抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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二六話

 家のベルを鳴らす人は、宗教勧誘の人しかいない。美鈴は黙って入ってくる。

 そのため俺は早朝のベルを無視した。朝から活動しなければ賄えないほど立ちいかなくなっているのだろうか、と不気味に思い、絶対に出ないほうがいいと考えた。

 

 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん、と三回連続で鳴らされたとき、ようやく何かが今までと異なっていることに気がついた。

 

「こっぴどく手毬から言われたらしいな」

 

 今日の空模様と同じくらいのいい笑顔で俺に言い放った唯さんは、俺の手首をがっしり掴んで体を寄せる。

 

「ちょっと付き合え。すぐ出たい」

 

「いや、ちょっと」と抵抗する俺の言葉を遮り、「お前の目は曇っていない。だが世界のほうが曇っていることだってあるだろう」と畳みかけた。

 俺は思わず上を見た。晴れていた。

 

「曇ってるんだ。いいから、曇っていると言え」

「……気象庁の基準が絶対じゃないんですか?」

「曇っている!」

 

 俺は渋々頷いた。唯さんは満足げに頷いた。

 

「曇っているということは、お前は講義をサボるということだ。いいな?」

 

 右も左も分からぬまま車に乗せられ、高速道路に乗る。俺は途中から諦めて、運転しないでいるのは珍しいな、と通り慣れた見慣れぬ景色を眺めた。強情なときの唯さんは何も答えてくれないと確信していたし、なにより彼女が俺に危害を加えるとは到底思えなかった。

 

 

 向かった先は空港で、手荷物検査場を通ったあと、ようやく一息つく時間が取れた。そうすると、胃に黒い不安が滞留して気持ち悪くなった。

 

「美鈴になんて言えば……」

「なに? 美鈴?」

「あ、いえ。そういう約束を……取り決めまして」

「ほう……」

 

 唯さんは不思議な表情をした。雑多に賑わう空港の環境音が一瞬で遠のいたみたいに、彼女自身どんな顔をすればいいのか分かっていなそうな、でも内心をどうにか押し殺そうとするような感じがした。隠しきれない歪みを俺が追求する前に、唯さんは自分で話題を取り上げてしまう。

 

「そのへんは心配しなくてもいい。あさり先生に頼んでいる。あとは麗もいるからな。根回しやら何やらも含めてすべて問題ない。今日一日は私に独占させろ」

 

 唯さんはやっと目的を明らかにした。ひらひらと手を振って見せたのは、ライブのチケットだった。

 

「××さんの……?」

 

 トップアイドルだ。俺だって何度もライブを見返している。五二分、三五秒――Campus mode!!の参考にもした。振りつけの動きをまねるため、歌詞のアクセントや技術を盗むためにノートを取り続けた結果、覚える気のなかった彼女に特有のコールまですべて覚えてしまうほど、見てきた。

 

「昔教えたことがあってな。事務所に無理を言ってチケットを取ったんだ」

「……実際のライブに行ったことはありません」

「だと思った」

 

 企みが成功した顔、と表現するには、とても優しい顔だった。

 

「お前はあまりライブに行かんだろう? 聞いたことはないが、大体はライブ配信とか中継で済ませると踏んだからな」

「ここに進学してからは……トップアイドルのライブに行く暇もありませんでしたからね。時代柄すべて自宅で事足りてしまいますし」

「だとしても、生の空気じゃないと浴びられないものがある。だから行くぞ」

 

 アナウンスは三番目を呼びかけ、一般人が一斉に立ち上がる。スマホを準備してぞろぞろとゲートに向かう。この中にアイドルが紛れ込んでいてもきっと気づかないのだろうと思った。気づけないことを、残酷とは思わなかった。

 

 ここでのアイドルは、キャビンアテンダントなのかもしれない。ステージ外でアイドル(偶像)は人に成り下がる。

 たとえばメルヘンチックな魔法少女だって、非戦闘時は民間人でしかないように。であれば、美鈴はやはり、秦谷美鈴という少女でしかない。

 

「飛行機に乗るのは久々だ。もしかしたらお前よりも乗ってないかもしれん」

 

 そう口にした麗さんは楽しげだった。久しぶりにチャレンジする物事への不安が一切感じられなくて、そんなふうに星の輝きをまっすぐ信じられることが羨ましかった。

 

「お前は人が少なくなるまで待つだろうと思ったが、もう待てん。いいから来い」

 

 唯さんは理想の歳上みたいな――いや、事実として歳上なのだけれど――余裕と親しみと優しさのこもった笑みを浮かべ、俺の手を引く。歩き方は少し強引で、美鈴と全く違っているな、と思った。美鈴はもっと俺のことを気にかけた手の引き方をする。唯さんだって気にかけてくれているのだろうけれど、こっちのほうが――ずっとずっと、歩きやすい。

 

 まるで、自分が流されるまま学園に進学したみたいに、自分で決めることのつらさから逃れさせてくれるような気がした。

 でもそれって、駄目なんじゃないだろうか。未来が今を悔いるのではなかろうか。優しい人といると、自分が駄目になってしまいそうで怖くなる。親しみを感じさせてくれる安心が、俺は何よりも怖い。

 

 俺を気にかけてくれる人は三者三様にみな優しく、だからこそ、そういう感じが、自分の人生を問い続けなければならないのではないか、とより強固に俺を駆り立てるのだ。

 

 

 俺は未来の美鈴を見た。圧巻のステージだった。

 

「あれを作り上げるのがお前の仕事だよ。私はそう考えている」

 

「せっかくだから奮発した」という唯さんの言葉通り、旅館のグレードは高かった。逃避行のつもりが小旅行みたいになっている。「ダブルでしか予約できなかったのだけが欠点だったな。それ以外は本当に申し分ない」と唯さんは部屋に入るなりからから笑った。

 

 トレーナーとプロデューサーがいいのだろうかとも思ったが、どうやら事務所の息がかかっているらしく、週刊誌に撃たれる可能性は低いらしい。

 誰もプロデューサーのことなんて気にしないだろうと思ったけれど、黙っていた。

 

「お前はおりるつもりなんだろう?」

 

 懐石を食べ終え、口直しにビールを煽っているときのこと。唯さんは不意に缶を握りしめた。夕食で日本酒を飲んでいたし、ちゃんぽんのせいでかなり回っているのだろう。彼女の顔には朱が散っていた。濃紺の浴衣によく映える鮮やかさだった。

 俺は唯さんから顔を背け、質問にも答えなかった。

 

「何をするんだ。いなくなってから。私の納得がいくように――いやいい。話さえ理解できればそれで十分だ」

 

「説明してくれないか」と唯さんは正面を睨みつける。眼光の鋭さには、野良猫みたいな怯えもまざっていた。

 

 説明を求められても、俺自身なにも定まっていない。ただ逃避することだけを目標に今まで走ってきたのだ。ひとまず、休ませてほしかった。

 

 じゃあそれを口にしたら? 休んでまた走ればいいと返されるに決まっている。

 俺は血反吐を吐きながら走ることが嫌なんじゃない――それは語弊があるし、嫌ではあるけれど、もっと嫌なのは、現状を更新し続けねばならない圧力だった。

 

 

 ひしゃげ、その場に赤い水たまりを作り、成形し直したら、生きるために再び壊れる。東の空に月が昇り、西に沈むたび、心と体が地球との綱引きに負けていく。

 そういう苦しみに、他人からの期待を介在させてはならないのだ。俺の感情と人生はどこまでいっても俺のものだ。

 

 

 他人から忘れられた約束を握りしめていても、俺の道だ。

 他人が約束を忘れた事実を、決して否定してはならない。

 なぜならそれは、相手の選択だからだ。否定するより、俺は相手のことを黙って受け止めたかった。

 

「どう……しましょうか」

 

 俺の声は頼りなく震えていた。唯さんを見ることができなくて、記憶の中で最も新しい唯さんを思い描く。ステージを見つめる唯さんの瞳は、ライトアップされた会場の光すべてを吸い込んでも負けないほどの黒い輝きを放っていた。

 自分に自信がなさすぎる人は、伸ばされた手すら払ってしまう。

 

「決めてないのか?」

 

 優しい声が降ってきた。叱られた小学生が声を出せなくなったみたいに、俺はこくりと頷いた。

 

「少し手助けしてやる」

 

 唯さんは俺に、「お前は将来、芸能に携わる以外の仕事をしている自分を想像できるか?」と問いかけた。

 俺は肩の力を抜いて答えた。

 

「想像できます。きっと……なんだかんだ、うまくやっていますよ」

「そんなわけがあるか」

 

「お前、本気か?」と唯さんはかなり困惑している様子だった。

 俺は本気とかではなくて、そうしなきゃいけないんだろうな、という義務感から答えていた。それを本気か否かの判定をくだすのは難しい。

 

「お前は……お前は、アイドルに携わっていないと、駄目だ。駄目なんだ」

 

 アルミ缶は、あっけなく潰れた。唯さんの語気はあくまでも落ち着き払っていた。

 

 怒りによって相手を変えようとするためには、信頼関係が必要だ。適切な信頼関係が築かれていない状態での怒りは、相手を傷つける刃でしかない。

 正しい怒り方を知っている人は少ない。ほとんどの人は感情のままに激する。相手を傷つけるために激する。唯さんは違った。だからこそ、深く俺の心に突き刺さった。

 

「お前には、初星にいてほしいんだ」

 

 もう、秋になっていた。鈴虫の鳴き声が物寂しいシンボルみたいに響き続けた。

 

「人は社会の中でしか生きられない。アイドルも、プロデューサーも」

 

 唯さんは独り言みたいに言った。

 

「お前の生き方は……よく分からない。人との繋がりを絶ってもその生き方は成り立つが、周囲に人間がいるからこそ孤立できるのも事実だろう。お前は社会に溶け込んで孤立することはできても、本当の意味で一人きりにはなれないんだ。それが許される場所が、今の場所なんじゃないのか」

 

 こんなときでも、俺は唯さんを見ることができない。

 

「縁もゆかりもない土地では、お前はお前の求める生き方には決して出会えない。気にかけてくれる人がいるからこそ、苦しみの中に身を置くことができる」

 

 自分自身を見つめることは、一人では不可能だ。現実には捻りがある。錯視みたいに、一人分の視界では、その捻りとか捻じれといったものは決して見つけることができなくて。

 だから他者の意見や考え、思想が必要な場合がある。それを言ってくれる人がいる場所でこそ、自分の思想がかたまり、望むべき生き方ができるのではないか。

 

 気炎を吐き出すような唯さんの怒りは、いつの間にか鎮まっていた。最後の缶の開く音がした。ビール缶を傾げた唯さんは、「やっぱりおいしいな」と一息つく。

 

「お前はアイドルに携わっていなかったら、きっと途端に駄目になっていってしまうだろう。だから、美鈴のプロデューサーでいてくれ。デュオでもユニットでも、とにかく美鈴と関わる道を選ぶことだ。お前がいるのは天下の100(じゅうおう)プロだ。きっとお前がやりたいようにやれる。お前はプロデューサーじゃないと駄目なんだ」

「……ここまできて、引き止めるんですか」

「そうだ。だが能力値とか会社の利益のためじゃない。単純(・・)に見ていたいんだ。お前のことを」

 

 真剣な言葉を、それが伝わらないくらいに明るく朗らかに。まるで小学一年生が声を張り上げて朗読するみたいな調子で。

 唯さんが浮かべていたのは、好きとか嫌いとかを度外した、不思議な笑みだった。でも、好かれているのだろうなと思った。

 

「お前は……社会じゃうまくやっていけないさ」

 

 社会を代表して拒絶の意を示した唯さんはほほえんでいたし、俺自身、そこまで切れ味の鋭い刃で袈裟斬りをされたとは思わなかった。でも、涙は血しぶきのようにあふれた。唐突に噴き出した。

 出血箇所を押さえても決して血を止められないように、涙はとめどなくあふれた。止められるなら止めたい。でも、細い糸を撚り合わせるみたいにして紡いだ言葉はまったく正反対だった。

 

「俺、唯さんになら甘えられるんですよ。どうしてなんでしょうね」

 

「知らん」と唯さんは立ち上がる。彼女がふらつくのを俺は初めて見た。唯さんは一人でこらえ、俺のもとまで歩いた。尻から膝裏までを撫でつけてかがみ、優しく抱きしめる。

 

「お前みたいなやつは社会で潰れる。だったら……潰れてもなんとかなる場所にいたほうがいい」

 

 社会という竜巻から弾き出されて、でも、天まで伸びる渦を見上げていてもいいのだと言われた気がした。無理にその渦に飛び込まなくてもいいのだと、傷つかなくてもいいのだと、拒絶と言うには優しすぎる、優しく社会を説くような言葉を囁かれた。

 

 俺が泣き止むまで、唯さんはそうしていてくれた。

 

 

「さて」

 

 となりあって布団を並べたあと、唯さんはからかうように俺を見た。彼女は布団の上で横座りをしていて、普段とのギャップもあってとても扇情的だった。

 

「お前は今、担当アイドルを差し置いてトレーナーと不倫旅行をしているわけだが。どう落とし前をつける?」

 

 自分の命を道連れにした唯さんはやりたい放題だった。

 

「ちゃんと美鈴に土下座するか? それで一緒にいると誓うか? それとも私を悪役に仕立て上げて騙されたというか? 私はどちらでも構わないし、なんなら逃れようのない既成事実を作ってもいい」

 

 言いながら徐々に早口になっていったのは、羞恥のためだろうか。唯さんはいつもみたいに腕を組むけれど、その位置はいつもより上で、浴衣の胸もとから谷間が覗いていた。

 

 俺は顔を引きつらせたまま黙っていた。

 唯さんはそれを見て仕方ないとでも言いたげにため息をつき、「なんてな」と肩を落としてみせる。どこまでが演技で、どこまでが本心なのか、まったく分からなかった。

 

「電気消してくれ。さっさと寝るぞ。明日は朝食を食べたあとすぐに出るからな」

 

 部屋を暗くする前に唯さんは布団をかぶってしまう。背中を向けている姿がなんだか妙に寂しかった。それを尻目に電気を消すと、一瞬にして闇が広がる。

 

「こんなの……柄じゃないか」

 

 まどろみに溶けゆく意識に、ぽとりと水滴が落とされる。水の中に一雫のインクを落としたところで、それは所詮薄く滲んで広がり、やがて分からなくなる。

 なんだろう。この感情は。唯さんが俺に向けてくれる感情はなんだろう。俺が唯さんに向けている感情はなんだろう。唯さんは結論を出せているのかは分からない。でも、きっと、恋ではないのだと思う。

 世間には、この関係をあらわす言葉があるのだろうか。

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