抱きしめて殺せ!   作:ぞんぞりもす

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七話

 美鈴の希望を叶えること。そして敵情視察。二つを兼ねて、手毬のライブに向かう。関係者に当たって最前席を狙うと、案外かんたんにチケットが手に入った。

 

 当日の朝早くから準備を済ませ、美鈴とともに決戦の地に赴く。別に美鈴が戦うわけではないけれど、俺の緊張を表すのならばその言葉がふさわしかった。

 

「自分の歌い方を見定めた美鈴さんは、驚くほどの速度で成長しています」

「まあ、そんな。ほどほどに頑張っているだけですよ」

 

 その日は空の高さがよく分かる天気で、客足も伸びるだろうと予測できた。いくら地球温暖化が深刻と言っても、初夏の陽気はぽかぽかと心地がいい。人を殺す夏まではまだ猶予がありそうだ。

 

「それに、プロデューサーだって」

 

 美鈴は横を見上げた。視界の端に映る夜更けの少女は、俺と目が合わないことを知るやいなや俯き、「頑張っています」と暗い声で呟く。

 

「頑張りすぎているほどに」

 

 活動拠点として与えられた教室には、もともと鏡があった。俺はそれをすぐさま撤去した。鏡があるとどうしても気になってしまうから。

 クマがひどくなることなど分かりきっていて、自分の容貌に気を配るくらいなら、他の……足りない自分が美鈴に追いつくためのことをすべきだと思った。もしも目の下にデコレーションを施す世界大会があるのなら、俺は不健康部門で表彰されると思う。それも、なんの手間も時間も掛けずに、飛び入りで参加して。

 

 美鈴の声が暗いのには、そういうわけがあった。いつからか「ちゃんと休めていますか?」と聞かれなくなった。

 美鈴はおそらく、俺の行動を否定したいと思いながら、俺の覚悟を否定したくはないのだと思う。

 

「プロデューサーは、偉い、えらい」と伸びてくる手をさらりとかわし、むくれる美鈴を横目に、離れたのを適切な距離まで詰める。

 怒りを頬に溜めこんだリスは、ライブが始まるまでなかなか機嫌を戻してくれなかった。

 

 

 

 会場の熱気はすさまじく、現実から切り離されていた。夏よりも先に放射を浴び、加えて人の肉が発する熱をじかに浴びて酔うようになりながらも、無事に裏側にたどり着く。音と熱の余韻がいまだに体に鳴り響いていた。

 

「お水、買ってきましたよ」

「……すみません」

 

 手を伸ばすも、美鈴にひょいとペットボトルを引っ込められて空を切る。

 

「ありがとう、です」

「ありがとうございます」

「合格です」

 

 飲み合わせの都合で頭痛薬と胃腸薬の片方しか飲めず、仕方なく頭痛薬を口に含む。ペットボトルの蓋を開けようとしたが、あらかじめ開いていた。

 水を、突如として流し込まれた異物、と認識して胃が締まる。痛みに慣れているとはいえ、眉が寄った。

 

「自分の分は買っていますか? ちゃんと水分補給をしないといけませんよ」

「今にも死んでしまいそうな顔の人に言われても……説得力がありません。それに、ありますよ。ちゃんと」

 

 今日はソロライブではなく、いくつかのメンバーが順番にパフォーマンスを披露していく形だからか、会場には雑多な色が詰め込まれていた。推しの色がひしめくカラフルな席も、今では寂寥に包まれている。

 ステージの裏からこそっと覗く全体像に、引っ越しを連想する。将来的にはこれを自分で作らなければならないらしい。

 

「手毬さんは……」

「――こう、でしたね」

 

 俺が目をやった方向へ、美鈴はゆっくりと一歩を踏み出す。撤収だなんだと騒がしくなったステージで美鈴は踊った。背中に羽でも生えたみたいに軽く、でも人の邪魔をしないように小ぶりな振り付けで。そして戻ってくる。一番だけだったので時間はかからなかった。

 彼女の軌跡は記憶と一致していて、もしかしたら俺が見たのと同じ数再生ボタンをタップしたのかもしれない、と思った。

 

 同じ数だけ努力をしても成長倍率が異なっている。普通の人は足し算で、美鈴は掛け算な気がした。俺は……小数の足し算だろうか?

 普通から逸脱した俺も、美鈴も、きっと苦しい。誰にも理解されない苦しみを乗り越えた先にあるのは、諦念と信念がぐちゃぐちゃにまざった頑固さだ。

 

「お水をくれませんか?」

 

 美鈴のほうが身長が低いけれど、太陽の方角から声が聞こえた。手に収まっていたものを渡すと、美鈴はそれを受け取って傾ける。俺の半分ほどで満足したらしい。彼女は礼を言いながらキャップを閉める。お手製のまりちゃんグッズが入ったバッグにそれをしまった。

 頭がはみ出たペットボトルだけが、現実からひどく浮いていた。

 

「ステージをやりきれるだけの実力を備えていましたね」

「さすがまりちゃんです」

 

 ぶっ倒れてしまいそうでも、手毬はすでにやりきるだけの実力を備えている。もしも彼女がこのまま進化を続けて、満足に全力を出し切れれば、実力を伸ばしている美鈴さえも追い越すかもしれない。よくて拮抗するか、といったところだ。

 すさまじいな、と思った。決して才能という言葉に逃げたくはなかった。努力する余地を残しておきながら才能という言葉を使うのは、現実に背を向けるようで卑しいと思う。生きることを否定していると思う。

 

 そういえば、ステージを見ていた美鈴も最初は顔を青くしていたはずだが、俺のほうがよほど酷かったのか、だいぶ落ち着きを取り戻している。

 

「美鈴さんは平気ですか? 最初は顔を青くしていましたが」

 

 美鈴はたちまち青い笑みを浮かべて、「どうでしょう」と答えた。胃腸薬を差し出すと、少しだけ表情が明るくなる。痛みは引かずとも気分に効いたようだった。

「それに」と美鈴は俺の頬に手を添える。冬の三日月のように美しく冷たい……しっとりしたテクスチャの手が、頬を超えて心を撫でたと思った。

 

「プロデューサーのお世話は、こういったタイミングでしかできませんから。いえ、素直に受け取ってくれませんから」

 

 悲しそうに笑う美鈴の瞳の中には、月が輝いていた。

 

 

 

 あらかじめ話を通していたスタッフに呼び出され、手毬の楽屋に向かう。

 

「プロデューサーもまりちゃんのファンなのですか?」

 

 道中でとうとつに美鈴が口を開いたと思ったら、彼女はそんなことを言い出す。「いえ」と答えると、若干不機嫌になった。

 

「それにしては……ずいぶんと乗れていたようにお見受けしましたが」

「何度も見ましたからね」

 

 これが星南会長のライブであれば、美鈴の不機嫌には多分に嫉妬が含まれていただろうな、と思う。だが今の暗い表情は、きっと手毬のファンではないと公言したからだ。

 手毬が絡むと、美鈴の面倒くささは一○○倍増しになる。そういったところも彼女がライブに掛ける情熱の原動力になっているだろうから、正そうなんて思わない。

 

 正そうだなんて、傲慢だ。人の感性をハンマーでぶっ叩いて、ペンチで切ったり曲げたりして、あるいはスパナでネジを締め直すなんてこと、誰もしてはならない。

 

「乗ることはライブの基本です」

「それは、そうですが」

 

 形だけでも乗らなければ失礼に当たるものだと思う。

 注目された人物のライブも、注目されている人物のライブも、できるだけ目を通すようにしていた。吸収できるものを吸収しなければ俺は何もできない。強迫観念がなければ、学習はトンネルをくぐり抜けるように落下していく。

 

「乗ってくれますか。わたしのライブでも」

「……表にいれば」

 

 美鈴は瞼を伏せて「はい」と返答し、手毬の楽屋に入った。

 

 

 

「少し付き合っていただけませんか」と美鈴は俺を会場の外に連れ出した。汗をかいたあと急激な冷えを認識するように、興奮したあとには、それまで以上の静寂が訪れる。

 

 都会の夜は、太陽にすべての元気を奪い取られたみたいだった。ビル群の遠景は明るいけれど、ライブ会場の周りだけ明かりが絞られていて、ブラックホールを歩いているような気分になる。

 

 美鈴はいつもより歩くのがゆっくりだった。

 

 言葉を待っても、彼女はなかなか口を開かない。彼女の脳内はきっと言葉で埋め尽くされているのだろうな、と思う。しかし内側がどれだけ騒がしくとも、外側へ発されるものはいつも通りだった。

 

 手毬に対して「ライブを見に来い」と啖呵を切ったはいいものの、後悔している? まさかその可能性は低い。

 

「分からなくなったんです」

 

 美鈴の脳内を予想して眠くなり始めたころ、美鈴は不意に、俺との距離を一歩詰めた。

 

「人はそれぞれ、自分のペースを持っているんじゃないか、と」

 

 手毬の前ではあれだけ気丈に振る舞っていても、美鈴だってまだ高校生だ。

 

「……手毬さんにとってはあの進み方が正しいのではないか。そして手毬さんは、美鈴さんとは正しいペース(・・・・・・)が異なっているのではないか、と」

 

 美鈴は俺の腕にしがみついて、こくり、と頷いた。

「そうですか」と汗ばんだ髪を撫でてやった。

 

 俺の人生経験上、美鈴の気づきは正しい。だが年上が年上ぶったところでなんの効果もない。もしも効果があるとするなら、それは適切な信頼関係が成り立ったうえでアドバイスをするときのみだ。それ以外は人生のノイズになる。

 

 プロデューサーはアイドルを信頼し、アイドルはプロデューサーを信頼しなければならない。能力と性格は、信じる必要がある。けれど哲学や人生観は信じなくてもいい。

 

「血反吐を吐きながら進むまりちゃんは、見ていられません」

 

 美鈴は抱きつく力を強めて「でも、どうしてでしょうね」と独り言のように呟く。

 

「まりちゃんの歌は、いつでもわたしの心を震わせるんです」

 

 美鈴は額を俺の腕に押し当てて、ふるふると震えた。蝶の美しさに見とれて手を伸ばしたはいいものの、それを捕まえられずに嘆く人のようだった。

 

 美鈴の状況を自分に当てはめて言えば、他の優秀なプロデューサーを気にかけている、となると思う。俺にはそんな余裕がない。同業他者(・・)を気に掛ける優しさも持ち合わせていない。

 その程度の俺に、どんな言葉がかけられよう。

 

「美鈴さんには、美鈴さんの道があります。どちらが正しいのかを示すのではなく、こんな道もあるのだと示せばいいのではないでしょうか。選ぶのは最終的には手毬さんの役目にして」

 

 アイドルは夢を見せ、道を提示する職業だと思う。

 正しいかどうかを選ぶのは、見た側の役目だと思う。

 そして美鈴は、アイドルだ。

 

「あなたに感化されれば、自ずと道を変えるでしょう。手毬さんに限らず」

 

 今にも倒れてしまいそうなほど全力でパフォーマンスをする姿は、純粋に美しかった。もしも途中で倒れてしまっても、それでいいと思ってしまう。そういう闇雲さが人の心を震わせるのだと思う。

 それを変えたいと美鈴が願うのなら、俺は文句を言わない。

 

「あなたの道は間違っている――と考えるのは構いませんが……俺たちは、人の道を否定する権利を持ちませんよ。それだけは忘れてはなりません」

 

 美鈴ははっと顔を上げ、何も言わずに俯いた。そのままくっついて歩いた。歪な円を描く歩道を一周して、なんとなく歩き始めた場所にたどり着く。

 

「飲み物は必要ですか?」

「そういえば……飲みきってしまいましたね。わたし」

「あんな啖呵を切れば喉も渇きますよ」

 

 美鈴は一つしか買ってこなさそうなので先んじて提案し、二人分の水を抱えて戻った。

 

 水も腰かけたベンチも冷たかった。美鈴はラベルの上までしか飲んでいないが、俺は半分ほど飲み進めている。

 

「先ほどの言葉は……あなたの生き方の音がしました」

「そりゃ」都合が悪くなり、美鈴とは反対を向く。「まぁ」

「血反吐を吐きながら進むのも、道の一つ。わたしのように歩くのも、道の一つ。どちらが高い場所に行けるのかを……見せれば。まりちゃんは変わってくれるかもしれない」

 

 美鈴は悩み抜いたすえに、「プロデューサーは」と頼りなく声を震わせる。

 

「変わってくれますか」

 

 答えなど決まっていたけれど、迷っている風を装って時間を置く。「どうでしょうね」という声は夜風に紛れてすぐさまどこかに消えた。

 

「俺は手毬さんや美鈴さんと違い、上に行こうなんて思っていないんです。普通にたどり着くために人よりも倍の重荷を背負っているにすぎない。だからあなた方二人の活躍が心に響くかは……ちょっと、明言できませんね」

「うそつき……あなたを離したくないんです。でもどこかに行ってしまいそうで」

「行きませんよ」

「大学にいるうちは。私がトップアイドルになるまでは。プロデューサーの言葉には何が続いているのですか?」

「期限を口にするつもりはありません。終わりを意識することになります」

「あなたはいつだって終わりを意識しているのに、わたしに終わりを意識させるのはお嫌いなんですね」

 

 そんなつもりはない、などと返したら美鈴を逆上させかねない。だから何も言わなかった。

 ペットボトルが音を立てた。

 

「プロデューサーは、猛進(盲信)しすぎです。普通以上になっていますよ。とっくに……とっくの、昔から」

「大空を羽ばたく自由を覚え、満足して地上に降り立った鳥は、もう二度と飛べなくなるのではありませんか。俺にはそう思えてなりません」

「プロデューサー……どこにも行かないでくださいね。あなたの言い分は、飢えているのに、誰も心に置こうとしていないのが――」

「送りますよ。明日からまたレッスンの日々です」

 

 優しく言い放ち、俺は立ち上がった。

 俺のペットボトルは完璧な形を保ったままで、美鈴のペットボトルはわずかに凹んでいた。彼女の拳にはそれ以上の悔しさが握り込まれていた。

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