田園風景というものは、どこか心が落ち着く。
農作業に勤しむ人々は忙しげに動きながらも、どこか柔らかな笑みを浮かべている。その姿は、日々に追われつつも、確かな幸福を胸に抱いているように見えた。
「すまないねえ、旅のお方。せっかく旅行で来てもらったっていうのに、お手伝いをしてもらうことになっちゃって」
「いやいや、気にしないで下さい。俺もちょうど、仕事が欲しいところだったんですよ」
俺は田植えを手伝いながら、ヤマタイ村の男性の言葉に答えた。
グランドールで予想以上に出費がかさんでしまったため、路銀を少しでも稼ごうと思ったのだ。
「連れて行ってあげる♪ 空の彼方♪ 連れて行ってあげる♪ 夢の深淵♪」
「わぁ~!!」
「素敵な歌と踊りですね……」
女の子がぴょんぴょんと飛び跳ね、嬉しそうに小さな手を打ち鳴らす。
その様子を、母親は微笑ましげに見つめ、時折リズムに合わせて手拍子を送っていた。
エクレアは働く人たちに向け、歌と踊りで癒しと力を届けていた。
アイドル活動によって手に入れた技術は伊達じゃないようで、体の底から力が沸き起こり、体力もみるみるうちに回復していく。もともと備えていた能力だが、グランドールでの滞在を経た今、その効果は一段と増しているように思えた。
「はぁ~! ありがたや、ありがたや……エクレア姫のおかげで、今年の作業は捗りそうですなあ」
「ごめんね、あなた。私も手伝えたら良かったのだけど……」
「大丈夫! 大丈夫だから! お前は近くに居てくれるだけで助かってるぞ……!」
「そうは言われても……やっぱり手伝いたいわね。それに、私も田植えをしてみたいわ……」
「──おお!? 田んぼの水がどんどん凍ってゆくぞ!?」
「かっぱっぱ~! 寒いっ、寒いよ~!」
妙なトラブルが都度発生しているが、順調に田植えは進んでいた。
俺は以前、イリアスヴィルで小遣い稼ぎが目的でよく田植えを手伝っていた。なんだか、孤児院のころに逆戻りした気分だ。
エクレアと俺以外も、自由に行動している。
ぺこは昨日の夜から蕎麦屋に入り浸り、わんこそばをずっと食べ続けている。仕事前に覗いてみると、店が空になったお椀で埋まっていた。なぜかたまも様が給仕をしており、引きつった笑みで蕎麦を運び続けていたのが怖かった。
アイシスは言わずもがな、ヤマタイ酒を心ゆくまで堪能していた。
昨日は村人や魔物たちと深夜まで大騒ぎし、夜更けまでどんちゃん騒ぎを続けていた。その反動か、今日はすっかり二日酔いらしく、朝からずっと床に寝転がったままだ。
ミクリは友達へのお土産を手に、村のあちこちを回っていた。
用意した数が多いだけに、配るのもひと苦労らしい。俺が田植えをしている最中も、彼女が何度も近くを行き来する姿を目にした。
しばらく手伝いをしていると、鐘を鳴らす音が田畑に響き渡った。
昼休憩の合図だ。俺たちは一旦作業を中断し、昼飯を食べに向かった。
・・・・・
食事処に足を踏み入れると、中はすでに人でごった返していた。
それでも座敷席にはまだいくつか空きがあり、俺とエクレアはそちらへ向かう。
エクレアの踊りのおかげで疲れはすっかり抜けているが、この後にはまだ午後の作業が控えている。しっかり食べて、英気を養っておかねばならない。
「ずぞぞぞ……」
「ぺこがあんなに食ってたのを見て、よく蕎麦を頼めるな……。俺はすする音を聞くだけで嫌になるんだが」
エクレアは天ぷら蕎麦を啜っている。
俺が注文したのは、焼きおにぎりとお味噌汁。あとは、おかずが五品ほど。シンプルではあるが、どれも美味しい。
「すいません……。お隣に座っても宜しいですか?」
俺は横を見ると、やや疲れた表情の青年が立っていた。
手にはお盆を持ち、俺と同じような料理が並んでいる。周りを見ると、いつの間にか席がほとんど埋まっていた。
「大丈夫ですよ。こっちにどうぞ」
「ありがとうございます」
俺もエクレアも相席を気にするような性分ではないので、快く承諾した。
青年は丁寧に礼を述べると、静かに席へ腰を下ろした。
「えっと……エクレア姫さん? 先ほどはありがとうございました。お陰で服が汚れずに済みました」
「ずぞぞぞ……いえいえ、とんでもないですわ~! 民を手助けするのもお姫様の大切なお仕事ですから!」
エクレアは蕎麦を啜りながら、愛嬌たっぷりに笑ってみせる。
普段からは想像できないほど、しっかりとした受け答えだ。俺としては、ずっとこうしてもらいたいところだ。
「なにかあったのか?」
「こちらの殿方が、田んぼのあぜ道で転びそうになったので、ワタクシがクッションになっただけですの~!」
「本当に助かりました。僕はこの村に引っ越したばかりで、持っている服が少なくて。着物の着方を早く覚えないと……ですね」
青年は困ったように笑みを浮かべ、頬を掻いた。
ヤマタイ村では見かけない髪色と服装から、外から来た人間なのはすぐに分かる。この時期に引っ越してきたのは、おそらく──戦争の激化を察してのことだろう。
ヤマタイ村はかなり特殊な立地にあり、独立性も強い。
山と川にぐるりと囲まれ、東側には海が広がっている。この環境なら戦火に巻き込まれる可能性は低く、引っ越してきたのは賢明な判断と言えるだろう。
「怪我をしなくて良かった。そうだ、まだ名前を言ってませんでしたね。俺はヴェーク。仲間を連れて、冒険家として旅をしてます」
「冒険家……素敵な体験ができそうで羨ましいです。僕はサムって言います」
俺は手を差し出し、サムもそれに応えてしっかりと握手を交わした。
・・・・・
午後の作業はサムと一緒に行うことになった。
柔らかな日差しが降り注ぐ中、軽い雑談を交わしながら苗を一つずつ植えていく。彼の手つきは迷いなく滑らかで、その真面目そうな雰囲気と相まって、自然と好感を抱かずにはいられなかった。
サムは孤児院で育ち、身寄りのない身だという。
幼いころから農業に興味を持ち、気がつけば自然と農作業を手伝うようになっていたらしい。ほんの少し会話を交わしただけでも、農業に関する知識の深さがすぐに伝わってきた。
俺も幼少期には農作業の手伝いをしていたから、まったくの素人というわけではない。
それでも、経験も熱意も、彼には到底敵わないと感じた。
「剣を持って誰かを傷つけるなんて……想像するだけでも、ゾッとします。僕にはとてもできません……」
「俺はやれないわけじゃないが……争いは好きじゃないな」
「僕にできることと言えば、イリアス様にお祈りをすることと、こうして作物を育てるぐらいのことしかできないんです」
「それで十分だよ。人間、自分がやるべきと思ったことをするのがいいからな」
サムは、つい最近グランドノアからヤマタイ村へ移り住んできたらしい。
最近の情勢について尋ねてみると、彼は少し声を落として答えた。
やはり、大国同士の緊張は日に日に高まっているという。
今はかろうじて膠着状態を保っているが、ほんのきっかけ一つで、再び戦が始まってしまいかねない――そんな不穏な空気が街に漂っていたのだと、教えてくれた。
「戦争にならないといいけど、この様子だと難しいだろうな」
「そうですね……。僕以外にも、この村に疎開してきた人が沢山います。もし戦争になってしまったら、もっと増えるかもしれません」
「そうか……」
サムは、わずかに憂いを帯びた表情を浮かべた。
どのような形になるかは分からない。だが――少なくとも俺には、戦を嫌うものに明るい未来が訪れる姿は、どうしても想像できなかった。
「……良ければ、冒険の話を聞かせてくれませんか? 僕はあまり街や村から出たことがないので、いろいろ聞いてみたいです」
「それくらいなら、全然構わないよ。そうだな……農業が好きなら、植物族の話はどうだ? 俺は以前、松明を両手に持ったアルラウネに襲われたことがあって──」
俺とサムの会話は不思議と弾み、笑い声や相槌が作業の合間に心地よく響いた。
気づけば、時間はあっという間に過ぎ去っていた。
・・・・・
午後の作業はスムーズに終えられた。
エクレアによる補助もあり、想定よりも早いペースで仕事を終わらせることができたからだ。村人たちが次々と家に戻っていく中、道中でぺこを拾い、俺とエクレアも拠点に帰ることにした。
当初は宿を借りようとしていたのだが、ありがたい提案があった。
たまも様が暮らす狐神社の平屋を間借りさせてもらえることになったのだ。俺は手伝いのお礼にもらった野菜を使い、台所で夕飯を用意した。
「お主は、本当によく食べるのう……」
「もぐもぐもぐ……。おい、たまも。おかわりを貰おうか」
「たまも様……すいません。ぺこが迷惑かけて……」
「まあ、このくらいなら大丈夫じゃ。お主──より、よく食べる奴を知っておるのでな」
「そうなのか。我と話が合うかもしれんな」
たまも様はなぜか、ぺことずっと過ごしている。
知り合いに似ていると言っていたので、親しみがあるのかもしれない。
「あ~、あったまいてぇ……。ヴェークぅ、二日酔いの薬くれよぉ……」
「飲むのはご飯を食べてからな。それにしても……珍しいな。アイシスがそんなに参ってるなんて」
「あんぽんたん……。アイシス、ヤマタノオロチと勝負したから……」
「久しぶりに会ったからよぉ……。ちょいと張り切りすぎちまったなぁ……」
アイシスは頭を抱えながら呻いている。
どうやら古い知人である、ヤマタノオロチと呑み比べをしたらしく、彼女にしては珍しい状態になっている。アイシスが二日酔いで苦しむ姿は何度も見たことがあるが、ここまで酷い姿は久しぶりだ。
「つんつん……つんつん……」
「うああ……や、やめろぉ……! 頭をつつくな……響くぅ……」
「くくく、何とも弱々しい姿ではないか? アイシスよ? 我に潰されたときを思い出すなぁ?」
アイシスが突っ伏して苦しそうにする横で、ぺこが笑い声をあげる。
そういえば、まだ俺と力の同盟がイリアスベルクに居たときに、ぺこがアイシスに勝利したことがあった。暫くの間、ぺこはそのことをアイシスに対して、得意げに自慢し続けていたのを覚えている。
「つ、次は、負けねェ……! オロチもぺこも、アタシが倒す……!」
「やめておいたほうが良いじゃろう。ヤマタノオロチはともかく、ぺこは規格外じゃからのう」
「そうだぞ。マンプク計画を忘れたのか? あのとき、樽でワインを飲ませまくってもケロッとしてただろ。ぺこに勝てるのは、宇宙空間ぐらいだと思うぞ。勝負はやめておけ」
「あ、あれは大変でしたわ~! ぺこはいくら食べてもお腹一杯にならないんですもの……」
俺は冗談めかして言うと、エクレアも困ったように笑って頷いた。
俺の貯金の八割が消し飛んだ、マンプク計画を思い出す。今では懐かしく思う気持ちもあるが、あまり思い出したくはない出来事だ。今のアイシス並みに頭痛がしそうになる。
「……愛されているようじゃな、ぺこ」
「まあ、居心地は悪くない。飯も無限に出てくるしな」
「おい! 感謝をつつしんで表せよ……!」
「ほお? ならば、頬に接吻をしてやろう……ほれほれ~」
「やめろー! 納豆食った口でしようとするな!」
口を尖らせて、ぺこが俺に迫ってくる。
全力で抵抗しながら叫ぶと、ぺこはピタリと動きを止めてため息をつく。
「まったく、甲斐性なしのオスめ。我の好意を無下にするとは」
「甲斐性の問題じゃなかろうに。まったく、ウチの家には、お主らは騒々しすぎるのう」
たまも様は呆れ顔で首を振ってみせる。
だがその視線はどこか楽しげで、本気で困っているわけではないことが分かった。
・・・・・
夕食を終え、食後のおやつをつまんでいると、たまも様がふいに口を開いた。
「そういえば、お主らはどこを目指して旅をしておるのじゃ?」
「ヘルゴンド大陸を目指しています。魔王城をひと目見たいと思ってまして」
「なんと! 魔王城に赴くつもりなのか……!?」
「あっ……。たまも様には、言わないほうが良かったかも……」
ミクリが俺に向かって舌をペロッと出し、申し訳なさそうに微笑んだ。
その仕草はとても可愛らしいのだが、彼女がこの一連の表情を見せるときは、たいてい厄介事が起きる前触れだったりする。以前見たときは、忍術の練習のせいで俺の家が半壊したときだった。
「うーむ。困ったのう。ウチはこれでも──魔王軍四天王の一人じゃからな。聞き流すことは出来ん」
「えっ」
「そ、そうだったんですの!? エルベティエが言っていた真面目な狐の同僚とは、貴方のことだったんですわね!」
たまも様は大きく腕を組み、ジトっとした瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
俺は驚きの声を上げてしまう。まさか魔王軍の四天王の一角だなんて夢にも思わなかった。なんとなく、只者ではないとは思っていたが……。
たまも様は大きな尻尾を揺らし始め、やや悩むそぶりを見せている。
たまも様からすれば、人間が魔王城に行くというのは面白くないのだろう。魔王軍と対峙するのは、俺としても望むところではない。ここは──媚を売ろう。
「えっと、その……観光目的なので、魔王軍とやり合うつもりはなくてですね……」
「まあ──良いじゃろ。魔物にも、お主のファンは多いからのう。むしろ、歓迎されるじゃろうな」
「えっ」
「これでも魔王軍随一の知謀家じゃからのう。お主の情報は既に掴んでおるわい。覆面作家のウォークよ」
どうやら、俺の正体は完全にバレているらしい。
ミクリの方を見ると、慌てたようにブンブンと顔を横に振っている。どうやら彼女が話してわけではないようだ。
そういえば、サキュバスのアルマエルマが俺の本を読んでいると言っていた。
もしかすると、自分が思っている以上に、ワールドウォーカーは魔物の間で知られているのかもしれない。
「魔王城は娯楽に乏しいのじゃ。図書館で本を読み、暇を潰す兵も多い。お主の書いた本は、警備を行う魔物に特に人気があるのう。外出しておる気分になるとかなんとか……」
「そうだったんですか。魔物にも楽しんでもらえているなら……嬉しいですね」
「魔王城にたどり着いた時点で、お主がウォークだと疑う輩は多いと思うぞ。なんせ、警備の魔物は『いつかウォークが来ないだろうか』と、よく話しておるからのう」
たまも様はカラカラ笑い、扇子で口元を隠す。
どうやら、魔王城に行っても争いにはならなさそうだ。
俺は少しほっとして、自分の分のご飯を口に運ぼうとしたとき、扉が叩かれた。
ミクリが慣れた様子で、玄関まで歩いて扉を開ける。
すると、そこには──満面の笑みを浮かべて佇む白蛇様の姿があった。
「姉上から話を聞いたぞ! 白天狐よ! ──婿を連れて帰ってきたと!!」
「は……? 蛇ババ2号は何言って──」
「村の衆が総出で! 主の結婚を祝う準備をしておる! 明日、式を挙げるぞ! 楽しみにしておくがよいぞ!!」
そう言うと、白蛇様は上機嫌ですぐさま帰っていった。
残された俺たちの間に、気まずい沈黙が流れる。俺は、ぽかんとしたまま言葉を探した。
「えっと……ミクリ、結婚するのか?」
「しないけど……。えっと、ミクリが連れて帰ってきた男って……」
部屋中の視線が、俺に集まる。
「……これまた、妙な事態に発展しとるのう」
「おい、ヴェーク……。我に分かりやすいように説明をしろ……」
ぺこの触手が、ゆっくりと俺の首に絡みついていく。
俺は静かにお茶を一口すすると、視線をぼんやりと天井に向けた。