抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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N.I.A編
一四話


 月村手毬についたプロデューサー、麗。

 賀陽燐羽の退学――というよりは移籍。

 差し迫っているNEXT IDOL AUDITION。

 

 問題は山積みだ。問題の大きさと比例するように、活動拠点にできた紙の山も大きくなっていた。ライブが成功して多少は睡眠時間を伸ばせたから、今日からまた削っても問題ない。

 

「プロデューサー。少し……」

 

 放課後すぐ活動拠点にやってきた美鈴は、俺の手を引いて中庭に出た。生徒の声と鳥の鳴き声が入り乱れる学園内を、黙々と歩く。心なしか歩調が早かった。

 

 やがて俺たちはいつものベンチに腰を下ろした。彼女が取り乱しているようには見えなかったけれど、これはあくまで表面上の話だろう。

 美鈴は心の叫びに耐えるように、じっと俯いて座っている。

 

「わたし……」

「はい」

「とても弱っているんです、いま、この瞬間も」

「はぁ」

「プロデューサーに何をしてほしいか、伝わりませんか?」

 

 無視をした。「ここは人前(・・)です」などと返答すれば、二人きりの活動拠点や家の中での暴挙を誘発するおそれがあった。

 

「麗さんと――」

「下の名前で呼ぶ仲なのですか?」

「便宜上です。手毬さんのプロデューサーと呼ぶより、麗さんと呼んだほうがいいでしょう」

 

 人名を呼ぶことに便宜も何もないだろうとは思ったけれど、美鈴の納得が最優先。美鈴はむくれた表情を隠そうともしなかった。それでも一応は了承してくれた。

 

「麗さんの件も、燐羽さんの件も、把握しています」

「さすがですね。わたしのプロデューサーは」

「集めるだけ情報を集めて、これから精査するつもりでいました」

「まあ……だからあんなに散らかっていたんですね」

 

 美鈴は手を合わせて、感激です、と伝えてくる。敬虔なシスターが善行を見かけたときにそうするようだった。

 

「心の整理をする時間が必要ですか?」

 

 美鈴は唇を引き結んだ。俺の目を数秒間見つめて、静かに「いえ」と言う。

 

「プロデューサーが集めてくれた資料を整理しながら、わたしは……わたしも整理します。いまはそのための時間と情報がほしいんです。りんちゃんの考えだって、なんとなくは分かっていますから、ちゃんと考えれば……結論を導けます」

 

「分かりました」と立ち上がった俺を見上げ、美鈴は「聞かないのですか?」と言った。

 

「何をですか」

「りんちゃんの考えや……わたしが整理する内容を」

 

 俺は毅然と首を振る。

 俺だって自分のことで手いっぱいだ。次のライブなんてやりたくないと思っているうちに事件が立て続けに起こってしまった。起こったからには対処しなければならない。俺はまだ美鈴のプロデューサーという皮を被らなければならない。

 

 これが終わったら……もう何もかも投げ出したい。だから、終わるまでは頑張れる。

 最後へ向かう決意は、人が限界まで努力を詰め込む理由となる。

 

 靴裏に跳ね返ってくるアスファルトの感触に、俺はいま地球に立っているのだ、と思う。地に足をつけて、朽ち果てているとしても巨木のように。

 握っていた拳からゆるりと力を抜き、深く息を吸う。青空の先に見える明日を思い切り睨みつける。まだくたばるわけにはいかなかった。

 

 事態を改善するための情報はもちろんほしいけれど、何よりも優先させたいことがあった。

 

「俺は、美鈴さんが話したいと思ったことしか聞きません。無理に聞き出すようなまねは絶対にしないと決めているんです」

 

 相談に乗るよ、と脅迫をするなど言語道断なのだ。

 美鈴はまるで自分が暴言を吐かれたみたいに目を見開いて、唇を噛んだ。

 

「プロデューサーは、相手にもその姿勢を求めているんですよね」

 

 

 結局、美鈴は自分の抱えている悩みごとのある程度を、俺に話すことにしたようだった。だが彼女もまだ整理がついておらず、何度も話の内容が前後した。

 頭の中に一つの基準線があって、その左右をまとまりのない思考が占めていて、美鈴はその三本で反復横とびをしているらしかった。

 

 拠点の整理が終わったのは夕方ごろで、美鈴は「少し歩きませんか?」と俺を散歩に誘った。

 

 レッスンが終わっている時間だからか、放課後ほど人通りの激しくない中庭をぐるりと歩く。何度も夕焼けを見てきたはずなのに、その光景はいつだって俺の脳に鮮烈に叩きつけられる。アイドルのライブとよく似ていた。

 

 一定の質量と強度で何度も繰り返されるべき物事が、どうして心の中で重みを増していくのだろう。

 

「FINALで戦おう、と約束しました。まりちゃんと」

 

 美鈴は自分の足先を見ていた。いつもよりゆったりした歩調なのは、きっといまだ考えごとに取り憑かれているからだ。

 

「ですから、勝ち上がらないといけないんです」

「美鈴さんは俺と出会った当初から、FINALに進めるだけの力を持っていましたよ。俺の力なんてほとんど必要ありません」

 

 俺は美鈴の力強い言葉を支えた。強固な家の一つの梁にでもなれればよかった。

 

「わたしは……あなたがいてくれて、嬉しいです」

「嬉しいですか」

「はい、とても」

 

 頬をそよ風が撫でた。美鈴の言葉も同じようにして流す必要があった。心に取り込めば、俺はいずれ取り込まれてしまう。内側から食い潰されてしまう。それを許してはならない。

 緩慢に歩く美鈴のとなりで一人緊張する俺は、道化師と言われることを望んでいた。感情を吐露していいと伝えておきながら、いざ吐き出されてみれば流すしかないのだから。

 

 

「プロデューサー」

 

 敷地内を一周したとき、美鈴は口を開いた。一瞬で俺の前に躍り出て、瞳を燃やして俺を射抜く。

 

「折り入って頼みたいことがあります」

 

 唐突だったけれど、彼女の声は最初の一文字から不思議と耳に入って記憶に残る。彼女の異様な雰囲気に飲まれ、俺は言葉を失っていた。美鈴は真剣そのものだった。

 

 だが、そう言ったきり美鈴は二の句を継げなかった。片腕で自分の肘を押さえ、居心地悪そうに視線をそらす。彼女がそんな態度をとることは極めて稀で、たったそれだけで複雑な感情が読み取れた。

 

 こういうときは急かさない。無理に聞き出そうとしない――と俺は決めていた。だから辛抱した。

 

 美鈴はついに激流から抜け出したようだった。

 

「わたしの中で……とても、複雑な歌を、複雑な思い出のある歌を歌いたいんです」

 

 

Campus mode!!

 

 

 拠点に戻ってすぐさま諸々を集める。

 その楽曲が俺の知っているものであり、同時に手もとにライブ映像があったこと。美鈴が以前に練習していたおかげで、そこまでの資料を必要としなかったこと。この要素が合わさったおかげで、一晩以内に情報集めと資料整理は終わりそうだった。

 

 今日ばかりは美鈴の面倒見も鳴りを潜めて、活動拠点は家探しをしたあとのようになっている。明日から少しずつ、レッスンの合間を縫って片付けることになるのだろうか。

 

 

「そろそろ休憩にしませんか」という美鈴の言葉で作業の手を止める。美鈴はDVDの入った透明なケースを見つめていた。

 そこにはネームペンで日付けと演者が書かれている。机の上には同じようなものが何枚も重なっていた。

 

「プロデューサーも知っていたんですね……」

「有名な楽曲ですからね」

 

 穏やかな調子に合わせ、言う。

 陽が伸びても夜が来ないわけではない。夜はいずれ必ずやってくる。

 

 暮れかかった陽が鋭角に切り込んで、ドアへと影を引き伸ばす。俺たちの影は無造作に散らかる教室の様々と溶け合い、分からなくなっていた。教室には二人分の無念と懐古と後悔が満ちていた。

 

 

 子どものころはテレビにかじりついていた。録画されたテレビ番組のパフォーマンスがDVDへと移り、やがてタブレットに収まる。媒体が変わっても、記憶は変わらない。

 

 美鈴がその曲名を口にしたとき、仲のよかった古い友人と数年ぶりに会ったときのように、埃を被っていた心が動くのが分かった。それは正しく、心としか形容できない部位だった。

 高揚を宥めすかしても、やはり冷静に興奮するばかりで、心は夜を踊り明かそうとする。元気というか、もはや気狂いじみた衝動がようやく収まると、今度は汗がさーっと引いていくみたいな冷感が全身に広がって。

 

 俺は現実を視認した。

 

 あれを披露するということは、アイドルにとてつもない負荷がかかるということだ。

 

 やると美鈴が決めたなら、きっとやり切ってみせるだろう。それも高い完成度で。俺に求められているのは、できるだけ早く「もういいだろう」のラインに到達できる計画を立てること。他にも、N.I.Aで勝ち上がるための作戦を練ること。

 無意識のうちに、痛む胃を押さえていた。

 

「そろそろ完全下校の時間ですよ」

 

 美鈴は時を止められた人形のように、DVDのプラスチックケースを持ったままじっとしていた。

 

「もうそんな時間なんですね」と彼女は顔を上げる。「懐かしくて、あっという間でした」

 

 

 二人分の足音が並んで響く。どちらともゆったりしたメロディーで、その空間から離れることを秒針が惜しんでくれているみたいだった。

 普段賑やかなせいか、放課してからの廊下は静けさが際立つ。窓から入り込んだ風に掲示板の張り紙が揺れるけれど、揺れ方はどことなく淑やかで、俺たちの影がそこに重なり合う。薄暗さが落ち着きを演出していた。

 

「過去を懐かしんでいるときって、どうして時間が早く過ぎ去ってしまうのでしょうか」

 

 美鈴は奇しくも同じ『時』について考えているらしかった。そして「不思議です」と続けた。

 

「過去はあっという間に過ぎ去りますし、未来だってあっという間にやってきます。きっとそういうものなんですよ」

「いまは……ゆったり流れていると思いませんか」

「……思います」

 

 いい返答をしたかな、なんて思っていたのにあっという間に論破され、口ごもる。今はゆったりしているのに、それが記憶として映像化されると、なぜだかたちまち倍速になる。

 恥ずかしさから、俺は少しのあいだ脳を鎮めなければならなかった。

 

「幸福も不思議です。あっという間に過ぎ去ったり、こんなにゆったりしていたり。自在で……でも、これもきっと、アイドルが表現できることの一つです」

 

 美鈴がアイドルに並々ならぬ心血を注いでいるのが伝わってくる。加えて期待も傾けている。幼い子がユーチューバーやゲーム実況者になると語る地に足のついていない感じと、それでもなお信じようとする決意とが拮抗していた。

 

 廊下での会話に意味などないのだろう。それでも、心にまとわりつく錆が水圧で洗い流されている気がして、意味なんてなくてもいいのかなと思い直した。

 極論すれば生きることに意味なんてないのかもしれないけれど、そこにむりやり意味を見出そうとしてしまうのは、検索すればほとんどなんでもの意味にありつけてしまう弊害なのだろう。

 

 

 

 冬の終わりを一番初めに実感する瞬間は、日暮れのタイミングだと思う。

 同様に、春の終わりも日暮れで実感する。

 

 雪解けの季節とまったく同じトーンで、俺は「まだ明るいな」と呟いた。「しかし夕方はまだ冷えますね」と今回はとなりから返答があった。

 あぁ、そうか、と思う。季節も人生も、知らぬ間に変化しているのだ。

 

 校舎の入口に樹木の大きな影がかかっている。木の葉の隙間から選ばれた夕陽が欠片となって散る。俺たちはその空間を脱して明るい世界に飛び出した。

 正門をくぐらず、学園の敷地内をぐるっと迂回するようにして駐車場へ向かった。

 

「わたしは……まりちゃんと約束しているんです。トップアイドルになる、と」

 

 校舎が夕陽を遮っているせいで、となりを歩く美鈴の表情は分からない。

 

「それに加えてもう一つ、昨日約束をしました。あの場所で戦うと言葉にしました。だから……絶対に負けられないんです」

 

 美鈴は俺に手を伸ばした。

 

「一緒にいてくれますか。プロデューサー」

 

 俺はその手を取れなかったけれど、ためらっているうちに抱きつかれて、「ありがとうございます」と言われた。

 彼女の耳もとへ囁くように言った。呪詛と言祝ぎ(ことほぎ)のどちらなのかは彼女に委ねた。

 

「大丈夫ですよ。美鈴さんなら」

 

 俺が彼女のプロデュースを始めるきっかけになったあの日と同じ行動は、もうできない。けれど自身の全体を触れ合わせるような抱擁を返し、それからやんわりと離れるように促した。

 俺を見上げる彼女の瞳には、不安が浮かんでいた。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫です。やることはやりますよ」

 

 校舎の影を抜け、開けた舗装路に出る。

 長く引き伸ばされた二人分の影が並んでいた。美鈴らしい揺れ方で。俺らしい揺れ方で。何にもまざることなく凸凹な地球の上に立っている。

 

 風が吹いたら吹き飛ばされそうなほど貧弱にも見えたし、化け物が倒れ伏しているみたいに鈍重そうでもあった。

 

 

 いきなり通話がかかってきた。差出人は美鈴で、事件でもあったのかと慌ててタップする。

 

『明かりが見えたので』

 

 開口一番の言葉は不機嫌そうだった。寮から活動拠点は見えるはずがないのに、美鈴は当たり前のように俺を把握している。

 

 美鈴は自身のライブを終えてから、手毬と仲直り――のように俺は思っていたが、手毬いわく違うらしい――をしていた。そのため相部屋手続きを済ませ、引っ越しをしていたのだ。美鈴は相部屋になってからというもの、今までのように自由に通話できないことだけを嘆いていた。それなのに、なぜか通話している。

 

「手毬さんはどうしたんですか?」

『すぐ近くで聞き耳を立てています』

 

『ちょ、そんなことないし』と慌てた声が遠くから聞こえた。

 

 液晶の左上の数字が「20」になっている現実から目をそらし、要件を尋ねる。

 美鈴は思い出したように『そうでした』と話を引き取った。

 

『見ましたか? まりちゃんのミュージックビデオ。プレミア公開の。とてもよかったと思いませんか?』

「もちろん見ましたよ」

 

 興奮気味に美鈴は語ったが、おそらくそれは本題からずれた部分だろう。おそらく伝えたかったのは、月村手毬の公式チャンネルがMVやPVを立て続けに発表して話題を席巻したこと。まさに電撃発表だった。

 ユーチューブの通知を受け取った瞬間に俺はインターネットを練り歩いた。検索結果として表示された同じ形の四角には、喜びと驚きが半々くらいの割合で混ざって、たちまちそれはトレンド入りする。炎上したわけではない。だが拡散の具合は同等だった。

 

 遅れて曲を聞き、今まであたためていた構想だったのだろうな、と俺は麗さんの思考に思いを馳せた。

 SNSの告知からユーチューブショートの投稿まで、麗さんは時流を活用している。

 

「この時間まで残っていたのは、対抗策を考えるためです」

 

 半分ほど嘘だったけれどまぁバレないだろう、と思っていたら『本当ですか?』とすかさず問われた。

 俺は美鈴の言葉が聞こえなかったふりをして、「俺たちも力を入れるべきですね」と言った。

 

 推測の域を出ないけれど、俺たちがライブの準備をしている間に、麗さんは水面下でいろいろと進めていたのだろう。

 

「出遅れているとはいえ、美鈴さんの実力であれば十分巻き返しも可能です」

『……いい案が?』

「手毬さんよりもメディア露出を増やすので、美鈴さん目線で言えば悪い案かもしれません。効率的な方法でないうえに、結果に繋がるかは不明確で、なおかつあなたに負担を強いてしまう」

 

『やります』と美鈴は返事をした。彼女は最後まで俺の話を聞き、迷いなく返答したのだ。それは言葉を遮っての返事よりも、冷静さと信頼が芯で響いている感じがした。

 

「加えて公式アカウントの運用も本格的にしなければなりません。開設は早ければ早いほうがいいでしょう」

 

 インスタグラム、ティックトック――登録するメールアドレスはツイッターと同じほうがいいだろうから、まずはツイッターのメールアドレスを調べるところから。ユーチューブは確か審査に通らないといけないから、最速で登録したとして、早くても数日後の開設――曲の披露。サブスク型の音楽サイトにも投稿しよう。

 遅いか? いやむしろ手毬の話題が鎮まっているころだろうか? であればちょうどいい。同じグループだった(よしみ)を利用し、相互にファンを増やすことも視野に入れて。

 

 目まぐるしいスピードで思考が回転する。空回っている感じはなく、自転車で下り坂を進むときのような自然な加速が続く。どこからかむしり取ったA4の裏に書き殴り、点火した思考に追いつこうとする。走り書きは読めなくてもよかった。

 足りない自分の思考が物理的な手を上回る感じは、物理が思考を必死に追いかけようとする感じは、とても懐かしくて、無様で、よかった。生きている感じがした。風に前髪がぶわっといく爽快感すらあった。

 

『プロデューサー?』

 

 美鈴の声が自転車にブレーキをかけ、意識は現実に浮上する。書きかけの文章に思考を続けようとして、一度、二度、ボールペンがその場に黒い円を作る。

 

『わたしのプロデューサー?』

「……はい」

『ふふ。できそうですか?』

 

 愚問だった。最後までやりきると決めた以上は「やらなければなりません」と心と言葉が強く共鳴した。

 

『そろそろ……時間のほうがあなたよりも年上になってしまいますよ。それまでには終わりませんか?』

「いいえ。まだやらなければならないことがありますから――増えましたから」

 

『でしたらわたしも』と差し挟む形で美鈴は言った。

 ちょうど俺は「増えましたから」と言い終えたタイミングで、確認も込めて「はい?」と聞き返す。美鈴はもう一度『でしたらわたしも』と、先ほどよりもきっぱりした調子で答えた。

 

『わたしのことですから、わたしにも、責任を持って携わらせてください』

 

 美鈴は俺の言葉を待たずに言った。そこにはほくそ笑むようなところがあった。おおかた、わたしが関わっているのですから遅くまで作業できませんよね? という圧を込めているのだろう。

 

 俺はその圧に屈し、予定よりも早く作業を終えた。美鈴はきっと明日も頑張らなければならないから、俺が……俺ごときの効率の悪さが、彼女の歩みを妨げてはならないと思った。

 不思議なことに――理由は明らかなのだけれど――早く作業を終えたからといって、今日の目標地点まで進まなかったわけではなかった。

 

 

 翌日、『レッスン前に拠点へ寄ってもいいですか?』という美鈴からのラインに、俺は妙な予感を覚えていた。美鈴がこんなふうに確認をしてくることは稀なのだ。たいていは『寄ります』と自分の行動を伝える。このメッセージから察するに、彼女には後ろめたい何かがあるのだ。

 

 美鈴は愛想笑いで拠点のドアを開ける。母親のお気に入りのコップを割ってしまった子どもみたいな様子だった。

 

「まりちゃんのプロデューサーが……お話をしたいと言っていて」

 

「お断りします」と俺は答えた。美鈴は怯んだ。俺は遅れて、自分の眼光が鋭くなっていたことに気がついた。頭を振り「あまり気を悪くしないでほしいのですが」と添える。

 

「知名度や因縁を互いに利用し、利用される。それだけの関係には密な交流が不要と俺は考えているんです」

 

「それ以上の関係ならどうかしら」と女性がにゅっと顔をのぞかせる。端麗な容姿には見覚えがあり、同じプロデューサー科所属の生徒だった。麗さんは美鈴についてきたようだった。これが美鈴のきまり悪そうだった理由の真相だろう。

 

 そのまま流れるように拠点に押し入ってきた麗さんと、順調に話を進めた。美鈴は壁際に控えて、胃痛をこらえるように腹部をしきりにさすっている。だが最後には、「ずいぶん仲がよくなられたんですね」と黒い笑みを浮かべた。

 

 麗さんは俺に不思議な言葉を残して立ち去った。

 

「断ると思いますって美鈴ちゃんからは聞いていたの。でも、話せばきっとうまく連携してくれますよって言葉が不思議と引っかかって、興味のままに押しかけてしまったのよ」

 

 

 そうしてSNSでもテレビ番組の収録でも、美鈴と手毬は連携を続けた。二人一組のイメージを持ってもらいつつ、しかしできるだけ同じオーディションには出ないようにしてファンを奪い合う。

 互いを好敵手と認めて高めあう関係に世間は食いついた。圧倒的な実力ですべてを捻じ伏せていく美鈴か、はたまたオーディションやライブで最高を更新し続ける爆発力のある手毬か。SNSは賑わった。

 

 SNSの当てにならない予想はともかくとして、麗さんも手毬も「FINALの勝ちは譲らない」と再三俺たちに語って聞かせた。つまるところ、FINALまでは互いのファンを取り合わないように協力しつつ、決戦の地で白黒はっきりつけることを彼女らは望んでいるようだった。

 俺は彼女らの目論見に乗せてもらう形で、順調に美鈴のファンを増やした。

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