俺は当初、グランドールの宿を借りようと考えていた。
だが、エクレアがダンスの練習場所も確保したいと言い出したため、別の手段を探すことにした。
「せっかく良い宿があると言うのに……これでは外と変わらんではないか」
「まあまあ。あの様子じゃあ、宿の中でも踊りの練習しそうだからな。周りに迷惑かけるわけにはいかないだろ?」
「なら、宿ごと借りれば良いではないか。そうすれば周りに迷惑などかからん。我も不便な思いをしなくて済むし、誰も困らぬ」
「俺は困るんだよ。路銀が消し飛ぶわ」
ぺこと俺は、グランドールの外れにある一角にテントを張っていた。
この辺りには踊り子たちが滞在するテントが点在しており、いくつもの練習場も整備されている。練習場と宿泊用のテントはある程度距離が取られているため、たとえ夜中に稽古を行っても、周囲の迷惑になることはない。集中して練習に打ち込める、ありがたい環境だ。
「ふん、ずいぶんとお優しいことだな」
ぺこは自分の荷物をテントの中に投げ込んでから、どかっと腰を下ろした。
不満そうに唇を尖らせながらも、バザーで買ってきた串焼き肉をガツガツと食べ始める。
「まあ、応援したい気持ちはあるし。せっかく参加するんだから、全力で挑んでほしいからな」
「それで、どうするんだ? 力の同盟でダンスを嗜んでいるのは、ミクリぐらいだろう」
「うーん。ミクリの踊りって、ダンスというより舞踊なんだよなあ。アイドルって感じではないな……」
ダンスと舞踊。
どちらも踊りと呼ばれるものではあるが、求められるスキルは異なり、似ているようで異なる表現形式だ。ミクリの舞いは、美しさを極めることに重きを置いた、どこか儀式的な雰囲気を持つ踊りだ。
一方で、アイドルのダンスは観客との一体感やエネルギーの放出を重視する。
楽しさ、カリスマ性、そしてダイナミックな動きが魅力となるスタイルだ。どちらが優れているという話ではなく、単純に──目指すものが違う。
ミクリも多少はアドバイスできるだろうが、さすがに限界がある。
俺もぺこも踊りに関しては全く知識がない。アイシスは“剣の舞い”という演武ができるものの、やはりアイドルのダンスとは別物だ。俺が悩んでいると、エクレアがテントに入ってきた。
「ヴェーク──いえ! プロデューサー!! ダンスの練習をしてきますわ~!」
エクレアのテンションは、ずっと最高潮に達したままだった。
キラキラと目を輝かせ、自信に満ちた笑みを浮かべながら、勢いよく俺を指差す。
「プロデューサー? 俺が?」
「そうですわ! アイドルにプロデューサーは欠かせませんもの!! では! ワタクシ、踊って参りますわ~!!」
エクレアは、びしっと敬礼のポーズを決める。
そしてそのまま、勢いよく踵を返すと、猛ダッシュで練習場へと駆けていった。
「プロデューサー……か。大役を任せられたもんだ」
「ははは、責任重大だな。しっかり支えてやらんとな?」
「そうだな……。正直、本当にやりたくないけど──あいつを呼ぶしかないか……」
俺としては、せっかくの大舞台を何とか勝利で飾らせてやりたいと思っている。
だからこそ、できる限りのサポートはしたい。俺は袋から紙とペンを取り出し、“ある人物”へ宛てた手紙を書き始めた。
・・・・・
バサーで食べ歩きの旅を終えたあと、俺とぺこは正面入口前のベンチで休んでいた。
ベンチの前には、食べ物が山のように積まれた大きな手押し車がどっしりと構えている。
アイシスとミクリは、朝からずっとカジノで遊んでいる。
ちらりと様子を覗いてみたが、二人ともかなり儲けているようだった。まあ、アイシスが一緒にいるなら、そうそう悪いことにはならないだろう。おそらく。
「もぐもぐ……それで、もぐもぐ……誰に手紙を……もぐもぐ、送ったのだ?」
「知り合いの芸術家。人形作りを生業にしてるんだが……いろんな分野の知識を豊富に持っていてな。前にダンスの心得もあるって言ってたから、いろいろ助言してくれるはずだ」
「ほう。それは心強いな。なら、なぜ先ほどから辛酸を舐めたような顔をしているのだ?」
「まあ、色々と問題がある人でな。……ちょっとネジが外れてるっていうか。まあ、こっちに危害を加えたりすることはないけど」
ぺこが小さく首を傾げる。
俺は、頭の中に手紙の相手を思い浮かべた瞬間、気分がずしりと重くなった。
人柄は……まあ、そこまで悪くはない。
だが、とにかく変わり者だ。その姿をひと目見ただけで、十人中十一人がマッドな芸術家だと確信するだろう。本人は否定しているが、どう考えても十分にマッドだと思う。
俺の悩みなど、どこ吹く風といった様子で、ぺこは一心不乱に料理をかき込んでいた。
自分もやけ食いでもしようかと思ったそのとき──蜃気楼の揺らめきの向こうに、ぼんやりと黒い影が見えた。どうやら手紙は無事、届いたようだ。
「あー、届いちゃったか。あー、届いちゃったか……」
「あれが例の助っ人か。一目でヴェークの友人だと分かったぞ。お前の友達はなんだか、変なのが多いな」
「俺だって、好きで知り合いになってるわけじゃないんだよ……」
俺は、近づいてくる人物を見て溜め息を吐いた。
全身真っ黒の装束に、怪しげな仮面──間違いない。俺が手紙を送った相手だ。
「うふ、うふふふ! やっとこの私をお求めになったようで……♪ この陽絹、救われた命をあなたのために使い、全力で敵を叩き潰して差し上げましょう……!」
俺の友人──陽絹は仮面を脱ぎ捨て、素顔を露にする。
美しい黒髪が風に靡き、青紫がギラリと輝く。薄ら笑いを浮かべる口元は、怪しさを孕んでいた。
「こやつ、なにか勘違いしてないか?」
「手紙の書き方が悪かったかな……。すまない、陽絹。手伝ってほしいのは、ダンスの練習なんだ」
「ダンスの──練習?」
陽絹は目を丸くして首を傾げた。
・・・・・
俺は事情を説明した。
仲間であるエクレアがダンスコンテストに参加すること。優勝を目指していること。そして、ダンスの指導者がいないこと──。
陽絹は話を聞くうちに、徐々に表情を柔らかくし始めた。
「そういった事情だったのですね。うふふ、それならばお任せを。命なき人形にすら、舞踏を教え込んだことのある私。偶像に踊りの一つや二つ教えることなど、容易いことでしょう」
「ほっ……。よかった。正直、断られることも覚悟していたんだけどな」
「私は常に高尚な芸術を求めています。ですが、大衆娯楽を嫌っているわけではないのですよ。それに……ふふっ。パトロンの求めに応えるのも、芸術家の務めですからね」
「ははは。金払いの良いパトロンからの依頼とあっては、断れないということか。随分と世知辛いな?」
「からくり人形術は、途方もなくお金がかかるのですよ。それに最近、娘にすべての道具を継承させてしまいましたからね……」
陽絹は肩をすくめながら言った。
ぺこは興味深げに身を乗り出す。
「娘がいるのか?」
「ええ。とても可愛い娘なのですが、少々ヤンチャが過ぎるのが難点でして。以前は無口な子だったのですが……。親離れかと思うと悲しいものです──ヴェークも、同じ気持ちでしょう?」
「……は?」
ぺこは食べかけの手を止め、ぽかんとした表情で固まった。
次の瞬間、まるで機械のようにぎこちなく首を横へ向ける。俺は慌てて手を振り、訂正の言葉を口にした。
「違う違う! 俺は開発資金と素材を出しただけで──」
「まだ認知してくださらないのですか? あの子は、ヴェークと私の手によって創られた──まさに愛の結晶ではないですか」
「……は?」
「ちょ、待て! 確かに俺も関係ないとは言わないけど! その言い方は完全に誤解を生むから!」
陽絹は、いかにも困ったような顔をわざとらしく作ってみせる。
俺に向けられたぺこの視線は、いつの間にか“駄目な男を見る目”になっていた。
「……親が子を愛すのは、当たり前のことだ」
「俺もそう思う! だけど、陽絹が勝手に──ぐべぇっ!!」
気がつけば俺は、空を飛んでいた。
・・・・・
ぺこは不機嫌そうに、カジノで遊んでくると言い残し、そのまま行ってしまった。
触手で殴られた頬をさすりながら、俺はエクレアの練習風景に目を向ける。
陽絹は、まずエクレアの実力を見極めるために、基本的な振り付けや動作の確認を丁寧に進めていた。
「思っていたより、しっかり研鑽されているようですね。基礎はすでに十分のようですから、細かな部分の修正から始めましょう」
「ええ! ワタクシ、お姫様としてのたしなみとして、幼少の頃からダンスには親しんでいましたの!」
「うふふ。努力に裏打ちされた自信は素晴らしいことです。では、次は私の動きをよくご覧ください」
陽絹はそう言うと、先ほどまでの妖しげな雰囲気が嘘のように、一変した。
次の瞬間──彼女の体が滑らかに動き出す。指先の微細な動きから足さばきに至るまで、すべてが緻密に計算されたような、まるで芸術のような踊り。
俺はその洗練された所作に、ただ見惚れることしかできなかった。
エクレアが先ほど披露していたのと同じ振り付けのはずなのに、まったく別物に見える。たった一人の踊り手が変わるだけで、これほどまでに印象が違うのかと、俺は思わず息を呑む。
まさに、技量の差が生む表現力の違いだった。
最初こそ驚いた様子だったエクレアも、やがて真剣な眼差しに変わり、陽絹の動きをひとつ残らず見逃すまいと目を凝らしていた。
「──ふう。エクレアさんが目指すのはアイドルでしたね。それなら、もう少し華やかさを加えた方がよいかもしれません。ヴェークさんは、どう感じました?」
「完璧だったよ。でも……完成されすぎてて、どこか冷たい印象を受けた。アイドルっていうより、“芸術”って感じだったかもな」
「私も同感です。魅せる踊りとしては優秀でしたが、“静”の要素を強くしすぎたようです。アイドルなら、やはり“動”に比重を置くべきでしょう。うふふ……これは面白い題材になりそうですね」
目をキラキラと輝かせるエクレアの横で、俺と陽絹はそっと頷き合った。
サキちゃんは、満点を取ってようやく勝負になる──そんな相手だと、俺は踏んでいる。エクレアも今の段階で、満点に手が届く。だが、それだけでは勝てないだろう。
勝利を掴ませるためには、技術だけでは足りない。
観客の心を動かす、圧倒的な個性が必要なのだ。
「スライムであるという特性は、武器になりますね。相手はサキュバス──あちらには真似できない、物理的に不可能なパフォーマンスを見せれば、それだけで強い印象を残せます」
「そうだな。だけど、それだと陽絹が教えるのは難しいんじゃないか?」
陽絹は鬼族だ。
スライムのような柔軟な動きは、本来ならできないはず。だが彼女は、怪しげに微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。どうやら、策があるらしい。
「うふふ──お忘れですか? 私はかつて世界最高峰だった人形師、“三代目・影紬”ですよ。自分の身体で出来ないことなら──人形にやらせればいいだけの話です」
陽絹はそう言って、テント横の水場に向かって両腕を伸ばした。
指先から魔力で作られた無数の糸が飛び出し、水面に触れると同時に──水が盛り上がり始める。やがてそれは徐々に大きくなり、陽絹よりも少し低い背丈の人型へと変貌していく。
「相変わらず、見事な魔芸だな……。惚れ惚れするよ」
「これは……ワタクシですわ~!?」
完成したのは、エクレアと寸分違わぬ姿をした水の人形だった。
陽絹はその水人形を、指先の繊細な動きで操りはじめる。まるで命が宿ったかのように、水人形は滑らかに、優雅に舞い踊った。本物と見紛うほどの姿と動きに、エクレアは目を見開き、驚きと憧れの入り混じった視線を注いでいた。
「では、練習を始めましょうか……エクレアさん」
「エクレアでいいですわっ! ワタクシは……トレーナーとお呼びいたしますわね!」
「うふふ、新鮮な呼ばれ方ですね。わかりました。よろしくお願いします。それと、ヴェーク」
陽絹は、どこか期待を込めた眼差しでこちらを見つめてくる。
「どうした?」
「先ほど“惚れ惚れする”と仰いましたが……それは“認知する”という意味で受け取っても?」
「違う!! 陽絹! 本当に頼むぞ!」
陽絹は愉しげに笑い声を上げる。
任せて本当に大丈夫なのか──そんな不安が頭をよぎったが、今さら悩んでも遅い。俺はすでに、彼女を呼んでしまったのだから。エクレアはというと、まるでそんな俺の葛藤など気にも留めず、楽しげに水人形とダンスを踊っていた。
悪いことにはならないだろう──俺はそう思いながら、練習風景を眺めた。