一緒に死のうと思っていた親友が自殺した。私ひとりを残して。だけど、私はひとりで行く事なんて許せなかった。

1 / 1
永遠の、i

1.

結局のところ、あの子は疲れてしまったのだと思う。このどうしようもない世の中に。だからこそ、あの子は湯船の中で手首を切って、バスタブを真っ赤に染めたのだ。久々に私の家に遊びに来て。お酒を飲みながらたくさんの愚痴で盛り上がった。仕事の話、家族の話。たくさんの話をした。

 

あの子の会社は相変わらずブラックで、働いても働いても仕事は終わらなくて。月々80時間以上の残業なんて当たり前。それでいて元のお給料が低いから、残業代なんてものも全然つかなくて。私何のために働いているのかな、なんてのがあの子の口癖だった。人の入れ替わりも激しくて。たまたま辞めずに残っていたら、無駄に地位だけ出世して。出世したからには責任が伴うと、上からは数字を達成できていないと詰られて。現場からは達成できるはずのない数字を押し付ける張本人と憎まれる。そんな毎日。

 

それでいて、あの子は家でも自由になれなくて。私と違って、家を出ることを許されなかったあの子。親を見捨てるつもりかと怒鳴られて。家に帰って空き時間で家事をする。家の掃除とか、父親の食事の準備とか。お前は相変わらず手際が悪いなと罵られながら。時に機嫌が悪ければ、子供の頃のように殴られて。

 

年老いたりとはいえ、男の人の力に叶うわけなんてないから。時に髪を掴んで引き摺り回されたり、折角作った料理を投げつけられたりする。そんな家。そんな家の事なんて、よく知っている。だって私はあの子の友達だから。お互いがまだ中学生の頃から知っている幼馴染だから。そんな家の事なんて、嫌というほどよく知っている。

 

だって私の家も似たようなものだったから。成績のこととか、あるいは単純に機嫌が悪いからという理由で毎日殴られた。外から見て跡が見えない場所ばっかり選んで殴られたり、力一杯蹴られたりする。髪もたくさん引っ張られた。そんな家。だけど私の家には母親がいたから。同じく碌でもない母親ではあったけれど。たくさん嫌味や皮肉ばかり言ってきて。それでも父親の世話をする人はいたから。私は家を出る事ができたけれど。それだけの違い。

 

湯船のふちにぐったりと身体を預けるあの子の姿をぼんやりと眺めながら、ぼんやりと考える。いつかこんな日が来るって分かってた。だって、電話越しに聞くあの子の声は日に日に衰弱するばかりだったから。時折話の途中で突然泣き出すことすらあった。もういや、もういやだ、こんな人生と。過呼吸になるんじゃないかって勢いで泣きじゃくることすらあった。電話越しでは、抱きしめてあげることすらできなかったけれど。

 

いつかあの子は自分で死んでしまう。そんな予感はあった。私はそれを止められなかった。止められるとも思わなかったし、止める権利もなかった。だってかつて私も死にたいと、何度も自分を傷つけた人間だったから。死にたいとこいねがう気持ちはよくわかる。それに私は家を出られた。そんな恵まれた人間が何の権利あって、あの子が楽になるのを妨げるのか、なんて。そう思ってしまったから。

 

だから私は常々思っていたのだ。あの子が死ぬというのなら止めはしない。それも一つの選択だから。あの子の判断として尊重する。でもひとりぼっちで死なせたりはしない。かつて私が手首を切って死にかけたとき。自分というものが、ほどけて溶けて消えていくあの感覚。どこまでもひとりぼっちで、自分と言うものがどんどん流れ出していくあの感覚。だんだん自分というのが希薄になっていくあの感覚。あの感覚を一人で味わうのは、堪らなく怖かったから。

 

あの子にはそんな寂しい思いしてほしくなかったから。だから、私もあの子の側で死んであげる。それが私にできる数少ない償いだから。そう、思っていたのに。

 

あの子はたった一人で死んでしまった。誰にも看取られることなく、ひとりぼっちで死んでしまった。ひとりぼっちにはさせないと、そう誓っていたのに。私が寝ている間にたった一人で向こう側へ行ってしまった。

 

「何でよ……」

 

私はポツリと呟く。ぺたりとお風呂場の床に座り込む。私にお供させたくないぐらい、私のことが嫌いだったのかな。そんな思いすら溢れてくる。そう思うと、心に大穴が空いたような気分になる。冷たい風がびゅうびゅう吹き抜ける、真っ暗な大穴。

 

「ごめんね」

 

私はそう呟きながら、あの子のそばに落ちていた安全剃刀を手に取る。今なら躊躇わずに私も死ねそうだった。手首に剃刀を当てる。どくん、どくんと脈動する忌々しい手首に。そして、一息に剃刀を引き抜こうとした時。

 

ピコン、ピコン、ピコン。

 

スマホから通知が鳴った。何だよこんな時に。つまらない内容だったら砕いてやる。そう思いながらスマホにノロノロ手を伸ばす。

 

通知を見ると、あの子からのLINEだった。書かれていたのは、たった2行。

 

「ごめんね、今までありがとう」

 

「最後のお願い。私をあの家のお墓に入れないで」

 

「そう」

 

私は小さく呟く。それがあなたの願い。私を残してまで叶えたかったあなたの願い。だったら、私は叶えてあげる。あなたの望み通りにしてあげる。

 

だから。

 

「少しだけ待っててね」

 

そう呟くと、わたしはあの子の頬に口付ける。顔をゴシゴシ拭う。涙は、いつの間にか止まっていた。

 

2.

必要な物を買ってきた私は、布団の上に横たえてあげたあの子の側に道具を並べていく。どんな硬い木材でも切れると言う電動丸のこ。どんな硬い骨でも砕くと言う、プロ向けの料理用ジューサー。血が飛び散らないようにするためのブルーシートと、血の痕跡を消すための合成洗剤。

 

私は、あの子を食べることにした。あの子をあの家のお墓に入れないために。あの子の痕跡を綺麗さっぱり消すことにした。それに、これはちょっとした意地悪でもある。あの子は一人で死んでしまった。私に何も言わずにひとりぼっちで行ってしまった。それってすごく寂しいことだと思うのだ。それに、ちょっぴり私は傷ついた。あんなに死ぬ時は一緒だと思っていたのに、私に黙って行ってしまって。私を残して後始末まで任せた。だったら少しぐらい報いを受けてもいいと思うのだ。

 

私はあなたを一人で死なせたりはしない。私と共に、生き続けてもらう。私の中で、私と一緒に生きてもらう。私の心臓が止まる、その時まで。そしてその時初めて、私たちは一緒に死ねるのだ。簡単に楽になんてさせてあげない。あなたがやりたくてもできなかったことを、たくさんしてあげる。だって、これからの私たちはずっと一緒なんだから。あなたは私。私はあなた。私があなたをずっと守ってあげる。あなたが一番大変な時、私はあなたを抱きしめてはあげられなかったけれど。これからはずっと一緒。誰も私たちを引き離す事なんてできないんだから。

 

だから私は、「大好きだよ」とあの子の唇に口付けて。ゆっくりと電動丸のこを押し当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




i=愛、I(私)、虚数i

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。