雨の日にだけ出会える、謎だらけでミステリアスなお姉さんの正体について。 作:お姉さんに「キミ」とか呼ばれたいだけの人
千家の巫女
──千家にあらずんば、人にあらず。
千家の歴史は遥か昔、千年以上前まで遡る。
この地……風音町がまだ別の名で呼ばれていた頃、人ならざるもの跋扈する地にて名を馳せた、彼の豪族、
風音町の守護者。
しかし、それとて今は昔の話である。
盛者必衰とはよく言ったもので、千年盛えた千家の歴史にも今や不穏な影が射していた。守護者としての怠慢、堕落。力持つ者として選民思想に現れた驕り。源 朝成が築き上げた確かなる基盤とて、長い時の中でじゅくり、じゅくりと腐り果てようとしていたのかもしれない……。
***
「はぁ、はぁ……」
静かな庭園に、荒い吐息が乱れる。青々とした夏の木々達がその場所にしんと収まっているのに対して、少女──
「どうした、その程度か?」
叶笑と向かい合ったショートヘアーの女、
武器を手に、互いに打ち合う二人の様子は修行と形容するには生温く、まさに死合いだ。そうでなければ人は育たぬ、過度な可愛がりは千家の慣習と化していた。
「ま、まだまだ……ッ!」
吠えては砕かれ、吼えては砕かれ。叶笑の足には疲労が蓄積されて、とうに膝が笑っている。
それでも、手に持った槍を支えにして立ち上がった。自分の真価を見せるために。
「少しは強くなったようだが、この程度では“外”ではやっていけん」
魅涼は小蝿を払うよりも易々と、叶笑の攻撃を振り払った。刀と槍、リーチの差こそ有れどそれは技量の前では無意味な事だ。
何よりも、彼女……花影 魅涼には外で積んだ経験値があった。
千家における“外”とは、外国の事である。
この国とは別の、海の向こうの異国の地にも妖魔と似た化け物が発生する。通常であれば、自分の国の災いは自国民だけで対処するものだ。他所者がズカズカと踏み込んで武勲などを主張されては堪ったものではない。それは当然である。
一方で、千家は両者の更なる研鑽を建前として外とのコネクションを築き上げた。全ては、千家の体たらくを改善するために。風音町の妖魔は未だ微々たる、取るに足らない存在でしかない。その程度の敵を相手にして得られる実戦経験は高が知れている。
だからこそ、外を目指した。言い換えるなら、其処はもはや千家の若き獅子達が経験値を積む(レベルアップする)ための狩場と化していたのだ。
「中級妖魔を倒したくらいで得意げになっているのではないだろうな?」
「でも……!」
『私は上級妖魔をも討ち倒したのだ』、と叶笑は告げようとして止めた。アレは自分一人の実力によるものでは無い。お姉さんの助力……破邪の指輪が無ければ、間違いなく殺されていた。それなのに、何を成果として揚々と語るというのか。
何よりも、女の存在を明かせば千家に目をつけられ兼ねない。自身の失言で女の身に危険が襲うやも知れぬ。少女はそれを最も危惧した。
「そろそろ、夜会が始まる。身なりを整えておくんだな」
そう言い残し切り上げようとした魅涼に、叶笑は待ったをかける。
「姉さん、今日の“夜会”の用件って聞いてますか?」
「……いや。それでも、末端の分家まで召集しているのだ。只事では無いのだろう」
朧月の夜に一つ、強い風が吹き抜けた。木の葉を攫って走り去って行ったそれに、何か嫌な予感がして、少女はついつい空を睨んだ。
(お姉さんに会いたいな……)
なんて、心の中で独りごちながら。
***
「皆、今宵は急な召集であったにもかかわらず、よくぞ集まってくれた」
上座に座する隻眼の翁、
曰く、二百年もの歳月を生き永らえている古株であるとか。
曰く、その常軌を逸した年齢は神聖力によるものであり生命を維持するための能力に振り切っているのだとか。
秀墨に関して囁かれている噂は、もはや生き証人さえ存在しない。誰も知らなければ誰も知り得ない。しかし、千家の老院とて彼には頭が上がらないのが事実であり、それは若い衆であれば尚の事であった。
そんな、怪しい老人の言葉によって千家の夜会は幕を開ける。
張り詰めた空気が夏の蒸し暑ささえ冷やしていくようで、とてもではないが肩の力は抜けない。妖美に揺れる燭明に視線を移せば、魂までも持って行かれてしまうのではないかと錯覚する程に、場の雰囲気は妖気なものであった。
「さて、早速本題へと入ろうか……」
老人の嗄れた声が静寂を切り裂いた。老いた口から次にどのような言葉が出るのか、皆が耳を傾ける。
「先日、この風音町に上級妖魔と思しき反応が現れた──」
その俄かには信じ難い言に、場は一様に騒めき始める。
「なんと」
「信じられん」
「どうして今になって……」
「それよりも“穴”は大丈夫なのか!」
ざわ……ざわ……、と。ある者は慌てふためき、またある者は息を呑んだ。
それもその筈である。
千家において言い伝えられている上級妖魔といえば、当時の守護者が束になって懸かり、やっとの思いで“封印”に至ったという存在である。その強さが誇張か真実か。確かめる術こそ無いが、脅威である事に間違いは無い。何よりも、数百年間の出現が無かったのは事実であり、現代の千家の者達は此度の異例性に驚愕せざるを得なかった。
「誰がっ、誰が討ったというのかッ!?」
荒々しい声が響き渡った。そう、そうである。被害が出ていないという事は、誰かが倒してみせたのだ。イレギュラーとすら形容された上級妖魔を。その手で。
そして、それが出来る者は限られていた。風音町はまだ安全とされていたから。だから、この地で御役目を熟す人員も必要最低限であったから。
「──その日の役目を務めておったのは、叶笑じゃ」
秀墨の言葉で、視線が少女に一極集中する。四方八方から降り注ぐ矢印に、叶笑の心臓はどくり、どくり、と大きく鼓動した。
「……た、確かにアレは他のとは明確に違っていました。今まで中級妖魔と言われるものとも相対して来ましたが……その枠組みで収めておくには桁外れというか……」
重くのし掛かる圧を前にして、やっとの思いで口を開いた叶笑は、ボロを出してしまわないように、たどたどしく言葉を紡いでいく。その内心たるや冷や汗が滝の如く流れていたに違いない。事実、強張った握り拳の中で、丸みを帯びた爪が掌に食い込んで刺さっていた。
「……叶笑」
「本家筋の……千家叶笑が……」
「これまで目立った活躍は無いように思えたが……」
「信じられん」
「……有り得ない」
衆愚は思い思いに言葉を吐き捨てた。まるでそれは奴隷市の競りのように、指を差しては値踏みしていく。
「本当に上級妖魔だったというのですか!?」
誰かが声を張り上げた。その後に、「そうだ」「そうだ」と同調の声が上がり始める。
腕自慢の益荒男は信じたくなかったのかもしれない、自身よりも劣る存在と下に見ていた少女の偉業を。
平和ボケした老耄は認めたくなかったのかもしれない、上級妖魔という安寧を脅かす存在の出現を。
「儂も感知したが、アレは間違い無く上級妖魔に分類して良いものであった。……それとも何か、お前らは儂を疑うか?」
秀墨の単眼に怒気が乗った。凄まじいまでの威圧感が発せられる。蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事か。それだけで、この場の全員は口を閉ざす他なかったのである。
「どうやったのかは知らぬが、叶笑にはアレを討つだけの才が眠っておったらしい。これは千家として喜ばしい事ぞ」
秘匿したいのだろうか、秀墨は上級妖魔を倒した術を公では問い質そうとはしなかった。
それは叶笑にとっても幸いな事であった。言い訳等、後から幾らでも思い付く。夜会をやり過ごしさえすれば、またいつもと変わらぬ日常が送れる……そう、思っていた。
「そこで──叶笑を今代における“千家の巫女”とする」
その言葉は場を駆け抜けた。早馬よりも速く、聴衆の耳に届いたに違いない。衝撃が轟き、驚愕する。目を見開き、唖然とする。唾をごくりと飲み込み、脂汗を垂らす。口をぽかりと開けて、自分の耳を疑いさえする。──千家の巫女、とはそういうものであったのだ。
「み、巫女ですか……」
「叶笑に巫女の素質があると……?」
「千家の巫女など、長く選ばれていないではないですか!」
「千家の巫女が必要になる程に風音町は危ういのか……」
巫女というワードが出てからというもの、夜会はもはや落ち着きを失っていた。それはどうも若輩よりも老輩の方が顕著に見られ、事の重要性を理解しているのは年配の者であることが窺い知れた。
「き、記録に残っている限りでは……千家の巫女が最後に“産み出された”のは五世紀も前の事です……それを今になって、どうして……」
厚ぼったいレンズの向こうに、困惑の色を浮かばせながら、見るからに知識人だと言わんばかりの、痩せぎすの眼鏡の男が喋り始める。
────千家の巫女。
それは、千家における禁忌。秘蔵された技術を以て作り出す、対妖魔の最終兵器。神器を振れば山を割り、神楽を舞えば穢れを滅する。人造の最強。
──故に、素体を選ぶ。
一つ、頑丈であるか。
一つ、才はあるか。
一つ、千家の血は流れているか。
一つ、…‥等々。
何よりも重視されるのは、女かどうかである。
そういう意味で言えば、叶笑は全ての条件に合致していると言えるだろう。後は……。
「何を恐れておるか。備えあれば憂いなし、よ。我々の手で千家の巫女を現代に再臨させてみせようではないか。なぁ?」
秀墨が腿をパンッと叩いて、乾いた音を発する。それがカチンコみたいに、クラッカーみたいに、人々の意識を呼び戻した。
「叶笑、お前はどうじゃ?巫女として、人々の……千家の更なる繁栄のために戦ってくれるか?」
迫られる同意。無言の圧力。所詮は若輩者である叶笑では、否と拒む事はとてもでは無いが許されない。重くのし掛かる羨望に、首を垂れて承諾するしかない。屈する他、無いのである。
「……は、い」
それは贄。
それは供物。
それは期待。
それは信奉。
叶笑にあらゆる感情が向けられた。
千家のために身を捧げ、未来をも捧げる。彼らはそれを神でも崇めるが如く有り難がって、平和を謳歌する。一人の少女の犠牲によって、幾万の人々の明日が担保される。なんと素晴らしき自己犠牲の精神か。そして、いつかきっと彼女は本当の神として昇華するのだ。
千家の巫女になるとはそういう事で、叶笑はまさにこれからその道を歩む事を運命付けられた。
「あはは、喜べっ! 笑えっ! 今日という日は千家の歴史においても輝かしき、嘉日である! 新たなる巫女の誕生を祝おう!」
歯を剥き出しに、下卑た笑みを浮かべる秀墨。最初こそ戸惑っていた周囲も、やがて口角を上げ始める。
夜の山に、笑い声が響いていた。
最も、それは千家の者だけの内々で祝われ、町の人々の耳には届きはしなかったのだが……。
***
暗い、暗い、地下の暗室。千家の屋敷の下に設けられた研究室、もとい実験室。普段は神具の可能性の探究や、捕らえた低級妖魔を使って研究が行われている、そんな場所。
其処に、手術台に寝かせられた少女の姿があった。
更には、台を中心として取り囲む人間達の様子。何やら会話する彼らの言葉を、少女は聞き取れない。混濁する意識の中では、人々の言葉は形にはならなかった。
(キャトル・ミューティレーションされたら、こんな感じかな……)
呑気な考えは、もはや諦観を意味していたのか。
叶笑とて、巫女になるという事の全てを受け入れられたわけではない。少女は今更になって、抗えば何か変わっただろうかと考えた。いや、それでもきっと結末は変わらなかっただろう。少女一人に何が出来る。何が為せる。暴力で制圧されて、それで終わり。千家という強大な力の前では無力でしかない。
変わらない。変えられない……のだとしたら、痛くない方が良いに決まっているのだ。
「結べ」
やがて、叶笑の身体が台に結び付けられていく。妖魔に使用される頑丈な拘束具が、肉に食い込む程にキツく締められていた。もう逃げられない。身動きすら出来やしない。
「それでは叶笑様、見事巫女と成りますように我々も持てる技術を結集して“巫女の印”を施させて頂きます」
千家の技能衆の男が少女に声を掛けた。冷徹で、血の通っていない言葉。技能衆とは、そういう集まりなのだ。
千家の技能衆……そこに自我は必要とされない。人情も、容姿すらも覆い隠して、ただひたすらに千家の発展に叡智を捧げる陰の集団である。
そして今、彼らは五百年も前の秘技を現代に甦らせようというのだ。
「前腕部、仮印終わり」
「下腿部も完了」
儀式は手術のように迅速に、無駄なく進められていった。身体中に描かれた何事か。まさに秘術と形容するに相応しかった。
「──刻印開始。」
その言葉を皮切りに、叶笑の身に千家の巫女の印が施されていく。
それはまるで祝詞であり呪言。血管というのは全身に血を行き渡らせる為に張り巡らされているものであり、それを利用して呪詛を刻み込めば、呪いもまた躰中に行き渡る。体の内に奔る痛みは、不快であり苦痛。悶えようとも掻き毟ろうとも解消できないであろう苦しみに、ただ声を上げて泣き叫ぶ他ない。
「あ゛ぁ゛ああああ────ッ!!」
耳を劈く程の悲鳴が、響き渡った。
はやく終われ、はやく終われ、はやく終われ。
頭がぐちゃぐちゃに掻き乱されていく感覚に身を震わせる。それはバロットよりもグロテスクな状態に蕩け切ってしまうかもしれない。
只人であれば耐えられない。千家の血を引いていてもどうであろうか。だからこその、器。千家の巫女になるには、そもそも儀式に耐えられなければならないのだ。
「適合反応検知、順調に巡っています」
叶笑の身体に浮かび上がる、巫女の印。それが正しく叶笑に巫女の資質が有るという事を意味していた。
「第一刻印、成功です」
やがて紋様が引いていき、同時に苦痛も寛解していく。
完全なる巫女と成る為に、後二回の儀式を要する。初めに器を作り上げ、次に補強、最後に溢れんばかりに満たす。第一段階の時点で九割が壊れる。第二段階で残った中のまた九割が、第三段階も同様に九割が耐えられない。そうして生き残った0.00……パーセントの可能性こそが巫女としての完成形であり、つまりは、叶笑が乗り越えた山は未だ初歩に過ぎないのである。
「……はぁ……はぁっ」
いつの間にか、叶笑の顔は流れ出た液体に塗れていた。汗、涙、唾液、鼻水……汁という汁を拭うことさえせずに、そのままでいる。その姿は、乙女と呼ばれる存在とは大凡かけ離れていただろう。他人には見せられない醜態を晒している。しかし、もはやそれさえも厭う事が出来ない程に叶笑の躰は疲弊し切っていた。
「ははっ、御目出度う叶笑。やはり儂の眼に狂いは無かった。お前は巫女に相応しい」
闇から現れた老父の姿は、ゆらゆらと揺れていた。はたして、この男に生気など宿っているのだろうか。情など宿しているのだろうか。
自分本位な冷たい口振りが、今なお火照る叶笑の躰に厭らしく絡みついた。それはもう、蛸が触手を這わせるが如く、己が手から離さぬように雁字搦めに。
「のう、叶笑。儂の巫女よ」
そうして翅を捥がれた蝶は、騒ぐ事も許されずに、ただただ静かに沈み堕ちて逝くのでした。
お盆なので地獄の底より舞い戻りました。
ぼちぼち進められたら良いなとは思ってます。
アバッキオの同僚も言ってましたからね。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回はダメだったとしてもいつかはたどり着く。だって向かってるわけだからな、って……。