抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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一三話

 まったく興味のない人が見れば、無駄に金をかけてコンクリートの塊でしかない会場は、すでに熱気を失っている。巨大な怪物が破滅の運命を待ちわびているみたいに寂しかった。

 ベンチで一人、運命の巻き添えになることを望んでいた。

 

 

 こんな自分でも姉と妹との約束を果たすことができた。これまで歩いてきた道が急に砂塵の奥に見えなくなって、先に続くアスファルトすらないことに気づく。俺は荒野に一人で佇んでいた。

 退学届を出して、あとは。あとは――。食料も水も、きっともう必要なくて。

 

『ライブ、よかったぞ』

 

 ラインのトーク一覧に赤く『2』という表記があって、それは唯さんからだった。ライブが終わってすぐに送ってくれたようだ。

 美鈴からラインを受けていなければ気づかなかっただろう。美鈴は手毬との打ち上げを終え、無事に寮に戻ったらしい。

 

 

 つい唯さんとのトークをタップしてしまい、既読がついてしまう。こうなったからにはなんとかして返信しなければならない。適当なスタンプを送るのも神経を逆撫でしそうだし、『よかったです』などと送るのも淡白だろう。

 そうこうしているうち『どこにいるんだ?』と追撃が来た。

 

『外にいます』

『秦谷は?』

『手毬さんとご飯を食べに行きました。今はもう寮に戻っているそうです』

『お前は?』

『……外にいます』

『違う、そうじゃない』

 

 少し間が空いて、『打ち上げには行くのか? というか行ったのか?』と来た。字面はいつも通り切れ味の鋭いナイフみたいな雰囲気だったけれど、なんとなく頭を抱えていそうだ。ナイフと言っても唯さんが鞘からそれを抜くことはめったにない。そういうところが信頼できる。

 

『美鈴さんたちのも、みなさんとのも、遠慮しました』

『だと思った……そういうのにはできるだけ参加しろと教わっただろうに』

 

 あらかじめ返信を打ちこんでいたのだろう。ほとんどノータイムだった。

 

『で、どこにいるんだ』

『外にいます』

『埒が明かん』

 

 通話要求。タップすると即座に『お前が打ち上げをしないのなら、私が勝手に乗りこんでやる』と聞こえた。

 

『美鈴はお前の家に転がりこんでいるんだろう?』

「入り浸っている、が正しいです。彼女はまだ俺の家に泊まったことがありません。それだけは死守しています」

『致命的に線引を間違えているものを誇られてもな……反応に困る』

 

 少しの沈黙が生まれる。

 俺はベンチに思い切り背を預けて、星空を見上げた。唯さんから問われる前に答えるべきだと思った。

 

「……学園内にいますよ」

『探してほしいのか』

「どうでしょう」

 

 心を、探してほしいのかもしれません。

 

 うっかり口にしちゃったら、見上げた星空から地面に叩きつけられたみたいな鈍い痛みを心臓が響かせる。鈍痛の残響が消えるまでにはしばらく時間がかかりそうだった。それをできるだけ和らげるような優しさで、唯さんは『世話の焼けるやつだ』と言った。

 

『通話……切るか? それとも繋げておくか?』

「切りましょう。一人になりたいんです」

『それが私を走らせる男の言うことか……!』

 

 その一言を最後に、とぅるんと通話が切れた。

 

 何かに縋るのって、みっともないじゃないですか。それが他人ならなおさら。

 

 伝えられなかった内容が口の中で弾ける。唯さんにだったら。きっと俺は言葉にできたのに。

 静寂が体内に広がって、体外にも広がって、俺は世界と自分との境目を見失う。脈に乗った夜風が全身を駆け巡る。噛み締めた後悔が徐々に闇に溶けていく。

 

 

 期待に耐えることには、能力がいる。

 努力に耐えることには、能力がいる。

 

 人々は、それを、言語化せずに曖昧なまま押しつけ合っている。

 

 

「まったく……私を名探偵にでも育て上げるつもりか、お前は」

「儲かるんですかね、探偵って」

「儲かってもやらないからな、私は」

 

 唯さんの言葉に乾いた笑いをこぼした。軽いランニング程度だったらしく彼女は息一つ切らしていない。

 俺のとなりに腰を下ろした唯さんは、エコバッグから何かを取り出した。

 

「差し入れだ。ひとまず今日までよく頑張った……って気持ちを込めてな」

 

 渡されるままなんとなく握り、これはなんだろうかと考える。思考に潜った頭がいまだ現実に引き上げられていないせいで、いまいち分からない。

 

 ペットボトルの水ではないし、そもそも缶だ。コーヒー缶の細さじゃない。スチールではなくアルミ。……なんだろうか。

 

「なんです? これ」

「酒だな」

「……ビールですか」

 

 返答の代わりなのか、となりから小気味いい音がする。喉を鳴らした唯さんは、心地よさそうに一息ついたあと、「飲めるだろう?」と俺に笑いかける。

 静脈注射みたいな即効性で酒が回ったのだろうか、と錯覚するような親しみがあった。

 

「一応は。でも飲んだことはありませんよ」

「そうなのか?」

 

 飲みかけた缶を離し、唯さんは意外そうに俺を見る。そしてしみじみと「そうか。そうなんだな」と目を細めた。

 

「うまいぞ」

 

 木の葉のざわめきが、翻訳される前の呪詛のように聞こえた。ひとかたまりの闇の中で細部が蠢いている。

 小さな音ですら心臓に牙を立てた。痛みは絶望と同じように、毎度違う角度、違う強度で襲いかかってくる。だからいつも新鮮な気持ちで底に叩き落とされる。

 

「いいんですか? ここ、学園の敷地内ですよ?」

「ほう? そんな講釈を垂れるなんて、ずいぶん普段のおこないがいいんだな」

「……いただきます」

「介抱はしてやるさ」

「弱い前提ですか」

「弱いだろ、お前は」

 

 唯さんは闇の中に潜む真実を見透かすように続けた。

 

「いろいろとな」

 

 少しでも愉快になれればいいななんて考えながらプルタブに指をかけた。その瞬間に、冷たいものが吹き出した。

 

「うわ――」なんて叫びながら両腕を突き出す。まるで好きな人にチョコレートを渡す女子中学生みたいなぎこちなさとへっぴり腰のまま、それでもアルミ缶は手放さなかった。しばらくのあいだ黄金色のシャワーを浴びていた。せめて飲み口の向きを変えればよかった。

 いつの間にか離れていた唯さんは、愉快そうな笑い声を星空に響かせた。

 

「妙なこともあるものだ。私のほうはなんともなかったんだがな」

 

 言いながら、タオルを投げつける。

 

「癖で持ち歩いているんだ。拭くといい」

 

 ちまちま拭いていたら唯さんは痺れを切らしたようで、「私がやる」と俺からタオルをひったくった。そして頭を中心に乱暴な手つきで拭き進めた。

 

「……わざとだったんじゃないんですか?」

 

 普段なら疑うことはしないけれど、あまりにも状況ができすぎていたことと、この人になら疑いを口にする罪を犯せる気がして、口を開く。

 唯さんは「どうだろうな」と煙に巻いた。普段から俺がしがちな言動ではあるのだけれど、改めてやられるとかなり喧嘩を売っている感じがする。

 

「湿気た顔をしてただろう? それにお前、汗でべたべただったろう? 流されればと思ったんだ」

 

 どうして一音いちおんに祈りがこもっているのか不思議だった。

 

「吐いていいんだ。今日くらいは。聞いてやるから」

 

 

 汗がスパンコールと同化して、きらきら、きらきら舞い散った。美鈴は嬉しかったのだろうか。それとも悲しかったのだろうか。色褪せてゆく。景色が、光景が、汗が。

 

 汗をかいたらかいた分だけ冷えるように、高揚のあとには、それまで以上の寂しさが訪れる。これから先、いったい何度、足の下がまっくろいどろどろに飲み込まれていくような浮遊感を味わわなければならないのだろうか。

 

 成功して嬉しいはずだ。嬉しいんだ。何もできない自分が偉業を成し遂げたのだから。

 

「こんなこと、美鈴さんには言えませんよ」

 

 唯さんはゆっくりと酒を飲み進めながら、俺の話を聞く。笑わずに、真剣というよりも神妙な……どこか物思いに耽るような顔つきで。

 

「ああ、そうだな」

 

 美鈴ならこらえきれずに抱きしめるだろうけれど、唯さんはそんなことをしない。正しい大人の距離感で子どもの俺に接しようとしてくれる。

 

 

 英雄が英雄であり続けるためには、成功を、一のレベルの成功を収めたあとは二のレベルの成功を収めなくちゃいけない。そう思うと、息が詰まった。

 

 みんな笑っていた。嬉しそうだった。賑やかさが耳の奥に卵を産みつける。俺にはそれが時限爆弾にしか思えなかった。俺の未来には、どんどん重しが増え続ける。

 

「今度はもっと大きいことを……全国ツアーだとか、テレビ業界に進出だとか、あるいはライブ配信を主にした……みんなの近くに存在するアイドルとか。そんなふうな伸ばす先を設定しなければならない」

 

 大学の講義ではぼやけていた部分が、担当アイドルがいることによって急にはっきりとした質量で重くのしかかってきて、心が悲鳴を上げる。

 

「秦谷はきっと、全国ツアーをすると言い張るだろうな。ろくにレッスンもしないくせに、実力はちゃんと確かだから」

「美鈴さんだって自分のペースで――」

「知ってる。分かっているから安心しろ。……お前、努力を人がなんだかんだ言うと異様に反応するぞ。自分のほうが努力しているのに、それはなぜなんだ」

 

 俺はその質問には答えず、自分の脳内を吐き出すことを優先させた。

 

 これからはその重さを積み重ねなければならない。当然、美鈴に何かを言うことはできない。

 なぜなら俺が本心を吐露してしまえば、彼女がステージを成功させる足が鈍くなるからだ。足枷をつけようとは思わない。その重みは俺だけが味わうべきなのだ。

 

 でも、そうして人を魅了した先には何が広がっているのだろう。彼女が望む高みは明確だったけれど、彼女のファンが行き着く場所は不明確だった。

 アイドルは、美鈴は、いずれ引退して人になる。高みの味を知り続けたファンは取り残されてしまう。俺はその点にどのように対処すればいいのか分からずにいた。

 

 自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだから、自己責任と言えば話は終わりだ。でも、そうやって突き放された経験はいずれ膿んでしまう。

 

「次はすぐそこだぞ。ほら、N.I.A。まさか休むつもりではないだろうな」

「……それまでは頑張ろうと考えています」

 

「おまえ」と唯さんは前傾して、目の前にいきなりあらわれた現実の正体を探る。

 

「まさか秦谷のプロデュースをやめるのか?」

「……続けなければ、怒られてしまいますかね」

 

 一度終わったと思ったのに、まだ終われないのだろうか。

 

「本当ならここでいったん一区切りして、何もかもを投げたいんですけれども……」

「駄目だ。それはあまりにも不誠実だ」

「俺もそう思います。突然すぎますから。だから何かちゃんとした目印で別れたい」

「……一応伝えておくがな」

 

 このとき初めて、唯さんは俺の話を遮って自分の方向に持っていった。

 夜風にさらされ続けているせいか、唯さんの顔はこれっぽっちも赤くなっていない。記憶が正しければ俺と同じで三本は開けている。俺は体がぽかぽかする感じも、酔ったときに特有の気分が大きくなる感じも分からなかった。

 

「お前と同じくらいの年のプロデューサーが月村にもつくらしい」

「なぜそんなことを俺に?」

「……情報を提供しただけだ。これでお前がどう動くのかは、私は知らない。好きにすればいいさ」

 

 お前の話は終わっただろう? とでも言うように唯さんは自分の話を引き取る。

 

「あんまり自分を追い込みすぎると、今度は永久に休学することになる。それはやめておけ。きっと十王会長だって望んでいない」

 

「だとしても」と言いかけた俺の続きを唯さんは封じた。その方法は、美鈴みたいにずいっと顔を近づけることによってだった。

 

「人にはいろいろな権利があるが……お前が知らなさそうなものを教えてやろう。私はこう見えても博識だからな」

 

 唯さんからじとっとした目が向けられることは稀で、だからこそそれだけの状況にあるのだろう、と思う。

 

「甘える権利と期待する権利だ。法律には明記されていないが、人にはこういった権利がある。……少しは期待することを覚えたっていいんだ」

「同じことを、美鈴さんにも言われました」

 

 ふ、と唯さんは口もとに手を当てた。

 

「お前を見ているとそういうことが言いたくなる病気にかかるんだろうな」

「でも、人に期待するのは……罪なんです。疑うことだって本当は」

 

 他人の行動は制御できない。だから、何も期待しない。思い通りにいかなかったら腹が立つから。苛立ちで時間を黒く塗りつぶすよりも、がむしゃらに走ったほうが気持ちがいい。

 少ない才能でどうにか時間を有効活用している感じが好きだ。

 

 唯さんは愉快そうに笑い、俺の言葉に頷いた。

 

「今日の俊はしおらしくていいな。いつもは飄々と破滅に向かっていて手に負えん。毎日これくらいなら扱いやすいものを」

 

 唯さんの中で、少なくとも俺は扱いにくい人材に入っているらしい。美鈴もその部類だろう。それでも面倒を見てくれるのは、それだけ認めてくれているからで。

 いや、だとしても。自分を認めたら俺は俺でなくなってしまう。他人は他人で、自分は自分だ。

 

 唯さんはぐっと三本目の缶を飲み干し、四本目を開けた。やっぱり酔っていなさそうだった。

 

「また話を聞いてやるから、美鈴についてやってくれ。私たちじゃ手に負えないのにお前にだけは懐いてるみたいだから……それでお前が潰れそうならまた話を聞いてやるから」

「……でもそんなことしたら、美鈴さんから刺されます、俺」

「うわ……知らん。それくらいお前がなんとかしろ」

 

 内心を見せあった俺たちは、それからしばらく沈黙を味わっていた。ゆっくりと酒を味わい、後日聞いた話によれば、唯さんが酔い潰れた俺を介抱してくれたようだった。

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