プランセクト村を出て、俺はハーピーの羽を使った。
たどり着いたのは、サキュバスの村。ある意味、俺にとってのスタート地点とも言える場所だ。
もしエヴァに冒険の話をしなければ、俺はまったく違った人生を歩んでいただろう。
本を出版して名を上げ、財を成すこともなく、今も一人で各地を放浪していたに違いない。
あるいは冒険そのものを引退し、まったく別の職に身を投じていたか。
ぺことは出会っていただろうが……その場合、食費を工面できず、あっという間に破産していたのは想像に難くない。
「愛しき我が故郷~! おお、昔とあんま変わっちゃいねえな……。でも、こうして眺めると胸の奥がじんとするぜ!」
アイシスは楽しげにガッツポーズを決めた。
彼女にとっては、実に五百年ぶりとなる帰郷である。
「また帰ってこられて良かったですわね!」
「そうだな! 道具屋と宿屋の場所は変わってないな。おっ、あのアクセサリー屋、酒場になったのか~」
意外なことに、村の風景は五百年前とあまり変わっていないようだった。
素朴な木造の家々が肩を寄せ合うように並び、どこか甘やかな香りを含んだ風が通り抜けていく。村の中では、見目麗しい女性たちが忙しなく行き交い、その対照として、男性たちだけがどこか疲れ果てたような顔をしていた。
人々からは“サキュバスの村”というのはただの通り名で、表向きは普通の村だと考えられている。
……だが、真実は異なる。この地に暮らす女性の大半は紛れもなくサキュバスであり、彼女たちは巧みに正体を隠しながら日常を営んでいるのだ。
かつて俺は、この村の宿に一人で泊まった際、サキュバスに夜這いを仕掛けられたことがある。
幸いにも用心して魔道具で結界を張っていたおかげで事なきを得たが、その一件をきっかけに、俺はこの村の裏の姿を知ることになった。
もっとも、この村のサキュバスたちは男を食い物にして悪事を働くような性悪ではない。
そうした輩はとっくに追放され、今ここに残っているのは、比較的おだやかで善良な気質を持つ者ばかりである。……小道に進むと“ちょっとした”イタズラをしてくるサキュバスも居るが。
「ワタクシ、この辺りに来たのは初めてですわ……。この近くには、“貴婦人の村”があるのですわよね? お姫様として一度、行ってみたいですわ!」
「へー、アタシが封印されてる間に、そんな村ができたのか。名前からして上品そうだし……正直、あんまり興味ないなあ」
「うーん……なんか楽しそうじゃないし……ミクリも興味ないかも……」
「あー、あの村か。行くのはやめとこうって言いたいけど、一度寄らないとキツいだろうな……」
サキュバスの村を北へ進むと、貴婦人の村と呼ばれる場所がある。
辺境の地であるにも関わらず、そこには高貴な上流階級の女性たちが集い、保養のために暮らしている。外から見れば、優雅で華やかな空気をまとった村だ。
領主の権限が異様に強く、ほとんど独立に近い状態を保っている。
サキュバスの村と同じく、ここもまた巧妙に仮面をかぶった村である。気高き貴婦人たちの背後に潜むのは、正体を隠して社会に紛れ込む、狡猾で凶悪な妖魔たちなのだ。
この村でも、俺はかつて大変な目に遭ったことがある。
何気なく村を散策していた時、腹をすかせた高位妖魔に出くわし、文字通り“お菓子”にされかけたのだ。一悶着あったものの、定期的に甘い菓子を差し入れることで、どうにか和解にはこぎつけた。
……正直、深く関わりたくはない村のひとつだ。
「ヴェークがそこまで嫌がるとはな。よっぽど酷い村らしい」
「ぺこの弟子みたいなヤツが住んでてな。やたら鼻が利くから、俺たちが村に着いたら真っ先に嗅ぎつけて会いに来るだろうなあ……」
「……その言い回し、遠回しに我を傷つけておらぬか?」
「先の話はあとにしようぜ! ふっふっふ~♪ 愛しきアタシの故郷~! ……いや、やっぱ大して愛おしくないかも。帰郷しても芋焼酎しか呑めなかったし」
さっきまでの張り切った様子から一転して、急にげんなりとした顔を見せるアイシス。
そんな彼女を先頭に、俺たちはサキュバスの村へと足を踏み入れていった。
・・・・・
「なんて素晴らしい日なのでしょう! アイシス様がお帰りになられましたわ!」
「まさか伝説の再臨をこの目で拝めるとは……! アイシス様の石像には、毎日せっせとお芋をお供えしておりました!」
「あ、ああ……ありがとな。だけどさ、祀るのはお芋以外にしてくれねえか……? 昔食べすぎて、もう見るのも嫌になってるんだよ……」
「伝承では、お酒がお好きだったと残っております。なので、代わりに芋焼酎を献上いたしましょう!」
「さあさあ皆さま、本日こそ盛大なサバトを催すのですわ!」
アイシスが村に姿を見せるや否や、歓声とともにサキュバスたちが雪崩のように押し寄せた。
その熱狂ぶりは、かつてグランドノアで俺が受けた歓迎と比べても遜色がなく、むしろ勢いでは上回っている。アイシスは持ち上げられ、あっという間に群衆に取り囲まれ、すっかりタジタジになっていた。
幸い、俺は鎧を外して村に入ったため、ウォークだとは気づかれていなかった。
もしアイシスと肩を並べて入っていたら……とんでもない騒ぎになっていたに違いない。
「相変わらず、芋ばっかりの村だな。ヴェークと以前来たとき、三食が芋で埋め尽くされて、流石に我も閉口したものだ」
「懐かしいなー。あれからもう随分経った気がするよ。──おーい、俺は先に宿を取っておくから、落ち着いたら合流するぞー!」
「おーい! アタシを見捨てんじゃ──!」
人の波に呑まれていくアイシスに向かって、俺は思わず笑いながら手を振った。
彼女は振り返りざま、にこやかにグッドサインを返してくれる。
……親指が下を向いていた気がするのは気のせいだろう。
きっと群衆にもみくちゃにされすぎて、指の角度をうまく制御できなかっただけに違いない。
「ぐぎぎ……! ワタクシだって! 妹たちが! 盛大に! 豪勢なパレードをしてくれるはずですわ~!!」
「ぺことエクレア以外は、この旅で歓迎を受けた……。ぺこも、知ってる人に会えたら歓迎してくれるかも……?」
「それは……どうだろうな」
「……」
ミクリの言葉に、ぺこは小さく肩をすくめ、視線をそらした。
最近のぺこには、微妙な変化が見え隠れしている。たまも様に出会ってからだろうか、やけに懐古的な言葉を口にするようになったのだ。
正直に言えば、俺には心当たりがあった。
――失われていた記憶が、戻りつつあるのではないか。
断片的なのか、すべてなのかまでは分からない。だが俺は、あえて問いたださないことにしている。
話したいときが来れば、きっと話してくれるだろう。
無理に踏み込む必要はない。いずれ、ぺこ自身の口から語られる日が訪れると信じている。
「えーっと、俺が前に宿泊したのは……あった、この宿だ」
道具屋を通り過ぎ、村の入口近くにある宿へ向かう。
外装は以前と変わらず、木の看板には『営業中』の文字が掲げられている。
中へ入ると、受付には店主と思しき若い女性が腰かけていた。
「いらっしゃいませ! 素敵な夢が見られると評判の宿へようこそ! 一泊五十ゴールドからご利用いただけますよ~!」
「五人部屋を頼む。それと、夢は必要ない」
「……ふふっ。なるほどぉ。たしかに必要はなさそうですね……」
俺の後ろに立つ三人へと視線を流し、店主は意味ありげにニヤリと笑う。
どうやら何かしら誤解しているらしい。だが、いちいち否定するのも面倒だ。俺は肩をすくめ、そのまま受け流すことにした。
「こちら、部屋の鍵になっております! どうぞ、ごゆっくりお過ごしください!」
店主はにっこりと笑みを浮かべ、番号札の付いた鍵を差し出してきた。
俺は五人分の代金を支払い、仲間とともに階段を上がる。突き当たりにある扉の前に立ち、鍵を差し込んでゆっくりと開けた。
「うーん、やっぱりここ……」
「ミクリ、気付いたか? この村は本当にサキュバスの村なんだ。人間も住んではいるけどな」
「ほえ~……そうだったんですの」
「匂いも誤魔化してはいるが、我にはすぐに分かったぞ。まあ、問題はあるまい。長居するつもりもないからな。ミクリの教育に悪い」
「ミクリはもう大人のれでぃ……! からかわないで……!」
各自が用意されたベッドに荷物を降ろす。
部屋の造りは簡素ながら清潔で、旅の宿としては十分に快適そうだった。窓から入る風も心地よい。
……ただ一つ、妙に気になる点がある。
マキナ製らしい照明は、普段の白い光だけでなく、妙にムードめいたピンク色へと切り替えることもできるのだ。
「お姫様カラーですわね! 今日はこの照明の色で眠りたいですわ!」
「寝にくいだろ……」
「下品……」
「却下だ、却下」
「この色が良いですわ! この色が良いですわ!」
抗議するエクレアをよそに、俺は窓を軽く開ける。
ほんの僅かに流れる風が涼しく感じた。そんな些細なことで気を良くした途端に、視界に奇妙なものが映る。村の中心を流れる川の中、大きな石像が鎮座していたのだ。
「前に見たときはなんにも思わなかったけど、あれってさ……」
「……ほう。なるほどなるほど」
そこにあったのは、巨大なサキュバスの石像。
上腕二頭筋をこれでもかと強調するポーズで仁王立ちしており、誰の目にも明らかだった。……どう見ても、アイシスの石像だった。
「……ワタクシも故郷に石像を建てますわ! ゴルド火山よりも大きい石像にしますわよ~!」
「すっごく邪魔……」
「邪魔ではありませんわっ! お姫様パワーを世に示すためには不可欠なんですの! 妹たちを二十五時間働かせ、必ず作り上げますわ~!」
「もっと妹を大切にしろ」
エクレアが壮大すぎる計画を延々と語り続ける中、俺はもう聞き流すことにして、ベッドで仮眠を取ることにした。
・・・・・
結局、アイシスが戻ってきたのは夜になってからだった。
窓をコンコンと叩く音がしたので開けてみると、ヘニャヘニャになった彼女がそのまま転がり込んでくる。数時間前の元気な姿はすっかり影を潜め、見るからに憔悴しきっていた。
「もう芋は嫌だ……。もう芋は嫌だ……」
力なく繰り返すアイシスは、やがて苦労話をぽつぽつと語り始めた。
どうやら人波に流されに流された末に辿り着いたのは、村長の屋敷らしい。そしてそこで待っていたのは――村長にしてサキュバスのサキュバスさんによる、熱烈すぎる歓迎。……具体的には、大量の芋料理でもてなされるという地獄だった。
「なんでだよ……! なんで蒸した芋に芋のソースをかけるんだよ! ポテトサラダにジャガイモを砕いて混ぜるって何だよ! 一生分の芋を食った……もう食いたくねぇ……!」
「た、大変だったようですわね……」
「ほらな、俺の言った通りだろ? アイシスの分は用意しなくてもいいって」
「うまうま……」
「もぐもぐ……」
「アタシの前で芋を食うんじゃねえ! ほわああああああ!!!」
ベッドの上でビッタンビッタンと暴れるアイシス。
一方その横では、まるで何事もないかのように、夕食の残りのハッシュドポテトを頬張るミクリとぺこ。
アイシス以外の俺たちは、今日の夕食にジャガイモ尽くしの料理を堪能した。
エクレアとミクリが『アイシスの分も残しておかなくて良いのか』と聞いてきたが……正直こうなる気がしていたので、あえて止めておいたのだ。
「アタシが住んでたころだって、ジャガイモはブームで特産品ではあったけどよぉ……! ここまで芋まみれじゃなかったぜ! 五百年の間に何があったんだよ!」
「エヴァが言ってたけど、前に飢饉が起こったときにジャガイモが大活躍したのがきっかけらしい。それで村長が贔屓するようになって、主食になったんだってさ。……アイシスの時代は違ったのか?」
「……」
俺の問いかけに、アイシスは苦々しい表情を浮かべた。
「アタシは昔、村の脆弱な食糧事情について改善を命令したことがあってな。そのときに、ジャガイモとサツマイモが注目されて、村で育てることになったんだよ」
「もぐもぐもぐ……芋は美味しいし、栄養も豊富だからな……」
「そうだよ! それで流行りすぎたんだよ! 帰郷するたびに芋、芋、芋……! 酒も芋、芋、芋……! 挙句の果てにお菓子も芋、芋、芋……!」
「デザートに出たお芋のタルトは美味しかったですわよ?」
「それでも! 嫌になるに決まってんだろ! どうして五百年経っても芋だらけなんだー!」
そう叫んで、アイシスはベッドの上でジタバタと手足をばたつかせる。
結局、自分がかつて下した決断が巡り巡って、いまの惨状を生んでいるらしい。――気の毒ではあるが、その因果に、俺はつい可笑しさを覚えてしまった。
「まあまあ、安心しろ。長居する予定はないからさ。……ただ、もしアイシスが故郷をもっと楽しみたいなら別だけどな」
「もう十分楽しんだ! 次、次に進もうぜー!」
「次の目的地は、昼間に話していた貴婦人の村ですわよね?」
「貴族勇者忍者になっちゃう……」
「足しすぎだろ。……エクレアの言う通り、次は貴婦人の村に向かう。ただ、滞在するかどうかは分からん。荒野を越える前に体力を消耗しそうなら、補給だけ済ませて早々に出るぞ」
最終的な目的地は、ゴルド地方の西部に存在するタルタロス。
だが、その道のりは決して快適とは言えず、随所に危険が潜んでいる。
とりわけ西部と中央を隔てる“悪夢の荒野”は難関で、そこを越えたとしても延々と砂漠が続くだけだ。人がまともに暮らせる環境ではなく、むしろ魔物たちが修行の場として足を踏み入れるような過酷な土地である。
ゆえに、準備と補給の重要性はいやが上にも増す。
貴婦人の村を過ぎれば、補給の手段は一切存在しない。どれほど気が進まなくても、そこに立ち寄らざるを得ないのだ。
「お腹は膨れたし、今日はもう寝よう。明日は食料を買い込んで、昼には村を出るか」
「食料……ま、まさか芋を買う気か!?」
「……備蓄には最適だからな。絶対に買っていくぞ」
「勘弁してくれよー! あー、やだやだ! 五百年前に戻れたらなあ……芋も畑を全部、破壊してやるのに……」
「過ぎたことはどうしようもないですわ!」
「アイシスの分の芋は我が食ってやるから、安心しろ」
エクレアの励ましなのか分からない発言に、アイシスはうなだれる。
俺はふと、疑問に思ったことを口にする。
「そういえば、アイシスってクィーンサキュバスじゃなかったのか? ほら、魔王城でも偉い立場だったって言ってたろ」
「クィーンは面倒だったから従姉妹に押し付けたんだよ。アタシは魔王城のことで手一杯だったしな。他にも遠い親戚に黒華ってヤツが居たけど、アイツは内政が壊滅的に苦手でさあ。任せられないって判断したんだ」
「歴史の授業を受けてる気分……」
「頭が沸騰しそうですわ!」
「思い出したら頭が痛くなってきたな。あのポンコツ三馬鹿には振り回されてばっかりで……勝手にサン・イリアを襲ったときは怒鳴りに行って──」
「これは、長くなるやつだ……」
俺たちは揃ってベッドへ潜り込む。
アイシスの延々と続く嘆き声を子守唄代わりにしながら、いつの間にか眠りについていた。