のリエージュ滞在。
ロンドンとブリュッセル間の密使往復――
それらの断片が、あの方の机上にはすでに揃っていた。
おそらく、私が目にするより早く、あの方は兆しを掴んでいたのだろう。
だが、それらをどう捉えるか。
陛下は何も言わなかった。
私はただ、その視線の先に広がる沈黙だけを、黙って見ていた。
皇帝に仕えるとはどういうことか。
私は軍人として、そして記録官としてその傍らにいた。
観察し、記録し、報告し、必要であれば忠告も行う。
だが、今の私はそれを躊躇していた。
なぜなら、彼が見ている世界を、私はまだ知らないからだ。
彼が何を思い、何を選ぼうとしているのか。
それは、あるいはこの帝国にとって変革であり、同時に賭けでもある。
このまま進めば、制度は変わる。
だが、変化の先にあるものが栄光か、崩壊か――誰にもわからない。
だからこそ、私は記録を残す。
この国の未来が、もし変わるとすれば、
その最初の兆しは――きっと、この沈黙の中にあったのだと。
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