砂漠越えの準備のため、俺はモンテカルロに向かった。
街に入ると、空気が悪いわけでもないのに息苦しさを感じる。路地を歩いているだけで、何やら物騒なものを見かけるし、酔っ払いの罵声や奇声のようなものがそこら中から響いてくる。
街の人たちの視線は鋭く、まるで獲物を狙うハンターのようだ。
一瞬でも隙を見せれば、すぐさま財布を抜き取られそうな危うさが街全体に満ちている。
「ほら、まだ持ってるだろう?」
「ひぃいいい~! も、もう勘弁してください!!」
「我に喧嘩を売るということは、大災に突っ込むのと同じだと思え。次やったら、お前は腹の中だぞ?」
ぺこの触手がモンテカルロの住民の一人を締めあげる。
住民は空中に持ち上げられ、ブンブンと振り回される。チャリンチャリンとゴールドが落ちた音がする。やがて何も落とさなくなると、近くの雑草の上に投げ捨てられた。
「すっ、すんませんでした~!!」
「ぺっ、しけておるな。この街と同じだ」
「そりゃあ……カツアゲしようって考えるヤツがゴールド持ってるわけないだろ」
俺は、住民の懐からこぼれ落ちたゴールドを拾い上げた。
合計で百ゴールド。俺とぺこがビールを一杯ずつ飲めば、それだけで吹き飛ぶ程度の額だ。旅費の足しにもなりゃしない。
そこそこ屈強な男ではあったが、魔物にとってはまるで歩くドリンクサーバー。
悲しいことに、この世界では人間の男など、食物連鎖の底辺どころか、そのさらに下だ。
俺だって私服で街の外を歩こうものなら、たちまち魔物たちに襲われ、二つの意味でぺろりと平らげられるに違いない。
――もちろん、その前に全力でぶん殴ってやるつもりではあるが。
「酒場しかないとはな。建物も土もマズそうだ。とっとと用事を済ませて去った方が良さそうだな」
「そうだな。さて、エルカ商会は今日も繁盛してんのかね」
俺はこの街で最も大きな建物を見ながら、小さくぼやいた。
・・・・・
エルカ商会は、この街における顔役のような存在だ。
それだけではない。大陸南部全域にまで影響力を持つ裏社会の大物でもあり、表向きの商売も含めて、実に幅広く手を伸ばしている。現在のボスである八代目エルカと俺は、ちょっとした縁があるのだ。
建物の中に足を踏み入れると、食料品や武具が山のように積まれ、所狭しと並んでいた。
俺は思わず眉をひそめる。ここは商人たちの拠点であって、倉庫ではない。以前に来たときは、これほど物資が雑然と並べられていた覚えはなかった。
「ぺこ、これはまだ市場に出る前の──おい、口を開けろ」
「あー……」
ぺこの口の中を覗くと、りんごが丸ごと一つ、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。
俺はちらりと横に目をやる。すると、箱に山積みにされたりんごの中に、不自然に凹んだ箇所があるのが目に入った。……どうやら、ぺこが勝手に拝借したらしい。俺は小さくため息を吐いた。
「まったく、油断もスキもないな」
「いやはや、お連れの方の腕前は素晴らしいですな。私はずっとお二人を見ていたのに、まったく気が付かなかったですぞ」
俺の隣に立つエルカ商会の商人が、感心したように頷いた。
いくらエルカと面識があるとはいえ、勝手に建物内をうろつくわけにはいかない。彼は監視役兼案内役といったところだ。
「ははは。驚くのはまだ早いぞ?」
ぺこはそう言うと、被っていた帽子をふわりと取った。
その頭の上には、なんと三つのりんごが乗っていた。いつからシーフにジョブチェンジしたのか。器用なものだと、俺は思わず内心で感心してしまう。ぺこはその三つのりんごを、ためらいもなくペロリと飲み込み、何事もなかったかのように帽子を被り直した。
「おお! 時魔法を使われたので?」
「いや? この手でスッと……な」
「なんと! まさに神業! 私は若いころ、しがない盗賊だったのですが……到底敵いませんな! 良きものを見せていただきました。りんごのお代は結構ですので」
「すいません……ありがとうございます」
商人は心の底から驚いているようで、ぺこを尊敬の眼差しでじっと見つめていた。
一見すると真面目そのものといった雰囲気の人物だが、昔はけっこうヤンチャしていたらしい。人は見かけに寄らないとは、よく言ったものだ。
「ボスはこちらにいらっしゃいます」
部屋の扉が開けられると、書類の山の中で仕事をしているエルカと目が合った。
どうやら忙しいタイミングで訪問してしまったらしい。
「おっと、邪魔をしたかな?」
「いいさ……俺とお前の仲だ」
立ち上がったエルカと俺は握手を交わす。
戦士らしいゴツゴツとした無骨な手だった。
・・・・・
俺とぺこは用意された椅子に座ると、エルカもどっさりと腰を下ろす。
俺たちが席につくと同時に、先ほどの商人が紅茶の入ったカップをテーブルの上に置いた。
「おいおい、ついに春が来たのか? 俺はエルカ。ヴェークに以前、危ないところを助けてもらった恩がある」
「ぺこだ。こやつは……まあ、叩けば食事が出てくる袋だと思っているな」
「はっはっは! 尻に敷かれちまってんのか! 竜と殴り合うような男が随分情けねえな?」
「違う。こいつはただの拾った居候の魔物だ。そういう関係じゃない」
「まっ、詮索はやめとくか。で、要件は何だ? 俺は今日も忙しいからな」
「実はサバサに向かう予定でな。ここで補給をさせてもらおうと思って来たんだ。他にも連れがいるから、少し量が多くなるんだが……大丈夫か?」
「構わねえぜ! ちょうど、サバサの調査隊に売る予定の物資がある……」
エルカはそう言うと、表情に影を落とした。
俺は何かあったのだろうと察して黙り込む。エルカは一度深い溜息を吐いてから話を続けた。
「実はな……サバサ王が行方不明になっちまったらしい。タルタロスに落ちたとかでな。大規模な捜索隊が編成されて、これから向かうそうだ」
「……あー、それで一階に荷物がギッシリ詰まれてたのか。にしても、サバサ王がいなくなるなんてな。これまた厄介な時期に……」
俺は紅茶を一口、静かに啜る。
サバサ王については、よく知っている。
武勇に秀でているだけでなく、戦略にも長けた有能な王だ。大胆不敵な性格で、どんな困難にも物怖じせず立ち向かう姿勢は、多くの国民の信頼を集めている。理想の王と評する者も少なくない。
――だが、そのサバサ王が、この戦時下において忽然と姿を消した。
これはあまりにも痛すぎる事態だ。
四大国は現在、戦争状態にある。
正確には、グランゴルドが他の三大国すべてを敵に回し、孤立する形で戦火の中にあるのだ。その中でも、三大国側において最も武勇に優れ、軍を統率する能力にも長けたサバサ王は、極めて重要な存在だった。
そんな彼が姿を消したとなれば、その影響は計り知れない。
士気の低下は避けられず、戦局にも大きな揺らぎをもたらすことになるだろう。
「まったく、最近は嫌なことばかりだな」
「これからもっとヤバくなるかもしれん。……備蓄は増やしておかねぇとな」
少し苦くて酸味のある香りが鼻に抜ける。
俺は不安を拭い去るように、ゆっくりと紅茶を楽しむことにした。
・・・・・
「エッ…………エヴァッッッ」
「なっ……なにがあったのだ…………」
仕入れた物資を抱えてカルロスの丘に戻ると──顔面が原形を留めていないエヴァが転がっていた。
彼女は大の字になって寝転がっており、ピクリとも動かない。俺が慌てて駆け寄ると、顔から白い煙が吹き出しているのが見えた。
「ボコボコにしたら、ボコボコになりましたわ!」
「うん。説明ありがとう。それで、なんでこんなボロ雑巾みたいになってるんだ?」
「ひ、ひとゔぉ……そ、そんなにゃふうにたとえ……ないれよぉ……っ!」
よろよろと上体を起こしたエヴァが、必死で言葉を紡ぐ。
顔面に負ったダメージはかなり酷いようで、呂律が回っていない。
「おっ! 生きてたか! 筋肉がない割には良く耐えたじゃねぇか! 偉いぞ!」
「えいっ……! 忍法・散り桜……!!」
「ぐべごべへえっ!?!?」
エヴァの急所に、ミクリの拳が突き刺さる。
本来ならば、手刀で放つところを握りこぶしにしているので、手加減をしているつもりなのかもしれないが……。それでも十分すぎるほど威力が高い。そのままエヴァは泡を吹いて、またピクリとも動かなくなってしまう。
「トドメを刺すんじゃない!! リライフ!」
俺は回復術をかけてやると、エヴァは涙目になりながらも起き上がった。
顔もキレイに元通りになっており、もう大丈夫そうだ。
「こいつさ、力の同盟に入りたいって言うもんだから、ちょ〜っとばかしテストしてやったのよ。アタシらと一戦交えて、実力を見せろってやつ。ま、結果は不合格だったけどね」
「ヴェークと一緒に居たら……タダでご飯が食べられるって話じゃない! 私と契約して、養いなさいよ!」
「嫌だよ。そもそも加入テストなんてなかったような……。俺、受けた記憶がないんだけど」
「アタシらの筋トレについてこられても合格だぜ」
「ああ、それなら条件満たしてたわ」
俺は荷物をテント横に置いてから腰を下ろした。
手に持っていた袋から、四枚のマントを取り出す。砂漠を越えるために使われる魔法のマントだ。昼は砂の熱さを防ぎ、夜は寒さを防いでくれる万能の代物。これを纏っていれば、砂漠を安全に進むことができる。
「これと帽子があれば、楽にサバサまで行けるだろ。みんなにも買って来たぞ」
「私の分は!?」
「いや、お前の分は考えてなかった」
「私も行くわ! 力の同盟に入ってやるんだから! それで、衣食住全て保証しなさいよ!」
「ええ~……」
駄々をこねるように、地面でジタバタ暴れるエヴァ。
あんなにボコボコにされていたのにも関わらず、元気なやつだ。その根性が努力に向ければ、強くなれそうなものだが……。
「うーん。ポテンシャルはありそうなんだけどな。今回の旅に連れて行くには厳しいぞ。加入はまた今度ということで……」
「ケチ鎧! 甲斐性なし! いーま! 今すぐ連れていきなさい!」
「なら、もう一つのテストを受けてもらいましょう!」
エクレアはそう言うと、力こぶを見せつけるように腕を曲げ、ポーズをビシッと決めた。
俺は一体全体何を言い出すんだと首を傾げていると、エヴァはパアッと顔を明るくする。
「やるわ! 筋トレ? よね!? ふふん、見てなさい! どんな試練でも乗り越えてみせるわ!」
エヴァもエクレアと同じポーズを真似して取った。
・・・・・
「エッ…………エヴァッッッ」
「なっ……なんということだ…………」
俺の眼下には、まるでボロ雑巾のように地面に転がるエヴァの姿があった。
全身からは汗が滝のように吹き出し、顔は真っ赤に紅潮している。炎天下の犬のように舌を突き出し、必死に酸素を求めて荒い呼吸を繰り返していた。
「おーい。まだウォーミングアップも終わってないんだけど。ほら、しゃんとしろー?」
「エッホ……エッホ……あと六千回はやらなくちゃ……」
エヴァのすぐ横では、ミクリが残像を残すほどの速度で腕立て伏せを続けていた。
彼女はうっすらと汗をにじませてはいるものの、表情にはまだ余裕があり、息一つ乱れていない。
「ま゙、ま゙っで……ま゙っで……」
「この程度でギブアップは許されませんわ! さあ、スクワット千回! 十セットですわ! さあ、さあ!」
エクレアは目をキラキラさせながら、エヴァをぐいっと引っ張り起こそうとする。
だが、全身の筋肉が限界を超えて悲鳴を上げている状態で、無理に立たせようものなら――。
「ゔぼお゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!?!?」
「とってもお元気ですわ!! さあ! イチッ、ニッ、サンッ、ですわー!」
「コ、コロジデ……!」
「おっ、まだ声が出るってことは! まだまだ行けるってことだな!」
「こ、このあたりで今日はおしまいにしないか? ほら、泡吹いてるし……」
とんでもないスパルタ式の体力づくりに付き合わされているエヴァを見て、俺は思わず声をかけた。
世界樹の葉を煎じた特製のドリンクを顔に吹きかけてやると、彼女はヒューヒューという掠れた呼吸を漏らす。
「と、とんでもない集団に声をかけてしまったわ……! ハラスメントが酷すぎるわよ……!」
「力の同盟はパワハラとセクハラを推奨する、新時代の組織を目指してるからな!」
「クソみたいな組織。……ぺことミクリは俺の尻を触るな。前はもっとダメだ!」
サワサワと言うよりも、もはやガッツリ掴んでいる二人の頭を軽く叩く。
そして彼女たちを引き剥がし、エヴァの身体を支えながら木陰に移動させた。
・・・・・
エヴァの試練は、三日間にも及んだ。
最初のうちは、悲鳴や泣き言を盛大に撒き散らしていたが、日が経つにつれて彼女の瞳から徐々に輝きが消えていった。やがてハイライトすら宿らなくなり、その目はまるで死んだ魚のように虚ろで、生気のない表情が常となってしまった。
「ああ、きんとれ、あるいはきんとれ……。わたしのきんとれがきこえないかしら……」
「こわっ……。もうやめたほうがいいんじゃないか? 一生モンのトラウマになりそうだし」
「ワタクシ的には、体力が尽きかけたその瞬間に、迷いなく回復をかけ続けるヴェークがいっちばん恐ろしかったですわ」
「いやいや、だって放っておいたら、ぶっ倒れそうだったし……」
エヴァにエルフの霊薬を飲ませながら、俺はエクレアの言葉に反論する。
あの場では最善の選択だと思ったのだ。……よくよく考えれば、拷問中に水をかけて意識を覚醒させるような悪質行為だったかもしれないが。
「ナイスアシストだったぜ! ヴェーク! サキュバスってのはな、瀕死の状態から回復してやることで……急激に力をつけんだよ!」
「そうだったのか。我はてっきり、心を壊すためにやってるのかと思っていたぞ」
「そんなわけないだろ? ん~、結構耐えたけど、これ以上はダメそうだな」
アイシスはブーストドリンクを一気に飲み干すと、軽くエヴァの腕を小突いた。
続けて、粉末状の薬草を水に溶かしたバケツを手に取り、そのままエヴァにぶっかけた。
「力の同盟に加入するには、一週間は耐えられないと話になんねぇ。まっ、今回の筋トレを緩くしたメニューを渡すから。それを毎日やって、実力をちゃんと身につけてから出直して来な」
「──もっ、もうイヤァァァー!!」
「あら、元気そうでよかったですわ!」
「さよなら……また会おうね……」
鬼気迫る表情を浮かべ、猛ダッシュでエヴァは逃げ出した。
その走りは、これまでの運動によって得た成果によるものなのだろうか。非常にスピーディーで美しいフォームだった。
・・・・・
「美味しいわね! チャーハン! お肉も一杯入ってて、ほっぺた落ちそう!」
「おっ、おう……」
「う、うむ。美味しい……な?」
俺とぺこは顔を見合わせ、互いに困惑した表情を浮かべる。
目の前では、エヴァが料理を美味しそうに頬張りながら、何食わぬ顔で椅子に腰かけていた。彼女は昨日、あれほど必死に逃亡したはずなのに――翌朝には、まるで何事もなかったかのように戻ってきたのだ。
もはや拷問と呼べるほどの過酷な経験を味わったにもかかわらず、それでも戻ってくるとは……。
もしかするとエヴァは、案外とんでもない大物になるのかもしれない――そんな予感が、ふと頭をよぎった。
「私、気づいちゃったのよ! この世の真理に! 結局は暴力が正義だっていうことよ!」
「そうだね……!」
「強いものこそが尊ばれ、弱者は踏み潰されていく! なら! 力こそがパワーってわけ! 私は強くなるわよー!」
「おおっ、アタシが目をつけただけある! 将来はクィーンサキュバスも夢じゃねぇな!」
「……なんかキャラ変わってないか?」
エクレアは無言のまま、エヴァに向けて親指をグッと立てて頷いている。
俺は近い将来、この無職サキュバスが家に転がり込む事態にならないことを祈った。