ヤマタイ村を後にし、長い洞窟を抜けると、視界いっぱいに広大な森林が広がっていた。
木々は濃い緑をまとい、枝葉の間から差し込む陽光がまだら模様を描いている。
これぞ、グランドノアらしい自然の豊かさだ。
俺はしばしその光景に見入ったあと、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。鼻腔を抜ける木々の香りが、新たな旅の始まりを告げるように心と肺を満たした。
「すーはー、すーはー……。やっぱり森の新鮮な空気は美味しいな!」
「故郷の空気は格別ですわ~! ずぞぞぞぞ~!」
「どんな空気の吸い方だよ。麺じゃないんだぞ」
エクレアは荷台で上機嫌に深呼吸のような行いをする。
彼女の故郷は、この先をしばらく進んだ先にある“ライラの大滝”と呼ばれる場所らしい。スライムが居ないわけではないらしいが、主に人魚が暮らしているそうだ。エクレアが歌と踊りが得意なのは、人魚に教えてもらったからとのこと。
「ん~! この辺りで森林浴をするのも悪くねえな! グランドノアからも近いし、ピクニックにはもってこいだ!」
「そうだな……前は俺もそう思ってたんだけどさ。最近は木を見てると、どうしてもプリエステスのことを思い出して、ちょっと複雑な気分になるんだ。あいつの統治してる村も、このすぐ近くだしな……」
「かわいそうに……」
俺とプリエステス、どちらに向けた言葉なのかは分からないが、ミクリがぽつりと呟いた。
プリエステスが統治しているのは、プランセクト村と呼ばれる場所だ。
森の奥深くにひっそりと広がるその村には、さまざまな種族の魔物たちが共存して暮らしているという。
だが、平穏とはほど遠いらしい。
植物族と昆虫族がしょっちゅう衝突を繰り返し、そのたびに村は騒がしくなる――そんな厄介な土地だと聞いている。
「知ってたか? 植物族って意外と……攻撃的らしいぞ」
「もぐもぐ……ああ、そうだな。特に貴族階級は趣味が悪い連中が多いと聞く」
「まぁ、本当ですの? アルラウネさんなんて、皆さんおっとりしてて可愛らしい方ばかりだと思っていましたけれど」
「植物族は――ゆっくり動くんだ。侵略するときは、じわじわと少しずつ進めていく。常に侵略は進行中だけど、人間みたいな短命じゃ、その動きに気付けない。もちろん、中には一瞬で牙を剥くのもいるけど」
「静かな侵略ってヤツだな! かなり攻撃的だけど、その攻撃が緩すぎるせいで認識しづらい……ってわけか。怖いな、それ!」
「だろ? プリエステスがそう言ってたんだ。……同族の悪いとこしか言わないな、あいつ」
力の同盟は雑談を交わしながら、ゆったりとグランドノアへの道を進んでいた。
そのとき、前の座席に座っていた商人のエリゴスさんが、こちらを振り返り、にこやかな笑みを浮かべながら顔を出した。
「イリアスヴィル郊外の森でのこと……ちゃんとお礼を言えていませんでしたね。あのときは、本当に助かりました」
「いえ、そんな……無事でいてくれて、こちらもほっとしています」
「良かったのら~♪」
「君のせいでこうなったんだろう。……まったく、どの口が言うんだか」
エリゴスさんは、どこか困ったような笑みを浮かべながら、そっとぺこへと視線を向けた。
俺には理由はわからない。だが、その瞳の奥には、かすかな恐怖と、そして深い心配が入り混じっているように見えた。
「どうした、パイ包み」
「こら! すいません、エリゴスさん。ぺこ、変なあだ名で呼ぶのは失礼だぞ?」
「──いえ、良いんです。その、ぺこ……さん? 私のことはどういったふうに見えていらっしゃるのですか?」
「そのままの姿で見えているが? 我にその手のまやかしは通用しないぞ」
「まやかし……?」
「すごいのら~! ぺこは目が良いのらね~! あたしはこんなにスリスリしてもわかんなかったのら~!」
エリゴスさんの隣にいるメリーが体をこすり合わせてみせる。
彼はそれを咎めることはなく、顎に手を当てて唸っていた。何だかとても複雑そうな表情をしている。
まやかしとは、どういう意味なのだろうか?
俺はエリゴスさんの態度を疑問に思うも、あまり突っ込むのも良くないと思い黙っておくことにした。
「ヴェークさんは……冒険家なのですよね?」
「はい。世界各地を巡って、冒険をしています」
「ふむ……。それならば……しかし……」
うーんうーんと唸るエリゴスさん。
なんとも煮え切らない態度である。そんな彼の様子を見かねてか、ぺこが再び口を開く。
「なんだ? 言ってみると良い。我は最近、機嫌が良いからな。寛大な心で受け入れてやろう」
「そう、ですか……。なら、次の野営地で少しご相談したいことがあります」
エリゴスさんは決心がついたのか、真剣な面持ちでそう言った。
・・・・・
野営地は大きな橋の近くにあった。
この橋を渡ってしばらく行けば、グランドノアにたどり着く。
俺以外のメンバーも、すっかり野営に慣れた様子で、手際よく準備を進めていく。
俺とぺこはテントを設営し、メリーとエリゴスさんは薪拾いと焚火の準備に回った。エクレアは川で巨大な魚を数匹捕まえて戻ってくると、アイシスとミクリが手早く調理を始める。
夕飯の支度が整うと、全員で焚火を囲むように座った。
軽く乾杯をして、料理に手を伸ばす。
「ウェヒヒ、この味付けはお酒に合うのら! エリゴスは料理が下手だから毎日しょんぼりしてたのら。嬉しいのら~!」
「うるさいですね……! メリーも同レベルでしょうに」
「へへ、気に入ってもらえたら良かったぜ」
「おかわりもいいですよ……」
メリーはお酒を口にしながら、料理を勢いよく頬張る。
今日の夕飯は、ヤマタイ村で手に入れた太い竹に、魚の切り身と香草、そしてお米を詰めて炊いたものだ。蒸気とともに香りが立ちのぼり、思わず顔がほころぶ一品だ。
「うむ、美味いぞ……びびび……。川魚の香りが……びびび……。なんとも……言えぬ……」
「ぺこ、なんか体が光ってるけど大丈夫か? それと……そんなキノコ、俺のやつには入ってないんだけど」
「びびび……我の分にだけ、そこで拾ったのを入れたのだ……ちょっと舌がビリビリするが……びびび……美味いぞ……」
「それ……ヤバいキノコじゃねえのか?」
「ぺっですわ! ぺっですわ!」
ぺこはニコニコ顔で、料理をモグモグ。
十秒に一度、体からパチッと電気が弾け、光がちらりと走る。エクレアはぺこにキノコを吐き出すように促すが、全く聞き入れようとしない。俺はもう気にしないことにした。
「食事中にすいません。……世界の各地を回る、力の同盟の皆様にご相談したいことがあります」
食事の途中でエリゴスさんが口を開いた。
何やら深刻そうな表情をしており、ぺことミクリ以外の食事の手が止まる。
「力になれるか分からないですけど、とりあえず話してみてください」
悩み事の内容は分からない。
だが、俺にできることなら協力したいと、そう伝えた。すると、エリゴスさんは立ち上がり、片手を掲げる。一体どういうつもりかと思ったその瞬間──彼の体が眩い光を放った。
「いつ見ても変身シーンは興奮するのら~! 乙女心ぬれぬれ~♪」
「これは、一体どうなっているのですか……!?」
「ま、まさか──魔法少女か!? おいおい、勘弁してくれよ! アタシは絶対! 関わりたくないぜ! くわばらくわばらー!」
「アイシスは魔法少女にどんなイメージを持ってるんだ?」
エリゴスさんを包む光がゆっくりと弱まり、姿が露わになる。
俺は目を見張り、言葉を失った。
そこに立っていたのは、凛とした気配を放つ美女。
薄青の短髪、深い海のような瞳。背中には──漆黒の羽が広がっていた。
「この力は……聖素……?」
「ミクリさんには、やはり分かりますか。魔物であるにも関わらず、聖素を蓄積する珍しい体質のあなたなら」
「うん……。もしかして、エリゴスさんって……」
エリゴスさんは羽を広げ、自らの胸に手を置く。
「私の本当の名前はエリゴーラ。かつて──女神イリアス様に仕える天使の一人でした」
俺は突然の自己紹介に驚き、呆然とした。
・・・・・
「てててて、天使でしたの!? 昔話でしか聞いたことありませんわ!」
「おー、アタシも多分初めて見たぜ!」
「すっごい……」
「驚いたな。……まさか死ぬ前に天使と会えるなんて思ってなかった」
「今は堕天使と言った方が正しいですけどね。地上に堕ちて、おおよそ三百年……。残念ながら、私の体は魔素に侵されてしまい、羽も真っ黒に染まってしまいました」
エリゴスさん改め、エリゴーラは羽を折りたたむと、苦笑いを浮かべた。
俺は、ぺこが彼女を“パイ包み”と呼んだ意味がようやく分かった。本来の姿を魔法で包み隠していたのだ。
「うい~! やっぱりこの姿の方がカッコイイのら!」
「メリーは知ってたのか?」
「その、情けない話ですが……。先日、メリーにお酒をたらふく呑まされた際に、変身を誤って解除してしまいまして。たまたま同席していた彼女のお友達のうさぎさんとメリーにバレてしまったんです」
「むふふ、あたしの毛並みと同じくらいふわふわなのら~!」
エリゴーラの羽に抱き着きながら、メリーがケタケタ笑う。
彼女はゴホンと咳払いをしたあと、話を続けた。
「私がご相談したいのは──行方不明になっている姉のことです」
「エリゴーラさんの姉ということは……」
「はい、ヴェークさんのお考えの通り、姉も天使です。この姿を見せたのは、私が姉とよく似ているからです。姉は私と違って、髪を長く伸ばしていましたが……」
エリゴーラさんはくるくると自身の髪を指でいじる。
「……行方不明になったお姉さんを探してほしいのですか?」
「はい。私は、千年前に行方不明になった姉を探すために天界を去りました。堕天して以来、人間に化けて探し続けていますが、いまだに見つけることはできず……」
「それは……お辛いですわね。私も、妹のプリンに会えなくなったら……そう想像しただけでぞっとしますわ」
「エクレアの家族はみんな美味しそうな名前だな……。我を誘ってるのか?」
「誘ってませんわ~!!」
エクレアが手足をジタバタさせ、ぺこに抗議する。
俺はその横で、エリゴーラさんの述べた言葉について考えていた。彼女が堕天して以来探していたということは──三百年もの間、消息がつかめていないということ。俺は一つの可能性を思い浮かべ、恐る恐る質問をする。
「その……あまり良い質問ではないですが、お姉さんが生きていると確信できますか?」
「確信しています。──この首飾りのおかげで」
俺の問いに、エリゴーラさんは静かに胸元へ指をやった。
指先が示したのは──羽根を象った銀の首飾り。繊細で、どこか神聖さを感じさせる意匠だった。
「これは、私たちがまだ天界にいたころ……姉と一緒に作ったものです。お互いの羽根を使って首飾りにして、交換しました。姉は私の羽根を、私は姉の羽根を」
「なるほど。お姉さんが生きていると確信しているのは、その首飾りがあるからなんですね」
「はい。……もし魂が失われれば、この羽根は崩れ、聖素となって消えてしまうはずです。しかし、こうしてまだ残っている。つまり──姉はどこかで生きているのです」
「ウサギも探してるし、きっと見つかるのら……」
震えるエリゴーラさんの手を、メリーはぎゅっと握りしめた。
希望を胸に抱き続けているのだろう。しかし、表情には不安や焦燥がにじんでいるのが見て取れる。
「旅のついでで良いんです。私の姉に関する情報を見つけたら、教えてもらえませんか? それだけで十分なんです」
「もちろん構わないですが……お姉さんが変装していたら──ああ、なるほど」
「ぺこさんならすぐ分かると思います。……まさか、あなたにお願い事をする日が来るとは」
「我も、天使の手伝いをすることになるとは思っていなかったな……。旅のついでだ。それに、ヴェークはこういう頼みを断らないしな」
ぺこは料理を頬張りながら、ふんすと鼻を鳴らす。
「ああ、大事なことを言うのを忘れていました。姉の名前は──ジェサイア。容姿は私に似ているので、すぐにわかると思います」
「分かりました。もし、なにか情報が見つかれば、すぐに手紙を送ります」
「感謝しろ。我々が直々に手伝ってやるのだ」
「うっし! 任せておけよ~!」
「ふふん♪ ワタクシたちは世界中を旅していますからね! きっと、見つけてみせますわ~!」
「ミクリも、聖素の反応に気を付けてみるね……」
「ありがとうございます!」
エリゴーラさんは両手を出して、ぺこに握手を求めた。
ぺこはそれに答え──彼女の手を握る。
「聖魔大戦のころの私なら、仰天して気を失っていたでしょうね。こうして、あの蛭──アババババババ!?!?」
「ビ、ビリビリするのら~!! 電気羊なのら~!!」
「びびび……握手したまま……手が動かん……びびび……」
「やっべぇ! 羊毛のせいで電気が増幅されてやがる! ──いてててて!?」
「ワタクシもビリビリしますわ~!」
「エ、エクレアから電気が伝わって──ビビビビビ……!?」
「……全身鎧を着てて良かった。電気が鎧を伝って地面に流れてるみたいだ」
「一人でホッとしてんじゃねえよ!? ヴェーク! 早く止めてくれ~! アババババババ!!」
クリスマスツリーのように光り輝く仲間たちを見ながら、俺は急いで解決法を考えるのだった。
・・・・・
エリゴーラさんからのお願い事の翌日。
電気の発生源であるぺこを、俺が遠くに蹴り飛ばして対処した。まだ電気を少し帯びていた彼女を離れた場所で寝かせようとしたのだが、ものすごく反発されてしまう。結局、鎧のお陰で耐性のある俺が一緒に寝る羽目に。
結局、朝は無事に迎えられ、ぺこの体から電気が抜けていた。
しかし、代わりに俺の鎧が電気を吸い取ってしまったようで、何に触れてもバチンと電気を放つようになってしまった。困ったものである。
そのため、俺は馬車の荷台に乗らず、徒歩でグランドノアへ向かうことになった。
しばらく馬車の後ろを付いて歩いていると、目の前にグランドノアの正門が現れる。
俺は馬車を追い抜き、真っ先に正門をくぐった。
「俺が手続きしておくよ。すいません、衛兵さん。入国の手続きを──」
「──お、お待ち下さい!!」
門の見張りをしていた衛兵が何人も俺に駆け寄ってくる。
その勢いに少し圧倒され、また逮捕されるのではないかとビクビクしていたのだが──。
「このお方は──南の勇者様!! 弓はお持ちではないようだが、この鎧は間違いない!」
「えっ? 南の勇者?」
隊長格の衛兵が、俺を見て高らかに叫ぶ。
その声を合図に、歓声の奔流が周囲から押し寄せる。何が起きているのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「やはり偉大なお方は、雰囲気がまるで違いますな……! 南の勇者様に近づいた瞬間、体中に稲妻が走ったかのような衝撃が、我が身を駆け巡りましたぞ!!」
「いや、それは俺が実際に電気を帯びてて──」
「僕には鎧が雷光を纏っているように見える……! かっこいい……!」
「それも電気のせいで……その、南の勇者って一体、何の話を──」
衛兵だけじゃない。
街の中からも次々と人が集まり、俺を取り囲む。キラキラした視線を浴びせられ、背中にじっとり汗がにじんだ。
「きっと、武王杯に出場されるために来て下さったんだ! さあみんな、歓迎の準備を──」
「ほう……! あれが噂に聞く、南の勇者か……! あの気迫、間違いなく強者の──」
「まさか彼と相まみえる機会が来ようとは! 我が刀が震えて──」
「むう……。このままでは、すきやき代を優勝賞金から捻出する妾の計画が──」
俺はわけもわからないまま、グランドノアの人々に大歓迎されたのだった。