抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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☆一七話

 暗闇の中で食べるアイスはきっとおいしい。だから「アイスが食べたいです」なんて口にした。

 

 プロデューサーはバックミラー越しにわたしをちらりと見た。わたしはほほえみで視線を迎える。

 

「アイス……ですか」

 

 口の中で甘さを吟味するみたいな慎重な口ぶり。アームレストに乗せた左腕がハンドルに伸びて、両手が一○時一○分を描く。次の言葉に気を遣っていることが容易に想像できた。

 

「ローソンで新作のアイスが出たみたいなんです」

 

 この人は畳み掛けられると、それが自分の生き方に抵触しない限り折れてくれる。案の定だった。

 

屋台(・・)とかはこの時間やっていませんしね……ローソンがいいですか?」

おでんや蕎麦(・・・・・・)でも大丈夫ですよ」

「……アイスの気分だと思っていました」

「アイスの気分ですよ。ですがプロデューサーがそう言うのであれば……」

 

 繋がっていないようで繋がっている会話が、それぞれの歩調を確認しながら歩くみたいで心地いい。

 

「二つ食べればいいんです。あたたかいものを食べたら、冷たいもので締めましょう」

「なかったことにしましょうか」

 

 ウインカーの音が聞こえた。あぁもう終わってしまうのだな、と思ってプロデューサーから目を外して外を見る。どうやら延命されたみたいだ。

 目に飛び込んできたぎらぎらの中を車は泳ぐ。ステージ上で踊るアイドルみたいだけれど、効果的に配置されたライトはないし、道路を自由自在に動けるわけでもないから、似ていないかもしれない。

 

「はんぶんこにしませんか」

「アイスを?」

「はい」

「パピコとかチューペットみたいな感じなんですね。その……新作のアイスって」

「デカモナカジャンボの新しい味かもしれませんよ」

「それをローソンが新作って発表するんですかね……」

 

「どこで知ったんですか」などと適当に話しながら、車はわたしの蝋燭をちりちりと焦がしていく。

 プロデューサーは流行に聡い人だけれど、それは常にアンテナを張っているからで、ネットでバズったもの以外については驚くほど無知である場合が多かった。それが俊さんという人物だった。

 

 

 俊さん、だなんて。

 

 

 わたしはエプロンをつけて、夜遅くに帰ってくるこの人を、スリッパをぱたぱた言わせて出迎えればいいのだろうか。熱を持った頬にプロデューサーは気づかない。気づいてくれない。

 

 やがて赤信号に引っかかり、車はゆっくりと減速して止まる。プロデューサーはぼんやりと遠くを見ていた。彼の目は光にあふれた世界の何をも見ていない。

 

「想像してみるのも面白いですよ」

「新しいアイスを?」

「はい。話の種にでも」

 

 プロデューサーは「アイドルのプロデュースと似ていますからね」というよく分からない相槌を打った。わたしの顔を見て察したのだろう。わたしが何かを言うよりも先に「既存の商品のいい点を盗みつつ、改良とアイデアを加えるところが」と付け足す。

 

 そういうことではないのだけれど。まあ、いいか。いいでしょう――と思うことにした。

 

「そうだなぁ」とうんうん唸り始めたプロデューサーがほほえましい。死んでも死にきれなかった気難しい亡霊みたいな顔で彼はいつも歩いているけれど、ときどき無邪気な子犬になる。

 

 

 プロデューサーは赤子を出産する母のように、真剣に向き合ってくれている。わたしにも、アイドルにも。でも世界はそういう真剣さを「近寄りがたいもの」みたいにしてしまう節があるから、苦しい。

 血反吐を吐きながら進む姿を、少し前までは、「正したい」と思っていた。あなたは間違っている、と。でも、まりちゃん然りプロデューサー然り、そういう人ってどうして魂を震わせてくれるのだろう。はあ。

 

 プロデューサーは暗い顔で「人気商品の他の味が無難ですよね」と言った。声までぐったりしている。

 

「成功した別の商品と同じ味、とか」

 

 どこか卑下するような口ぶりだ。プロデューサーが笑みを浮かべるとき、心の中では必ず泣いている――と、思う。

 

「わたしは好きですよ。スイカバーの……バーベキュー味」

「まずはスイカって名前を返したほうがいいですね」

「バーベキューバー……?」

「居酒屋とバーを合わせてそうですね」

「出店してみましょう、どこかに」

「室内バーベキューって地獄だと思うんですけど」

「……プロデューサー、焼肉」

「あ」

 

 やったこと、ないんだろうな。

 

 プロデューサーは気恥ずかしそうに頭をかいた。

 少しだけ空気に羽が生えた。暗く熱いアスファルトに投げ出された彼の心も、そうなっていればいい。

 プロデューサーは視線でわたしに問いかけてくる。「わたしは」と考えるふりをした。

 

 想像力、なんて言うけれど。それはつまるところその人の見ている世界と、世界の捉え方だ。様々な欠片をかき集めて新しいっぽい(目新しく見える)ものを作るのだから。

 地面に膝をつけて腰を曲げ、太陽に後頭部とうなじと背中を灼かれながら、その陽光を受けてきらきらと光るものを懸命に探す。それが想像をめぐらすことだ。

 

 先の問いをすることで、プロデューサーの世界を知れると思った。

 逆に、私は堂々と欠片を差し出したい。

 

「食べるのにできるだけ手間がかからなくて、抹茶の味がいいです」

「やっぱりですか」

「やっぱり?」

「美鈴さんには和のイメージがあります」

 

  そのやっぱり(・・・・)がどれほどわたしの心を弾ませるのか、きっとこの人は知らない。プロデューサーは予想が当たった喜びをまったく顔に出さずに、ずっと前を見ている。わたしもまた、彼に突き刺さっている欠片を見つけた嬉しさを出さなかった。

 

 

 結局、新作のアイスは買わなかった。こういうときに「わざわざローソンまで来たのに」とか「新しいの買うって言ってたじゃん」とか、そういうことを言わない人でよかったと思う。プロデューサーは、まりちゃん、りんちゃんと違う意味でさっぱりしている。

 

 自動ドアをくぐると、むわっとした夏の夜風が肌にまとわりつく。わざわざスカートの中にまで入ってこなくてもいいのに。

 

「次に来たときのお楽しみです」と言うと、「期間限定って書いてましたよ」と返ってくる。プロデューサーは言ってから墓穴を掘ったことに気がついたらしく、苦い顔をした。私は対照的な笑みを浮かべた。

 

「一週間後に……では、また」

「……太りますよ」

 

 女子に対して言うことに抵抗があったのだろう。プロデューサーは、まったく本意ではないけれど仕方なく悪事を働いた善良な人みたいに横を向いている。

 

 そっと手を伸ばして頬に触れてみる。動揺でエコバッグが揺れた。

 

「いけませんよ」

 

 どうしてつれないことを言うのですか? なんて言えるわけもなく。私はすごすごと車に戻った。

 あなたと過ごせる時間の延長料金くらい、代償として体で支払ったっていい。思いかけて、でもそうしたら連日の曇りを祈らなくちゃなのかなあ、などと思考がそれた。

 

 

 わたしはストロベリー味のソフトクリーム――なんでもシャーベットにされたイチゴの果肉が入っているらしい――で、プロデューサーはクーリッシュのバニラ。

 

 いつも片手運転だから、空いているほうの手がパックを持っている。曲がるときとかにハンドルを両手で握ると、クーリッシュがぷらぷらと揺れて、なんだかとっても間の抜けた感じがした。

 これから先ほとんど見ることのないであろう光景に愛おしさが込み上げてくる。

 

 どうにかしてバレないように一瞬を切り取れないだろうか。スカートの上のスマホを持ち上げかけて、思い留まった。

 

「はんぶんこにしませんか」

「……どうやってですか」

 

 答えず、わたしは「公園を歩きたいです」とまったく違う方向に話をぶん投げる。

 

「公園……学園構内の中庭でも? 近いですし」

 

 

 クーリッシュの中身が少なくなってきたのか、プロデューサーは左肘をアームレストの定位置に置くようになった。頬杖をつきたいみたいで、首をかなりの角度で傾けている。

 あれで視界が変わらないのかな、距離感がおかしくならないのかな、とも思うけれど、いまだに危なっかしいところは見ていない。そういう運転をする自分を、この人は許せない。

 

「早くつかないと、わたしのアイスが溶けてしまいますよ」

 

 わたしは手をつけていなかった。ワッフル生地が収まった容器を持ち上げて精いっぱいのアピール。プロデューサーは一瞥のあとに肩を落とした。

 

 

 サボりの定位置に夜座ったのは初めてだ。プロデューサーはほとんど空っぽのクーリッシュを持って黙って座っている。どうすればいいんだろう、なんて考えていそうだ。

 

 優しく触れるだけみたいに、夜風がわたしの頬を撫でる。ひしめくビルの間を吹き抜けたものよりもいくらか爽やかだった気がした。

 わたしの手は自然とプロデューサーの手に伸びた。正確には、手の方向。

 

「美鈴さん?」

 

 疑問に返事をすることなく、汗ばんだ容器を抜き取る。キャップは外れていた。

 どろっとしたアイスの冷たさと、体液のぬめり。それが自分の中でぐちゃぐちゃにまざりあった。

 

 ぺったんこになった容器をさらに手で絞り、それからぷくっと膨らませる。膨らみに耐えきれなくなって壊れた氷がスカートを濡らした。

 

「何をしているんですか」

 

 プロデューサーの声は冷たいというよりも、呆れ返っていた。取り上げられた容器とわたしの間に橋がかかった。重力に負ける、べたべたの橋。

 餌をねだる雛鳥みたいに顔を上にやっても、彼は何もくれない。

 

「プロデューサー」

 

 重いため息をついてキャップを閉めるプロデューサーに呼びかけた。手を重ねると、ちゃんとこの人も生きて呼吸をしているんだな、という奇妙な実感が胸に広がる。わたしの手よりもずっとかたい、男の人の手だった。

 

 燃えるゴミに空を捨ててきたプロデューサーは、わたしと距離を開けて座った。もちろんわたしは詰めた。

 彼のアイスをもらったことを詫びるためにソフトクリームを差し出してみるが、反応がない。そろそろ液状になっていて、早く食べなきゃ、と思う。

 

 ぺろぺろアイスを舐めるわたしのとなりで、プロデューサーはおもむろにスマホをつけた。

 私は空いているプロデューサーの手を引き、自分のへその下に誘導した。

 

 ん。ん? みたいな感じで二度見したのがおかしい。

 

「今日の美鈴さんには……手を焼きますね」

「わたしはスマホに妬いていますが」

「誰がうまいことを言えと……」

 

 離れていく手は意固地だった。

 

「大喜利もいけそうですよね」とスマホを操作し続けるプロデューサーの視界には、頬を膨らませたわたしが映っていない。

 

「何を考えているのですか?」

「次に参加すべきオーディションの情報収集や、他の参加者の動向を。常にリサーチできているのが理想ですから」

 

 はあ。この人は一度宇宙人にでも攫われて、一つの物事についてしか考えられないような脳の改造手術を施されたんじゃないのかな。頭にアルミホイルでも巻いてあげたらいっそ元通りになったりしないかな。

 

「となりにいるあなたのアイドルよりも、ネット上を泳ぐ匿名の書き込みのほうが大事なんですね」

「となりにいるアイドルのためですよ」

 

 省かれた部分にも意志が宿っている。そういう強固な漆塗りの内部には、さらに強固な芯が一本通っていて、まったく……融通が利かない。

 

「アイス、はんぶんこにしましたよ」

 

 どろどろのぐちゃぐちゃになったワッフル生地を差し出すと、プロデューサーは呆れたとしか言えないような顔をする。

 

「半分って……」

 

 押し返そうとするも、わたしが頑として引かないことをすぐに察したのだろう。彼は仕方なさそうに一口で食べてしまった。普段は感じられない野性味とか男味といった片鱗に目を釘付けにされ、しばらく呆けてしまう。

 こういうところもあったんだ、なんて。まるで推しているアイドルの知られざる一面を覗いたみたい。

 

「……むちゃくちゃな半分ですよ」

「いいと思いませんか?」

「よくありません」

 

 プロデューサーの口調は疲れていた。愛は半分にできないんだからこれくらいの横暴が許されたっていいと思う。思わず口に出すと、プロデューサーは「愛なんて、そんな」と言葉を切った。

 詰まらせたというよりも、夜空にぽいっと投げ捨ててもう回収したくないような口ぶりで。ああ。今日は知らないところを見てばかりだ。

 

 結局、彼は沈黙を打開するための手段として、投げ捨てたものの中身を取り出すことにしたようだった。

 

「ハート型って、それぞれが半分ずつ出し合って形を作っているように表現されがちですよね」

 

 話してもいいんですかと目線で訴えられ、わたしは同じく目線で続きを促した。

 

「でも、実際は、自分一人で作るものだと思うんです。他人と気持ちを作り上げるなんてできなくて、他人とは事実を共有するだけ」

 

 共感という刃は、その人が感じるべき気持ちを半分奪い取っているようなものなのかもしれない、と思った。

 

「二人で一つのハートを作るのではなく、二人でそれぞれ一つずつを持ち寄るのが正解なんだと思います。形や大きさがばらばらの心を持ち寄るのが人間関係なんです」

 

 初めて、心に触れた。やっと話してくれた。今までも何度か触れさせてもらえてはいたけれど、ちゃんと形が分かるまで触れたのは初めてだ。

 じっと見つめられて居心地が悪いのか、プロデューサーは手で何かを遮った。彼が青白く発光する端末に目を落としても、わたしはしばらく横顔を見つめていた。

 

 

 忘れないよう頑張っていたのに、夢が夢らしくぼやけていくみたいに色を失う記憶。輪郭のおぼつかない肉声を追いかけていると、プロデューサーは深刻そうに一息ついた。

 

「実は……ですね。お伝えしたいことというか、伝えないといけないことがあって」

 

 予想できるはずもない。まさかプロデューサーが辞めたいなんて。これからが大事な時期なのに。

 

「えっと」と絞り出すわたし。「もう一度伺っても……?」

「ですから……」

 

 急に奈落に放り出されたみたいに、座面の感触がない。どこかへ落ち続けるような浮遊感が抜けず、現実がどこにあるのか見失っている。悪い魔法にかけられて石化したみたいにすべてが停止している。

 

 いきすぎた冷房みたいな夜風が吹く。体は震えなかったが、わたしは凍えていた。現実は戻らない。

 

 わたしは靴裏からまっくろいどろどろに飲み込まれたままだった。プロデューサーは居心地の悪さをごまかすようにスマホを見ている。

 月明かりよりもずっとずっと冷たい光に照らされる横顔は、残酷なほど美しかった。わたしが愛してやまない顔だった。

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