祝福なき勇者、ルカは行方不明となった父を捜すため、旅に出ていた。
ルカの隣には、諸事情で小さくなった魔王──アリスフィーズ16世が口をもごもごさせながら歩いている。彼女の手にはパンが握られており、嬉しそうに交互に頬張っていた。
「アリスってなんだか……ぺこさんみたいだ」
「あっ、ルカも? 実は私も思ってたのよね」
アリスフィーズ16世は顔を上げ、首を傾げる。
ルカは冒険についてきた幼馴染の僧侶、ソニアと顔を見合わせた。やはり同じ印象を持っていたようだ。
「ぺこ? 何者だそいつは。余と似てるのか?」
「うん。イリアスベルクのヴェークさんっていう、冒険家の人と一緒に住んでる魔物でね。どこに行っても食べ物の話ばかりしてるんだ。それか、なにか食べてるか」
「前にルカの宿に泊まったときは、イリアスヴィルの食料庫を空っぽにされかけたんだから。他に同行してた魔物さんたちも、かなり食べてたわよね」
「ほーう。余と同じようにグルメなのだな。機会があれば、ぜひ会ってみたいものだ」
ルカの脳裏には、ヴェークさんと共に暮らす四人の魔物たちの姿が浮かんでいた。
そのあとに続くのは──毎回、食事の領収書を見て血の涙を流すヴェークさんの姿。
「ヴェークさんも冒険に出てるんだ。遠くに行くって言ってたけど、今どこにいるんだろうなぁ……」
ルカはヴェークさんとのやり取りを思い返し、苦笑した。
ヴェークさんは魔物と人間との壁をまったく感じさせず、むしろ楽しそうに接している姿が印象的だった。その関係性はとても理想的で、ルカは密かに敬意を抱いていた。
「ヤマタイでもないのに……珍しいな。人間と共に暮らす魔物か。それも複数で」
「そう言われると、確かに珍しい気がするわね。真っ白な妖狐のミクリちゃん、スライムのエクレアちゃん。ぺこさんは……聞いたことないわね。あとは、サキュバスのアイシスさん」
「アイシス? サキュバスのアイシスだと? もしや……髪は赤くなかったか?」
「うん。それと、褐色肌でお酒好きだったよ。あとは……腹筋が凄くて──いたっ! な、なにするのさ、ソニア?」
「ふん!」
ソニアは顔をぷいっとそむけ、怒りのオーラを放ちながらズカズカと先へ歩いていく。
こうして突然不機嫌になるのは彼女にはよくあることなので、ルカは歩きながら、今回はどうやって機嫌を直してもらおうか、と頭をひねった。
次の目的地、イリアスベルクで新しい棍棒でも買ってあげれば、あっさり機嫌を直してくれるかもしれない。
ルカは、そんな希望的観測をぼんやりと思い浮かべた。
・・・・・
横目でちらりと見やると、アリスは眉を寄せて小さく唸っていた。
何か引っかかっているような様子だ。
「うーむ。いや、そんなはずは……しかし……」
「もしかして……アイシスさんは知り合い?」
「知っている人……と表現して良いのかは難しいところだな。話は変わるが……ルカ、魔王はどうやって決めているか分かるか?」
「うーん……やっぱり世襲制かな?」
「違う。複数の魔王候補者が一堂に会し、決闘によって勝者を決めるのだ。その勝者が新たな魔王となる。……まあ、実際には余のフェイタルベルン家が代々勝ち続けておるゆえ、ほとんど世襲制のようなものだがな」
アリスはドヤ顔で胸を張る。
家系に誇りを持っているのだろう。庶民も庶民な自分の家とは違うなぁ、とルカはしみじみ思う。
「アイシスの名は、サキュバスにとって特別なものだ。生半可に名付けられるような名前ではない。余の名であるアリスフィーズと同じくらい重みのある名よ」
「へえ……。あっ、そういえば、伝説の勇者ハインリヒの昔話に同じ名前が出てたね」
「人間にどう伝わってるか分からないが、同じ人物だろう。五百年前……のちに“歴代最強”と呼ばれることになるアリスフィーズ8世と、最後まで魔王の座をかけて激突した豪傑のサキュバス。その名が――“アイシス”」
アリスはルカに、当時の出来事を詳しく語った。
アイシスは決闘に敗れたのち、魔王に忠誠を誓い、そのまま魔王を支える四天王の一人となった。
その強大な力を遺憾なく振るい、多くの戦いで魔王軍を勝利へと導いたという。
炎と氷を拳に宿し、同時に放つその技は非常に有名で、“炎氷将軍”の異名でも広く知られていた。のちにアリスフィーズ8世を討つことになる勇者ハインリヒと、幾度となく激戦を繰り広げたことでも、その名は歴史に刻まれている。
「アリスフィーズ8世がハインリヒに討たれたあと、アイシスの消息は途絶えたと聞く。サキュバスが五百年の時を超え、生きているとは考えにくいが……」
魔物は基本的に、人よりは長生きだ。
千年生きる魔物も珍しくないが、サキュバスは人より少し長生きという程度で、寿命自体はそれほど長いわけではない。ルカは以前、魔物図鑑で読んだ内容を思い出した。
「最近、消え去ったと思っていた女神がまた現れたりしたからな。アイシスも封印されていて、今になって帰ってきた……そういった可能性も考えてしまうな」
「もし……あのアイシスさんが同じサキュバスだったら、ちょっと……」
とてもではないが、伝説のサキュバスにふさわしい威厳や風格は微塵も感じられない。
酔っ払って裸でエクレアと踊ったり、ヴェークさんにセクハラを仕掛けて拳骨を食らい、床に転がって悶絶したり……。
その姿は“伝説”とは程遠く、そこらの悪質なセクハラ親父が女体化したような存在だ。
もし、ルカの尊敬する勇者ハインリヒのライバルがあんな感じだったと考えると、少し気分が冷めてしまう。
「いや。もし本当に、あのアイシスであるならば……それは喜ばしいことだ。協力を仰ぐべきだろう」
「それは、やめといたほうがいいんじゃないかなぁ……」
「……うーむ。ルカもそう思うか。伝わっている話を聞く限り、アイシスは──ゴリゴリの体育会系だ。力を借りたければ、まず戦って実力を示せ、と言われるのがオチだろうな。今のように弱った余では、とても太刀打ちできん」
そう言って、アリスは肩をすくめた。
ルカも同意見だった。仮にあのアイシスさんが本人だとしたら──普通にお願いしたところで、即座に却下される未来しか思い浮かばない。
「そういえば、ヴェークさんが『旅に役立つ贈り物を用意しておく』って言ってたんだ。イリアスベルクに着いたら、忘れずに家に寄らないとね」
「つまらん物でなければよいがな」
「大丈夫だと思うよ。ヴェークさん、冒険家歴が長いって言ってたし、きっと役に立つ物がもらえるはずだよ」
ルカは期待に背中を押されるように、歩を速めた。
・・・・・
──イリアスベルクの郊外。
ルカ一行の目の前に現れたのは、まるで領主の邸宅のような堂々たる屋敷だった。
屋敷の周囲には手入れの行き届いた庭園が広がり、中央には優雅な噴水が静かに水をたたえている。裏手の畑には様々な野菜が丁寧に植えられ、風に乗って、土と青草のやさしい香りがふんわりと漂ってきた。
ここが、ヴェークさんの暮らす家だ。
普段は何をしているのかよく知らないけれど、お金に困っている様子はまるでない。むしろ、かなり余裕がありそうに見える。イリアスヴィルでは、そんなヴェークさんのことを『裏社会の大物なんじゃないか』『悪名高いドン・ダリアの愛人なのでは?』なんて噂する人もいる。
ルカはその話を聞いて、まさかと笑っていた。
ヴェークさんは母と面識があるし、裏山でスライムたちと楽しそうに過ごしている姿を、これまでに何度も見かけている。とても悪い人には思えなかった。だが、この屋敷を目の当たりにすると、もしかすると本当に“裏の顔”があるのかもしれないと勘ぐってしまいそうになる。
「えっと、預かっていた鍵は……」
ルカは道具袋から鍵を取り出し、門の錠に差し込む。
この鍵は、以前ヴェークさんから直接渡されたものだ。
「ほう。なかなか壮麗な造りじゃないか。それに……建物の周辺には結界も張られているようだ。並の連中には侵入することすら叶わんだろうな」
「この規模の屋敷を持つ冒険家なんて普通じゃ考えられないわよね……。もしかしてヴェークさんって結構すごい人なのかも?」
ルカが門を開けると、三人はそろって屋敷の中へと足を踏み入れた。
中は隅々まで掃除が行き届いており、廊下には豪華な調度品や繊細な装飾の花瓶が整然と並んでいる。……なぜかその中に混じって、やけに重たそうなダンベルまでもが、芸術品のように置かれていたが。
役立つ道具はリビングの机の上に置いておくと、ヴェークさんは言っていた。
ルカはリビングへ向かい、そっと扉に手をかける。するとそこには──。
「おや、珍しい。お客様が来たようですね?」
黒い着物風のメイド服を纏った女が、まるで影から滲み出るように、ゆらりと姿を現した。
口元には薄ら笑いを浮かべ、青紫の瞳を細めながら、まるで獲物を見定めるようにこちらをじっと見つめている。
「えっと、僕たちは不法侵入とかじゃなくて、ヴェークさんの友達で……」
ルカは思わず慌てて声を上げた。
どこか不気味な気配を漂わせるその女に、アリスとソニアは警戒心を隠しながら身構える。
「なるほど、ご友人でしたか。私は
陽絹と名乗った女性は口元を歪めると、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
・・・・・
アリスとソニアは表情を強張らせつつも、自己紹介を済ませる。
陽絹はそれを静かに受け止めると、何事もなかったかのように落ち着いた手つきで、テーブルの上にティーセットを並べはじめる。
「おやおや……なにやら緊張されているご様子。お茶を出しますので、こちらにおかけください。お二人もいかがですか?」
「……そうだな。いただこう」
「え、ええ」
二人は陽絹の勧めに従い、静かに椅子に腰掛けた。
ルカもそれに続く。陽絹がカップに注いだ琥珀色の液体は、湯気とともに豊かな香りを漂わせていた。彼女はゆっくりとした動作で、それぞれの前にカップを丁寧に置く。
「グランドノア産の茶葉です。口に合えばよいのですが」
陽絹も席に着くと、口角をわずかに吊り上げて微笑んだ。
怪しい……。ルカはそう思ったが、ここで断るのは不自然だと思ってお茶を口に含む。アリスもソニアも同じように、ためらいながらも口をつけている。
「えっと、すごい美味しいです」
「そ、そうね……美味しいわ」
「うむ、美味いな。それで……お菓子はないのか?」
「ちょ、ちょっとアリス……!」
「ふふふっ。ありますよ?」
陽絹はそう告げると、背を向けて棚へと歩み寄った。
そして、クッキーの入ったガラス瓶を取り出し、上品な白いお皿にそっと乗せる。その間に、アリスが念波でひそかに話しかけてきた。
『油断するな。こやつは魔物だ。それも……相当の手慣れだぞ。戦っても勝ち目がない相手だ。注意深く接するのだ』
アリスの言葉にルカの緊張が高まっていく。
だが表面上は冷静を装い、言葉は発さずに首を縦に振った。陽絹はクッキーが盛られた皿を運んでくると、全員の前にそれを置く。
「美味しいな! これはどこで買えるんだ?」
「ヴェークの手作りですよ。時魔法で一番美味しい出来立ての状態をキープしてくださっています」
「そういえば、ルカはヴェークさんに料理をちょっと習ったことがあるんじゃなかった?」
「そうだけど……お菓子も作れるなんて知らなかったなあ」
ルカはそう言いながらクッキーを一口齧る。
サクッと軽やかな食感のあとに、バターの豊かな香りと、ほどよい甘さが口いっぱいに広がる。とても良い出来だ。
ヴェークさんに以前、同居人から自分の命を守るため、料理を必死に覚えたという話を聞いたことがあった。
変な冗談だと思って聞いていたが、それくらいの気持ちで挑んでいたという意味かもしれない。
「では、ヴェークの用意していた贈り物を取ってきますね。少々お待ちください」
陽絹がそう言って、リビングを出た。
ルカはクッキーをもっと食べようと思い手を伸ばすが──皿は既に空っぽとなっていた。
「……アリス」
「美味かったな」
「あ、あはは……」
アリスの満足そうな笑みにソニアが微妙な表情を浮かべた。
・・・・・
五分後、陽絹は小さな箱を抱えて戻ってきた。
テーブルの上にそっと置かれたその箱は、宝箱を小さくしたような見た目をしていた。
「この箱に入っています。どうぞ開けてみて下さい」
「う、うん……」
陽絹は意味ありげにニヤニヤと笑いながら告げた。
まるで何かを企んでいるようにも見えるが……ルカは促されるまま、箱の蓋を開けた。
中に入っていたのは、一通の手紙と小さな布袋だった。
ルカは先に手紙を拾い上げ、目を通す。そこには、『武具などの用意も考えたが、それよりも自由に使えるゴールドのほうが役に立つだろう』との思いが綴られていた。そして最後に、旅の無事と健闘を祈る言葉で締めくくられていた。
「わっ、五万ゴールドも入ってる」
「ありがたく受け取っておこう。支出はどんどん増える一方だからな」
「そうだね……」
ルカは神妙な面持ちで頷いた。
旅を始めてからというもの、同行者は加速度的に増え続け、すでに十人以上の魔物が仲間に加わっている。当然、装備や食事にかかる費用も増えており、今のところは手持ちの資金でどうにかやりくりできているものの、このままではいずれ資金面で行き詰まる可能性があった。
「ふふ、良かったですね。ヴェークは相変わらず、後進の育成に熱心ですね。実は私も、新しいパトロンを探していた時期に、助けていただいたのですよ」
「パトロンだと? メイドが本職ではなかったのか?」
「現在は休業中でございますが、本職は……しがない芸術家でございます」
「そうなんだ……」
「少しばかり怪我を負いまして。今はご厚意に甘え、このお宅でゆっくりと療養を楽しませていただいております。この姿は……まあ、趣味の一環です」
「趣味にしては、やけに堂に入っておるな」
「ふふふ、褒め言葉として受け取っておきましょう」
陽絹は、どこか意味ありげにおどけてみせた。
動作がいちいち怪しい人だ──ルカはそう思ったが、それを口にすることはなかった。
「それじゃあ……そろそろ行きますね。ご馳走様でした」
「いえいえ。旅のご成功をお祈りしておりますよ」
相変わらず怪しい笑みで、陽絹は玄関まで見送ってくれた。
・・・・・
「まったく、とんでもない奴と出会ってしまったな。ルカ、あの屋敷にはあまり近づかないほうがいい。少なくとも、一人では危険だ」
アリスが真剣な表情で忠告する。
ルカも同意見だった。あの陽絹という魔物は何か危険な香りがした。ヴェークさんの友人だというから敵対的な存在ではないのかもしれないが……それでも油断は禁物だ。
「たまに怪しい雰囲気、出してたわよね」
「たまに? 最初から最後までずっと怪しかったと思うんだけど」
「ヤツのことを詮索しても痛い目に遭うだけだろう。あれのことは一度忘れ、旅を続けるとしよう」
ルカは小さく頷き返しながら、ふとヴェークさんのことを思い出す。
あの人は一体、どんな人物だったのだろう。あれほど身近にいたはずなのに、思い返してみれば知らないことばかりだ。
いつかきっと、ヴェークさんに出会う日が来る。
理由は分からない。でも、なぜかそんな気がしてならなかった。
「ワールドウォーカーで読んだのだが……ここの宿の名物、あまあまだんごは絶品らしいな。ゴールドも入ったことだし、買いにゆくぞ」
「ま、待って──ああ、もう行っちゃった」
「財布はこっちが持ってるのに……」
ルカとソニアは、勢いよく駆け出したアリスを慌てて追いかけた。