抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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一二話

「……いつにもまして、体調が優れないのではありませんか? そんな顔をしています」

 

 楽屋に入ってすぐ、美鈴の言葉と正面衝突した。「どうでしょう」と美鈴に近づけば、彼女はそっと椅子を引いて座るよう促す。本来は逆だよなと思いつつも従った。自分を操作する気力などとうになく、どこからの何で自分が動いているのか不思議なほどだった。

 

 太陽は高い位置にあり、それなのに、何日も続けて徹夜をしたみたいな倦怠感と焦燥がある。

 ぐ、ととなりから椅子が寄った。ばっちりメイクを施した美鈴は、普段にもまして魅力にあふれている。

 

「素敵です」

 

 なにかに駆り立てられて発した言葉。感情を感じる余裕はなく、言葉が口から滑り落ちたにすぎない。それが彼女の心の表面を滴り落ちていかないことを願う。

 美鈴は返事の代わりにうっそりとほほえんだ。手を伸ばして俺の額に触れ、「よく分かりません」と続く。

 

「楽屋でしていいことではありません」

「でしたらプロデューサーの家で、続きを」

「続きはありません」

「冷たかったですか?」と美鈴は関係のないことを口にした。

「そりゃまあ。女性の手ですからね」

 

 空調よりはあたたかいというレベル。美鈴はもともと体温が低かった。

 

「額はどうでしょう」

 

 ずいっと顔が近づいてくる。思わず上体をのけぞらせたけれど重たい体はのっそりしていて、美鈴は鈍重な猫の腹でも掴むみたいに、俺の側頭部を押さえつける。目を閉じたら、あたたかい感触の闇が視界いっぱいに広がった。

 

「ふふ……起きているときのプロデューサーは、こんな顔で目を閉じるんですね」

 

 美鈴は俺の耳もとに「こわばっています」と囁きかける。

 俺は側頭部から美鈴の腕をたどり、そっと肩を押す。まかり間違えば胸を触る可能性があった。

 

「人をからかうものではありません」

「本気ですよ」

 

 言葉のスマッシュが脳を揺らす。直撃したのはいつも通りの美鈴の声で、表面上は穏やかさと静けさに満ちていたけれど、ぞっとするほどの意志が込められている。

 

 ただでさえ疲れているのに、ぐわんぐわんする脳ではなかなか言葉を返すことができず、ライブ前に特有の緊張感を伴った沈黙が楽屋に広がる。

 美鈴は物理的に離れたけれど、心までは離す気がないようだった。太腿の上でぎゅっと拳が握られている。

 

「もしもプロデューサーが不安を口にしてくれるのなら、わたしは……わたしは。もっと張り切る(・・・・)ことができます」

 

 何から何まで奔走の毎日だった。新曲、衣装、段取り――すべてはライブを成功させるため。

 ふと立ち止まると、濃度の濃すぎる日々に追い立てられていたせいか、今まで何をしてきたのかさっぱり思い出せない。だが、ここまで漕ぎつけている。

 

 ステージの最終確認はすでに終わっている。あとは本番だけだ。

 

「できません。あなたはあなたのコンディションを整えることに専念してください。今日の主役は――いえ、今までもこれからもですが――美鈴さんなんですから」

 

 紙コップやら菓子やらティッシュやらの置かれた楽屋らしい机が、どっと俺にのしかかる。こんなところでまでステージの重圧を感じるのが嫌だった。

 持ち込んだ水を飲んで、今日三度目の胃薬を押し込む。容量や用法など気にしていられなかった。

 

「俺のことは――」

「担当アイドルに、力を分けてくださいませんか」

 

 アイドルの腕が伸びてくる。ひしと、美鈴は俺の手を両手で包み込んだ。

 普段はまったく意識しないけれど、小さいな、と思った。そんな体でどうやって動いているのか訳が分からなかった。きっと心臓だって俺よりも小さいのに、そのポンプは俺以上の勢いで明日に向かっている。

 

「そうしたら、わたし、とても嬉しい(・・・)んです」

 

 そんな、子どもが宝箱からガラクタ(とっておき)を取り出すみたいにされたって。学んだばかりの必殺技が放つ輝きは世界中を照らしていたけれど、俺はその輝きにかえって萎縮してしまう闇の側に立っている。

 

 感情を話すべきではない。話してはならない。少なくとも今は――今でなくとも。

 それでも気を抜けば涙のようにこぼれてしまいそうなのは、なぜなのだろう。

 

 首を振ると、美鈴は今度こそ諦めたらしく、唇を引き結ぶ。悲しそうだった。怒っていそうだった。傷つけられていそうだった。

 あぁ。ライブ前の担当アイドルにこんな顔をさせるなんてプロデューサー失格だな。そう思うとなんだか気分が軽くなる。

 

「でしたら、わたしが。わたしがお伝えします。あなたの心の鍵を探し出してみせます。合鍵がないのなら作ればいい……ピッキングすればいいんです」

 

 美鈴は椅子に深く座り直し、背もたれに全身の体重を預けるみたいにリラックスする。

 

「……本番までには、まだもう少し時間がありますから」

 

 深呼吸を繰り返した美鈴は、「まりちゃんもすごいんです」と口を開く。俺は何をされるのか分からない警戒心から、鍵なんてない鉄の扉なのだと暗示をかけて、がっちりと扉を閉ざしていた。

 

 楽屋が大きいせいで、長机を三つ並べても室内の中心からは外れない。凍えた鳥が身を寄せ合うように俺たちはその中心でじっとしていた。

 俺は身構えており、美鈴はほほえんでいる。

 

「でも、わたしだって」

 

 すごいんです。

 

 秘めた意志が瞳に宿っていた。荒れ狂う感情の嵐が、見上げられたら嫌でも伝わってきてしまう。

 

「応えてみせます。あなたの思いに。期待に。あなたが苦しんでいるところをずっと見ていました」

 

 その苦しみを無駄にしてしまったら、二人とも苦しいから。

 

 

 そうだ。期待を裏切ったら、裏切った側も、裏切られた側も苦しいんだ。でも、全部駄目だった。かけた労力への成果も対価も見合わない、コスパなんて言葉を地獄に叩き落とすみたいな生き方をしてきた。

 

「俺は期待なんてしませんから……」思わず、声が震える。「美鈴さんの好きなようにやってください」

 

 世界をうっすらと嫌い続ける幼い微熱を下げられないまま大人になった。そういう大人は、期待なんて自分勝手なおこないができない。

 

 血が流れたあと、その箇所が異様に発熱することがある。毎日そんな感じで、熱を発し続けていなければ死んでしまう発電所みたいにして生きている。

 世界が明るいのは太陽があるからではない。自分が光を放ち続けているからだ。苦しみ続けているからだ。だから今日も俺は生きていられる。

 

 

 あれだけ頑張っていたのに、たったこれだけ?

 

 

 取りたくて取った点数ではないし、そもそも勝手な希望を抱いた(期待した)のはそっちなのに、どうして刃を振り下ろされなければならないの? そういう理不尽に抗うために、努力は意味と形を変えた。

 

 最初は家族を喜ばせたかっただけで。

 最初はいい点を取るためだけのもので。

 最初は人を笑顔にするためだけのもので。

 

 努力はいつからか苦しむためのものになった。それが生きる意味となった。追い込みすぎて心身を構成する部品がばらばらになってしまっても、その欠片で俺は今日も息をしている。

 

 俯く俺の瞳には、今日まで俺に操作されてきた四肢が映っている。不意に影が差し、やわらかな感触に包まれる。まだ、俺の世界は明るくなければならない。

 

 美鈴は何も言わずに、しばらく俺を抱きしめていた。「よし、よし」と頭を撫でた。手が止まると、今度は言葉が慈雨のように降りそそいだ。

 

「これからを期待してしまうくらい、目にものを見せてあげます。あなたはもう少し、わたしに期待していいんです。わたしだけには、期待していいんです。そんな……権利があります」

 

「けんり」と俺は聞き返した。

「はい」と美鈴は頷いた。そして腕の力を強めた。「そのようにするかどうかは、今は決めないままでも。ただ、それだけをお伝えしたかったんです。プロデューサーには権利があります」

 

 おそらく俺が忘れてしまっているだけだけれど、母親から子守唄を聞かされたことはなかった。だから美鈴の言葉を子守唄みたいだと思った俺の感性は完全に誰かの受け売りで、情けなかった。

 

「それだけは知っておいてほしいんです。それまで忘れてしまったら――わたし、拗ねちゃいますよ?」

 

 俺たちを呼ぶ声がした。そろそろ出番らしかった。

 美鈴は最後にもう一度俺を抱きしめ、それから手を引いた。

 

「さぁ、行きましょう。わたしのプロデューサー」

 

 

 ゆったりしたテンポに乗って、指の先端までもが美鈴の意志で動いている。青色のライトが紫色に代わり、いきなり赤色に――そして曲調ががらっと変わる。

 

 美鈴はステージを支配し、観客を魅了し、いずれ世界に手を伸ばす。神様が手の一振りで建築物を薙ぎ倒すみたいにして人々の心にあるものを破壊し、そして新たな自分の塔を建ててみせるだろう。

 

 自分なしでは生きていけないようにしたい。

 

 願望に突き動かされた歌は、しかと観客の心に刻まれただろう。拍動の代わりに全身に鳴り響く低音には、いつも近くにいてくれる人の息吹があった。

 

 

 こんなステージを作り続けたい。

 こんなステージを期待され続け、その重圧に耐え続けるのは不可能だ。

 

 

 内と外とを音によってぐちゃぐちゃにかき乱されている最中、俺は自分を貫く鋼鉄の芯から一層熱が引いていくのを自覚した。自我とか、生きる意味とか。頑固者が柱としていたものががたがたと揺れ、崩壊していくのを感じながら、ステージを眺める観客の一人となっていた。

 

 

 美鈴のライブが終わると、手毬はステージ裏へと駆け込んだ。そのまま美鈴と話し込んだ。俺は楽屋のドアをこまめに観察しながら、自分が入るべきタイミングを窺った。

 

「あなたが美鈴のプロデューサー?」

「えぇ……まぁ」

「ふぅん。よかったんじゃないの。ステージ」

 

 そう言い残し、手毬は去った。楽屋に入ると、すすり泣く美鈴が取り残されていた。

 

 

 静かな楽屋で、美鈴の泣き止み方を見ていた。

 

 

 きっとこれは美鈴の人生の中で、節目やターニングポイントとして語られるべき出来事となったのだと思う。

 中学時代に一度飛べなくなった鳥が再び大空へ飛翔する合図。人生の意味を模索し続けた思想家が胸の中に光るものを見つけた瞬間。

 

「……わたしが泣いているところを見て、何も言葉をかけてくれないんですか」

 

 いまだにやさぐれモードの美鈴は、俺に目を留めて言葉を発する。

 ドアの近くに突っ立っていた俺は美鈴に歩み寄る。考える時間を稼ぐためにわざとゆっくり動いたけれど、言葉は液体みたいに脳内を流れていき、捕まえようとすると途端に解けてしまう。

 

 彼女の近くまで来たのはいい。しかし一向に言葉が浮かんでこない。ステージがよかったのは間違いないけれど、そんなものを求められている気はしなかった。

 

「頑張ったんですよ」

 

 美鈴は涙で濡れた手を伸ばし、白いシャツの裾をちょこんと握る。化粧がつかないように気を遣っているらしかった。

 

「わたし、頑張ったんです……」

「……えぇ。よく頑張りましたね」

「はい!」

 

 汗と涙で化粧が崩れても、彼女は美しいままだった。その笑顔を、どうして俺みたいなものに向けるのだろう。

 誕生していない思い出に見張られているみたいで、居心地が悪い。きっとここも大事な場面になるのだろうなと思ったら、じくっと胃が痛くなった。

 

 

 俺は……嬉しい。嬉しいのだと、思う。嬉しいと思わなければならない。

 興奮は髪の毛先からばらばらと滴り落ちていった。ライブが終わり、会場の熱と一緒に心は冷えこんだ。

 

 思考にまとわりつく冷たい靄からはいったん意識を外した。

 

「俺は……あなたが努力しているのをずっと見ていました」

 

 こく、と美鈴は頷いた。

 美鈴はただ、努力に耐えられる強度が俺よりも低いだけなのだと思う。それでも歩くことをやめない彼女は、すごい。やめられない彼女は、かわいそうなのかもしれない。

 

「よく頑張りましたね」ともう一度。笑顔が歪んでいないことを願いながら。

 

 ライブが始まる前にしてもらったように抱きしめたら、倍以上の勢いで抱き返された。

 背中に回された手がぎゅっとシャツを握る。美鈴は全身を俺の心に押しつけるみたいな強さでくっついてくる。

 

「また泣かせて……何がしたいのですか。わたしのことをどっぷり依存させて」

「何がしたいなんてありませんよ」

 

 自分よりも低い位置にある頭を撫でた。すっと手を伸ばせばだいたいこのあたりだった、と何も見ずに分かるくらいには慣れ親しんだ動作だ。

 

「今だけは、無防備でいいんです」

「……食べられてしまいそうです」

「ふざける余裕が戻ったのなら離れてもらっても?」

「駄目です」

 

 嬉しい。よかった。頑張った。もっと褒めて。

 

 美鈴は俺と違い、水を的確に掬って言葉にした。そこにはたいてい何かしらの感情の名前がついていた。

 俺たちはしばらくのあいだ、冬の小屋で互いの心と体をあたため合う旅人のように、肉体を一つの塊としていた。

 

 これからも褒め続けることだけは確かだった。美鈴は美鈴なりに、ちゃんと頑張っている。

 俺は彼女の歩き方や生き方を否定してはならないし、ましてやトレーナーのようにもっともっとなどと急き立ててはならない。彼女のシェルターであり続けるべきだと思う。

 

 

 感傷に浸る彼女に自分の冷たさをぶつけてはならない。この氷は自分で対処すべきだ。凍傷になったとしても握っていなければならない。

 

「せっかくですから、手毬さんとご飯を食べに行ってはいかがでしょう。積もる話もあるでしょうし」

「あんなことを言ったのに……ですか」

「よく分かりませんけれども、大丈夫ですよ。きっと」

 

 今の美鈴はきっと、無責任な肯定を望んでいた。感じたままを言葉にしてやれば、美鈴はくしゃっと笑って「はい」と返事し、弾みをつけて俺から離れる。

 

「ありがとうございます。わたしだけのプロデューサー」

「……どうしていちいち言葉が重いんでしょうか」

「だって……そうしないと、どこかに行ってしまいそうですから」

 

 目尻を下げて、美鈴は笑った。

 

「まりちゃんと向き合ってきます。それまで待っていてください」

 

 まるで次は俺を絆すみたいに言って、美鈴は深々と一礼する。謹んで強敵と相対する巫女のような神聖さが、パフォーマンスを終えた美鈴にはあった。

 全力を出してもなお彼女には余力があるようで、心臓に靴の先がめり込んでくるみたいな痛みに襲われた。

 

 俺の全力なんて言葉は、所詮はその程度なのだ。その程度でしかないのだ。

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