【完結】担当に適度な距離感置いてるつもりのお前と距離感測る物差しを歪めてくるタイプの担当   作:半ドロメダ

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優駿集う六月の宝塚記念/思春期を紐解く五月の対話

 

 レースを前にしたシンボリルドルフは圧力を放っている。ここのところ、それが顕著だ。

 トゥインクル・シリーズにおいてレースは数多く開催されているが、重賞、中でもG1ともなれば出走するだけでその実力がある程度担保される。

 そんなG1に出場できるウマ娘でさえも、レース直前のシンボリルドルフには道を開ける。

 

 圧倒的な存在感。

 

 口を開かずとも、大袈裟な身振りが無くとも、ただそこに存在するだけで他者を圧する覇気は、レース前の気が立ったウマ娘達に大いに冷や水を浴びせかけた。

 

 超満員の観客が詰めかけた阪神レース場。その地下バ道をシンボリルドルフは一人踵を鳴らして歩いていた。

 外から吹き込んで来たのだろうか、頬を撫でる六月の風は早くも梅雨の気配を孕んでいる。

 ターフが近付くにつれ大きくなっていくざわめきを聞くでもなく聞きながら歩いていると、出口付近に人影が見えた。見知った背格好。カツラギエースであった。

 彼女は何をするでもなく、ただ壁に背を預けて外の景色を眺めていた。

 

 今日のカツラギエースには、シンボリルドルフとはまた違った意味で声をかけづらい。

 ほんの数分の後に、勝ちと負け、数多の想いを積み重ねたターフを去る。その事実は引退を前にしたウマ娘に独特の雰囲気を纏わせた。

 それがカツラギエースともなれば。

 穏やかに凪いだ水面のような。

 引鉄に指のかかった銃のような。

 一見すると静かだが、近づくことも躊躇われるような剣呑さを内に秘めていることが傍からでも理解できた。

 

「やあ。お変わり無いようで安心したよ」

「──よう。あんたも相変わらずのようじゃないか」

 

 だがシンボリルドルフは平然と挨拶を交わした。放たれる威圧──本人にそのつもりはないだろうが──を心地よく受け止めながら、カツラギエースに倣ってターフへ目をやった。先に入場したウマ娘たちがめいめいにアップを行っている。

 見慣れた光景だ。しかし、目の前の先達と同じ視点で見ることはもう二度と無い。

 

「不思議なもんだ。最後と思えば意気込みも変わるかと思ったんだが、いつもとなんにも変わんねーな」

 

 言葉通り不思議そうに語るカツラギエース。シンボリルドルフは胡散臭そうに片眉を吊り上げた。

 

「よく言う。貴女と直接やり合ったのはこれで三度目だが、今日が一番恐ろしい」

 

 心にも無いことを、とカツラギエースは笑った。シンボリルドルフは笑わなかった。

 もし身体能力を数値化してランク付けできるのなら、今のシンボリルドルフがカツラギエースに劣っている項目など、あっても一つか二つ。

 それでも、一瞬ひやりとするような感覚が背骨の中心を貫いたことを自覚している。

 

「そら、もう行きな。後は全部終わってから話そうぜ。あたしはもう少し待つよ」

「……ああ。では後ほど」

 

 ひらひらと手を振るカツラギエースに見送られ、芝生を踏む。

 何を待つのか、シンボリルドルフは尋ねなかった。答えは明白であるように思われたからだ。

 一際大きな声援が身体を包む。ライバル達の視線が突き刺さるのを感じた。その全てを悠然と受け止め、調子を確かめるようにウォームアップを始める。

 筋肉、関節、腱……何も問題は無い。この日に向けて仕上げてきた身体は、十全にそのスペックを発揮するだろう。

 トゥインクル・シリーズ上半期の総決算であっても何も変わりはしない。いつも通りに走り、いつも通りに勝利を手にする。

 

 突然、歓声が爆発した。周囲のウマ娘の中には耳を畳む者がいる程の音量。その理由は見なくともわかった。

 このレースの主役。その二人が姿を見せたのだろう。

 

 ──ふと、シンボリルドルフは口惜しさに駆られた。

 実力と戦績で言えば、自分に敵う現役選手は存在しないと言っていい。

 だが、トゥインクル・シリーズそのものを牽引できるだけの力が、自分の名にあるだろうか。あの二人のように。

 

 だが、それもこれも全てはこのレースが終わった後の話である。

 

 スターターが赤旗を振ると、耳慣れたファンファーレが流れ出す。手拍子と歓声が空気を揺らした。

 

 ゲートインは粛々と進む。

 たとえそれがG1の舞台であっても、ゲート前でもたつくことはままある。レースの緊張は、まさにスタート寸前に頂点に達する。ウマ娘の種族的特徴として繊細な者が多く、更に繊細な年頃とあっては怖気づくのも無理はない。

 しかしこの場にそういった者はいなかった。

 グランプリレース、宝塚記念。彼女らは文字通り選ばれしトップアスリートであるからして。

 

 中天をとうに過ぎてなお、日没の気配すら感じさせない六月の太陽がスターティングゲートを照らしている。

 

 

 

 

 ミスターシービーは絶不調の中にあった。それが身体的なものでなく、精神的なものであろうことがあなたには意外だった。

 言い換えると、彼女は非常に()()()なかった。

 

 ジャパンカップの敗戦以後、あなた達の陣営は勝利に縁が無い。

 あなたがインターネット上の一部界隈から賜っている評判は惨憺たるものであることは今更言うまでもないことだが、その矛先がミスターシービー本人に向いたのはここ数ヶ月のことである。

 とはいえ、別にあなたほど好き勝手言われている訳では無い。ただ衰勢論、世代交代論が多数派になったというだけ。

 何を見てそんなことを言っているんだ、とは思っていても口にはできない。掲示板の上で光る数字ほど客観的で絶対的なものはない。

 今年に入ってからだけでも大阪杯で二着、春の天皇賞に至っては五着と、ファンの人気投票に応えられない結果が続いていた。

 

 だがあなたは知っている。このウマ娘は何も衰えてなどいない。自らに向けられる同情や憐憫など歯牙にもかけていない。

 だからこそ同時に感じてもいる。ミスターシービーの中の何かが噛み合っていない。そして恐らく彼女自身もそのことに気付いていない。

 『不調』とは、まさにそのズレそのものだった。

 

 デスクに広げたトレーニング資料をめくるが、形ばかり。脳の処理容量は視覚情報の処理に割り当てられてはいなかった。

 紙面の上を目が滑るだけだったファイルを閉じ、溜息と共にデスクを立つ。

 応接用ソファの上で溶けている担当のために、棚からマグカップを二つ取り出した。

 

「君もあと一戦で引退か。後悔なく終われそう?」

 

 我ながら白々しい、とあなたは自嘲した。

 慣れた手つきでインスタントコーヒーを淹れながら、突然引退時期を告げられた時のことを思い出す。年明けすぐのことだった。

 何よりもレースを愛する彼女からその発言を聞いたことは衝撃だったが、無意識の内にいつまでも二人で闘い続けるつもりだったらしい自分を発見し、驚愕したものだった。

 

「……わりとダメそう」

「ふーん?」

 

 あなたの目から見ても、ミスターシービーというウマ娘の伸び代はもはや絶無と言えた。

 しかしそれは今、現在が彼女のマキシマムスペックであることの裏返しでもある。

 事実、普段のトレーニングから得られるデータは、むしろ過去最高クラスに良い。

 ──それだけに気にかかる。彼女のらしくなさの根源は何なのか。

 

 担当が後悔と未練でレースへの想いを腐らせていくところを、あなたは見たくはない。

 

 応接用ソファに行儀悪く寝転がっているミスターシービーの前にマグカップを置き、あなたはテーブルを挟んで向かい側のソファに腰掛けた。

 のっそりと起き上がった少女はマグカップを手に取り立ち上がったかと思うと、テーブルを回り込んであなたの隣にすとんと腰を下ろした。

 その距離、およそ拳一個分。

 

「なんとなくでもわかっちゃうものだね。エースとルドルフを相手にして、『勝てるかも』って言えるのは今が最後。でも、なーんか……最近のレースがしっくりこなくて」

 

 座り直してさり気なく距離を取ったが、ミスターシービーも同じように座り直して肩が触れるような距離が維持されるだけ。

 諦めたあなたは自分のコーヒーに口をつける。飲み慣れた、安い複雑さの薫りが鼻に抜けていった。

 

 『しっくりこない』。担当がレースに求めるものから考えれば、今までのやりとりの中にも違和感は幾つもあった。

 

「走るのがツラい?」

「それはちょっと違う、かな」

「じゃあ楽しくないとか?」

「……うーん?」

 

 腕組みして首をかしげるミスターシービー。当たらずとも遠からず、といったところだろうか。

 彼女はいつからか、レースの結果に言及することが増えた。勝ち負けにこだわるようになった。きっとそれがカギ。

 

「息苦しい」

「……うん、息苦しい。たぶんコレが一番近い」

 

 ミスターシービーは感覚を感覚のまま処理して生きているため、それを改めて言語化することが不得手だ。

 それを手伝うにあたって必要なのは、あなたの担当に対する理解度である。歩調を合わせてトゥインクル・シリーズを駆け抜ける中で、この一見お気楽でいて、その実非常に気難しいこのウマ娘のことをパートナーとして結構理解していたつもりだった。

 

 だからこそ、自分の中で導き出された答えに、あなたは意外な思いを禁じ得なかった。

 あのミスターシービーでさえ──。

 

「君でもプレッシャー感じることあるんだねぇ」

「プレッシャー……なのかな?」

 

 クラシック三冠の懸かった菊花賞だろうが、近年稀に見るメンバーを相手に回したジャパンカップ・有馬記念だろうが、プレッシャーを抱えている様子など無かった。

 ……ように見えた。事実そうだったろう、この時までは。

 

 ミスターシービーは本当に肝が太い。レースの駆け引きや結果だけでなく、緊迫した空気感まで含めて楽しめるタイプだ。それを考慮すると、一体何が彼女の中の歯車を狂わせたのか、その端緒くらいはおぼろげに察することができる。

 

「シービー。ジャパンカップで負けた後、ネットとかメディアで何か見た?」

「『何か』って? もうちょっと限定してもらわないとわかんないよ」

「例えば──『ミスターシービーが勝てないのはトレーナーのせいだ』とか、『トレーナーを変えろ』とか。そういう感じの、もっと刺々しいヤツ」

 

 あー、うん。と頷く担当に、あなたは確信を深める。

 元来、ミスターシービーはレースの結果に強い執着は無い。勝てば嬉しい、負ければ悔しいという当然の感情は別にして、走ることそのものに意味を見出している。

 だから彼女は重圧にめっぽう強かった。鈍感と言ってもいい。極端な言い方をすれば、勝ち負けはおまけだったのだから。

 

 しかしいくら意思が強靭だろうと、感性が頑健だろうと、まったくの無傷ではいられない。

 肩に降り積もる雪のように静かに増していく重荷。

 多少では前を見つめて走る彼女は小揺るぎもしない。

 常人なら地に伏すような圧力でも目的地を見失ったりしない。

 それがジャパンカップでの大敗を経験し、続くレースでも勝ちを拾えず、振り返れば目に入る背中で折り重なる荷物。

 その中に剣だの槍だのでハリネズミになったあなたの顔を見つけ、ついに歩調が()()た。

 

「一つ訊いていいかな」

「うん。何?」

「君、()のために走ってるの?」

「……うん?」

「二人分背負ってたらそりゃ息苦しくもなるでしょうよ」

 

 走る者にしか見られない景色がある。感じられない熱がある。

 ミスターシービーが本質的にレースに求めているのは一から十までそれに尽きる。

 それが、本来意義を見出していなかった『勝敗』の魔力に引き摺られるように余計なものが彼女の脚に纏わり付き、ついには躓いてしまった。

 

 前とは立ち位置がまるっきり逆だなぁ、と失笑を漏らすあなたの横できょとんとしていたミスターシービーはしばらくの後、そっか、と頷いた。

 

「そっか。──うぁー、そっかぁ」

 

 何度も、噛みしめるように呟くミスターシービーは、どこかいたたまれないような表情をしていた。更にはソファの上で膝を抱えて丸まっていく始末。

 無理もない。勝手に敗北を背負うなと、あなたの胸ぐらを掴み上げて説教をかましたのがおよそ五ヶ月前。無意識とは言え、今になってその言葉が彼女自身に返って来ている形だ。

 

 様々なことを自覚した担当の、あまりにもあまりなしょぼくれ具合を目の当たりにしたあなたは、少女の頭に手を載せてぽふぽふと叩いた。口許には苦笑い。

 

「でもま、それでいいんじゃない?」

「……よくない」

「いいんだって。それに、自覚したところで割り切って改められるほど器用じゃないでしょ君。……あー、それに、白状しちゃうけどさ」

 

 実はこっちも割り切れてないんだよね、と呟く。 半ば独り言だった。

 ミスターシービーと過ごした数年間で、あなたがトレーナーとして引いていたラインはかき乱され、上書きされ、良くも悪くも変容している。

 それでも消えない、鎚と(たがね)で彫り込んだような一線があった。

 

 『勝利はウマ娘のもの。敗北はトレーナーのもの』。

 

 半ば冗談としてトレーナー達の間で語られる警句──カツラギエースのトレーナーが名付けた『残念会』もここから来ている──。

 この言葉をサブトレーナー時代に初めて聞いた時のことは今でも鮮明に覚えていた。

 衝撃は無い。しかし納得があった。心のあるべきところに音も無く嵌まり込み、根を張るように癒着していく感覚。

 あるいはその瞬間、あなたはようやく幼い夢にけりを付けたのかもしれない。かつての『ウマ娘に憧れていた子供』は、己を『トレーナーの卵』として定義し直したのだ。

 

 言葉は言葉だ。あなたとて、その全てを額面通りに信じ切っている訳ではもちろん無い。

 しかしそれは同時に、拭い難い一部分が紛れもなくあなたの奥底に染み付いていることを意味している。

 

「君に怒られてから改めようと意識してみた。でも認められない。無理なんだ。ミスターシービーというウマ娘が真正面からぶつかって負けるなんてあり得ない。なら理由は別にある筈だってね」

 

 ミスターシービーは呆れたように小さく笑った。

 

「重いなぁ……」

「トレーナーなんて一皮剥けば皆こんなもんだよ。どれだけ表に出してるかの違いだけ。──もっとトレーニングを詰められた。もっと適切な作戦が採れた。身体づくりは、怪我の予防は、メンタルケアは……そんなことばっかり考えてる。でもこれはもうしょうがないんだ。自分の心に嘘はつけない」

「心に嘘はつけない、か」

 

 膝を抱えたまま、テーブルのマグカップに手を伸ばすミスターシービー。

 少しの間、部屋に無言の帳が下りた。

 あなたとしては言うべきことは言った。結局、どこまで行ってもこれはミスターシービーの問題なのだ。

 

「アタシさ」

 

 口をつけるでもなく、カップの中の黒ぐろとした液体をゆるりと揺するミスターシービー。

 あなたは無言のまま独白を聞いた。これは心の整理を付ける儀式であり、逆に声をかけるべきではないと思った。

 

「トレーナーのことが好き」

 

 声が出そうになった。

 





あなた:



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