進め! 我らは力の同盟!   作:クラウス道化

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閑話 触手の異常な愛情

 これは我が如何にして食事するのを止めて、冒険家を愛するようになったか。

家族が知ればきっと、現実では起こりえないと思われるような、不思議な過程を描いた話。

 

 振り返れば、今となっては遥かな昔の出来事のように思える。

けれど実のところ、あの日々はつい昨日のことのように、鮮やかに胸の内によみがえるのだ。

 

「──」

 

 女神イリアスが施した封印術、六祖大縛呪。

忌々しきその術から逃れるために、我はありとあらゆる手段を試みていた。

 

 この封印を受けた者は抗うことも叶わず、意識を手放し、深い眠りへと沈むはずであった。

それを防ぎ得るのは、狡猾にして小細工を好む、あの性悪狐くらいのものだろう。

 

 だが、何故か我は違っていた。

眠ることなく意識を保ち続け、ただし肉体の自由は完全に奪われている。己が魔力をもって築かれた牢獄ゆえ、強引に脱出することなど夢のまた夢。逃れる道は閉ざされていた。

 

 我は当初、封印の解けるその瞬間をただ待ち続けた。

だが、飽くことを知らぬ食欲は静かに我を蝕んでゆく。

 

 耐えきれず舌を伸ばし、土を舐め、壁に生える苔を吸い取る。

それらは封印下において口にできた中では最上の美味であったが──もちろん、満ち足りるはずもなかった。

 

 途方もない飢えに苛まれ、意識は食への渇望に塗りつぶされていった。

どれほどの年月が過ぎ去ったのか、もはや思い出すこともできぬ。ただ、我を支配していたのは──飢餓と食欲、それだけであった。

 

 ある日、とうとう我は飢えに耐えきれなくなり、自らの分身を喰らった。

 

 それは緩やかな自殺に等しい行為であった。

封印の内で分身を生み出すたび、膨大な魔素を失う。そんなことを繰り返せば、いずれ衰弱し、ただ死を迎えるばかりとなるだろう。それでも抗えぬ食欲に突き動かされ、我は何度もそれを繰り返した。

 

 ──だが、その行為は思いもよらぬ結果をもたらした。

分身を喰らうたびに我が力は確かに削がれていった。だが同時に、イリアスが施した封印の力もまた、僅かに、しかし確実に弱まり始めたのだ。

 

 気づいた瞬間、歓喜のあまり我は震えた。

この方法を続ければ、いずれ封印から抜け出せる──そう確信したのである。

 

 そこから先は、ただひたすらに年月を重ね、飢餓と自壊の果てに分身を食らい続けた。

わずかな綻びは確実に広がり、やがて封印は緩んでいく。こうして我は、遂に長き囚われから解き放たれたのだ。

 

 弱体化は免れなかったが、それでも解放の歓喜が我を満たしていた。

封印された当初よりも洞窟は古ぼけ、ほとんどの構造が崩れ落ちている。小さくなった体は思わぬ利点となり、かろうじて小さな隙間を抜け出すことができたのだ。

 

 忌まわしき洞窟を抜け、一歩を踏み出したその瞬間──空が裂け、雷撃が無慈悲に降り注いだ。

 

 驚く間もなく、全身が焼け焦げる。

洞窟の入口は轟音とともに崩れ落ち、小さくなった我が身に小石が容赦なく降り注いだ。我は地に崩れ落ち、意識は静かに薄れてゆく。頭に浮かんだのは、あの性悪き女神のくすんだ微笑であった。

 

 イリアスは、封印が破られる可能性をあらかじめ想定していたのだろう。

我は愚かにもぬか喜びのまま罠に落ち、無様に地へと伏していた。もしあの性悪神が目にしていたなら、何も知らず封印から逃れた我が姿は、さぞや滑稽にして愉快な見世物であったに違いない。

 

 せっかく抜け出したのに、このままでは死んでしまう!

 

 そんなことが頭をよぎった瞬間──美味そうな香りが漂ってきた。

鼻腔をくすぐる香りは、我の眠りかけていた意識を一気に引き戻した。死の縁から戻された我は、泥と血で汚れた身体をずるずると引きずり、情けない姿で香りを辿り始めた。

 

 香りの源は思いのほか近かった。

崩れた洞窟の入口からわずかに離れた岩陰に、焚き火と一つの鉄鍋が置かれている。鍋の中では沸き立つスープが柔らかな湯気を立て、肉と野菜の旨味が濃厚な芳香となって外気に溶けていた。

 

 我は唾を垂らしながら、そっと器へと身を寄せ、中を覗き込む。

周囲に人影はなく、ただ風に煽られた煙が、燻る匂いを残して揺れているばかり。きっと、どこか間抜けな冒険者が焚き火を起こし、食事を整えたのち、用を足しにでも出ていったのだろう。

 

 躊躇いなどなく、我は鍋に顔を突っ込み、本能のままに熱いスープを啜った。

温かな液体が喉を滑り、煮崩れた野菜とほぐれた肉片が口中に広がる。長年飢えに囚われていた身体は、ためらいなく貪り、泥にまみれていたことすら忘れて夢中で食べ続けた。

 

 あっという間にスープは尽き、我は貪るように食べ尽くす。

満ちるという感覚が、久しぶりに身体の奥底から噴き上がる。冷え切っていた四肢に熱が戻り、粘り強い活力がじわじわと満ちていく。何百年にも等しい空白の飢えが、一杯の湯気とともに一瞬だけ満たされたのだ。

 

 だが、その満足は束の間に消え去った。

一度腹を満たしたことで、かえって空腹は深まってしまったのだ。封印からの解放の高揚も、飢えという猛火の前では瞬く間に色褪せた。

 

 鍋の底を舐め尽くした我は、周囲を見渡した。

火にかけられたままの鍋があるということは、作り手は必ず戻ってくるはず。少しの演技で遭難者のふりをして近づき、その腹を満たしてしまえばよい。そうすればこの尽きぬ渇望も少しは落ち着くだろう──。

 

 思案が舌先をくすぐる。

我は静かにその時を待った。弱体化しているとはいえ、一介の冒険者を始末するのは容易なこと。場合によっては、“お楽しみ”も出来るかもしれない。

 

 しばらく待っていると現れたのは──漆黒の全身鎧に身を包んだ人物であった。

 

 その瞬間、我は肩透かしを食らった気分になった。

きっと鎧に取り憑いたゴースト族の魔物に違いない。喰えぬことはないが、中身は薄く、味気ない。

 

 だが、今の我に贅沢を言う余裕はなかった。

同族であろうが、風味に欠けていようが、とにかく空腹を癒すことこそが最優先である。

 

「はあ、この山脈に入って何日目だっけ……? これって遭難だよな……」

 

 若い男の声だ!

鎧の中身は同族ではなく、血肉豊かな雄の人間──。想像するだけで、熱い血潮と肉の滋味が舌に蘇る。食欲はさらに膨れ上がり、我は涎を抑えきれなかった。

 

「こうなったら、山の頂まで登って──ん?」

 

 鎧の男は上空を見上げており、こちらの存在に気づいていない様子だった。

愚かで隙だらけの男だ。喰らう前に、少し“弄んで”やるのも一興か──そんな考えが脳裏をかすめたが、飢餓の衝動がすぐにそれを打ち消した。理性よりも先に我が身は動き、獣のように飛びかかって男を丸ごと呑み込んだ。

 

「ははは、消化は悪そうだが、贅沢は──オ、オエェェェッ!!!」

 

 次の瞬間、我の体内で異変が起きた。

鎧の男が暴れ始めたのだ。鋼鉄の拳が肉壁を何度も打ち据え、喉奥を蹴り上げる。凄まじい衝撃に耐えきれず、我は思わず逆流を起こし、男を吐き出してしまった。

 

「ゲェッ! ゴホッ……ゲホォ!」

 

 膝をついて咳き込む我の目の前で、鎧の男は立ち上がった。

我の頭を鷲掴みにし、次の瞬間、宙へと持ち上げられる。ギリギリと頭蓋が軋み、激痛が脳を突き抜けた。必死に手足を振り乱すも、鎧の男の力は圧倒的で、一片の余裕も見出せない。

 

「は、離せ──」

 

「我は宵の明星、黄昏の子。旧き宇宙から墜ち、世界を旅する者──」

 

 淡々と、しかし異様に響く声が告げられた刹那。

我の全身を、内側から引き裂かれるような衝撃が走った。

 

 ・・・・・ 

 

「我の名前は……名前か……なんだろうな……」

 

「やりすぎたか……? えっと、じゃあ……何か覚えていることはあるか?」

 

「オデンが食べたい」

 

「そ、そうか……。食べ物のことしか話さないな……。勝手に付けて悪いけど、呼びにくいから仮の名前を付けるよ。うーん……“ぺこ”はどうだろう?」

 

 こうして、我はぺこになった。

自分の名さえまともに思い出せず、頭の中は霧に覆われたようにぼんやりしている。残っているのはただ一つ──満たされぬ食欲のみ。自己の輪郭は薄れ、過去の記憶は遠い夢のようにすり抜けてしまった。

 

「肉じゃがに、フライドポテト。あとは、ポテトサラダもあるぞ。デザートはスイートポテトだ!」

 

「……芋だらけではないか」

 

「仕方ないだろ。この村、芋ばっかり育ててるし」

 

 そんな我を、鎧の男──冒険家ヴェークは丁寧に保護してくれた。

腹が減ったと言えば手持ちの食料を分け与え、なお足りぬと知るや、弱った我を背負って険しい山々を駆け抜け、近くの村にたどり着くと、心づくしの食事を作って振る舞ってくれた。

 

「このまま放置するのはな……俺のせいみたいなものだし。自分の記憶を思い出すまで、一緒に冒険でもするか?」

 

 その日から、我はヴェークと共に旅をすることになった。

冒険の日々は未知の刺激に満ちていたが、それ以上に、ヴェークの存在が大きく、揺るぎない支えとなった。彼は優しく、時には厳しく、迷える我を導いてくれる。

 

 もしも父親がいたなら、この人のような存在なのだろうか──。

そう思うと、不思議と安心と温かさが胸に広がった。

 

 ある日、旅の途上で、我は自らの存在の曖昧さに恐怖を覚えた。

スライム族が輪を作って楽しげに踊り、ハーピーの姉妹たちが風を切って空を舞っている。彼女らの姿を眺めながら、我はふと問いかけずにはいられなかった。

 

 ──我は一体、何者なのか。

 

 道すがら出会った魔物の数々。

そのどれとも、我は決して同じ姿形でも、生態でもなかった。陸棲種に似た特徴を持つものもいるが、自分は根本から異なる存在に思えた。

 

 自らの正体がわからないという事実は、日々重く、じわじわと心を締め付けた。

それを察したのか、ヴェークは我を連れて様々な場所を巡らせた。村や森、山や川、街道や洞窟──景色を変え、出会いを増やすことで、少しでも心の迷いを和らげようとしてくれたのだ。

 

「おーい! それはイタズラの範疇を超えてるって! 飯の種なんだ! 返してくれー!」

 

「わーい、こっちだよ~!」

 

「まったく。一日中、妖精に振り回されて恥ずかしくはないのか?」

 

「好きでこうしてるわけじゃないぞ! 紙飛行機にするのはやめてくれー!」

 

 冒険の最中は、疑問や不安を忘れ、ただ純粋に楽しむことができた。

 

「結ばれたとしても、先に逝くのは常に人間。……妾は未だに忘れられません。例え……あなた様でも、それは変わらないでしょう」

 

「……? 何の話か分からぬ。我とヴェークは宝探しに来ただけだ。もうゆくぞ」

 

「……そうですか。竜印の試練はこれにて終了です。それにしても、なんとも豪胆な人間ですね。ピラミットの罠にすべて引っかかったにも関わらず、ここにたどり着いた人は初めてです」

 

「ぺこ、スフィンクスさんは、なんて言ってる? 俺、さっきから耳鳴りが酷すぎて……。それに、全身が痛い……」

 

 ヴェークとの冒険は刺激に満ちていた。

 

「姉がご迷惑をおかけいたしましたわ~! ……まさか、ラ・モード家だけで魔王様に対するクーデターを起こそうとするなんて……! 後でキツく言っておきますわ!」

 

「そうしてくれ……。はあ、今日はどっと疲れたな。ぺこ、お腹は空いてないか?」

 

「限界が……近いぞ……」

 

「あなたには、またお世話になったわね……。未然に同族同士の争いを防いでくれたお礼よ……。特別に泉で宴会を開くから、楽しんでいって……」

 

 美味しい食事もたくさん味わえた。

 

「これだから戦争は嫌いだ。彼らが一体、何をした? この骨なんて……まだ小さいのに」

 

「……」

 

「人間も魔物も、欲望は同じだ。善良な弱者は蹂躙され、悪しき強者は肥え太る。この悲劇を生んだのは、そうした醜い感情のせいだ」

 

「……我の欲望も、同じなのか……?」

 

「報いを携えて来て、それぞれのしわざに応じて報いよう。……ぺこは今、平和を脅かしていない。だから大丈夫さ。それに、欲望自体は別に悪いもんじゃない。ただ、どう向き合うかって話だ」

 

 冒険が続いていくものだと思っていた矢先──ある出来事が起こった。

 

 ・・・・・ 

 

「へえ~! やっぱり、売れっ子作家はイイ家に住んでんだな! アタシはアイシス! しがないサキュバスだぜ! こっちが──」

 

「エクレア・ラ・モードですわ~! 今日からワタクシがこの屋敷の主ですわ~!」

 

「このお菓子、もっと食べたい……」

 

 我とヴェークが屋敷で休んでいると、力の同盟と名乗る、やかましい三人娘がやってきた。

最初は鬱陶しく感じたものの、次第にその賑やかさが心地よくなり、知らぬ間に五人での生活が日常となっていた。

 

 余裕が生まれたのも、生活を受け入れることができるようになった要因だろう。

とある出来事があり、耐え難い空腹に襲われることが少なくなったのだ。

 

「超重てぇな、この鉄塊! やっぱり、金塊を持って帰ったほうが良かったかもなあ……」

 

「今さら過ぎるだろ……。もうイリアスベルクの目の鼻の先だぞ」

 

「むほほ……♪ チンチロ……ポーカー……ルーレット……♪」

 

「ミクリ! 賭けは駄目ですわ! ミクリの金塊は換金したあと、ワタクシが貸しているゴールドの返済に充ててもらいますわ!」

 

「その貸してるお金、もともとは俺がエクレアに貸したゴールドなんだけどなあ……」

 

 食卓を囲み、皆で笑い合いながら食事をする時間。

それは我の日常となり、欠かせぬものとなった。以前はただ空腹を満たすことしか考えていなかったが、今は仲間と過ごすひとときこそ、胸を温め、心を満たすかけがえのない時間となった。

 

 気がつけば、自分の出生について考えることは、すっかりなくなっていた。

自分自身のことが分からなくても構わない。ヴェークや仲間たちがいれば、それで十分だ。共に過ごす時間が、我を満たしてくれる。

 

 ……そう思っていた矢先、あっさりと記憶は戻った。

 

 きっかけは、ヤマタイ村を訪れたときのこと。

我と同じように小さくなった玉藻を目にした瞬間、脳裏に何かがざわめいた。そして、おだんご目的に大食い大会に出たときに、無くなっていた記憶が一気に蘇ったのだ。

 

「今は胃痙攣の治療中……。このままでは、おだんごで窒息死する羽目になってしまいます……。こうなれば、この村にも火を放ち、逃げ出すしか……」

 

「ははは。このような場所で思い出すとはな……」

 

「あれは我が友、ヴェークではありませんか。こうなれば、手を振って助けを求めてみましょう。……なぜ、手を振り返すのです? 私は声援を求めているのではありません……!」

 

 舞台の下に視線を落とすと、着物姿のヴェークとミクリ、そして腹黒狐が見えた。

狐二人に挟まれ、ヴェークは食事をしながら楽しそうに笑っている。我は食べ物には目もくれず、その無邪気な笑顔を目にした瞬間、胸の奥に安心が広がると同時に、わずかな痛みが走った。

 

 大会が終わってしばらくしたあと。

我は玉藻にこれまでのことを打ち明けることにした。

 

「そのような方法で封印から抜け出したのか……。知性も美しさも欠片ほどもない、力任せのやり方じゃのう」

 

「お前ほど器用ではないからな。……ヴェークが居なければ、我は洞窟の前で野垂れ死んでいた。運命など食えぬものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい」

 

「……ウチは驚きっぱなしじゃわい。お主は……変わったのう。大昔、魅凪の変わり様に驚いたこともあったが、お主にはそれ以上に驚かされる」

 

「そんなことより、ヴェークに名字を贈ろうと思うのだ。“蛭蟲”という名は邪神様から頂いた大切な名……だが、ぺこという名も捨てがたい。ペコは名字に使うつもりだ」

 

「婿入りさせるつもりか? まだ分からんじゃろう。あやつの頭の中は冒険でいっぱいじゃ。古往今来、あの手の人間を落とすのは難しいものじゃぞ」

 

「……まあ、まだ旅の途中だからな。焦る必要はない……」

 

 冒険は、まだまだ続いていく。

たとえそれが死出の旅路となろうとも、構わぬ。

 

 未来永劫に至るまで──我はヴェークと共にあるのだから。

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