金の香りに誘われて   作:桜ノ宮雨

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四日目

「う、ん…………」

 目を覚ますと、いつの間にか布団で眠っていた。恐らくセツが、泣き疲れたわたしを寝かせてくれたのだろう。当の本人はもう既に何処にもいない。

 

「おぉ、起きていたか」

 と、思っていた矢先に庭から帰ってきた。腕には何やら様々な食材が入った籠を持っている。

「有力な情報が手に入ったぞ。しかしその前に飯だな……ちょっと待ってろ」

「ね、ねぇ」

「ん? なんだ?」

「もしかして、寝てないんじゃないの?」

 

 そう、ずっとそれも気になっていた。

 わたしの知る限り、セツが寝ているところを見たことがない。むしろしょっちゅう欠伸をしている感じがする。もしかしてわたしが寝ている間も、こうやって情報を集めていたんじゃないだろうか。

「……いィや、ちゃんと寝ておるよ。お前さんが寝た後にな」

「でも妖って昼と夜、本来逆なんじゃ……」

「──ここから西で、金木犀を見たと言うやつがいた。急げばまだ間に合う」

 わたしの言葉を遮り、彼はニッコリと笑う。

 

「今日中、だもんな。大丈夫。帰れるぞ」

 グッと胸が詰まる。その笑顔は、卑怯だ。その笑顔を見せられたら、何も言えなくなってしまうじゃないか。

 そんなわたしの頭をポンポンと撫でると、彼はわたしの横を通りすぎて台所へと向かった。

「待って」

 わたしはそれを引き止める。

「なら、わたしもご飯作るの手伝う。二人の方が早いでしょ?」

「だが……」

「それぐらいできる。せめてそれぐらいは、させてほしい」

 真っ直ぐわたしは彼を見つめる。彼も同じようにわたしを見ていたけれど、やがて小さく息を吐いて「おいで」とわたしを手招きしてくれた。

 

 

 朝食を終え、わたし達は情報通り西の方へと向かった。

「ねぇセツ、なんであなたはこんなにわたしを助けてくれるの?」

「うーむ、そうさなァ……」

 向かっている途中、わたしはずっと気になっていた質問を投げかける。すると、今まで何でもスラスラと答えてくれたセツが珍しく詰まった。

「ただの気まぐれさ」

「本当に?」

「本当さ」

「ふーん…………」

 そこでプツリと会話が途切れた。分かってはいたけれど、やはりセツは自分のことを話してくれない。そりゃそうだ。だってわたしも、自分のことを一切話していない。話す必要が無い。それにここで自分のことを話すのはいけないことなんだったっけ。

 

「──本当に、ただの気まぐれだったのだ」

 不意にポツリと、囁くような言葉が聞こえた。ハッとわたしは前を向く。

「気まぐれだったはずが、いつしか魅入ってしまった。儚いからこそ、力強いものに……」

 それっきり、その声は何も紡がなくなった。けれどそのたった一言二言に、先程の答えが全て詰まっている気がした。

 だってその声はどこまでも優しく、どこまでも悲しい響きを含んでいたから。

 

「近いな。きっとこの付近にいる。この辺りを詳しく見てみるか」

 言いかけたわたしの動作を遮り、セツが歩き出す。

 わたしは何も言えないまま、その後を追って行くしかなかった。

 

 

「あった! あったよ!」

 金木犀の香りに誘われて着いた先は、見事な橙色の花をふんだんに付けた小さな木だった。私は急いで駆け寄った。

 

「──なァ、このままタダで帰れるとでも思ってるのか?」

「え……?」

 

 途端、私を取り巻く空気が重くなる。最初にここに来たときの、あの感覚だ。振り返ると、彼はニヤリと怪しげな笑みを浮かべていた。

「古来より人の子というものは弱く、そして美味だと言う。つまり俺らにとってのご馳走だ。それを我慢してお前を他の輩から守ってやったのに、お前は何も見返りを渡さずに帰るのか」

「……何が欲しいの?」

「そんなこと聞いて大丈夫なのか? 俺の欲しいものは、さっきの話でなんとなく察しがついているだろう? せめてそれと同様のものを貰わないとな」

 わたしは少し黙り込む。と言っても、確かに彼が一番に欲しがっているものはすぐに分かっていた。あとは覚悟を決めるだけ。

 

「…………じゃあ、いいよ」

「………………は?」

「わたしを食べたいんでしょ? いいよ、食べて」

 

 自分からわたしを食べたいと言った癖に、彼は面を食らった声を出した。わたしが了承するなどとは、まさか思っていなかったみたいに。

「……お前、自分の言ってることわかってるのか? ここで食べられたら、お前が必死こいて出口探した意味が無いじゃないか」

「うん。でも、それぐらいしかわたしは貴方に見返りを渡せない」

 そこで一度、わたしは息を吐いた。

 

「……本当はね、最初からわたし、自殺するつもりだったんだ」

 

 わたしはここに偶然迷い込む羽目となった、本当の理由を彼に話す。彼は大きく息を呑んだ。

 

「わたし、学校でいじめられててさ。いじめられてた子助けたら、次の標的になっちゃった。水掛けられたり、教科書捨てられたり……古典的なやつ。で、前にいじめられてた子はそんなわたしを知らんぷり」

 

 ぽつり、ぽつりと最後の独白をする。そんなわたしを、セツは黙って聞いてくれた。

 

「悔しかった。惨めだった。『こんな苦しい思いするぐらいなら、助けなきゃ良かった』って何度思ったことか。

 でも、偶然だけど、こんな訳の分からない不思議な世界に迷い込んで、何もかもが怖かった。でも、あなたが助けてくれたから。唯一この世界で……いや、“わたしの世界”でわたしに優しくしてくれたから……あなたになら、食べられてもいいかなって」

 

 このたった数日で、わたしは彼に全幅の信頼を置くぐらい、心を許していた。わたしを無条件で助けてくれた。わたしを無条件で信じてくれた。それもこれも全て、わたしを食べるためだったと聞くと、少し悲しいが納得がいく。折角のご馳走が逃げてしまうからだ。

 

 でも、そうであっても、わたしは彼に感謝をしてもしきれなかった。こんなに優しくされたのは初めてだったから。もう人生を諦めている身。どうせなら、感謝している妖に食べられた方がよっぽど有意義だ。

 

 彼はわたしの言葉にア然としていた。

 しかし、やがてあっはっはと軽快に笑い出した。いつもの彼のように。

「あー……何故、俺の周りの人はこうも食べられたがる奴が多いのかね」

「えっ?」

「やっぱり、お前さんは面白い。おかげで随分と楽しませてもらった。もう充分だ。ほら、さっさっと行きな」

「でも……」

 困惑するわたしに彼はふっと笑みを浮かべる。そして目線を合わせ、お面を少し捲った。片目だけ見えた瞳は柔らかく透き通った、綺麗な黄緑色だった。

 

「『怖い』と感情が湧くのなら、お前さんはまだ生きている、生きていたいと思っている証拠だよ。死にたいと思う場所に何の意味がある? 戻った先にも、もちろんここにも、お前さんの居場所は無いよ。もっと別の場所だ。それを探すのが“生きる”というやつなんじゃないかね」

 わたしはハッとした。さっきの「食べる」という言葉は自分をここに縛らないための脅しで、この妖はどこまでも優しいということに。

「……本当は、食べる気無かった癖に」

 わたしがボソッと呟くと、彼はニコッと人当たりの良い笑顔を見せた。

 

 そして温かい笑顔を手向けに、わたしはその世界を後にしたのだった。

 

 少女が歩いていった、金木犀香る細道の先を見つめる。

(無事、辿り着けるだろうか)

「セツさまぁ〜〜〜〜!」

 突然、小柄な少女がセツの名前を叫んだ。

 

「もう! ずいぶん探しましたよー! 『面隠しの術』はお使いにならないでと、あれほど申し上げたはずですが!」

「あぁカエデか。久しぶりだな」

「『久しぶりだな』じゃないです! みんなどれだけ貴方様を心配してお探ししたことか! いつも急にふらりとお出掛けになるのはやめてください!」

「なに、領地内の住民の暮らしぶりを見て回るのも、主としての務めだろう?」

「貴方様の場合はサボるための口実でしょう!」

 カエデと呼ばれた少女はぷりぷりと怒りながらセツを咎める。

 

「さぁ、そろそろ帰りますよ! 『羅刹様』! 仕事がたんまり溜まってて、同じ北の主である夜叉様達がお怒りなのですから!」

 

 彼が面を外す。すると狐のような耳やふさふさした尻尾は煙のように消え、額から肌色の何かが盛り上がった。

 さっきまでいた、お調子者の狐の青年はいなくなった。

 そこにいたのは、威厳備えた見目麗しい、黒き鬼神の姿。

 

「わかった、わかった。でも、怒っているのは地夜叉だけだろう? アイツは俺のことを目の敵みたいに嫌っているからな」

「ご冗談はよしてください! もう代わりに怒られるのはごめんです!」

「お前……それが本音だろ。相変わらず、お前は俺に容赦無いねぇ」

「私は貴方様のお目付け役でもありますから!」

 フンっとカエデが鼻を鳴らす。

 

 金木犀を見上げ、セツは昔のことを思い出した────

 




もうちょっとだけ続きます
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