ビタロサ王国シシリア州における、一般的な冒険者の日常。 作:カズあっと
読み易さ用への改稿。次話以後、読み易いと思える初稿で投稿したく存じます。
細部の表現や誤字脱字の修正を行いました。内容的には変化ありません。多くの方に読まれて、テンションで書いたけれど、推敲が甘過ぎました。
お目汚し、失礼しました。⇩は投稿時の前書き。反省の為に消さない。
お読み頂けて、感想、評価、ありがとうございます。10話が書き上がりましたので、投稿いたします。一応は、完結へのフック回と認識しております。
また、頂いた感想、大変嬉しく思います。ご指摘の序盤に固有名詞を詰め込み過ぎ、文が詰まっていて、読みにくいなど、完結後、修正や改稿に挑めたらと考えております。ありがとうございました。物語書きの練習の為に、低評価、厳しいご意見なども、参考にしたく存じます。多少なりとも、僅かな娯楽となれましたら。
細部を修正。推敲が甘いな。
大異界霊峰エトナ火山。上層、中層、低層から成る巨大異界。
その自然は苛烈であれど、既に人類種により低層の攻略は完了している。
広大な大地と山麓拡がる異界はシシリアの地へ恵みを齎す福音でもあった。そして中層は霊獣達の楽園だった。
立ち込める中層の草いきれの中。レンツォが対峙しているのは霊獣ではない。人である。恐らくはだが。
「何処の誰だかは知らないが、事後とはいえ、流石に殺しは見過ごせないな。首を揃えての出頭を勧めるぜ」
エトナ中層へは調査の為に来ていた。
以前に低層にてクマを見つけ、報告を行なっている。その後にも各地でクマの発見が相次いだ。
シシリア行政府と冒険者組合カターニア支部は共に、密やかに低層から中層への調査を開始している。
大っぴらでないのは確証がない為だ。都市カターニアのみならず、シシリア州は財源の多くをエトナ火山に依存している。
ただでさえ支柱であったオリヴェートリオを欠く今。州民へ不安を与えぬ為に必要な措置だった。
なので事情を知り、かつ信頼の置ける冒険者へ行政から協力要請が下るのは当然の話となる。レンツォもその一人として選ばれている。
「だんまりかよ」
そして調査の為に入山していた彼は出会してしまった。四人の黒ずくめの集団が、一人の男を斬り殺す様を。
倒れ伏す男に既に息はないだろう。頸と四肢が胴から離れている。
構える黒ずくめ達。その手には鋭利な白刃が握られている。刺突にも、斬撃にも振るい易い長剣だ。半身のそれは斬る事に特化した形状。
体表厚く皮膚の硬い霊獣向けではない武器である。レンツォもまた、盾と斧を構えた。
「目撃者を、消すつもりかよ」
言葉はないが、剣呑な気配であった。その推測は間違いではないだろう。一人も二人も同じ。どういった事情からかは判らぬ迄も、闘争の気配に気を昂らせるレンツォだった。
鋭い刃音が鳴る。盾を傾けて、白刃と打ち合った。響いたのは硬質な音。敵手は刃を立てず引く事により、レンツォによる武器破壊を凌いだ。
「どこの剣術かは判らんが、結構な腕だな?」
語り掛けるも返答はない。斧を振るう事で、一人への牽制としている。
三方向までならこの大盾で受けられた。数での不利を装備と戦術で補っている。
だが、このままではジリ貧だ。とも考えていた。
レンツォには四人を仕留める技など無かった。防げるものの、倒せはしない。
それはいつかとも同じである。そしてその時にはあった信頼が今はない。だけではなく、弱味はもう一つあった。
消す。つまりは殺すつもりの相手達である。みすみす見逃してはくれないだろう。
証左に切先には殺気が込められている。それはレンツォの持つ得物である斧に、ないものだった。
「なぁ。お前さん達よ。見逃して欲しいって、命乞いしたら、どうする?」
返ってくるのは剣閃だ。
判っていた事とはいえ、中々にしんどい。数度撃ち合う中で四名の力量は見切れている。
実力的には錬鉄といった所か。それなりの剣術であるが、その動きは対人剣術である。
急所を狙い、突き、斬る動きであった。その手合いであるならば、余程に逸脱した者でない限り、まず完全武装のレンツォが負ける事はない。
またもや三方向からの斬撃を、盾で受ける。
同志撃ちを恐れているのか、はたまた身を張るつもり迄はないものか、攻撃は温く、残心は甘い。
だが、殺意だけは本物だ。切り抜ける為には打ち倒すしかない。
斧での両断。可能であると理性は告げる。
盾での撲殺。これも可能だろうと思考は囁く。
だが、どちらも選べないでいる。
それはレンツォの経験故だった。
錬鉄の士である冒険者。兵のなり損ないである冒険者。大楯使いのレンツォは、まだ人を殺した経験がなかった。
反撃がない。という事に、たかを括っているのか、黒ずくめ達の剣閃に嗜虐的なものが混ざり始める。
それは油断か驕りか。彼等の攻撃は防御を捨てた型となり始めている。
剣を盾でいなしたその時に、片手に握る斧を振るえば斃せるだろう。
レンツォの剛力は山に棲む霊獣達の骨まで断った。防御の甘い人の身など、紙切れの様に断つ。
なのに、ただそれだけの事が出来ないでいる。
それが倫理観からのモノなのか、本能的な恐れからのモノなのか。レンツォにも判断がつかない。
だが、このままでは不味かった。
血臭が濃い。外気に晒されて、夏の陽射しで温められた遺骸が濃密な死臭を醸し出し始めている。
ここは霊獣達の楽園。エトナ中層だ。野生は死に対し、敏感な性質を持つ。己のモノでも、他のモノでもだ。
己の死は忌避すべし状態であり、他者の死は糧となる。血に飢えた獣達が糧を求めぬ筈もない。
——早く決着を、つけねばならん。
そう焦りはあるものの、攻撃を出来ないでいる。これは多分にレンツォの性格的なモノによるものだ。
全力であれば、勝てる相手達だった。殺人者達の剣には彼を屠る力はない。生命の危機を、感じなかった。
彼等は恐らくであるが、シシリアの者でも、そして冒険者でもない。
殺人者であり、敵だ。ならば遠慮など、する必要もない。頭ではそう理解している。
だが、心が、魂が。ソレを拒んだ。
幼き日。まだ、四つか五つだったか。憧れたのは、兵である。
エンナという、田畑くらいしか見る物のない田舎に駐留していた兵達だ。
彼等は皆、君達のお陰でこの島には飢えて死ぬ者達が殆どいないんだよ。そう伝えてくれた、気の良い大人達だった。
彼等は嵐が来れば土嚢を担いで川を堰き止め、氾濫を防いだ。大雪が降れば天幕を張り、そして後には雪掻きへと励んだ。強い風が吹き、潮風が吹いた後は農家であるエンナの民達と共に、地道に作物を枯らす塩を土より取り出した。
子供であったレンツォにとって、それらは大きな驚きだった。
当時の放送や絵物語などで見る兵達は横柄で、身を張る兵に捧げ物をするのは当然。という様な風潮があった。
この時期は南スラビア共和国での紛争期にあって、悲惨な内戦が継続していた。
大人となった今ならば、放送や絵物語は政治的宣伝の産物だったと判るものの、実際に接する兵達と印象に残る映像との解離は幼い彼には混乱を齎すものだった。
その頃に、兵の一人と親しくしている。まだ二十歳になったばかりの若い兵だった。それでも子供のレンツォからしてみれば、頼れる大人であった。
彼にその疑問をぶつけた事がある。兵の本当の姿はどっちなの? と。彼は真剣に考えて、答えてくれた。
多分、どっちも本当の姿なんだよと。
兵は民を護る為にいる。
それは、僕等の存在意義だ。時に横暴な行いや非情な決断を下さなければならない時もあるけれど、銃後の民を護る事こそが兵の本分なんだと伝えてくれた。
若者の、何気ない一言だったのかもしれない。だが、その言葉は幼いレンツォが親しんで、憧れを抱いた『英雄』達と重なるものだった。
物語の中の、理想の『英雄』なんかではない、本物の『英雄』が、側にいる。
憧憬を、抱かない筈もなかった。
農家として励むと共に、彼の様な大人になりたい。叶うものならば、兵となり、彼とも沓を並べたい。とも、望んだ。
そんな彼も亡くなった。エンナに発生した小規模異界の内部であった。それも迷い込んだレンツォを助ける為に。
発生した異界は、『塩の迷宮』。
異界そのものが塩であり、土地を侵食する。農産地であるエンナには致命的な異界であった。
本来、この様な新造の異界には準備を整え攻略をする。戦力に不安があれば応援を求めるし、充分な装備と作戦を以て挑むものだった。
だが、状況とタイミングが悪かった。
その異界が発生した当時、その場所にレンツォは居た。その場所は彼の家の畑から最も近い空き地であった。
かつて、塩害により立ち直れぬと畑を手放し、その家族の生命さえも手放したエンナの元農家が残した土地だった。夕方から夜に掛けて二人はその空き地を待ち合わせ場所としていた。遊ぶ為である。
彼はロウムの学府出で、元々のシシリアの民ではなかった。だが学生時代に訪れたシシリアを大層気に入り、学府終了と共に移住したらしかった。
連邦国家の内戦で、世相は荒れていた。ぽっと出の若者に碌な就職先がある筈もない。そんな中の選択肢の一つとして、彼は志願して兵となった。
シシリアは絶妙に田舎である。都会者に対する偏見があった。軽薄で、信用ならないと。そしてシシリアの州兵は、地元民の男達が成るものだった。
育まれた恩返しとして、成人の後の二年後の二十歳以後、一年間の兵役が科された。これは二十歳までにシシリアに住民票があり、かつその時点でのシシリア民にのみ適用される法だった。
彼に兵役の義務はない。だがシシリアは志願兵を受け入れている。
深く聞いた訳ではないが、彼は異物であった。
だからこそ余暇の時間を偏見を持たないレンツォと共に過ごしていたのかもしれなかった。
そんな彼が異界発生場所を聞き、駆け出さぬ筈もない。
約束の時間で、場所だ。主と国家の間の愛し子を危険に晒して我慢出来る筈もなかったのだろう。
この時彼は報告、連絡、相談を怠るという、過ちを犯している。
そしてその頃のレンツォは異界の中で、泣きべそをかいていた。
仕方がなかろう。まだ五つといった所であったし、異界は恐ろしいものだとも教育されている。
更には精製された塩だけで構成される真っ白な異界は恐ろしく、怨念じみた声が反響しているのだから、いよいよもって仕方がなかった。
そこに駆け付けたのが彼だった。彼の姿を認めたレンツォ少年は瞳を輝かせた。
やはり、彼は、兵とは、『英雄』なのだと。この時に湧き上がった感情の名前を大人となったレンツォも、判らないでいる。
だが、この時に誓いを得ていた。生きて帰って、州兵を目指そうと。
出よう。と言ったレンツォだったが、兵の彼は首を振る。出口はない。異界の主を倒すしかないのだと。
その時は知らなかったが、迷宮型の異界には出口が無い事が多い。出る為には攻略、つまりは設定された条件を果たす必要があった。
それは異界の主の討伐かもしれず、また別の条件かも判らない。取り敢えず、主を倒す事にするのが習慣だった。
どちらにせよ主を倒せば『侵食』が収まる。未知と不思議に彩られた『異界』という現象に立ち向かうのは人類種の義務でもあった。
この攻略は主の討伐により達成された。レンツォも無事に異界から生還している。だがしかし、彼だけは還らなかった。
この時の彼の装備は制式のものである。
ビタロサの軍人の習いとして、得意の得物、彼の場合は槍だった。腰には剣を一振りと銃。そして懐には禁じ手とされる最後の手段。
これだけの装備で足手纏いのレンツォを守りながら、異界の主へと挑んだ。
発生したばかりの異界の主。そう強大ではないだろうという、甘い打算もあったのかもしれない。
だが相性が悪かった。異界の主は塩だった。意思を持つ塩だ。槍や剣、銃や半端な術式などで屠れる相手ではない。
力があるではない。彼も傷を負う事はなく、無難に闘っていた。それでもやはり決め手がなかった。
仮に彼が強大な術師であれば、どうとでもなったのだろう。
時間が許せば応援も訪れて、生還の目は確かなものとなったのだろう。
だが、そうはならなかった。レンツォに塩分による中毒症状が現れていたからである。
幼く、身体が小さい頃だ。
レンツォだって、塩を口にする様な真似はしていない。
だが、口鼻での自然な呼吸や皮膚呼吸からも体内へ塩分は浸透していた。実物の塩よりもなお凶悪な、異界の塩。それが、幼い命を蝕んでいた。
だからこそ、彼は決断したのだろう。ビタロサの兵には禁じ手としての、最後の手段が与えられている。それは唯一神教会の異端。暗殺教団により齎された秘術。
彼等が『主の裁き』と呼ぶ強力な破壊術具の存在だった。
この術具は単純だ。これに術力を込める事だけで発動する。
その術具は体内術力と連動しており、その効果範囲は狭い。精々が術師の周り程度の範囲である。
だがしかし、威力はニュークリアによる極大破壊にも匹敵した。権能は消滅だ。文字通りに、何も残さない。だが、周辺に広く被害を齎さない。
危険で、慈悲深い存在だった。
暗殺教団による対象へ抱きついての自爆に使われて、兵達には最後の手段、自決用の禁じ手として渡された物だった。
「じゃあな。レンツォ。俺みたいな、情けない兵にはなるなよ。どうせ目指すんなら、『英雄』だぜ」
それが、彼の最後の言葉だ。
新造の異界は消滅。塩分中毒に罹っていたレンツォは治療され、一命を取り留めた。
そして文字通りに記憶と記録以外、残ったものはなかった。
レンツォの安全以外の何も残さなかった彼は脱走兵として処理されかけていた。
体調の落ち着いたレンツォが、大人達の噂話で聴かされた話だ。
これに我慢がならず、州軍エトナ編隊詰所へと乗り込んだ。
彼を、立派な兵で、『英雄』であった彼を不名誉除隊になどしてなるものか。証拠となる物品はない。あるのは記憶と心。のみだけである。
だから、レンツォは言葉を尽くした。
遥かに目上の、治安維持を担い、エンナの庇護者でもある彼等に真っ向から噛みついて、彼が本物の、シシリアの兵である事を必死で伝えた。
最初は取りあわれはしなかった。だが異界発生を知り、そこへ彼が駆けた事を知る情報部がおり、またレンツォの言葉を信じた両親や祖父母達の嘆願もあって、正式に過去視をも用いての調べとする事が決定された。
過去視は二つの異なるアプローチからされている。
レンツォの記憶を覗き、場所の過去を検証している。これにより、彼の名誉は守られた。
そして、彼の同僚である兵達に、深い心の傷を残した。
彼等は、仲間を信じていなかった事を悔いた。都会育ちの軟弱者と白眼視し、深く関わらなかった、自分達の不明を恥じた。
立派な男で、兵で、『英雄』だと失って初めて知った彼等であった。
レンツォにとっての『英雄』である彼は二階級特進後、名誉除隊となっている。
その後のレンツォは、他の兵達とも親しみ、いつか彼の様な『英雄』になろうと励んだ。
それが彼等の過去であり、レンツォ自身の心に強く影響を残す出来事だった。
兵は、護る為にある。
それこそがレンツォの原点。そしてそれこそが、今この場においての弱味である。
敵は彼の生命を脅かす様な手練ではない。今ここに、護るべき者はない。あるとすれば己自身であるのだが、それではレンツォには力が湧かない。冒険者としても兵としても、悪癖であった。
もしも倒れた冒険者に息があったのならば、闘えて、敵を倒していたかもしれない。それは護る為の闘争だからだ。
だがしかし、現実はそうでない。故にレンツォは決断出来ずにいる。
理性では殺人者など、例え殺してしまっても問題はないと叫んでいる。
だがしかし、彼等も人であり、家族や友人や恋人なんかがいるかもしれないと考えてしまえば、本能が禁忌に触れる事を拒んだ。故に、守勢に徹する事しか出来ないでいる。
けれど、矢張り血の匂いに誘われたのか、周囲には霊獣達が集まる気配を感じていた。
争いを見守り、漁夫の利を得る気配である。疲弊した愚かな得物達を屠らんとする、貪婪な気配であった。
そして、一際大きな気配。
それは、エトナベアのモノ。もしもヤツがこの場に辿り着けば、彼等程度の腕では防戦にもならない。刃など、通らぬからだ。レンツォとて、ソロでのクマ狩りなど、御免であった。
だがしかし、霊獣達の気配が薄れてゆくのとは対照的に、クマの気配は濃くなって来ている。
大きさと感覚から考えて、まだ若い個体だ。この時期でもあるし、親離れしたばかりの個体かもしれなかった。
だが、油断はならない。クマの巨体も膂力も、脅威でしかないのだ。そして、その気配が近付いて——。
レンツォの背中側へ現れた。
一息に跳ぶ。クマの直線的なぶちかましは、エトナボアの五倍を超える。つまりは、音の五倍以上であった。
だが、クマは、立ち上がったまま動かない。その瞳で、周囲を、獲物達を睥睨している。
クマの厄介さには、この生物としての強大さから来る威圧感にもあった。人類種は本能的に、敵わぬ、喰われるとの恐怖を抱く。
そして、それを増幅させ、動きを縛るのが、エトナベアによる
地を蹴ったレンツォで、我を取り戻したのか。殺人者達は、踵を返す。正解だ。彼等では、クマの餌となるしかない。
レンツォも足腰へ強化を籠める。
良き相手に恵まれて、三年前のあの日より、彼もまた成長している。クマの速度は脅威だが、それも直線的なモノだ。
立体的な移動を可能とする彼が逃走に徹するならば、経験の浅い若クマになぞ捕らえられる道理はない。
息を吸い、一つ吐く。測るのはタイミング。クマの動きの後の先さえ取れば、逃げ切れる。そう確信を込めている。
だが、思わぬ事態が起こる。
逃走を計った殺人者達だが、あろう事か冒険者の遺骸に向かい、その離れた頭部を拾い上げ、クマへと投げた。
五月蝿そうにしたクマは、腕を振る。冒険者の頭部はそのまま弾けた。
目が眩む。真っ赤な視界が滲んだ。
奴らは、何をした? 事実は単純だ。遺骸の頭を拾い、クマへと投げた。斬り落とした、人の頭をだ。
クマは何をした? こちらも単調に、腕を振るっただけだ。邪魔だと、五月蝿そうに。
その結果。何が起こった? 簡単な答えがある。弔われべき、哀れな犠牲者の頭部は消失した。原型を留めぬ程に、砕け散った。
ふつふつと、腑が煮えくりかえる。
人は、誰もが尊厳を保たれなければ、ならない。単純で普遍的な道徳観だ。戦闘は、世の習いでこそある。敵ならば闘わなければならないし、殺すべき時には殺す事こそが正道だった。
しかして死者を辱めてはならない。敵であり、害であろうとも。同族であり、共に生きる同胞なのだから。そして誇り高き戦士の尊厳は、決して穢して良いものではない。
その時に、クマの咆哮が響き渡ったのは僥倖だった。一時、我を忘れかけていたレンツォは己を取り戻した。
人の尊厳を踏み躙る、外道をのさばらせてはならないと。
もうそれは、人ではない。死者へと報いる為に覚悟は決まった。
その為にはこの危地を脱せねばならなかった。
逃走は充分に可能だ。
だが、クマは畜生だ。残る遺骸も食い荒らす事だろう。人一人の尊厳を胃の腑へ収めて、満足して眠るのだろう。自然の理であるが、それでも許せはしなかった。
ならば逃走ではなく、闘争だ。
静かに大斧を振り被る。
盾は放している。クマの骨を断つには、片手の力では足りなかった。
クマはそんなレンツォへ注意を払っていない。
血の滴るご馳走に、舌舐めずりをしている。
所詮は畜生か。獣め。貴様に未来は無いぞ。
そう思考すると同時に、レンツォは駆けている。一瞬の間であるが、時が止まった様だった。
「兄貴っ! クマ殺し、おめでとうございます!」
「やっば、レンツォの兄貴はすげーぜ!」
「怪我とか、してませんか?」
「いや。偶々だからな。実力を過信して貰っては困るぞ」
冒険者組合に併設されたバールにて、最も騒ぐのは三名の少年冒険者達である。
他にも大勢の冒険者達がいるが、彼等に挟まれて、レンツォは苦い顔付きをしている。
何も、苦言を呈しているからではない。単純に、クマ肉が臭くて不味いからだった。
バールのマスターが腕によりをかけても、これだ。クマ狩りなど、流行る筈もないという、正直な感想であった。
クマの頭部を両断したレンツォは、殺害された冒険者の残った遺骸を拾い集め、収納の施された鞄へと仕舞った。そして熊の遺骸をおぶって、山を降りている。
オリヴェートリオ街道では、行き交う馬車や車両が事故を起こしたが、不注意運転だろう。気を付けて運転して貰いたかった。
カターニアの門へと辿り着くと、流石に守衛には見咎められたが、門へ入ろうとする不審者がレンツォであると判ると、祝福されてもいる。
単身でのエトナベアの討伐は、あくまでもシシリアでの地域称号でしかないが、クマ殺しの称号を得る。
それは実力の証明であった。
そして、クマ殺しの称号には数字が付く。討伐数の証明としてである。
名誉あり、実力の証明でこそあるが、この数字を好んで増やす者は多くない。単身でのエトナベア討伐など、無謀で非効率であるからだ。
何せ、エトナベアの価値は低い。経済的な意味で。
まず、肉は臭くてマズイ。内臓も全部だ。毛皮も硬さはそれなりで、ゴワゴワとして質が悪い。脂も質が悪く、火を灯しても中々燃えなかった。残るは腱や骨だが、腱は死後すぐに収縮を始め、無駄に硬くなる。その硬さもそれなりで、使い道はあまりなかった。骨は硬いが、充分に鉱物で代用の効くものだ。それ程の商品価値はなかった。
エトナベアは強大で脅威であるが、文明に寄与する様な特徴はまったくなかった。
人類種とっては、危険で傍迷惑なだけの害獣であった。
では、何故。レンツォはそんな害獣をおぶってまで、街へと持ち帰ったのか。
それは、シシリアの冒険者達の習慣にあった。
初めてのクマ殺しでは、遺骸を持ち帰り、マズイ肉を振る舞う習慣だ。悪趣味極まりない。
しかも、その際に収納を用いてはならないというのも伝統だった。
頑固で悪趣味なシシリアの古い冒険者達は、大量のクマの血で紅く汚れたオリヴェートリオ街道を、ヴァージンロードと呼んだ。実に品のない話であった。
何でも、この習慣は、オリヴェートリオの初代が島へ訪れて、初めて行った事績から来ているらしい。
実に碌でも無い習慣だった。
だから、レンツォは、嫌々ながらも習慣に従う必要がある。男性先輩冒険者達は頑固であり、面倒臭い連中だった。
中にはこのクマ殺しを熟してこそ、真の錬鉄と呼ぶ者までもがいた。
彼等に認められないと、合同依頼なんかには、組み込まれ辛いのだ。『英雄』を目指すレンツォには、切実な事情であった。なお、この習慣が適用されるのは、男性冒険者だけである。
クマは映像越しに見れば、大変愛らしい見た目をしている。加えて、子供向けアニメの主人公、小熊のビーさんとしても、人気を博していた。
女性達はその可愛らしさに騙されて、クマに甘いと男達は語る。
クマ達は雌雄を問わず、繁殖期以外は大人しく、しかも女性には懐きやすい。繁殖期こそ無理だが、そのせいで、見せ物小屋に連れて来られたりもしていた。
クマへの感情は、男女間で随分と異なるのだ。男達にとってクマ殺しは誉だが、女達には蛮行であった。
それでも、男であるレンツォは、伝統に従わねばならない。マズイ肉を囲んでの宴会は、男達との結束の宴であった。時にその絆は、何にも勝るものとなる。
なお、この日以後、レンツォは周囲に妙な気配を感じる様になったのだが、暫く様子を見ても、特にこれといった事は起こらないので、捨て置いている。
後に、その迂闊を悔いる事となる。
ともあれ、一クマ殺しレンツォは、真なる錬鉄。真鉄として、面倒臭い冒険者仲間達に受け入れられた。
一応は、めでたし。めでたしである。
もしかしたら、フック回の使い方間違っているかもしれません。この回から、完結へ向けた物語を書いていこうと思っています。
あとやっば。感想とか評価が欲しいです。