抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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三話

 美鈴の現在の実力を見せてもらうという名目で、レッスン室を訪れる。俺と美鈴が顔を合わせている時点でそういう時間(・・・・・・)だから、生徒は彼女一人しかいなかった。

 他にはトレーナーらしき人物が一人。美鈴と似たような動きやすい格好をしていることから、ダンスのトレーナーと見える。

 

 ストレッチをする美鈴と一言二言交わし、録画の用意をする。三脚にセットしたスマホの画角を調節してから美鈴に合図を送った。彼女は自分のスマホから音源を流し、『初』のパフォーマンスを始めた。

 

 

「お前が秦谷のプロデューサーになったという人物か」

 

 ひとまず壁際に寄った俺に、トレーナーは話しかけた。彼女は壁際で腕を組んだまま美鈴を見つめている。審査員みたいな表情は真剣そのもので、厳しいながらも指導員として誇りを持って仕事に従事していることが伺えた。

 

「そう……ですね。そうかもしれません」

「なぜ曖昧なんだ……」

 

 首を傾げて頷いた俺と、こめかみを押さえるトレーナー。

 人から言われると、急に「そうなのか」と自覚が芽生えることがある。今回は例外で、俺はいまだに自分がプロデューサーであることに実感がなかった。実感は怖さのために家出したのだと思う。

 

「お見受けしたところ、ダンスのトレーナーさん……ですか?」

「唯という。好きに呼んでくれ」

「分かりました、唯さん。いつもお世話になっています」

「さほどしていない」

「まぁ……でしょうね」

「そこは認めたら駄目だろうが」

 

 視線の先では、美鈴が堂々としたパフォーマンスを続けている。昨夜判明したのだが、彼女は中等部でナンバーワンのユニットに所属する実力者だったのだ。

 どうりで慣れている。今すぐにでもステージに立てる実力を保ち続けている。それどころか実力が伸びているようにすら感じられた。彼女はおそらく、ユニット解散時よりも堕落することをひどく厭っている。

 

「まだ少ししか中等部のパフォーマンスを見られてはいませんが、当時よりも成長していますね」

「レッスンをサボる頻度は増えたがな」

 

 ちょうど俺が潰れかかっていた時期にユニットのごたごたがあったらしく、そのため、俺は今まで彼女が実力者であることを知らないまま過ごしていた。

 まさかこんな子がフリーでいたなんて。俺の手に余る人材で、自分の顔が引きつるのを感じた。もっと優秀な人にバトンタッチしたいと早くも逃げ腰になっている。

 

 今日の頭痛がはたして曇りによるものなのか、それとも恐怖からくるものなのか、朝から頭を悩ませていた。結論はいまだに出ていない。両者のストレスである可能性が高い。

 

「お前は?」

「……はい。はい?」

「名前だ。プロデューサー、ではまざってしまうだろう」

 

 へどもどしながら下の名前だけを教え「すみません、何も気がつかないで」と謝った。遅れて名刺を差し出すと、唯さんは俺を一瞥してから受け取った。親指と人さし指に挟まれた名刺にはすぐにしわがついた。紙に刻まれた傷が、そっくりそのまま俺の心に刻まれる。重圧が俺を滅多切りにしていた。

 

「手を焼くだろうな。レッスンには行かないし、約束の時間にふと姿を消したりもするんだからな」

「そうしないといけなかったんでしょう。俺との約束であればいくらでもすっぽかしてもらって構いません」

 

 ここには、そうしないと生きていけなかったんでしょう、という現実への呪詛がこもっていた。性格は生存戦略だ。その人がその環境で生き残るための。そうして後天的に育まれたものを、どうして俺が身勝手にも否定できるだろう。

 

 だがそこまで大事な話をしているようには感じられなかったので、俺は要所を省いて口に出した。

 にわかに電流が走り、空気をぴりつかせた本人が、静かな口調に怒気を滲ませる。

 

「その理由が、眠いから――というふざけた理由であってもか?」

 

 唯さんは俺を睨めつけた。彼女が美鈴の態度を不快に思っていることは明らかだった。だが、だからといって実力を低く見積もっているわけではないことも確かだった。

 もったいないと思っているからこそ同席してくれているのだろう。それに、美鈴の意思を尊重しているからこそ、むりやりレッスンに引っ張り出すようなまねもしていない。唯さんは頼りになる人だ。

 

「素行不良のアイドルなんてふざけているだろう。もっと普通のほうがいいに決まっている」

 

「その普通が――」俺と唯さんは再び美鈴に目を向けた。「常識を守ったり約束を守ったりするという意味での普通であれば、確かに唯さんの言う通りだと思います」

 

「ですが」と俺は一拍置いた。

 

「もしも。もしもその普通が予想の範疇を出ないという意味での普通であれば。それはあまりにもアイドルという存在(偶像)を愚弄していると思いませんか?」

 

 夢を与えてくれる存在は誰であっても特別な存在だ。だから美鈴は。ひいてはアイドルは。親しみやすさのある特別な存在であるべきなのだ。決して普通などという言葉で穢すべきではない。

 

 俺の声は普段よりも低くなっていた。目は美鈴を見ていながら、脳には昨夜のステージが思い起こされていた。

 

 観客、ステージ、ライト、演出。宗教が地球の誕生を祝う祭りのように、すべてが一体化して熱狂し、その中心でアイドルが踊る。その中心が普通? 笑わせるにもほどがある。徹底的に人生を絞った輝きに与えられる名称がそんなものでいいわけがない。

 

 

 ここに来て初めて、唯さんは俺の顔をまじまじと見つめた。彼女もアイドルとして十分にやっていけるくらいに整った顔立ちをしていると思った。見開かれた大きな目を数回ぱちぱちさせたあと、唯さんはおかしそうに笑い出す。

 相変わらず腕が組まれたままだったが、今ばかりは腹を押さえているように見えなくもない。じっとりした空に不釣り合いの愉快そうな声はしばらく続いた。

 

「面白いやつだな、俊は」

 

 声には愉快の名残があった。唯さんは横髪をこぶりな耳にかけ直し、俺にほほえみかける。

 

「そういう熱いものがあるのが最近は珍しいんだ。意外だな。全然そんなふうに見えないのに」

 

 目もとを拭った唯さんは、やっと美鈴に視線を戻した。曲はもうほとんど終わっていたけれど、美鈴にはまだまだ余裕がありそうだった。これならもう数曲披露してもらってもいいかもしれない。カバーや練習曲などいろいろと覚えているはずだ。

 

 

 やがて曲が終わると、俺は唯さんに目配せをして頷き合い、美鈴に近づいた。美鈴は静かに強いものを湛えたいつもの感じでその場に佇んでいた。

 

「いかがでしたか? プロデューサー」

 

 俺が話しかけるよりも早く、まるで話の行く手を塞ぐように上がる声。

 

「担当アイドルをそっちのけにして、楽しそうにお話ししていたプロデューサー?」

 

 美鈴は黒い笑顔と黒い声で俺を正面から迎え撃った。

 俺は足を止めてきょとんとした。

 

「俺は……美鈴さんから見ても担当プロデューサーですか」

 

 美鈴は笑みすら消して眉間にしわを寄せた。見るからに「不愉快です」と訴えていて、むっとした様子はかわいらしく怒った子どもみたいだった。でも俺からすれば背後に鬼がいた。

 

「プロデューサー」と呼んだ彼女がつかつか歩み寄る。

 俺はそれを、視界の端のガラスが動く様子で認識していた。自分の目の正面がどこを見ているのか、自分でもまったく分からなかった。俺が自分の至らなさによって人の感情を害したとき、決まってこういう雰囲気になる。心臓に何かがめり込むような痛みとともに、空気が俺のやわらかなところを刺してくる。

 

 いつまでも美鈴と目を合わせず、ガラスばかり横目で窺う俺に付き合いきれなくなったのか、とうとう美鈴はガラスに向かって声を出した。

 

「あの日……俊さんはわたしに手を差し伸べてくれました。わたしはその手を取りました。これ以上の言葉は必要でしょうか」

「順序が入れ替わっている気がするんですけれど……すみません、どうにも自分の気持ちの整理がつかず」

「整理整頓なら得意です。一緒にあとでしましょうか」

「いえ、大丈夫です」

「そこはきっぱり断るんですか?」

「割り切りは……あー……割り切るしかないので、できます。やれます」

 

 美鈴は目尻を下げ、それ以上は何も言わなかった。子猫が小首を傾げるみたいで、その仕草には愛嬌があった。俺はその様子をじっと眺めていた。

 何度かプロデューサー呼びをし、俺の反応に満足がいった様子の美鈴は、「もう数曲、せっかくですから」と続ける意志を示した。

 

 唯さんから少し離れた壁際に俺を誘導し、美鈴はゆっくりとカメラの画角に収まる。スマホをいじって選曲し、ふいと動きを止めた。俺に向けられた笑みには、例の黒さが募っていた。

 

「お二人の楽しそうな話し声でわたしの歌が聞こえにくくなっている可能性がありますから、どうかお静かにお願いします。わたし、まじめにレッスンしているんですよ?」

 

 気まずさにまかせて唯さんのほうを見る愚行は犯さなかった。かといって扉に目を向けて美鈴を勘違いさせたらあとが怖いし、結局、斜め下を見つめて無言で頷く。

 

 

 美鈴は数曲を連続で披露した。

 一曲のラストの姿勢で次までぴたりと止まり、セットリストが上から下に流れていくまま続ける姿は鬱憤を晴らすようだったが、指の先まで自分の意志で操っていることがよく伝わってくる。全力の十数分はさすがにこたえたらしく、最後には息が上がっていた。

 

 

「ありがとうございました。今日はもう、ゆっくり休んでもらっても構いません。あるいは休憩を挟んで放課後のレッスンに参加していただいても」

「そうだぞ秦谷。せっかくプロデューサーがついたんだ。門限までやっていったらどうだ」

 

「運動したあとのお昼寝は――」言いかけ、美鈴はガラス窓に目をやる。「いえ。曇っていますから、口にしたことは守ります」と仕方なさそうに笑った。

 

「憂鬱です」

 

 そっと抜け出して買ってきた水を渡すと、美鈴は一連の話を終えてからキャップを回した。口をつけてから「持ち歩いてはいるのですが、せっかくなので」と俺にやわらかい表情を向ける。

 

「プロデューサーは、これから何を」

「俺は録画したものを見返してレッスンの計画を立てようかと。他にも様々な資料集めが終わっていませんし、家に帰ってやります」

 

 中等部のライブ映像をすべて見たわけではないので、それと今とを念入りに見比べることもしたい。美鈴が過去をどのように捉えているのかはかりかねているため、過去にまつわることは口にしなかった。無理にいま刺激する必要はないだろう。

 

 さっとスマホの録画を確認して、美鈴と唯さんとが踊りについて話すのを尻目に、帰り支度を進める。きゅ、きゅと唯さんの手本でナイキが鳴いていた。

 

 サイドポーチのチャックを閉めながら、明日からはリュックを持ち歩いたほうがいい、と思う。半年ほど使っていなかったが、はてどこにやっただろうか。埃を払う必要があるのだけは確かだ。

 見たら焦燥に駆り立てられるから、と秋にどこかに突っ込んだ気がする。家の間取りは入っているけれど天井の模様は覚えていない。リュックは俺にとって、視界に入れる頻度が極めて少ないという点で天井と同じ存在だった。

 

 と、頃合いを見計らって美鈴が近づいてきた。

 

「お気をつけて。夕食を作りに行ってもいいんですよ」

「いえ。それには及びません」

 

 気の利いたことが言えなくて、詰まった。空気を終わらせたことをなんとも思わない機械みたいな人間だったら、ここで食事が取れるのだろうか。俺は胃がきゅぅっと締めつけられる痛みをひた隠すので精いっぱいだ。

 

 関係を深めるためにはいくらかの雑談が必要だと思い、なんとか持ち直して口を開く。

 

「実は……俺も憂鬱です」

 

 作った苦笑。竦めた肩。

 美鈴は「そうなんですか」と小首を傾げる。

 

 彼女はきっと、歩くのをやめない。だから、俺は早さが違うところをどうにかあがかなければならない。

 懐かしい感触に心の奥で火が舞った。

 

「曇りの日と雨の日は、自分の体調を見ながら休講を選ぶんですよ。一限だけ出るとか、午後から出るとかして。でも今日は朝から動きっぱなしで、自分で選んだこととは言え、家に帰ってからも休めないともなると……こたえるなと思って」

「まあ、それはいけません。休んでください。今からでも一緒に帰りましょう」

「なぜそこで一緒に帰るのかは謎ですが――」

「車の運転中に気を失ったら大変です。歩いて送りますよ」

「どっちがプロデューサーなんですかね……」

 

 気遣わし気に俺を見つめる美鈴は、先ほどよりも近い場所で俺を見上げていた。それをやんわり手で制し「なんとかしますよ」と笑ってみせる。鏡に写った自分の顔は、視力が悪くて見えなかった。

 鏡よりもずっとずっと近くにいる美鈴の表情は、心が作り出す霧のせいで見えなかった。

 

 美鈴はそれ以上は踏み込まずに「正門までは」と俺を追った。

 

 となりを歩く短い髪が、四月下旬の風に靡く。いつもより疲労が溜まっているからか心持ち揺れが小さかった。美鈴に髪飾りの印象がないのはなぜだろうと思って、いつも俺が左側に立つからか、と思い直した。

 

 

 まじめという言葉には縁があるけれど、優秀という言葉にはてんで縁がない。

 

 オレンジ色の太陽に顔を描いていたころは、世界が平らだと思っていた。

 ドロップ缶の薄荷が嫌いで、中の音が軽くなるにつれ、心が重くなって、音は飛べそうになっていくのにどうして体はこんなに重いんだろう、と思ったことを覚えている。

 

 小学校のテストは、また、ぎりぎり七○点くらいで。そのころが俺の全盛期だった気がする。だからか、いまだに英雄気取りでお姫様との約束を覚えている。

 

 思えばそのころから至らなさの兆候はあった。気力を振り絞っても、知恵を振り絞っても、最低限が最大限だった。

 

 思わずため息をついた。

 

 美鈴に見上げられ「一人の気分でした」と照れ隠し。

 

「これからはいつも二人です。たとえ離れていても」

 

 美鈴の言葉をそよ風に置き去りにして車に乗った。ブレーキペダル、エンジンボタン、シートベルトにシフトレバー。半年間で慣れた所作。

 適応障害と診断されてから、一ヶ月ほどで運転免許は取得できた。何かをしていないと落ち着かなくて取得したのだった。

 

 そういえば彼女は「正門まで」なんて言ったけれど、結局遠い場所に併設された駐車場までついてきた。バックミラー越しに遠ざかる美鈴は、俺がカーブを曲がるまでいつまでもそこに立っていた。

 まるで誰かの帰りを待ちわびているみたいで、そんな訳はないけれど、夕日を見たがっているのかもしれない、と思った。

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