【完結】担当に適度な距離感置いてるつもりのお前と距離感測る物差しを歪めてくるタイプの担当 作:半ドロメダ
ネット上で語られるトレセン学園(特に中央)は、日夜選ばれしエリート達がその類稀なるフィジカルでターフの上のシバき合いを演じる蠱毒の壺であるとされている。
その冗談──四割くらいは根も葉もない噂話である──を真に受けている人間には信じられないかもしれないが、トレセン学園にはその名が示す通りの教育機関(学校法人)としての側面がある。
トレーナーであるあなたは基本的にレースに関する側面のスペシャリストであることを求められるのだが、学校として行われる諸々にも全くの無関係ではいられない。
暇であれば──暇なトレーナーは稀だが──人手が必要なイベントに駆り出されることもあるし、担当(生徒)が練習や遠征で学園を離れることもある関係上、事務手続きや課題の面倒を見ることもあったりする。その他雑務もこまごまと。
そんな訳で練習終了後。あなたは教師から頼まれたプリント類をミスターシービーに手渡した。
「提出書類もあったから目ぇ通しといてね」
「ふんふん」
あなたの担当は気付くと何処かに消えているため、渡すものがあれば練習前後に顔を合わせた時にさっさと渡すようにしている。当の本人も慣れたもので、ざっと目を通してその場で記入できるものは記入してしまったりする。
さて、今回の提出物はと言えば。
「進路希望調査」
「そ、進路希望調査。このあと職員室行く用事あるから、今書けちゃったらこっちで提出しとくよ」
普通の学校に比べて、中央トレセン学園における進路希望調査は頻繁に実施される。競技者として在籍している者は特にそうだ。
ウマ娘の競技者としての全盛期は短い。例外はあれど、長くて五年が精々だ。怪我があれば、程度によってはそれより早く引退することもザラにある。
そして忘れてはいけないのが、彼女たちは殆どがティーンズであるということ。人生は大人になってからの方が長いのだ。
走っていられる内は走っていれば構わない。学園からしたって、走れなくなったからと言って放り出す訳では無い。
しかし、結局のところ自らの人生に責任を負えるのは自分だけなのもまた事実。遅かれ早かれ、いつかはターフを去る時が来る。いざその時が来たとき、何をすればいいかわかりません、で困るのは自分なのだ。
だから常日頃から意識させる。大半は目の前のレースに必死だが、それでも。少しでも。
中央ならば、進学(エスカレーター式だ)を希望すれば大学部で一通りの学位を得られる。一般大学への編入も可能だし、もちろん高卒扱いでの就職も可能。それぞれ見合った能力が必要なのは言うまでもないが。
ミスターシービーは空欄だらけの用紙を前に、むーん、と唸った。
「将来の夢、かぁ。進路希望聴かれるたびに考えるけど『コレだ!』って答え出たことないや」
「経験則から言わせてもらうけど、大人になると日常のルーティン化が進むからさ。大目標なり、マイルストーンなりが無いといつの間にかぬるっと年取ってくよ。怖いね」
「実感がない」
学生の内はそうだよねー、とあなたは同意した。
だが、この『自由奔放』という言葉をウマ娘の形に落とし込んだような少女が大人になった時、どうなっているのか、どうなっていたいのか。気にならないと言えば嘘になる。
テーブルの上に置いた調査票の前で本格的に悩み始めた担当を尻目に、あなたも自分のデスクでパソコンを立ち上げてデータ整理を始めた。
「なんかやりたいこと無いの? 冒険家でもやってそうだけど」
「刺激的ではありそうだよね。でもやりたくなったら何の仕事やってても趣味として冒険はしてるかも」
「アレな話、今年一年で今後食うに困らない程度は稼いだもんね君。そういう意味ではどんな仕事でも就けそうだね」
「冒険に出る時はトレーナーにも声かけるから」
「トレーナーって結構忙しいんだけどご存知でない?」
ミスターシービーは、いくつか用意されている希望就職先の空欄の一つに『冒険家』と書き込んだ。
「トレーナーはさ。どうしてトレーナーになろうと思ったの?」
「んー、昔からレースは好きだったし。事実として稼ぎもかなりイイからね。幸いなことにトレーナーを目指すだけの才能と環境にも恵まれた。妥協先としては百点だったんだ」
「妥協? 『中央のトレーナー』で?」
半ば驚き、半ば面白がるような、透き通ったブルーグリーンの視線がこちらを向いた。
言いたいことは理解できる。今まさにあなたが就いている仕事は、医者や法曹とまではいかずとも、それに準ずる程の難関である。
あなたとしてはこの立場になれた要因の8割は生まれだと思っている。両親には感謝してもしきれないが、不満とも言えない不満があった。
小っ恥ずかしくて誰にも打ち明けたことはないが、未来ある少女の参考になるならば披露するに吝かでない。
「ウマ娘になりたかったんだよね」
やはり気恥ずかしくて、大昔の話だよ、とパソコンから眼も逸らさずに言葉を継いだ。
へぇーっ、と当のウマ娘が声を上げた。感銘を受けているようであり、しっくりきていないようでもあった。
思わず笑ってしまう。持つ者め、持たざる者の気も知らないで。
「『昔からレースが好きだった』ってそういうこと?」
「もちろん見るのも好きだったけどね」
走ってみたかったというのが一番の本音だ。それこそ昔は本気で彼女らを羨んだものだった。
傍に立っているだけでも伝わってくるレースの熱。目には見えないモノのぶつかり合い。
テレビの画面越しに。
レース場で間近に。
ラジオの実況にさえ。
鍔迫り合う魂の火花を幼い日のあなたは幻視し、一瞬の輝きをそっくりそのまま自分の魂に焼き付けた。『灼かれた』のである。
「ウマ娘になりたかった、かぁ。時々聞く話だけど身の回りにはいなかったなぁ」
「言葉にしないだけで結構いただろうね。それこそ走ってるシービーに憧れたヒトが」
「走ってる姿に……? アタシはよくわかんないかも。走ることが楽しいワケじゃない?」
「でも好きでしょ、トウショウボーイ」
「うん」
トウショウボーイ。
独立したてのド新人時代のあなたが思春期少女を相手に四苦八苦していた頃、トゥインクル・シリーズで一際輝きを放っていた者の一人だ。
低く構えた体勢からの大きなストライドで、重力を感じさせずに駆け抜けていく様は優美でさえあった。『天マ』とはよく言ったものである。
ミスターシービーはこの天マが大層好きだったらしい。本格化前の一時期など、のめり込み過ぎてフォームを崩しかけたというのだから、よほど熱を上げていたのだろう。
この話を聞いた時、興味と衝動に従って生きるあまりの彼女らしさに少し笑ってしまったものだった。
話を戻すけど、と前置く。
「シービーみたいなウマ娘の将来っていうのはつまり、レースから身を引いた後のことだから。それでも形を変えてレースに関わり続けるのか、全く別の道を歩むのか。そこから考えてみるのもいいんじゃない?」
「レースから離れた後……」
呟いたきり動かなくなってしまった担当を見て、あなたもデータ整理を再開する。
しばらくキーボードの打鍵音だけがリズミカルに響いていたが、突如耳をピンと立て、何かを思い付いた様子のミスターシービーが何かを調査票に書き込んでいく。
書き終えた用紙を見やり、むふー、と満足気に一息。立ち上がってあなたのデスクまで来ると手に持ったそれを突き出した。
「できたよ」
見てもいい? もちろん。
短いやり取りを挟みつつA4用紙を受け取る。
自分とはまた違う、感性の世界に生きる彼女の内心はいかなものか。どれどれ、とあなたは少女の将来に思いを馳せた。
◇
「レースから離れた後……」
正直なところ、自分がレースをやめる未来をミスターシービーは想像できなかった。
レースの熱に灼かれているのは彼女も同じだ。むしろウマ娘としての本能と結び付いているだけ、その熱はなお激しい。飄々とした外面を一皮剥けば、灼光を放つマグマが総身を渦巻いていることだろう。
就職した先輩も、進学を選んだ先輩も知っている。例えばトウショウボーイなどは進学組だ。
いずれにせよレースには関わっていたいと思うので、現実的には進学か。レース興行は多くの側面において専門性を求められるので。
例えばURA職員。レースにもよるが、G1ともなれば数万の規模で人と物が動く。経済が動く。その細部まで彼らの手が触れていない場所は無い。
テレビCMやポスターなどの広告。グッズ制作・流通。当日は交通機関との連携。もちろん会場はターフから客席に至るまで整備されていなければならない。警備や売店にも人が要る。ウイニングライブの会場を抑え演出を監修し──。言うまでもなく実作業は外注だろうが、最終的な責任はURAが負っている。
パッと目に付く場所だけでこれだ。開催に至るまでは。後始末は。レースに直接の関係が無い部署もあるだろう。なんならトレセン学園職員だって広義のURA職員である。
直接手を掛けるだけでなく、全体を把握して関係各所との調整が必要となる。
レースに関する『全て』を用意するのが彼らの仕事だ。
例えばトレーナー。ヒトとそう変わらない人体構造で時速60kmを超える出力を叩き出すウマ娘は、小さいものも含めれば怪我が絶えることは無い。加えて、仕事相手は多感な時期の少女である。ウマ娘は種族の傾向として心根が優しい者が大半だが、それに甘えてメンタルケアを怠ることはできない。チームを率いるともなれば、負担は指数関数的に増大する。
本人の資質も問われる。まずは単純に体力。特に中央は求められる水準の高さゆえ人手不足に陥りがちであり、結果、一人当たりの量が増大した激務について行けない者は淘汰されて人手不足が加速する、という悪循環に嵌まり込んでいる。
そして自身の精神性。
担当が勝つのならばそれで良いが、負け続けていれば当然落ち込む。負けを責めるような者はそもそもトレーナーにはなれないため論ずるに値しない。
問題は担当に入れ込みすぎて、自身のメンタルに不調をきたす者が一定数存在することである。それもそうだろう。契約を結んだ後、何事もなければ数年間、多くの時間を担当と共有するのだ。情も湧くというもの。
特化した医学知識、心理学、フィジカル、メンタリティ。付け加えるならば事務処理能力。
トレーナー職──特に中央の──はそれらを高いレベルで要求される、紛れもない専門職なのである。
どちらもやり甲斐と誇りのある仕事には間違いない。
しかし予感がある。
関わり方が変わってしまえば、『ミスターシービーが愛するレース』もまた心の中で色と形を変えていく。何かが混ざり変容する。心臓から迸るマグマがゆっくり冷え固まり、大きな一つの結晶が析出する。
トレーナーあたりに言わせれば、それが大人になるということなのかもしれない。ただ、良し悪しとは別の次元でそれを許容できない自分がいる。これは自分の自分らしさなのか、子供の感傷なのか。……深追いはやめた。どうせ答えは出ない。
(じゃあいっそ……逆かな)
逆。
レースに関わらない人生を考えてみる。冒険家は趣味枠ということで一旦脇において。
毎日電車に揺られて会社に通勤するステレオタイプなOLは考えるだけ無駄だ。無駄というか無理。
じゃあできること、好きなこと。──短歌。歌人か。それもまた仕事にするのは違う気がする。気が向いた時に詠むものだ、保留。
歌舞伎。歌人以上に『仕事』という言葉と食い合わせが悪い。というか女だから歌舞伎役者は無理か。趣味でよし。
……脇に置いたはずの冒険家の選択肢に戻って来てしまった。
まぁ、今回はこんなところか。走れる内はレースに出るし、引退した時のことはまだ──あ。
天啓が降りてきた。耳が無意識にぴくんと動く。
(いるいる! いるじゃん! 引退ウマ娘の一番身近なロールモデル!)
希望就職先『冒険家』の下の空欄にペンを走らせた。
『お嫁さん』。
我ながら会心の思い付きだ。ミスターシービーは脳裏を過ぎった母の顔──身近な引退ウマ娘──に感謝した。
敢えてレースから距離を置くことで純粋な心の色と熱量を保っておける。伴侶からは、慣れ親しんだレースの『余熱』を感じることもできるだろう。正に妙案といえる。
書き上がった調査票をトレーナーに自信満々で手渡す。なんとなく肩の荷が下りた気分だ。何度となく実施される進路希望調査の、たった一回を終わらせただけだというのに。今までより少しだけ真面目に考えたからだろうか。
提出物をスッキリさせれば、後は気持ち良く散歩に行ける。荷物を纏めようとしたところで、ちょっとした不備に気付いた。
「あ、ごめん、トレーナー。ちょっと返してもらっていい?」
「……うん、はい」
何故か溜息をつきながら疲れたように目頭を揉むトレーナーから用紙を受け取る。
回答がシンプル過ぎた。あれでは正確な意図が伝わらない。記入欄の隙間にねじ込むように補足を書き込む
『
参考にしたのが自分の母親だったため、つい自然に伴侶がトレーナー職であることを前提にしてしまっていた。あぶないあぶない。
これを明記しておかなければニュアンスが全く違ってくる。年齢一桁の女児がウエディングドレスだけを思い浮かべて『お嫁さんになりたい』というのとは訳が違うのだ。これでカンペキ。
改めてプリントを手渡してしまえば、もう憂いはない。
ちなみに、絶句したトレーナーが表情から姿勢から呼吸まで停止したことには気付かなかった。
「じゃあね、トレーナー! また明日!」
今度こそ上機嫌でトレーナー室を出る。
部屋に一人残されたトレーナーは、己の担当の魔性にただただ戦慄していた。
テンションが平常に戻って、自分が何を書いたのか、それがトレーナーからはどう見えるのか。
自覚したミスターシービーが茹で上がるまで、あと十五分。
◇
放課後。夜の色が濃くなった暮れ方、ドラッグストアの袋をぶら下げたカツラギエースが寮にほど近い堤防の上を歩いていると、見知った顔が法面に体育座りしてひぁーひぁーと鳴いていた。
「よう、シービー。なにやって……なにやってんだあんた」
「ひぁー……あ、エース。奇遇だね」
ミスターシービーが奇行に走るのは割といつものことだが、たそがれて……たそがれて? いるのは初めて見た。顔が赤いのは奇行を見られて恥ずかしいから、ではなさそうだ。
「そんでどうしたんだよ。もうすぐ日も落ちるぞ」
「進路希望調査、あったじゃない?」
「ああ、あったな」
脈絡が無いように聞こえるが、今更、多少突拍子が無い程度で動じるような浅い付き合いでもない。
「アレの希望就職先にさ」
「おお」
「トレーナーのお嫁さんって書いて」
「おお……」
「トレーナーに手渡してきた……」
「…………」
普通に絶句した。正気かこいつ。
しかもこの様子からすると無意識でやったらしい。
ミスターシービーはぎょっとするほど大人びていることもあれば、呆れ返るほど子供っぽいところもある不思議なパーソナリティをしている。
普段の生活やレースでのぶつかり合いを通して結構それを知っていたつもりだったが、まだまだ『つもり』だったようだ。
薄暗い時間でも一目でわかるほど顔を赤くして、またひぁーと鳴きだした彼女を見ていると強くそう思う。あるいは『子供』の情緒が成長でもしたのか。
彼女の両親の馴れ初めは聞いたことがあるし、担当トレーナーを憎からず思っていることも察している。その二つを踏まえれば見えてくるものが──というのは下世話が過ぎるか。
自分とはまた違う、感性の世界に生きる彼女の脳内はどうなっているのか。やれやれ、とカツラギエースは親友の将来に思いを馳せた。
あなた:将来の夢を聞かれて『ウマ娘』と答えるのは小学校低学年でやめた。親から未だにこのことでイジられている。
ミスターシービー:今が大事なので将来のことはあんまり考えない。ある意味一般的な学生。今回一応の答えは出た。
カツラギエース:進路希望調査にはノータイムで『農家』と書いて提出した。別に本当に農家になりたい訳ではなく、練習の時間が少しでも減るのを嫌ったため。今はミスターシービーに勝つ事が最優先。
トウショウボーイ:一般大学に進学した。現役当時のトレーナーとは今も交流が続いている。
前担当ちゃん:引退後特にやりたいこともなかったのでぬるっと内部進学した。就職は一応JRAが第一志望。身体は元気いっぱいのため、もう少し現役続けてもよかったかなーと思っている。将来、この想いが彼女主導でのドリームリーグ設立の原動力になる……かもしれない。
大学部はトレセン敷地内のため、たまにあなたと出くわして一方的に気まずい思いを味わっている。