【完結】担当に適度な距離感置いてるつもりのお前と距離感測る物差しを歪めてくるタイプの担当   作:半ドロメダ

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己を見つめ直す十一月の敗北/とある昔日の追想

 

「────ぃよッしゃああぁぁァァッ!!」

 

 並み居る強豪。その全てを薙ぎ払って栄冠を掴んだ握り拳が、天高く突き上げられる。

 

 ジャパンカップ。世界からウマ娘が集まるこのレースで、開催国である日本勢は勝利することができていなかった。

 この日までは。

 

 物理的な圧力さえ伴う歓声に背中を殴りつけられながら、あなたはターフに目をやった。

 

 汗を滴らせ、息を切らせながらも笑顔で観客の声援に手を振って応えるカツラギエース。

 いつもの好位に付けてからの差しではなく、抜群のスタートセンスを存分に活かした逃げをかます。結果、誰も先頭を駆ける彼女を捉えることはできなかった。同じく出走した、二人の三冠ウマ娘でさえも。

 

 悔しげに表情を歪め、ウイニングランに移った勝者を睨みつけるのは三番目にゴール板を駆け抜けたシンボリルドルフ。

 今年のクラシック戦線の主役は間違いなく彼女だった。二週間前に終えたばかりの菊花賞は、誰にとっても記憶に新しい。それも当然のこと、二年連続の三冠ウマ娘──それも無敗──誕生など生きている内にもう一度見られるだろうか。

 しかし負けた。それが事実。

 

 その後方。まばらに立ち尽くす敗者達の中に、あなたの担当は居た。

 天を仰ぎ、荒い呼吸を繰り返す彼女の表情は見えない。

 

 堂々の一番人気、ミスターシービーは十着に沈んだ。

 

 相変わらず怒涛としか表現できない声の波が、後方の観客席から押し寄せて来る。普通はその声一つ一つの内容など聞き分けられる筈もないのに──。

 

『十着かぁ……』『掲示板外したの初めてだよね?』『天皇賞のレコードで期待してたんだけどなぁ……』『怪我でもしたん? 調整ミスっただけ?』

 

 カクテルパーティ効果の概要を無機質に再生する脳味噌を、我ながら厭わしく思った。他に考えなければいけないことなど山程あるというのに。

 

 知っていた筈だ、追込の走りはこういうものだと。それでも尚これだけのショックを、見ているだけの自分でさえ受けているのだ。ミスターシービーが受けた衝撃はいかばかりか。

 いつまでも呆けてはいられない。生じた精神の空白を、反省と分析で上書きしていく。流石のミスターシービーでもメンタルにキているかもしれない。

 

 ……と、思っていたのだが。

 

「うーん、負けちゃった。ごめんね」

 

 控室で顔を合わせた担当は確かに申し訳なさそうにしていたが、思ったより凹んでいる様子は無かった。

 

「いや、謝るのはこっちだよ。完全に上回られた。申し訳ない」

 

 追込の脚質はどうしても展開に左右されるところが大きい。極端な話、自分以外のウマ娘全てが前にいるということは、自分以外のウマ娘全てとの駆け引きが発生するということである。

 その度に一瞬の判断とアドリブで相手を切り捨てていかねばならないのだから、タスク処理にかかる負荷も相当なものになる。

 

 そこでトレーナーの出番だ。

 事前に展開を予想し、起き得る駆け引きを選択肢の一つとして担当に教え込む。

 生身のまま時速60kmを超える速度で競り合う彼女達にしてみれば、あらゆる要素を瞬時に勘案して最善策を選び抜くことなど──余程頭の回る一部の例外を除けば──できない。

 しかし予めいくつか選択肢を持っていれば意識のリソースの割り当ては格段に少なく済む。

 

 ミスターシービーというウマ娘のポテンシャルは、現在のトゥインクル・シリーズにおいて三本指の外に出ることは無い。

 であれば、今回の結果がトレーナーの失策でなければなんだというのか。あなたはそう思った。

 

「強かったよ。エースも、ルドルフも、もちろん二位だった娘も。アタシに先着した娘も、後からゴールした娘もそう。このレースに弱いウマ娘は一人もいなかった」

 

 ……これは慰められているのだろうか。お前の策が悪かったのではなく、相手が悪かったのだと。それでも。

 

「君なら勝てた。誰を相手に回しても、君が劣るところなんて無い」

 

 勢いで口にして、少し後悔。プレッシャーになるだろうか。

 普段ならば気にも留めないだろうが、つい先ほど大敗を喫したばかりなのだ。そもそも慰められるべきは彼女であってあなたではない。

 

「あのさ」

 

 ミスターシービーの纏う雰囲気が、霜が降りるように静かに冷たくなっていくのを感じ、あなたはバッドコミュニケーションを悟った。

 

「トレーナーのことは信頼してるし、アタシを信じてくれてるのもわかる。でもさ、トレーナーって自分のこと信用してないでしょ」

「……いや、そんなことは」

「ある」

 

 ばっさり断言され、あなたは言葉に窮した。事実だったからである。

 正負様々に過分な評価を頂いているあなたであるが、その全てはとどの詰まり担当の功績あってのもの。あなた自身の自己評価は世間の声に比べるとかなり慎ましやかだ。

 

 どうもミスターシービーの脳内トレーナーは、実態よりも有能に描写されているらしく、それを訂正すべくあなたは口を開いた。

 

「……シービー。結局のところ、ターフの上での君達は一人で闘わなければならない。トレーナーの担う役割なんて微々たるものなんだ」

「違うよ」

「まぁ聞きなって」

「ち・が・う・のッ!」

 

 瞬間移動でもしたのかと思うような踏み込みが、ミスターシービーとあなたの距離をゼロする。胸元に掴みかかられたのは初めての経験だった。

 レース直後の彼女の身体の熱さが、そのまま彼女の感情の熱量に思えた。

 

「トレーナーが要らないとか、誰でもいいとか、そんなこと絶対にない!」

 

 あなたはミスターシービーの剣幕に圧されていた。

 極めて珍しいことに耳を絞っている。少なくともあなたは初めて見た。

 

「アタシはキミだからこそトレーナーを任せた! 『レースのために仕方なく』じゃなくて、『勝つために必要だから』じゃなくて、キミとならアタシの見る景色を共有してもいいと思ったからキミを選んだ!」

 

 その時のミスターシービーの様子をなんと表現したものか。

 怒っているようであり、悲しんでいるようでもある。あなたに向けて感情を激発させているようであり、心の奥深くを言語化して自ら確認しているようでもあった。

 

「……トレーナーにはアタシと同じものを見てほしい。同じものを感じてほしい。だから勝手に取り上げないで。例えそれが負けであっても」

 

 至近距離からあなたを睨みつけるその目がなんだか泣きそうに見えて、思わずあやすように頭を撫でた。

 無意識に動いてからあなたは(やっべ)と思ったが、今更慌てて取り繕うのもなんだか気まずい。そのまま手櫛で髪を梳いていくことにした。

 

「ごめん」

「……」

 

 相変わらず目つきは厳しいが、さっきまで絞られていた耳がパタパタ振れてあなたの手を叩いてこそばゆい。

 胸ぐらを掴まれたまま、やめるタイミングを失った手櫛を続けていると、沈黙を破ったのはミスターシービーだった。

 

「何に」

「うん?」

「何に対しての『ごめん』なの」

「……独りよがりでした。ごめんなさい」

 

 あなたは担当の思いの深さを見誤っていたことを素直に反省した。どうして自分なぞにそこまで、という疑問は残るものの。

 もう一度謝るとまた睨まれたが、しばらくすると『しょうがないなぁ』とでも言わんばかりに溜息を吐かれる。機嫌が戻って来たのか、口許は小さくほころんでいる。

 

 取り敢えず一安心、と気を緩めたのが良くなかったのか。するりと動き出したミスターシービーに反応できなかった。

 あなたにもたれかかるように体重を預け、胸ぐらを掴んでいた手がようやく離れたかと思いきや首元に腕が伸びてきて絡みつく。

 

 要するに真正面から抱きつかれた。

 

 あなたは今度こそ(やっっっべ)と思ってハンズアップ。

 控室が比較的プライバシーが確保された空間なのは幸運だった。公衆の面前でこんな様を晒せば両手が後ろに回りかねない。

 

 ミスターシービーはあなたの耳元に口を寄せた。静かな声色だった。

 

「ね、アタシ達が初めてあった時のこと。覚えてる?」

「あーっ、と。中華屋でお昼食べてた時に君が隣に座ってきた時のこと?」

 

 トレーナー生命の危機を感じつつ、過去に思いを馳せるあなた。そのまま流れで彼女の担当になったのも今ではいい思い出である。

 するとミスターシービーは。

 

「ふっ、ふふふ。あははははっ!」

 

 楽しげに、嬉しそうに笑い出したので、あなたは困惑する。おかしなことを言っただろうかと。

 そんなあなたを尻目に、少女はうむうむと何やら一人納得している。

 

「やっぱりね、全然覚えてなかった」

「……これも謝罪案件だったりする?」

「いーよいーよ。わかってたし」

 

 完全に溜飲が下がったらしいミスターシービーは、もういつもの調子だった。物理的な距離を除けば。

 お互いの心音が聞こえるのではないかというほど密着しているというのに、また少し、首に回された腕に力が籠もった。

 

「──今日、改めて感じた。アタシはレースが大好き。勝っても負けても」

 

 でも、と囁くように言葉が続く。

 

「やっぱり悔しいね、負けるのって。泣きたくなるくらい、悔しい」

 

 あなたは、ホールドアップ状態だった手を躊躇いながらももう一度目の前の頭に載せた。トレーナーとして言ってやれることは一つだった。

 

「次は勝とう」

「二人で」

「うん。二人で」

 

 例え負けても、次こそはと勝利を誓う。それがトゥインクル・シリーズを闘うウマ娘の、トレーナーの最低限の資質。

 

 しかし言葉は所詮言葉でしかなく。

 これからミスターシービーは連敗を重ねていくことになる。

 

 そうして彼女の闘いの終わりが始まる。

 

 

 ◇

 

 

 控室に戻った時、シンボリルドルフは無言だった。

 無敗のままクラシック三冠を掴み取った前代未聞のウマ娘は、ここに来て敗北の味を知った。その味をどう感じているかは、苦々しく歪んだ口許が物語っている。

 

 普段は堅物でありながらも角の無い人当たりである少女は、──本当に珍しいことに──一見してわかるほど刺々しい雰囲気を纏って何かを考え込んでいる。

 話しかけることが躊躇われるような空気の中、彼女のトレーナーはそれらをまるっと無視して声をかけた。

 

「このメンバーを相手取って、菊から中二週間で臨んだあなたが三位。大したもんです」

「…………」

 

 シンボリルドルフは応えなかった。聞いているのかいないのか、傍から一見すれば彫像のようにすら見えた。

 

「負けましたね」

 

 いつもの優しげな表情のまま、サラリと男は言った。

 シンボリルドルフの内を向いていた感情のベクトルが、視線を伴ってトレーナーに向く。稲妻をはらんだ燃え盛る嵐とでも表現すべきそれを、彼は真正面から静かに見つめ返した。

 数秒の沈黙ののち、根負けしたのはシンボリルドルフだった。目を閉じ、重い溜息を深く、長く吐き出す。

 そうして開いたまぶたから現れた瞳は、激情の色がいくらか抑えられている。代わりに、どこかシニカルなおかしみが宿っていた。

 

「……いや、すまない。トレーナー君に対して思うところがある訳ではないんだ。むしろお礼を言いたい。今回は我儘を言った」

「お礼を言うのはこっちです。担当に振り回されてこそ、トレーナー冥利に尽きるってもんですから」

「それは各人各様あると思うが……」

 

 シンボリルドルフは先輩三冠コンビを思い浮かべた。ああいう感じが私のトレーナーの理想なのだろうか。

 

「……私は」

「はい」

 

 口をついて出た呟きは意図したものでは無かったが、トレーナーの耳に届いていたようだ。どうせなら、と半ばヤケのような素直さで、シンボリルドルフは聞いてみることにした。

 

「傲慢だったのだろうか」

 

 舐めていた訳では無いが、今までの戦いの中で負けるかもしれないと思ったことは無かった。

 同格以上が集結するこのジャパンカップでさえ、負ける気などさらさら無かった。

 

 しかし結果はどうだ。

 

 ウイニングライブのステージに上がる権利こそ得た。

 しかしゴール板を誰より先に駆け抜けたのはカツラギエースであり、それに続いたのは英国から参戦したウマ娘だった。シンボリルドルフはその次。

 世間一般では健闘したと言われるだろう。相手が悪かった、時期が悪かった、様々なエトセトラ。

 しかし自分は納得していない。満足していない。

 あるいは、このあたりが『身の程』なのか。自分は、自分が思っていたよりも──。

 

 初めて聞いた担当の弱音らしきものに、トレーナーは一瞬考えると、ふむ、と一つ頷いた。

 

「あなた程傲慢なウマ娘はお目にかかったことがないですね」

「ふふ、随分とはっきり言うじゃないか。そういう答えが返ってくるとは」

「正直な感想です。どんな答えになると思っていましたか?」

「何も考えていなかった。そもそも訊くつもりも無かったからね。──そうか。私は傲慢だったか」

 

 シンボリルドルフは笑った。とても似合わない、自虐的な笑みだった。

 対して、トレーナーは朗らかに笑って言った。勘違いしないでください、と。

 

「もし『これからは謙虚にやっていこう』なんて言ったら、あなたが相手でもひっぱたきますよ」

「な──」

 

 絶句。トレーナー職に就いている人間の、というより、良識ある大人の言葉ではない。

 男は、口をぽかんと開けて固まった担当に続けた。

 

「一度や二度負けた程度で気分を出してもらっちゃあ困ります。一本調子のピクニックで、ましてや周囲の顔色を伺いながら辿り着ける類のものですか、あなたの夢は」

 

 シンボリルドルフの夢。

 『全てのウマ娘が幸福に生きられる世界を』。

 誇大妄想と言われても仕方ないと自分でも理解しているそれを、己の担当である男には早い段階で打ち明けていた。

 彼女はその時のトレーナーの様子を鮮明に思い出せる。冗談めかすでもなく、事も無げに頷いて宣ったものだ。曰く、『じゃあ、手始めにクラシック三冠からですね』。

 

 果たして彼と彼女は、夢を目指すに足る資質を証明した。

 

「長く険しい道のりになることは覚悟していた筈です。目指す者にしか到達し得ない場所であることも、到達できる保証が無いことも」

 

 シンボリルドルフは勝負服の手袋を外し、素手で顔を拭った。拭い去ったのは汗か、弱気か。

 

「そう──そうだ。だから私は」

 

 君を選んだ。

 少女の目に力が戻って来る。トレーナーは、ようやく()()()なってきた担当に微笑みかけた。

 ターフの上においてシンボリルドルフに参謀は要らない。事実はともかく、そう思わせるだけの能力が彼女にはある。ならばトレーナーとして、焚き付けるくらいのことはさせてもらいたい。その程度、仕事の内にも入らない。彼は本気でそう思っていた。

 

「傲慢は悪いことじゃありません。負けようが、無様を晒そうが、ふんぞり返って進めばよろしい。長じれば──あなたは真実『皇帝』になれる。微力ながら僕もお手伝いさせていただきますから」

 

 『皇帝』。

 無敗のまま三冠となったシンボリルドルフに、メディアが付けた異名。

 頂点に立ち、絶対的な力で以て世界にルールを布く者。案外上手いことを言うじゃないか、と二人で笑い合ったのはつい先日のことだ。

 

 大げさで冗談のようなこの称号を、いつか現実のものとする。

 意志が像を結んでいく。赤熱化した鋼が叩かれて純度を増し、やがて一本の刃になるように。

 

 支配者は古来より杖を携えている。それは権威の象徴であって、体重を預けて歩くための機能を求めたものではない。

 だがシンボリルドルフは思った。自分が欲しているのは正にその機能なのだ。

 目指す場所は、二本の脚だけで歩き通すにはあまりにも遠い。杖が要る。大きすぎる夢の重さを預けるに足る、真っ直ぐで頑丈な杖が。

 

「そこまで言うのなら是非もない。君にも最後まで付き合ってもらうとしよう。私が(こうむ)る艱難辛苦、その全てに」

 

 未だ若き『皇帝』は、自らのトレーナーを見いだした己の目を自讃し、同時に恥じた。

 有能さと有望さを見込んでの逆スカウトだったが、裏を返せば能力以外の要素を過小評価していたらしい。当時はまだ実績も何も無い、名家の出であるというだけの少女が人を見透かしたつもりになっていたというのだから、なるほど、随分な傲慢だ。

 

「君とはこれからも長い付き合いになる。能力、見識、その全てを私に捧げてほしい」

「──仰せのままに、陛下」

 

 芝居がかった大仰な礼は、どこか滑稽で似合っていなかった。それでいいと思った。未熟な皇帝と張りぼての杖。

 願わくば、いずれ頂きに立った己の横に、権威の象徴となった『杖』があらんことを。

 

 敗北を知り、自らの求めるものを再び見据え直したシンボリルドルフは、この日『完成』した。

 

 かくして彼女の闘いの始まりが終わる。

 

 

 

 

「いーよいーよ。わかってたし」

 

 惨敗を喫した。初めての経験だった。それは別に──よくはないが──よかった。

 その後のトレーナーがあまりにも()()()()いなかったとはいえ、思わず手が出てしまったのは流石のミスターシービーも反省するところである。勢いで抱き着いたことは──冷静に反省などしようものなら動くことも喋ることもできなくなる。後回し。

 

 何にせよ、素直に思いの丈をぶつけてみれば、やはりトレーナーは自分が見込んだトレーナーのままだった。

 自分はレースに憧れるただのウマ娘で、トレーナーは大学を出たばかりの見習いだった頃。

 ミスターシービーはほんの束の間、腕の中のトレーナーの熱を感じながら思い出に浸った。

 

 まだトレセン学園にも入学していない時分の話。彼女は父親とレースの観戦に東京レース場を訪れていた。

 当時の時点で何度となく訪れた勝手知ったる場所だ。偶然出くわした知人と歓談する父親に一声かけ、観客席に向かう。

 

 そこで丁度目の前の席に座っていたのが現在の担当トレーナーだった。ストップウォッチ片手にターフを眺めながら、難しい顔でノートPCをカタカタしていたのを覚えている。

 後ろから画面を覗き込むと、ウマ娘の公開身体データを始めとして出走レース毎の各種数値がずらり。似たようなものを少女は見たことがあった。父親の仕事用資料だ。

 

「な、何かな?」

 

 気付けば身を乗り出して画面を熟読していた。後ろからぬっと出てきた人影にトレーナーはビビっていたが、昔から物怖じしない子供だったミスターシービーは普通にコミュニケーションを試みた。

 

「トレーナーさんなの?」

「……まぁ、そうだね。まだサブトレ──見習いだけど」

「ふぅん」

 

 父親以外の『トレーナー』と直接会話をしたのは初めてのこと。家ではあまり職業人としての顔を見せない父親の仕事内容に彼女は興味津々だった。

 

「レース場でもこうやってお仕事してるんだ」

「そうだね。公式で出てこない数字は手作業で拾っていくしかないから。動画でも確認できるけど、こうして現地にいるのは……趣味かな」

 

 幼いウマ娘が相手だったが、トレーナーの対応は丁寧だった。それがトレーナーの職業病なのか、個人的な性分なのか。今ならわかるが、恐らく両方だ。

 

「レース、好きなんだ?」

「好きだね。大好きだよ。それでトレーナーにまでなっちゃったぐらいに」

 

 トレーナーはターフを見やる。そこに担当しているウマ娘がいたのかもしれない。

 半ば独り言のように呟いた。

 

「だから、あの娘達のためにならどんなことでもしてあげたいと思う。行く道を舗装するでも、目標を見つけるでも。──君もレース好き?」

「うん、好き!」

 

 そっか、とトレーナーは笑う。ノートPCを閉じるとミスターシービーに目線を合わせた。

 

「トレセン学園には来るの?」

「その予定。中央も入るだけならまぁ、今からでも?」

「すごい自信だなぁ……」

「──ねぇ、アタシが入学したら担当になってよ」

 

 直感と衝動がその言葉を口にさせた。きっと面白い毎日が送れる、体の中の何かが囁いた。多分、一般には『魂』とか呼ばれているもの。

 

 困ったような苦笑いはこの頃から変わっていない。この笑い方が彼女は好きだ。ウマ娘の意思を否定することなく、どこまでも寄り添うような穏やかさを湛えた微笑みだった。

 

「そうだなぁ、未来のことだから確約はできないけど。もしその時が来たなら、君のやりたいことを少しだけ手伝うよ」

「少し? さっき『どんなことでも』って言ってたのに?」

「トレーナーにできることなんてほんの少しだよ。どんなに手を尽くしても、ターフの上での君達はいつも一人だから」

「ふーん?」

 

 ──改めて思い返せばこういうところも当時のままだったが、それは変わっていく様を横で見ていられるということでもあるので、ミスターシービーは納得したことにしておいた──。

 

 腑に落ちていない様子の幼いウマ娘をよそに、トレーナーは腕時計をちらりと確認し、告げた。

 

「さて。そろそろ行くよ。──()()ね」

「──うん、()()

 

 若いサブトレーナーは手をひらひらと振って去っていった。とある日の邂逅はそれっきり。

 その後顔を合わせたのはトレーナーが言う通り、昼時の中華屋だった。その時にはもうレース場の出会いのことを覚えていなかったが、別に口約束を忘れていた程度で不義理だ薄情だと詰るつもりはない。

 トゥインクル・シリーズを闘う日々の濃密さは知っているし、結果的に約束は果たされた。

 

 それに特別記憶に残っていないということは、口にする言葉を意識していなかった、本音を喋っていた証左でもある。

 抱いたその確信だけでミスターシービーには充分だった。

 

 もう一度『魂』の囁きに従って声をかけることに躊躇いは無かった。

 

 それが彼女の全ての始まり。

 





あなた:いろんな意味で経験の浅さは否めない。ミスターシービーがちゃんと言うタイプのウマ娘だったため自分のアレなところを自覚した。昔の出会ったウマ娘の少女と現担当が同一人物であることには気付いていない。

ミスターシービー:やれると思ってレースに出たら思ったよりダメだった。大敗したことよりもトレーナーのメンタルケアの方針が気に食わず実力行使に出た。その後の諸々は完全に思い付きでの行動。後悔も反省もない。

カツラギエース:ヤバいのがうようよしてるところを何とか泳ぎ切った。逃げで走ることを覚悟した際、トレーナーが各種データが印刷された紙束を漫画のようにバサッと放り投げるのを見て思わず爆笑した。

シンボリルドルフ:やれると思ってレースに出たら思ったよりダメだった。「まあ通過点だしな!」で開き直った結果バケモンになった。青田買い半分の気持ちで契約したトレーナーだったが、いよいよ家への取り込みを本格的に実行し始める。

シンボリルドルフのトレーナー:敗戦後のシンボリルドルフに煽りをカマせるメンタル強者。まさか取って食われたりはしないだろうと思っての行動だったが、今まさに絡め取られつつあることには気付いていない。


 

前担当ちゃん:最近友人の結婚式に出席した。招待状を受け取った時の表情はそれはそれは複雑だったという。
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