【完結】担当に適度な距離感置いてるつもりのお前と距離感測る物差しを歪めてくるタイプの担当 作:半ドロメダ
いかにもな悪人ヅラした悪人はいないし、詐欺師は大体キッチリした格好をしている。
どうもそういう意味ではあなたには稀代の大悪党の素質がありそうだ。
鏡の中からいかにも寝不足といった様子であなたを睨む二十数年付き合った顔は、慣れない残業に心を荒ませた新社会人のような表情をしている。
とてもメディアで言われるような『新世代の天才』だの、『若き名伯楽』だの、大仰な煽り文句に釣り合いが取れるような貫禄はこれっぽっちも無かった。大学に入る時に買ったスーツにすら未だに着られている始末であるからさもありなん。
顔を冷たい水で洗えば、しつこい眠気も多少は洗い流される。
十二月を目前にした初冬、冷たい雨の降りしきる午後。あなたの業務は多岐にわたるが、現在は事務作業をこなしている。
なんともありがたいことに、あなたの担当はG1を含む重賞を複数勝利し、そのおこぼれに与る形で割り当てられた個人トレーナー室の設備はちょっとしたものだ。
備え付けのデスク、ホワイトボード、応接用のローテーブルにソファ、果ては簡易シャワーに仮眠室まで付いている。年中仕事の絶えない腕利き達の中には、その居心地の良さと利便性にかまけて週の大半をここで寝起きする者も少なくない。
むしろあなたもその一人だ。しかし他の多忙を極める、複数のウマ娘を担当しているようなトレーナーとは少々事情が違い、多少経験を積んだ程度で未だ若輩の域を出ないあなたは残業と泊まり込みの結果としてそうなっているに過ぎない。
だから練習がオフの日であっても、あなたに休息の時間はない。なんなら担当と顔を会わせている時間より資料とにらめっこしている時間の方が長いかもしれない。別に文句はないが。貰うモノは貰っているし、好きでやっている仕事だ。
とはいえ、カンヅメが長引くと流石に気が滅入ってくる。
晴れた日であれば、あるいは雨であっても暖かければ、トレーニングをしているウマ娘とそのトレーナー達の声が外から聞こえてくる。いつもはその声、青春の熱の欠片をBGMに仕事をしているが、今や暦の上では冬。好んで雨に濡れるような輩は……まぁ心当たりはあるがともかく。
聞こえてくるのが雨音ばかりではなんとなく人恋しく──ノック音。
どうぞ、という前に扉が開いた。
「や、トレーナー。こんにちは」
「こんにちは、シービー。……ノックまでしたなら中の人の応答を待つべきじゃないかな?」
「そこはほら。アタシとトレーナーの仲だから、ね?」
「その言葉を文字通りに捉えるならやっぱり待つべきだと思うけどね。風邪引く前にシャワー浴びて着替えてきな。水拭いてから上がってね」
予想通りの少女が予想通りの姿をして立っていた。長い黒鹿毛。ずぶ濡れのくせに機嫌良さげに揺れる耳と尻尾。あなたの担当、ミスターシービー。
……担当と顔を会わせる時間が短いというのは正しくないかもしれない。なにせ、用が無くても向こうから会いに来るのだから。
彼女の担当になってからこっち、似たようなやりとりを繰り返すこと数回。入口ドア付近に準備しておくようになったタオルをミスターシービーに手渡す。彼女は一言礼を言うと、大雑把に水気を拭いてさっさとシャワールームに向かった。あなたも慣れたもので、横目で見送りながら電気ポットを置いてある棚からマグカップを二つ取り出した。ここいらで一息入れるのも悪くない。
ポットのお湯が沸くのを待ちながら、なんとなく彼女と担当契約を交わしてからの時間を思い出す。
ミスターシービーという少女は、今まであなたがトレーナーとして関わったことの無いタイプのウマ娘だった。
かつてレース場をその脚で沸かせた母親。父親が元トレーナー(それも並みの腕ではない)という環境。レースでの活躍を約束されたような出自であり、実際に底の見えない才能は多くのトレーナー達を惹き付けた。
しかし、曲がらない信条に裏打ちされた奔放さを扱いかねた者達は次第に遠ざかっていったし、それを御せると思った者達は彼女自身が遠ざけた。
言ってしまえば、普通のトレーナーには手に負えないという意味で、ミスターシービーは気性難だったのである。それも結構な。
一方その頃のあなたはと言えば、トレーナーとして独立してから初めての担当を苦心しながらも大きな怪我無く送り出し、緊張の糸がだるんだるんに緩んでいた時期である。
レースはしたいが、URAの制度上トレーナーとの契約が必要で、しかし反りが合わない相手で妥協するつもりは更々ない。
そんなミスターシービーにとって、あんまり口うるさくなさそうで最低限の(トゥインクル・シリーズを走りきれた)実績を持つあなたは、悪くない物件に見えたことだろう。
というかそうでもなければ逆スカウトをカマされたことに説明が付かない。トレセン上層部からさっさと次の担当を見つけるようにせっつかれていたこともあり、あなたは差し出された手をホイホイと手に取って──
──現在進行形で神話を記す栄誉を賜ったのである。
「あ、トレーナー?」
その神話の主人公はと言えば、シャワールームの扉からひょっこりと顔だけを覗かせていた。
「バスタオルどれ使ったらいい?」
「棚の上の籠に新品入ってるから、それ使って」
「はいはーい」
顔が扉の中に引っ込んでガサゴソやっている音を何とはなしに聞いていると、電気ポットが甲高い電子音で『きらきらぼし』を奏でる。インスタントコーヒーの瓶を開けながら、あなたはふと思った。
しっかし、最近の
◇
降り続いている雨はまだ止む気配を見せないが、日が沈む頃には晴れるらしい。
ほかほかと湯気を立てながらシャワールームから出てきたあなたの担当は、いかにもそれが当然とでも言うようにドライヤーとヘアブラシを差し出してきた。脱衣所に置いてあった物をわざわざ持ってきたようだ。
「はい」
「……うん、あのね。風邪引くから髪濡れたらちゃんと乾かしなさいって前から言ってたよね?」
「? うん。だから、はい」
「…………ねえ、シービー」
「風邪引いちゃうよ?」
「………………」
引くのは君だぞ、という言葉は呑み込んだ。言っても無意味であることは承知している。真面目くさった表情で小首をかしげるミスターシービーからドライヤーとブラシを受け取った。
問題児は美味くも不味くもないコーヒーが入ったマグカップを片手に、打ち合わせに使うソファの上でテレビ(あなたが持ち込んだ)をザッピングしている。少なくとも、天気が良くなるまでは居座るつもりのようだ。
あなたとしては彼女の相手をしていると作業の手が止まってしまうのだが、ちょうど集中の糸が途切れがちなところだった。根を詰めてミスしては元も子もない。
加えて担当とコミュニケーションをとるのはお互いの信頼関係構築の大前提であるし、今後のスケジュールやメディア対応など、ミスターシービーの意向無しには決められないこともある。
ヘアブラシで髪を梳かしながら温風を遠目から当てていく。この能天気ガールの担当になってから、他人の髪を梳かすという行為にも随分慣れたものだ──トレーナーってそういう仕事だったっけかな。でも実際今やってるしな──。
一瞬脳裏をよぎった常識は、実像を結ぶ前に急速に風化して朽ちていった。代わりと言っては何だが、重く深い溜息がこぼれた。
「ん、お疲れだね。今ってそんなに仕事忙しいの?」
「まぁ、ね。……半分くらいは君のおかげでもあるんだけど……嬉しい悲鳴ってことにしておくか」
「どういたしまして」
「……言っとくけど、君もしばらくレースは休むんだ、雑誌のインタビューやらテレビ出演やら、今までの比じゃないくらい増えるから覚悟しておくように」
えー、と率直にぶーたれている様子からは想像もできないが、目の前にいるこの少女は、十数年の時を経て再び現れたクラシックの三冠を戴くウマ娘である。
ちょうどワイドショーのスポーツコーナーがトゥインクル・シリーズを特集している。内容はついこの間終わったばかりの菊花賞、そしてあなたの担当について。
少なくともこの一週間、あなたはミスターシービーという文字を、あらゆる媒体で見かけない日は無かった。
本当にそんな偉大なウマ娘には見えない。
ターフの上に立っていれば話は別なのだが、あなたはちょっとそれ以外の姿を見過ぎたのかもしれない。彼女の後輩達の中にはその自由な振る舞いに憧れる者も多いと聞くが、こんな感じのが量産される可能性を考えると若干頭が痛い。
「お、トレーナーのインタビュー」
あなたは三冠ウマ娘ですら反応できないスピードでテレビのリモコンを奪い取る。適当にチャンネルを変えると、ローカル旅番組の途中だった。最近のゴールデンではあまり見かけなくなった芸人がバスに揺られながら、毒にも薬にもならない話をしている。
既にテレビに興味は無いのか、ミスターシービーはスマホをいじり始めた。いつもプラプラしているくせに旅番組はお気に召さなかったらしい。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃん」
「……映像通して客観的に見る自分ってめちゃくちゃ恥ずかしくない?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。カッコいいよ、メディアの前だといつもよりキリッとしてて」
「それを自覚的に見るのはツラいんだよね……」
「素で対応しちゃえばいいのに」
「ふーーむ」
『ふーーむ』の中にはあなたなりの葛藤と矜持がミルフィーユしているが、要するに。
「ナメられたくないし?」
言葉を飾らなければこんなもんである。
この返答の何が気に入ったのか、あなたの担当は相変わらずスマホをさかさか触りながらニコニコしている。
「うん。トレーナーはそれでいいと思うよ」
年下だというのに謎の上から目線を感じるが、別に腹も立たないのは彼女の実績故か、それとも人徳か。
雨はまだ降り続いている。ホワイトノイズにも似た雨音に、この空間が世界から隔離されてしまったかのような錯覚を覚えた。
髪を乾かし終える頃には晴れているだろうかと、あなたは思った。
◇
「うん。トレーナーはそれでいいと思うよ」
ミスターシービーは大層ご機嫌だった。
トレーナーの向上心と負けん気、そしてそれを悟られまいとする──普通に察したが──心遣いが嬉しかった。
職業トレーナーの評価とはとどのつまり担当の戦績に比例する。
いかにプロスポーツ選手の側面を持つウマ娘と言えど基本的には思春期の少女。普段から自分に良くしてくれている相方のキャリアを背負っていることを重く受け止めた結果、メンタルを病んでしまう者もいる。一対一の専属なら尚更だ。
……ミスターシービーはそんな可愛らしいタマではないため気遣いは空振ったが、自分のためを思った言動に何も感じない程の枯れた感性ではない。
むしろ、担当のためならばと苦労を厭わないトレーナーの姿に接するたび、正体不明のざわつきが心臓の奥をむず痒くくすぐる。
とはいえ、やられっぱなしでは面白くないのも人のサガ。
視線をスマホからテーブルの上に移せば、特別美味くも不味くもないコーヒーが湯気を立てるマグカップが目に入る。しばらく前に持ち込んだ私物だ。
いつもは小さな棚の中で伏せられたトレーナーのマグカップの隣に、同じように置いてある。
丁寧に丁寧に髪を梳いていくヘアブラシ。レースの賞金で買ったちょっと良いドライヤー。どちらも持ち込んだ私物だ。
普段はトレーナーが百均で買ってきた籠に纏められている。
乾燥機に入れられた制服の代わりに着ているジャージ……はトレーナーの私物を勝手に拝借した物だが何も言われないので問題はない。
他にもクッション、寝袋、歯ブラシ……この部屋のいたる所で『ミスターシービー』の影が垣間見える。
最初はこんな感じではなかった。別に対応に壁があった訳では無いが、随所に『大人の配慮』を鋭敏に感じ取っていた。
トレーナーは、例えそれがトレーナー室であっても必要以上に部屋に彼女を上げることなど無かったし、髪を梳くどころか触れられる距離に近付くことも稀だった。
だった。
なんとかした。
ミスターシービーは「向こうから距離置いてるってことは無遠慮に踏み込んだら嫌われるかも……」などと悩んだりしない。セーフラインを感覚で見極めて相手のパーソナルスペースの内側に潜り込む程度造作も無い。
嫌い合っていないのならば、物理的な距離と心理的な距離は概ね比例する。一年ほど前までは『模範的なトレーナー』だった一人の大人は、『人たらしの天才』である少女と二人三脚でクラシック戦線を戦い抜いた結果、見事に感覚をバグらされて日常を侵食されていた。
「髪梳かすの上手くなったねぇ」
お陰様で、という感情が三つ四つ入り混じった声が返って来た。その手は淀みなく動いている。
心地良い刺激に身を任せたまま手の中のスマホに目を落とせば、トレーナーのインタビューが掲載されたニュースサイトが表示されている。
当たり障りの無い受け答えしかしていない本文を斜め読みし、コメント欄に目を通してみた。賛否が7:3といったところか。
誰も彼もわかっていない。アタシのトレーナーがどれだけすごいのか。
スマホの画面を落とし、もどかしい優越感を思うさま楽しむ。あのコメント一つ一つを添削してやりたい、と馬鹿げた考えが頭をもたげるが、トレーナー手ずから淹れたインスタントコーヒーで飲み下す。
わざわざそんなことをしている暇があるならもっとやりたいことがいくらでもあるし、仮に教えてやったとしてもわからない奴には絶対に理解できない。
コーヒーをもう一口。
今のままでも充分満たされた生活と言えるが、もっと多くを求めたところで誰に何を言われる訳でも無い。どうせまだまだ続くのだ。トゥインクル・シリーズは、戦いは、日常は、人生は。
雨はまだ降り続いている。ホワイトノイズにも似た雨音に、この空間が世界から隔離されてしまったかのような錯覚を覚えた。
髪が乾く頃には雨も止んでしまっているだろうかと、ミスターシービーは思った。
あなた:まだまだペーペーの新米。ミスターシービーから逆スカウトを受けて彼女の担当となった。若いということ以外は性別含め詳細な設定は無い。本筋には絡まないので好きに脳内補完して欲しい。でも書いていくうちにしれっと設定が固まっているかもしれない。もしそうなっても石を投げないで欲しい。
ミスターシービー:なんかめっちゃ強いウマ娘。なんかクラシック3冠になった。才色兼備で実家も太い。人生ガチ勢にしてエンジョイ勢でもある。
前担当ちゃん:当時ド新人だったあなたと二人三脚でそれはもう濃密なトゥインクル・シリーズを駆け抜けた。割と自然な流れであなたに好意を抱いたが、当時のあなたの担当に対する距離感はバグっていなかったし、前担当ちゃん自身がチキって踏み込めなかったため普通に送り出された。その時彼女は血涙を流したとか流さなかったとか。