俺たちが特訓を始めてから、数日が過ぎた。
そしてついに──武王杯の幕が上がる。
試合方式は極めてシンプル。トーナメント制で、勝てば次の舞台へ進めるが、負ければその瞬間に終わり。容赦のない、一発勝負だ。
「他の人と同じ扱いで構いません。特別枠だなんて、そんな……」
「とんでもないですよ!! 高名な南の勇者たるウォーク様を一般選手と一緒になど、扱えるわけがありません! ファンが知れば、私の身が危ない!」
「は、はあ……。じゃあ、お言葉に甘えて……」
大会開始直後。
俺たち、力の同盟は選手控室へと案内された。
本来なら、他の選手たちと同じ部屋を使うはずだった。
だが、受付の係員はそれを頑なに拒み、この特別室をあてがってきたのだ。
ここは、準決勝や決勝に進む者だけが使う控室らしい。
広々とした室内には、深紅のソファと磨き上げられたテーブルが並び、壁には歴代優勝者の肖像画がずらりと飾られている。
「うわっ……。あのアホ、武王杯に出てたのか。しかも勇者差し置いて優勝してるし。魔導師の設定はどうしたんだよ」
「アイシスの知り合いか? 古い肖像画みたいだけど」
アイシスが、壁に掛けられた古びた肖像画の一枚を、ジト目でにらみつけていた。
そこには、金髪の女性が柔らかな笑みを浮かべながら、刀を軽やかに構えている姿が描かれている。
名前の欄には、『勇者の仲間・アリストロメリア』と記されていた。
表情を見る限り、アイシスにとってはあまり好ましくない人物であることは伝わってくる。
「ん、いや……。知ってるやつに雰囲気が似ててな」
「へえ、アイシスの知り合いか。会ってみたいな」
「いや、やめとけ。あんまり性格が良くないヤツだしな。すっげぇガニ股だし」
「性格にガニ股は関係あるのか……?」
俺が軽い気持ちで提案すると、アイシスは苦虫を噛み潰したような顔をして、首を横に振った。
いつもなら豪快に笑い飛ばす彼女が、ここまで露骨に嫌悪を示すとは。正直、驚きだ。
それほどまでに、その人物はアイシスにとって厄介な存在なのだろうか。
俺は、肖像画の中で微笑む金髪の女をじっと見つめながら、そう思った。
「あっ……! あの子たちは……!」
「ミクリの知り合いか? あの妖狐たちは」
「なんとなくですが、全員雰囲気が似ていますわね」
選手控室からは、大会の様子を一望できるようになっていた。
ミクリ、ぺこ、そしてエクレアの三人は、テーブルに広げた菓子をつまみながら、ガラス越しにコロシアムを眺めている。すでにいくつもの試合が始まっており、観客席からは歓声と熱気が絶え間なく押し寄せてきていた。
「ヤマタイ村のラーメン三人衆──カラメ、アブラ、ニンニク、ヤサイ……!」
「ワタクシには四人衆に見えますけれど……。あっ、一人やられましたわ」
「三人衆最強のニンニクが最初にやられるなんて……! とっておきの必殺技、臭い息が発動する前に……!」
「ラーメンが食べたくなってきたな……。ヴェーク、作ってくれ」
「この部屋で食う気か? 臭いが残るから却下だ却下」
三人は試合の様子を見て興奮している。
特にミクリはかなり入れ込んでいるらしく、さきほどからずっと応援に夢中だ。
ふと視線を観客席へ移すと、人と魔物がひしめき合う様子がよく見えた。
建物全体が熱気に包まれているのがわかる。グランドノアの住民だけでなく、遠方から訪れた観光客の姿も多く見受けられ、コロシアムの人気ぶりを物語っていた。
「やばいな。俺たちもあそこで戦うんだよな? なんかこう……緊張。めっちゃ緊張してきたな」
「そういうときは、手のひらに人を三人乗せて食べると良いらしいぞ」
「食えねぇよ。……その話を聞いて、ちょっと肩の荷は軽くなったかな。ありがとう、ぺこ」
「ふん、我に感謝するといい」
両手いっぱいにお菓子を抱え、ドヤ顔で頬張るぺこ。
こうしている間にも、俺たちの初試合は刻一刻と近づいていた。
・・・・・
コロシアムが揺れるほどの声援が、耳をつんざくように響き渡る。
歓声の嵐が肌を震わせ、体の奥までビリビリと伝わる。まるで全身の太鼓を一斉に叩かれているかのような感覚だ。今日一番の大歓声。その歓声を浴びせられる予定の俺は──。
「やばいぜ、やばいな。やばいわよ、これ……」
「しっかりしろよ! ヴェ……ウォーク!」
「ほお……。こやつにも弱点があったのだな。意外だ」
「ヴェ、ウォーク……?」
「ヴォーク! 壁を押しても何もありませんわよ!? 落ち着いてくださいませ!」
「エクレア、混ざってる……」
俺は壁に両手を当て、下を見てぐったりと項垂れていた。
全身から汗が滲み、脈拍がどんどん速くなる。今までどんな強敵と対峙してもここまで怖気ついたことはなかった。俺はこの大舞台を前にして、とても緊張していた。
「す、すまん。いや、俺もまさかこんなになるなんて思わなくてな……」
全く予想していなかったのだが、注目を浴びる場面では俺はてんでダメだったようだ。
よくよく考えてみれば、前世でも大勢の人間の前に立つ経験はなかった。今世でもこういう舞台に立つ機会はゼロ。初めてのことで、どうしても身が竦んでしまう。
俺の不安に引っ張られるように、周囲の空気が少しずつ変わり始めた。
最初は冗談半分だった仲間たちの態度が徐々に硬くなり、あれやこれやと緊張を解くためのアドバイスを投げかけてくる。
「緊張を解く方法、なんか思いつかねえか? 多分、あと数分で試合開始だぞ」
「観客を食べ物だと思え。我にはそう見えている」
「深呼吸してみよう……。吸って……吸って……吸って……」
「ああっ! ウォークが息を吸いすぎて呼吸困難になってますわ~!」
とりあえず思いついた策を色々と試してもらったが、どれも俺にはしっくりと来なかった。
時間が無いと焦っているうちに、とうとう選手入りの時間が近づいてくる。
「ウォーク様とお供の皆様、そろそろ時間──ウォ、ウォーク様? いかがされましたか?」
「あー! えっと、これは……そう、準備運動! いつもの準備運動をやってるだけだ!」
「なるほど……流石は南の勇者様! 常に万全を期されているのですね! では、試合は五分後に開始いたしますので、ご準備の方をお願い致します」
壁にうなだれる俺を、アイシスがうまいこと誤魔化してくれた。
係員が部屋から退出した直後、俺は大きく息を吐き出す。なんとかバレずに済んだようだ。
「す、すまん……。助かった」
「お礼はあとでいいからさ、なんとか緊張を解かねぇとな」
「あっ、そうだ!」
「何か思いつきましたの!? ウォーク!」
俺は道具袋を漁り始め、あるものを取り出した。
「よし、これを聞いて心を落ち着かせよう」
「それは前に買ったマキナか? たしか、音を再生するとかいう」
俺は手にしたマキナのスイッチを入れ、音量を調整する。
兜の間から耳にイヤホンを通し、再生ボタンを押した。マキナから流れ出したのは、静かなピアノの旋律だった。落ち着いたメロディが心の表面を撫でるように広がっていく。
「ふう……」
「おおっ! どんどん落ち着いていくな……。良かったぜ!」
「以前、友人にプレゼントすると言って購入したマキナだな。ヒーリングミュージックなるものが収録されていると言っていたが」
「すごい……。ウォークが落ち着いていく……」
「素晴らしいですわ~!」
音楽を聞き終えた俺は深呼吸をし、改めて立ち上がる。
そして全員に向かって宣言した。
「よし……力の同盟諸君! ここからが本番だ! 我々全員で力を合わせて、優勝を目指すぞ!」
「なんかキャラ変わってねえか? まあいいか。よし、優勝目指して頑張るぞ~!」
「おー」
「お~……!」
「おー! ですわー!」
俺たちは円陣を組み、互いの肩を抱きながら勢いよく声を上げた。
そして、眩しい光の差す方へと歩き出す。力の同盟──俺たちの戦いがついに幕を開けた!
・・・・・
『さあさあ! ついにこの時がやってきました! 世界一の冒険家であり、南の勇者としても名高いウォークの登場です! 所属するチームの名前は、力の同盟──』
審判が声を大きくし、俺たちの紹介を始める。
同時に、大きな歓声が地響きのように沸き起こった。観客席に集まった人々と魔物たちが熱狂し、その莫大なエネルギーがコロシアム全体を揺らしている。
俺は観客席を見て回ると、見知った顔が何人も居た。
エリゴーラさんにメリー、そして……。
「あれ、陽絹か? おっかしいな、俺が武王杯に出るなんて教えてないのに……」
陽絹は俺の視線に気づいたのか、ぱっと顔を輝かせた。
そして、唇に指を当てたかと思うと、悪戯っぽい笑みを浮かべながらキスを投げてくる。
「師匠ー!! 絶対! 絶対勝ってくださーい!!」
「うわ、エヴァだ。うるさいなアイツ。この歓声の中でも声が聞こえてくるって、どういう喉してんだよ。それと……両手に持ってるあの紙束はなんだ?」
「勝人投票券……またの名を人券……。コロシアムの試合で誰が勝つかを予想して……賭けるもの……」
「へえ。そんなのあったんだ……ん? ちょっと待て。ミクリ、それって合法か? それと、お前は持ってないよな?」
ぷいっと横を向くミクリ。
これは、あとで話を聞く必要がありそうだ。一方、エヴァを見つけたアイシスは、ほんのわずかに眉をひそめ、渋々といった様子で手を振って応えていた。
「お姉さまー!! 頑張ってくださいましー! ア・ラモード家を代表して、わたくしが応援していますわー!」
「プリン! プリンですわ~!」
「どこだ? どこにあるのだ、プリンは?」
「ぺこ、多分プリン違いだと思うぞ」
観客席で、エクレアと同じ色をした黄色いスライムがぴょんぴょん飛び跳ねている。
以前、仲の良い妹だと話していたプリンに違いない。妹の姿を目にした瞬間、エクレアの目が輝きを増し、体がグニーンと伸びる。応援してくれる存在がいることで、彼女のやる気はとても高まったようだ。
『対戦相手はこの国を代表する戦士──アーサー選手とシーザー選手が率いるチームとなっております! 優勝候補である両チームが激突するとなれば、見逃すわけにはいきません!』
「まさかこれほどまで早く、あの南の勇者殿と対決できるとは! ──シーザー!」
「分かっている! 気を抜けば確実に敗北だ! お前ら! 最初から全力で行くぞ!」
「はい!」
「分かりました!」
デュラハンとケルベロス、そして二人のダークエルフとオーク娘が姿を現す。
俺は彼女たちを知っていた──グランドノアの連隊を率いる、二人の隊長。生半可な相手ではない。この大会で優勝を狙うにふさわしい猛者たちだ。
「それでは──試合開始!!』
審判の声がコロシアムに響き渡り、戦いの火蓋が切られた。
・・・・・
俺は弓を構え、視線の先で相手の出方を窺う。
その後ろでは、エクレアが踊りと歌で支援を始めている。彼女の歌声と優雅な舞いが自分たちに力を与え、身体の奥底から湧き上がる活力を感じる。
俺の役目は、アイドルを守り抜く盾であり、仲間を射で支える矢だ。
「こっちから行かせてもらうぜ~! ──おらあ!」
「う、受けきれな──きゃあああっ!?」
ダークエルフの一人は腕で防御を試みたものの、アイシスの拳をまともに受け、そのままコロシアムの壁に叩きつけられた。
石壁が鈍い音を立てて揺れ、粉塵が舞う。
その光景を目の当たりにしたもう一人は、目を見開き、唇を震わせる。必死に平静を装っているが、肩のわずかな震えが恐怖を物語っていた。
「つ、強い──」
「よそ見している暇があるのか? そぉら!」
「ぐぅ!? は、離せ!」
ぺこが地面を這うように触手を滑らせ、一瞬でダークエルフの足元に絡みついた。
逃れる間もなく、複数の触手が次々と巻き付き、全身を締め上げていく。もがく腕は空を切り、必死の抵抗もむなしく、その身体は完全に拘束された。
「部下を返してもらおうか! ──血烈雷鳴斬り!」
「むっ、触手を切られたか」
ぺこが地面に叩きつけようとした瞬間、アーサーの剣が触手を切り裂いた。
バラバラになった触手とともにダークエルフが地面に落ちる。彼女は砂にまみれながらも必死に体勢を立て直し、アーサーの横に立つ。
「ごほっ、ごほっ! も、申し訳ありません、アーサー様……」
「油断するな! 妖狐の姿が見えな──」
「忍法・影縫い……」
「くっ、しまった!」
アーサーの影に、ミクリが放ったクナイが鋭く突き刺さった。
影に刃を突き立てるこの技は、敵の身動きを封じる効果を持つ。その結果、アーサーはその場から一歩も動けなくなった。
「くっ……! 体が痺れて……!」
「援護する! 二人とも! アーサーが復帰するまでを守れ!」
「はいっ!」
オーク娘二人が、動けなくなったアーサーの前に立ちはだかる。
その隙を突くように、シーザーが牙を剥き出しにして駆けてきた。狙いは明白――ミクリだ。
「それは、見逃せないな」
「ぐう!? だが、この程度では──ぐあああぁぁぁ!?」
俺の放った矢がシーザーの体に突き刺さった瞬間、轟音とともに大爆発が巻き起こった。
衝撃でシーザーは体を仰け反らせながら、地面に崩れ落ちる。その様子を目にした残りのオーク娘の一人は、焦りに満ちた表情で慌ててシーザーの元へ駆け寄った。
「シーザー様!」
「クソっ! 私は放っておけ! 狙いは──」
「くく! 気付くのが遅いわっ!!」
ぺこから伸びた無数の触手が乱舞し、まるで嵐のようにシーザーとオーク娘を襲いかかる。
二人は必死に防御しようとするものの、全方位から押し寄せる圧倒的な力の前には抗えず、その場に崩れ落ちる。
「へへ、悪かったな! これで終いだ! ──おらあ!」
「こ、これほどまでなのか、南の勇者と仲間たちは──」
アイシスが地面に拳を叩き込むと、轟音と共に強烈な衝撃波が走った。
アーサーを守っていたオーク娘とダークエルフは宙を舞い、壁に叩きつけられて動かなくなる。一方、アーサーは影縫いを自力で破ったのか、剣を地面に突き立て、必死に衝撃の余波に耐えていた。
その瞳にはまだ闘志の炎が宿っていた。
だが──。
「くっ……。南の勇者に剣先を向けることすら叶わなかった……か……」
アーサーは剣を握りしめたまま、その場に崩れ落ちた。
一瞬、コロシアム全体が凍りついたように静まり返る。しかし次の瞬間、観客席から轟音のような歓声が巻き起こり、会場は再び熱狂に飲み込まれた。
『──し、勝者! 南の勇者ウォーク率いる“力の同盟”ー! なんということだ、なんという力だ! まさに鎧袖一触!! 力の同盟の名は、決して伊達ではなかったー!!』
審判の声が会場に響き渡り、力の同盟の勝利が確定した。
「ウォーク! ウォーク!」
「ウォーク以外もつええ! 流石は南の勇者が仲間にするだけある!!」
「戯れに訪れてみましたが……なかなか良い試合が見れそうですね。エミリ、しっかりと目に焼き付けるように」
「はい、お母様!」
俺たちは観客席に向かって大きく手を振り、割れんばかりの歓声に応えた。
その瞬間、張り詰めていた緊張も、体を蝕んでいた疲労も、一気に霧散する。胸いっぱいに広がるのは、圧倒的な達成感と勝利の余韻だった。