早朝、力の同盟一行は野営地点から西に進み、川を越えた。
やがて川を越えると、眼前に広がるのは砂漠と岩山だけ。生命の気配はなく、風が砂を巻き上げる音だけが耳に届く。いくら過酷な土地とはいえ、これほどまでに生き物の姿を見かけないのは不自然だった。
その理由は、なんとなく分かっていた。
地平線の先に徐々に姿を現す、ぽっかりと口を開けた巨大な穴。タルタロスだ。他のタルタロスもそうなのだが、の大穴の周囲には常に異様な気配が漂っている。そこに存在するのは、調査のために派遣された人間の探査隊か、あるいは物珍しさに惹かれて覗きに行く魔物ぐらいだ。
「やっと着きましたわ! ここがタルタロスですのね~!」
「初めて見た……」
「なんかこう、背中がぞわぞわしちまうな」
「我も同意見だ。この穴に入るのか?」
「うーん……。まずは穴に降りるための縄梯子を設置するところからだな」
まるで巨大な隕石が落ちた跡のように、大穴の周囲は荒々しく抉られている。
周りにはサボテンが生えている程度で、生き物の気配はまるでない。
生えているのは、まばらなサボテンがいくつか。
それ以外に生命の気配はなく、鳥や虫すら寄りつかない静寂が広がっている。俺たちは慎重に淵へ近づき、腰を下ろして一息つくと、早速縄梯子を下ろすための準備に取りかかった。
以前、俺がタルタロスに縄梯子を設置したときは、一人きりだった。
だが今回は違う。五人で動ける分、作業の速度は段違いになるはずだ。アイシスは空を飛ぶことが出来るし、俺はぺこの触手で落下防止ができる。エクレアとミクリが地上で警戒を担当してくれる。役割分担は完璧で、まさに理想的な布陣と言えた。
俺は背負っていた袋を下ろし、特注の縄梯子を取り出す。
以前、イリアスヴィル近くのタルタロスで使ったものと同じものだ。予備としてもう一つ作ってもらっていたのだが、まさかここで役立つことになるとは思わなかった。
「固定は大丈夫かー?」
「きちんと打ち込みましたわー!」
「大丈夫……」
まずは地面に深々と金具を打ち込み、縄梯子を固定する。
エクレアとミクリが金槌を掲げて笑顔を見せる。その表情に、俺も片手を挙げて応えた。
「よし、投げ込むぞー」
「おー、どんどん下に落ちていくぜ!」
「底が見えんな……」
縄梯子はするすると音を立てながら、タルタロスの奥深くへ吸い込まれていった。
しばしの沈黙ののち、俺はぺこに目配せをする。すぐさま触手が伸び、俺の腰や胸をがっしりと固定してくれた。アイシスは固定用の金具が入った箱を持ち、空へ舞い上がった。
俺は縄梯子を強く握りしめ、一歩、また一歩と深淵へ足を踏み入れる。
ゆっくりと降下を開始する。俺は縄梯子を伝って降りつつ、定期的に壁に固定具を打ち込んでは縄梯子を固定していく。
「おい、来やがったぞ!」
「第一種断界接触……」
「侵入者は排除します。それこそが、私の使命……」
「やっぱり別のタルタロスだと、違う魔物が出てくるのか!」
作業を一度中断し、視線を下へと向ける。
そこから這い上がってきたのは二体の異形──巨大な琴と融合したような魔物だった。弦が軋むような不快な音を鳴らしながら、こちらを認識した瞬間、ためらいなく攻撃を仕掛けてくる。
幸い、手に負えないほどの強敵ではなかった。
だがタルタロス特有の歪んだ魔物は次々と姿を現し、形容しがたい異形の魔物たちが押し寄せてくる。それでも、アイシスとの息の合った連携で一体ずつ仕留め、徐々に戦線を押し返していく。鉤爪と矢が交差するたび、異形の魔物は闇に溶けていった。
そうして戦いを繰り返しているうちに、ようやく下方に地面が見えてきた。
アイシスと共に慎重に降り立つと、そこには地上とほとんど変わらない、乾いた砂漠のような光景が広がっていた。
「ここがタルタロスの中か。変な雰囲気だなあ……」
「ここは、独特と言うか何と言うか……。とりあえず、上に戻って他のみんなと合流するか」
俺たちは地上組と合流すべく、再び縄梯子を使って戻ることにした。
・・・・・
地上に戻ると、三人はカードゲームに夢中になっていた。
得意満面のミクリがカードを広げれば、エクレアは睨みつけるように身を乗り出し、ぺこはその様子を面白がるように口元をほころばせている。
「ロイヤルストレートフラッシュ……」
「イカサマですわ! イカサマですわ!」
「ふむ、なかなか腕を上げたな、ミクリ。我の目を欺くとは……」
「ふふ……。狂う手前ほどに面白い……」
「おーい、終わったぞ」
「アタシらは下ですっげぇ大変だったのによぉ。随分と楽しそうだなぁ……ええ?」
俺とアイシスの登場に三人が振り返る。
エクレアは慌ててカードを体内へとしまい込み、ぺことミクリはわざとらしく口笛を吹いてごまかした。俺は深々とため息を吐き、簡単にタルタロス内部の様子を説明した。
「とりあえず、すぐに危険はなさそうだ。だけど、タルタロスの中は足場が悪いからな。落ちたらどうなるか分からない。気をつけてくれ」
「それならば、我とアイシスが後方に控えるべきだろうな。いざとなれば、すぐに救助に回れるように」
「いい考えだ。なら、タルタロスに入った経験のある俺が先頭を行く。縦に並んで、エクレアとミクリは中央だ。危険を感じたら退路の確保を最優先に頼む」
タルタロスに入ってからの注意点を話し合う。
とはいえ、俺が入ったことのあるイリアスヴィル近くのタルタロスとは環境が異なるだろう。その場その場で判断し、最善を選ぶしかない。ここは“冒険”が必要な場所なのだ。
「よっしゃ! 力の同盟――タルタロス攻略作戦、開始だ!」
「えいえいおー! ですわー!」
「えいえいおー……」
「えいえいおー」
「えいえいおー。やっぱり、俺に号令はさせてもらえないんだなあ……」
アイシスの高らかな号令に合わせ、エクレアとミクリが楽しげに拳を突き上げる。
ぺこも淡々と腕を伸ばし、最後に俺も遅れて拳を掲げた。
俺を先頭に、縄梯子を降り始める。
魔物の襲撃を覚悟していたが、意外にも何事もなく、ただ底知れぬ静けさが広がっているだけだった。無事に地面へと降り立つと、俺は振り返り、全員が続いて下りてきたのを一人ひとり確認する。
「全員、揃ってるな?」
「問題ありませんわ!」
「ここが……タルタロスの中……。うう、不気味……」
「なんとも殺風景な場所だな。この床と壁は金属か?」
「風の流れがまるでねえ。空気も淀んで……胸が詰まるな」
「…………」
仲間たちはそれぞれの感想を漏らしながら、慎重に辺りを見回す。
視線を巡らせると、左手に無機質な通路が延びており、その先へと進むことができそうだった。
俺は念のため、もう一度隊列を確認した。
先頭の俺に続いて、エクレア、ミクリ、アイシス、そしてぺこ。
さらに――ランタンと包丁を抱えた、赤いフード付のローブ姿の小さな魔物。
俺たち、力の同盟のフルメンバーだ。
「……ん?」
「どうなさいましたの? まるで幽霊でも見たかのような顔をして」
「顔色が悪い……」
「いや、全身鎧の顔色なんて分からんだろう」
「何言ってんだよ! アタシら全員、ちゃんと揃ってるだろ! な!」
「…………」
違和感が拭えず、俺はもう一度視線を巡らせる。
俺、エクレア、ミクリ、アイシス、ぺこ。そこまでは問題ない。だが、そのすぐ後ろに――赤いフード付きのローブをまとった小さな魔物が、まるで当然のように列へ加わっていた。
その魔物は俺の視線に気づいたのか、こくこくと頷いてみせる。
ランタンを揺らし、包丁を掲げながら、その場で楽しげにピョンピョン跳ねていた。
「……誰?」
「…………」
気づけば、俺の知らぬ間に“力の同盟”は見知らぬ仲間を増員していたのだった。
・・・・・
「ワン! ツー! ワン! ツー!」
「エレクトリックに爆発ですわ! エキセントリックにパッションですわ!」
「ハイ……! ハイ……! ハイ……! ハイ……!」
「…………」
タルタロスの底で、突如として始まった筋トレテスト。
重苦しい空気の中で、三人は声を張り上げながら腕立てやスクワットを繰り返している。その隣では、謎の魔物が掛け声に合わせてピョンピョンと跳ね、動きを完璧に真似ていた。
驚くべきことに、アイシスたちが課すテストを、その魔物は息ひとつ乱さずにこなしていく。
俺とぺこだけが呆然と立ち尽くし、場違いな光景をただ眺めるしかなかった。
「こんな危険な場所でやらなくても──じゃなくて! なんで加入テストを受けてるんだ!?」
「ワン! ツー! ワン! ツー! だってよぉ、最初から居たみたいに馴染んでたんだ。そりゃ連れて行きたくもなるだろ!」
「ゴロゴロ寝ていてはダメですわ! 踊らなくてはいけませんわ! 筋トレ天国ゴーゴーですわ!」
「ハイ……! ハイ……! ハイ……! ハイ……!」
「…………」
「……頭が痛いぞ」
ぺこは深々とため息をつき、呆れ顔で肩を落とした。
俺も全くの同感だ。危険地帯で出会った、全く見ず知らずの魔物を受け入れようとするなんて、とんでもない連中だ。
そう考えると、不思議なことに──険しい山で遭難していた自分とぺこの顔が脳裏に浮かんだ。
だが、その件については丁寧に棚の奥へと仕舞い込むことにした。
「しかし……あのテストを難なくこなすとはな。我から見ても、相当の猛者だぞ」
「確かに実力はあるみたいだな……。でもさ、タルタロスで出会った魔物を仲間に入れるってどうなんだ? ていうか、なんで仲間にする前提で話が進んでるんだよ」
「聞くな。我にも分からん……だが、あれを見てみろ」
そう言って、ぺこが触手で前方を示した。
そこには、タルタロス特有の異形の魔物たちが数体、薄闇の中に佇んでいた。俺は条件反射で弓を構えたが――彼女らは動かない。むしろ、後ずさり気味にこちらを窺っているように見えた。
「タルタロスの魔物は初めて見るが……ヴェークの話とは違うな。無機質で感情を持たぬ存在ばかりだと聞いていたが」
「いや、そのはずだ。前に遭遇した時もそうだったし……縄梯子を下ろしてる最中だって、機械みたいに無感情に襲い掛かってきたんだが……」
「だが、今のあの顔を見てみろ。どう見ても……ドン引きしているぞ」
異形の魔物たちはこちらに何もせず、ただ見ていた。
ぺこの言う通り、引いているような表情を浮かべている。俺はタルタロスの魔物を、無機質で感情の乏しいもの思っていたのだが、意外にも感情はあるようだ。
「……まあ、襲われないのは助かるけどな。それで、ぺこ、何か分かったのか?」
「ふむ。ランタンはただ頑丈なだけの金属製だ。特筆すべき点はない。だが――包丁は違うぞ。我のものに劣らず勝らず……。間違いなく名品だ」
そう言いながら、ぺこは謎の魔物から預かっていた持ち物を持ち上げた。
筋トレテストが始まる前、動きにくかったのか、魔物は丸っこいランタンと大ぶりの包丁を素直に差し出していたのだ。
「……ん? 刃に何か刻まれているな。……シェーディ?」
俺は顎に手を当てながらぺこの隣に寄る。
差し出された包丁の刃には、確かに文字が刻まれていた。“シェーディ”――そう読める。
俺はその単語を口の中で転がしながら、ちらりと謎の魔物に視線を向けた。
……もしかすると、それが彼女の名なのだろうか。
・・・・・
「おいおいおい……! とんでもねぇ新人が来ちまったな! 最難関の筋トレテストを軽々クリアするなんてな! ……よし! おめでとう! 合格だぜ!」
「…………」
「まだまだ余裕がありますわね! まさに逸材ですわ!」
「ミクリも負けないように、もっと頑張らなきゃ……」
俺とぺこがあれこれ話しているうちに、どうやらテストは幕を閉じたらしい。
力の同盟に厳密な上下関係はないが、一応、仕切っているのはアイシスだ。彼女が“合格”と言ってしまえば、それはほとんど加入確定を意味する。
謎の魔物は、出会ってからずっと無表情を貫いていた。
だが今は――ランタンをぶんぶん揺らしながら、大げさなガッツポーズを決めている。動作は妙にコミカルで、抑え込まれていた感情が一気に爆発したかのようだ。
……どう見ても、感情は豊かだ。
むしろ、豊かすぎるくらいに。
「えっと、預かってた物を返すよ。名前は……シェーディで合ってるかな?」
謎の魔物はこくりと頷いた。
俺の予想はどうやら正しかったらしい。ランタンと包丁を受け取ると、丁寧にペコリとお辞儀をした。
「まあ、なんて素敵なお名前ですこと! これからはワタクシの後輩として、しっかり精進してくださいまし!」
「よろしくね、シェーディ……」
「これからよろしくな!」
「…………」
三人は笑顔でシェーディに握手を差し出し、次々に手を取った。
流れに押されるように、俺も自然とその輪に加わる。
……ただ一人、ぺこだけは違う。
なぜか自分の包丁をすっと取り出し、ドヤ顔で構えてみせる。
するとシェーディも即座に反応した。
無表情のまま、自分の包丁を掲げ――互いの刃を軽く触れ合わせる。
「ふむ……我とシェーディは同志というわけだ。よろしく頼むぞ」
ぺこは満足そうに包丁を鞘に納め、シェーディはまた頷いた。
「……どういう流れ?」
俺にはまったく意図の分からない行動だったが、二人には何か意味があったようだ。
ぺこはしたり顔で鼻を鳴らした。
「いやいや、ちょっと待ってくれないか? これから向かうのは、とんでもなく危険な場所かもしれないんだぞ。いくら彼女が強そうでも、連れていくのは無茶じゃないか?」
「でも、やる気は凄まじいですわ!」
エクレアは誇らしげに腕を曲げ、見事なダブルバイセップスを決める。
その横でシェーディも、全く同じポーズを無表情のまま真似してみせた。さらにはミクリまで加わり、三人で並んでポージング大会を始めてしまう。
「ヴェーク、この瞳を見て……。シェーディは信用できる子だよ……」
「すごくジト目なんだが……」
「アタシらと仲間になりたいってことはさ、何か目的があるんじゃねえか?」
「……うーん。そうなのか?」
俺の問いに、シェーディはコクコクと頷く。
とりあえず色々と質問をしてみた結果、彼女は俺たちに協力をしてほしいようだった。それも、並行世界に関連したことらしく、俺たちに付いていけば目的が達成できると思っているようだ。
「それにしても……なんて愛らしいティアラですこと──はっ!」
エクレアがビシッと指を突きつけ、全身をわなわなと震わせる。
その先には、シェーディの小さな頭の上に鎮座する、金色に輝くティアラ。タルタロスの薄暗さの中でもなお、気品を放っていた。
「ま、まさか……シェーディ、あなた……お姫様なのでは……!?」
「…………」
シェーディは小首を傾げ、しばし考える仕草を見せる。
そして、ほんの少し斜め上を見上げた後――コクリと力強く頷いた。
その瞬間、エクレアは口をぱくぱくさせながら、さらに全身を震わせる。
「ダメですわ~!! この世のお姫様は、ワタクシ一人で十分ですもの! よって――シェーディ! パーティーから追放ですわ~!!」
「おいおい、手のひら大回転すぎるだろ!? アタシの決定に逆らう気かー!」
「エクレアが復讐されちゃう……」
ジタバタと両手を振り回し、必死に拒絶の意思を示すエクレア。
その一方で、シェーディはランタンと包丁をぺこへ預けると――無言のまま、トコトコと歩き出す。
「な、なんですの? いくらテストに合格したからといえ、これはワタクシの──あっ……」
次の瞬間、シェーディはエクレアをそっと抱きしめた。
最初はジタバタともがいていたエクレアだったが、徐々に抵抗の力を失い――最後には、うっとりとした笑顔を浮かべる。
「な、なんという……母性……! エルベティエの数倍……いえ、邪な感情が一切ない分……それ以上の母性力……! ああ~……溶けちゃいそうですわ……」
「スライムだから、もう溶けてる……」
エクレアがとろんとした表情で恍惚とつぶやく横で、ぺこがふとシェーディをじろりと見やった。
その視線は、一点に注がれている。
「……大きいな」
「ああ……」
何を指しているか、言葉にせずともわかってしまう。
「……ふん」
「いてっ。言い出したのはそっちだろ……?」
すかさず脛を触手で叩かれる俺。
シェーディはローブを着ているが、その上からでもよく分かるほど“たわわ”だった。
「ダ、ダメですわ……! これ以上抱きしめられたら……戻れなくなりますわ……!」
「ミクリもハグしたい……!」
「なんてこった! このままじゃ、“母性力の同盟”に看板を変えられちまうぜ……!」
「どんな心配だよ……。はあ、これからどうなるんだか」
「フッ、まあ……なんとかなるだろう。我々は今までも、だいたいそうだった」
「ほわあぁぁぁ……!! 子ども貴族勇者忍者になっちゃう……!」
シェーディに抱きしめられたエクレアとミクリは、幸福そうな表情を浮かべている。
戦々恐々とするアイシスをよそに、俺とぺこは肩を並べて、目の前のカオスをただただ眺めていた。