抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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五話

「おはようございます、プロデューサー」

 

 活動拠点に現れた美鈴を見て、俺はまっさきにスマホをチェックした。通知は入っていない。美鈴から叱られて以来ラインの通知だけは入れているので、今日はアポ無しだろう。

 

 制服なのを見るに、自主レッスンというわけでもないらしい。彼女はいつも持ち歩いている小さめのポーチを小脇に抱えてほほえんでいた。

 しっかりアイロンをかけているようで、制服はいつもぱりっとしている。穏やかな佇まいとのギャップが魅力的だな、とふとした瞬間に何度も思う。まるですべての言語に共通する新しい公式を見つけたみたいな甘い衝撃が快感だった。

 

 アイロンなんて、めったにかけない。かけられない。自分を支配するための気力が、普段の俺には少し足りない。

 

 挨拶を返して不思議そうな顔を向け続けると、美鈴はつかつかと歩いてくる。

 

「わたし、ときどき無性に人を甘やかしたくなることがあるんです」

 

 彼女にクリアファイルを渡してからすでに二日が経過しており、今日は本来、休みのはずだった。

 

 

 どうやら美鈴の友だちはちゃんとした人が多いらしく、甘やかしたい欲がうまく発散できなかったらしい。そのときにふと俺の存在が脳裏をよぎり、活動拠点に来たのだと彼女は説明した。説明しながら、すでに机の一つを片づけ終えていた。

 

 俺が眺めていた紙を伏せて置くと、すかさず美鈴が手を伸ばす。内容に目を走らせて棚を見やった。棚に収まるファイルの背表紙には何も書かれていないけれど、美鈴は一つ目の机を片づけた経験からファイルの分類をおおよそ把握しているらしかった。二つ目で見事にファイリングする。

 

 ふむ、とかわいらしく眉間にしわ――しわなんて名前よりも小さなデコレーションと言ったほうがいいのかもしれない――を寄せた美鈴は、白紙を探し出してちょうどいい大きさに折る。カッターやハサミを使わずに切り、ペンケースから取り出したマジックで諸々を書いた。美鈴の字は彼女の所作そのものだった。

 

「俺ならば、ですか」

「案の定、でしたね」

 

 背表紙が描かれていると分かりやすいな、と俺は椅子を引いて遠景に棚を眺める。

 

 美鈴は次いで俺の対角線上の机に足を伸ばす。拠点の使用者は俺一人にもかかわらず、四人分の机が白く染まっていた。すでに一つの陸地が紙の海から隆起している。隆起というか、枯れ葉を散らしたら出てくるアスファルトみたいな感じだった。

 

 ファイルにあとで綴じようと思い、しかし棚からファイルを取り出す手間を嫌って、これまで散らかし続けた。要領の悪い自分はどうせ全部使うのだから、と思うと不思議と散らかっていてもいい気がした。

 この散らかりようが自分を追い立てる苦しみの数であり、努力の数でもある。これを視界に収めるたび、ちょっぴり自分を許せた。

 

 今は怖いほどに整頓されていて、はたして自分は努力できているのだろうかと疑いたくなる。惨状(可視化された努力)には、たったそれだけで自分を慰めることができる魔力がこもっている。

 

「一応、今日は休みのはずですが」

 

 俺の声は気がつけば震えていた。もとより曇りの中むりやり体を引きずっているような状態だったのだ。頭痛薬が切れたらそりゃこうなる。今では胃痛の予感もあった。

 

「存じています。そして、プロデューサーならここにいると思いました」

 

 お茶を用意してくれた美鈴に礼を言う。並んで座ると、机の綺麗さになんだか変な感じがした。きっと助手席に人を乗せたときも同じことを思うのだろう。

 

「なにか用事でしたか?」

「先ほどご説明した通りの用事です」

「……休んでほしいのですが」

「わたし、今はコンパクトミラーが手もとにないんです。あなたに見せてあげられません」

 

 

 朝から続く美鈴の奉仕により、午前が終わるころにはすっかり拠点が綺麗になった。

 昼に拠点を出ていったと思ったら、どうやら課題を取ってきたらしい。美鈴はこまめにノートから顔を上げ、俺の世話をした。彼女の勉強はわざわざ順調か聞かずとも、ほとんど止まることがないシャーペンの音で察しがついた。

 

 俺の進みは芳しくない。人と一緒なことに加え、自分の不要領を晒すと変に緊張してしまうからだった。

 一度やっちまう(・・・・・)と雪だるま式に手際が悪くなる。

 

 献身的な活動に対し、俺は徐々に忌避感を募らせた。かといってそれを勘弁してもらうわけにもいかない。どちらに理があるのかなど明らかだからだ。

 

 

 拠点でできる分をどうにか終え、あとは家に残した分だから――と帰ろうとしたところを美鈴に止められる。投げっぱなしにしようとした書類は、今、もちろん美鈴の手に収まっていた。

 

「昼食はどうされますか?」

「食べない――」

 

 美鈴はファイルを取ろうと腕を伸ばしたまま、振り返って微笑を浮かべる。

 

 「か、家にあるもので何かを適当に作るつもりでした」

 

 ひょいと返答をごまかすと、ずいと黒っぽい笑みが迫る。胸に抱かれたファイルは俺の代わりに身動きが取れなくなっている。

 この光景を遠目から見れば、ロマンスを感じるのかもしれない。が、当事者からすれば恐怖でしかなかった。

 

「念のためにお聞きしますが、冷蔵庫に食材などは……」

「分からないですね……卵はあります。常備しているので」

「スーパーに寄りましょうか」

 

 

 パーキングにしてエンジンを切ったあと、わずかな脱力とともにブレーキペダルから足を離す。助手席のリュックを引っ張り出し、ロックを――といつもの動作を遮るように、後部座席のドアが閉まった。

 数回だけ美鈴を乗せたことがあるが、自分以外がドアを閉めて軽が揺れる感じにはいまだに慣れていない。

 

「初星のものではないのですね」

 

 美鈴は家を見上げた。

 

「近くの寮に空きがなくて、仕方なく」

「……プロデューサーらしいです。二年契約ですか?」

「はい。なぜそんなことを?」

「引っ越しはばたつきますから、来年はお手伝いしようと思って」

「どうでしょう。使い勝手も悪くないので、なんだかんだ卒業までずっといそうなものですが」

「ふふ……そうなんですね」

 

 リュックサックには常にエコバッグを入れている。それは何年も前に学校からもらったよく分からないやつで、中央に印字されたロゴを見るに、環境省のなにからしい。歪に膨らんでいても文字は解読できた。

 となりを見ると、エコバッグだけ昔の写真から取り出したみたいに褪せている。それを彼女は嬉しそうに肩にかけた。

 

「鍵をください」

「俺が開けますよ」

「自分の家とは違う鍵を開ける瞬間が好きなんです。ですから」

「……そういうものですか」

 

 男の家に上がるのはまずい、などと出会った当初に伝えた。俺は当時と同様の盾を装備した。しかし彼女の剣によって呆気なく貫かれた。

 というのも、何一つ進歩していない俺と比べて、彼女の剣はより鋭利に、より硬質になっていたのだ。

 

「実の姉妹と似たような扱いをしていただいておりますから」「わたしは赤の他人の家に上がるのではありません」「プロデューサーに料理を作ってあげるだけなんです」

 

 どうにか押し留めようと「学園の許可が必要です」と口にしても、「なにを今さら」と切り返される。学園の常識を蹴っ飛ばしたからこそ出会えたサボり魔にとって、学園の許可は一円の価値も持たなかった。

 

 と、鍵の回る音。

 

 家に入ると同時、美鈴は「家を借りているということは、合鍵を渡されていると思うのですが」と玄関を見回す。

 俺は低気圧による頭痛に加えて心身が不調で、かなり注意が鈍っているなぁ、とぼーっとしていた。どれにもピントの合っていないカメラみたいな曖昧さが視界を埋め尽くしている。

 

「……見当たりません」

「玄関には確か置いていませんから」

「そうなのですか?」

「えぇ、まぁ」

 

 俺は靴を整えて、来客用のスリッパをビニールから取り出した。袋は短冊状に折ってから結んだ。自分のスリッパが壊れたときのために予備で買っていたものだったので、色違いなのが気まずい。

「おそろいですね」と美鈴はわざわざ声に出した。

 

 

 美鈴が冷蔵庫の中身を確認して昼食を作り出してようやく、俺は鍵を返されていないことに気がついた。

 エプロンを着た美鈴は、後ろ姿からすでにアイドルだ。後ろ姿は一般人も芸能人も似たようなものだと思っていたが、どうやら間違いらしい。

 

「鍵を返してもらっていない気がするのですが」

 

 詰め寄っても、ほほえみパンチにあえなく撃退される。

 炒められたケチャップの香りがキッチンを支配する。そういえばニンジンや冷凍のグリーンピースを買っていたな、とカゴの中身を思い出したが、問題はそこではない。

 

「美鈴さん、鍵は」

「合鍵を」と美鈴はフライパンを煽った。中身が踊り、着地と同時に食欲をそそる歌が聞こえる。彼女は続けて「お持ちではないのですか?」と声に出した。

 

「持っていますが」

「はい……そうですよね。すみません、今は少し、手が離せなくて。エプロンの下の……スカートの中なんです、いただいた鍵は」

 

 仕方なく引き返したはいいものの、自分の空間に人がいる異物感が絶えず脳裏をちらついて、作業どころではなかった。一年以上他人の生活音を耳にしていないと、ここまで神経過敏になるらしい。

 自分の家でうろうろするのも変な話だ。檻に入れられた野生動物のような俺は考え事をするのも嫌になってしまい、合鍵どこにやったんだっけな、と短絡的に肉に飛びついた。

 

 

 どうにか探し出すのと、オムライスができあがったのは、ほとんど同時だった。

 

 美鈴は俺の手に収まる銀ピカを視界に入れた瞬間に表情を緩め「でしたら、わたしはこちらをお借りしても」とスカートに手を伸ばす。美鈴が取り出した銀は少しだけくすんでいた。

 キーホルダーの類が何もなく、せめて何かをつけていればよかった、と溶け出した銀が胃に流れ込んだ。

 

 

 程よい量の昼食を済ませ、俺は作業をし、美鈴は家の片付けをする。

 

「腕が鳴ります」と美鈴は腕まくりをしたが、もしかしたら料理中もそうしていたのかもしれない。頼りにならない自分の記憶が嫌になった。俺の体力はすでに底を尽きており、どうにか最大値を削って生きているような有り様だった。

 

「これは、中学時代の」

 

遅々として進まない作業を人生のようにだらだら続けていると、美鈴の声が飛び込む。何かあったのだろうかと顔を上げ、凍りつく。

 

「あ、それは」

 

 反射的に声を上げた風をどうにか装って手を伸ばす。だが、届かない。美鈴の持つルーズリーフの束には、彼女が中学時代に所属していたユニット『SyngUp!』のことがまとめられている。

 ネットを読み耽り、あさり先生に頭を下げ、彼女が三年間かけて発した情報を、美鈴のプロデュースをすると決まったその日からまとめた。要領の悪さを示すような手書きが幾重にも連なり、見るだけで黒鉛のにおいが立ち上る。

 

 これだけは持ち歩かないようにと注意していたのだが、まさかそれが仇になるとは思ってもみなかった。もしも持ち歩いていたら、今日の午前の段階で露見していただろうか。

 

「実はわたし。黙っていたことがあるんです」

 

 美鈴は依然としてルーズリーフを眺めている。

 

「改善点のことで……トレーナーとレッスンメニューを立てたのですが。歌唱力の強化……という点に、どうしても納得がいかなくて。ボーカルトレーナーも、他の部分を特訓したほうが効率的に伸びるのではないか、と仰っていて」

 

 真意を教えていただけませんか。

 

 瞳の奥に嵐を宿して、それは火の粉を舞い上げる。ぎらぎらした眼光には肉食獣のような落ち着きと力強さがあった。

 胃痛が忍び寄っている、と思った。脇腹を押さえる手は変調を訴えていないが、経験則が未来を教えている。

 

「ファイリングしますね。穴を開けても……プロデューサー?」

 

 名を呼ばれ、しどろもどろに頷きを返す。美鈴はルーズリーフを綴じたあとに白紙の背表紙をじっと見つめ、何も言わずに、そっと、そっと本棚に戻した。そして俺に向き直った。

 カーテンの閉め切られた室内の時間は曖昧だけれど、差し込む日差しの色味から、夕方なのだと推測できる。

 

「まりちゃんの歌唱力が一番、と書いていましたね」

 

 美鈴の裏では、きっと中等部時代の記憶()が流れていた。彼女は過去にしか存在しない三人のステージを見ていた。

 

「まりちゃんの実力は承知しています。しかし……」

 

 今の手毬と自分には歴然の差がある。彼女はそれを口には出さず、視線で示した。

 

「えぇ、知っています。もちろん全力の手毬さんが美鈴さんを下す可能性があることも含めて、俺たちの間では確認が取れていると考えています」

「……では、なぜ、あのようなことを? 今のまりちゃんは……とても全力を出せる状態にはありません」

 

 溜めて、答えた。

 

「ずっと疑問に思っていたことがあるんです」

 

 美鈴はきょとんとした。くまのぬいぐるみと同じくらいの愛嬌があった。

 きっと話さなければならないのだろうな、と思う。脳裏に嘲笑がよぎった。人は自分の理解の範疇を超えたものが飛び出すと、最初にきょとんとして、理解が追いついたあとには嘲笑か仰天かのリアクションを取る。

 

 俺は笑われる(・・・・)ことが多かった。芸人ならあるいは、幸福なのかもしれないけれど。知らず握っていた拳から意識を離した。

 

「手毬さんに勝つとか、負けるとか、俺からすればそういった話はどちらでも構わないのですけれど……なぜ勝敗を気にかけるのですか?」

 

 美鈴は自分のペースで努力し続ければ、ひとりでに勝ち上がり、ひとりでにトップアイドルになるだろう。それだけの実力をすでに持っており、さらに努力を継続させることができるのだから。

 だからこそ、わざわざ他人を介在させる意味が分からなかった。

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