勇者ルカは、大いなる選択を下した。
女神の手を取り、箱庭計画を受け入れるのか。それとも、邪神の側に立ち、世界合一計画を遂行するのか。
幾度となく葛藤を繰り返した末、ルカは一緒に旅をしてきたアリスの手を取った。
その瞬間──ルカの進むべき道は決まった。それは、邪神の陣営に身を置くという、覚悟の選択でもあった。
決別した天使たちの追撃を振り切り、ルカ一行はついに邪神の支配する魔界へとたどり着く。
邪神城を作戦の拠点と定め、そこから天界への反攻作戦を開始した。
熾烈な戦いの果てに、ルカたちはいくつもの村や街を次々と制圧。
さらに、『妖星兵器デミウルゴス』の完成によって、邪神側は強大な戦力と、時空の壁を越える力を手にした。
数々の強敵を打ち倒し、ついに特異点世界の魔王城の奪還に成功する。
その戦いの中で、四天王の一人、たまもの救出も果たされた。
そのあと、敵対していた七大天使の一人、ラファエラがまさかの和議交渉を提案。
新たな局面を迎えたルカ一行は、次の目的地をサン・イリアに定めた。
出発までの時を、ルカたちはまだ馴染みの少ない、魔界の魔族たちとの交流にあてようとしていたのだが──。
「ちょっと! 話を聞かせなさいよ~! この性悪狐~!」
「ええいっ、花粉を振りまいて走ってくるでないわ~!」
──その日、邪神城に激震が走っていた。
邪神アリスフィーズが創り出した原初の六妖魔“六祖”。
その一人、植物族の華音が、城中をドタドタと駆け回っていた。
追いかけられているのは、小柄な少女の姿をした狐。
救出されたばかりの特異点世界のたまもである。
邪神城の警備を担当する魔族たちは、呆然とその光景を見守るばかりだった。
「早く早く! そっちの世界の蛭蟲の彼氏がどんな奴なのか知りたいの~!」
「とんでもない騒ぎになっておるな……」
「アリス……内緒にしておいたほうが良かったかな?」
「遅かれ早かれ、露見していただろうからな。こうして、先に話した方がまだマシ……だったのか? 分からんな……」
こうなってしまった原因は、他でもない――ルカの仲間たちである。
旅の初期から共に歩んできたスライムのライムや、元盗賊団の魔物たちが、とある魔物を見かけた瞬間、目を輝かせて『ぺこさんだ!』と喜んで駆け寄っていったのだ。
突然のことに、とある魔物は困惑した。
見知らぬ魔物に囲まれる彼女は必死に事情を聞き出そうとし、仲間たちもそれに応じて説明を始めたのだが――話が進むうちに尾ひれが付き、いつの間にか“特異点世界にいる自分には恋人がいる”という話にまで膨らんでしまった。
その恋人の名はヴェーク。
行方不明となった冒険家であり、今も消息は知れない。
その話を耳にした華音は、好奇心を抑えきれず、さらに詳細を知ろうと奔走する。
結果として、一番事情に通じていそうな四天王のたまもが、追いかけ回される羽目になった――というわけである。
もう一人、事情を知っていそうな四天王――魔剣士のグランベリアは、この場にいない。
彼女は七大天使の一角、“ウリエラ”との死闘を制したものの、瀕死の重傷を負ってしまった。その代償は大きく、峠は超えたものの、今も意識のないまま病床に伏している。
「のわあ~! 振り回すでない~! 離すのじゃ~!! ウチは干される稲穂ではないのじゃぞ~!!」
おおよそ十分にも及んだ逃走劇は、ついに幕を下ろした。
華音のツルが四方八方から伸び、たまもを見事に雁字搦めに捕らえたのだ。小さなたまもの体が、ぶらんぶらんと情けなく宙に吊られる。
華音は満面の笑みを浮かべ、たまもをずるずると邪神城の奥へと引きずっていった。
・・・・・
たまもは頑丈な椅子に縛り付けられ、ぐるりと多くの魔物たちに取り囲まれていた。
床には、逃走を防ぐための拘束魔法陣が複雑に刻まれており、淡い紫光を放っている。部屋の隅では、ルカとアリスが腕を組み、完全に野次馬気分でその光景を見守っていた。
「さあさあ! 全部吐いちゃいなさいよ! あの蛭蟲に男が出来たなんて聞いたら、黙ってられないでしょ! ねえ、どんな奴なの!? 名前は!? 外見は!?」
「もがっ、もががー!」
「馬鹿者。口枷を嵌めたまま喋れるわけなかろう」
テンションが最高潮の華音に冷静な指摘を入れたのは、六祖の一人である沙蛇。
彼女は二代目魔王にして、己こそ六祖筆頭・最強であると豪語する存在である。
「あっ、それもそうね! はい、これでオッケー!」
華音が指を鳴らすと、口枷にしていた植物のツルがふっと消えた。
「ぺっ! ぺっ! 檻から出されたかと思えば、今度は拘束されて尋問とは……! 沙蛇! お主まで悪ノリするでないわ!」
「ふむ、我とて気になる話ではあるからな。これも立派な情報収集の一環よ」
「屁理屈を言いおってからに……! ならば――魅凪! お主はどう思うのじゃ!」
たまもが助けを求めるように視線を向けた先、椅子に腰かけた妖艶な魔族が一人。
六祖、魅凪──。淫魔の祖であり、“バビロンの大淫婦”と呼ばれた伝説の淫魔。そんな彼女も、どこか浮ついた様子で軽やかな笑みを浮かべていた。
「気になるものは気になる。それだけの話よ……」
「むむむ……! ならば、魔界のウチ──は駄目じゃのう。ウチが一番に知りたがるに決まっておるからな……」
「くくく……。お互い、腹の色は知り尽くしておるからのう」
たまもが成長したような姿の妖狐が、扇子で口元を隠しながら艶やかに嗤う。
それもそのはず、彼女の名は玉藻。六祖の一人にして、特異点世界のたまもと同一存在である。互いの一挙一動が読めてしまうのも当然のことだった。
「おい、さっさと話せ。特異点世界の我が、のうのうと外を歩き、挙句の果てには恋人を作っているだと? 冗談もほどほどにしろ」
「……これがあれほど丸くなるとはのう。まったく、世界は何が起こるか分からんわい」
「何を一人で感傷に浸っている……。我の胃の中で聞いてもいいのだぞ?」
「や、やめぬかっ! ウチの可愛い顔が伸びる~!」
見た目は普通な少女がたまもの頬を両手で挟み、グニグニと捏ねくり回す。
彼女こそ──蛭蟲。六祖の一人であり、特異点世界で“ぺこ”と呼ばれる魔物と同一人物である。
「たまも、余も詳しく聞きたいのだが? 今まではこうして話を聞く時間がなかったからな」
「ま、魔王様まで……」
「それに……まあ、聞きたいのは余だけではないからな」
アリスはそう言って、とある方向に目を向ける。
そこには、半透明の粘体の体を持つ魔物がチラチラと様子を窺っていた。
六祖でありスライムの始祖──禍撫である。
自分の種族を尊び、同族以外に興味がないと言われている魔物である。だが、そんな彼女も気にしていないような顔をしていたが、耳が明らかにこちらへ傾いていた。
さらに、その背後から重々しい気配が漂う。
「……邪神様まで!?」
「仕方あるまい。我とて興味がある。――なにせ、義理の息子になるかもしれぬ男の話だからな」
「陛下……それはあくまで特異点世界の“別の我”に関することです」
「うむ、承知しておる。だがそれでも、興味を抱くのは当然であろう?」
その場に立つだけで空気を震わせるような威圧感。
邪神アリスフィーズ――六祖の生みの親にして、魔界を統べる初代魔王。その絶対的な存在が、どこか浮き立った声音で語った。
ルカとアリスは、静かに視線を交わす。
わざわざ言葉にするまでもない。
邪神様まで乗り気になっているこの状況で、たまもを助けるのは不可能であると──。
・・・・・
ルカとアリスが静観を決めた直後、たまもは深々と嘆息し、肩をすくめて口を開いた。
「まず、誤解が生まれぬように一つ断っておくがの……。まだ“付き合っておる”わけではないのじゃ。ぺこ──つまり特異点世界の蛭蟲が、一方的に好意を寄せておるだけじゃからな」
「なっ、なに!? 我が一方的だと……!?」
「そうじゃとも! そうじゃとも! 見ておるこっちがむず痒くなるような、乙女丸出しの態度を取っておったわ! 青春真っ盛りの、うぶな娘のようにのう!」
「ば、馬鹿な……そんな……」
蛭蟲はたまもの言葉を聞き、明らかに狼狽していた。
他の六祖と邪神様の間に──どよめきが走る。警備をする傍ら、耳を伸ばす一般の魔物たちも固唾を飲んでいた。
その反応を楽しむように、たまもはニヤリと笑みを浮かべ、さらに畳みかける。
「口を開けば、あやつの話ばかりじゃ。“一緒に出かけたのが楽しかった”だの、“手料理が美味しかった”だの……! 挙句の果てにはのう――男から贈られた“手作りの花冠”を見せびらかしてきたのじゃ!」
その言葉が放たれた瞬間、邪神城全体が大きくどよめいた。
「なっ、ななな……! 特異点世界の我がそんなことを……!?」
「ひゅー! ひゅー! すっごいじゃないの蛭蟲! 食欲以外に興味なかったあんたが、恋愛に首ったけだなんてねぇ!」
「そちらの蛭蟲は成長を遂げた、というわけか。それにしても……くくっ、何ともいじらしい話ではないか」
「信じがたい……! 我が愚妹がそのような境遇にあるとは、天地がひっくり返るわ!」
「まやかしの類ではないのか? お主はウチであるとは言え、到底信じられぬ話よのう……」
「嘘なわけなかろう! 伝えておるこっちの顔が赤くなりそうじゃ!」
蛭蟲は耳まで真っ赤に染め、視線を床に落とした。
その様子を見た六祖たちは、面白がるように口々に騒ぎ立てる。部屋の温度がぐんぐん上がるような喧騒の中、たまもは満面の笑みを浮かべていた。
どうやら、誰かに話すのが心底楽しくてたまらないらしい。
「どこまで進んだか聞いてみればのう──“おんぶされた~”だの、“手を繋いだ~”だの! あのご自慢の欲望まみれの態度はどこへ行ったのやら! そんなことを言う始末じゃ!」
「なんと! そのように奥ゆかしい娘へと変わっておるとはな! くくっ……淫魔の祖として、男と女の駆け引きは何度も見てきたが、そこまで純情な娘など滅多におらぬぞ!」
「どこの誰なのかしらね~♪ まさか、私たち姉妹の中に紛れ込んでたりして~?」
「くくく……なんとも可愛げのある子娘よのう。ウチは嫌いではないぞ……」
「ば、馬鹿な……! 我が妹がそのような乙女の真似をするなど……!」
「うがあああぁぁぁっ!!」
顔を真っ赤にしたまま、蛭蟲は絶叫した。
だが、そんな彼女の怒号も、六祖たちの笑い声にかき消されていった。
蛭蟲はすぐさま文句を言って暴れたそうな様子だったが、それはしなかった。
否、正確には“出来なかった”と言ったほうがいいだろう。
いつの間にかルカとアリスの近くに来ていた邪神様が、心底楽しげに蛭蟲の様子を静かに見つめていたのだ。
「ここまで姉妹仲良くしているのを、果たしていつぶりに見ただろうか……。良いものを見れたわ」
「邪神様……」
「……蛭蟲が変われるのなら、あの子も変われたのかもしれぬな……」
邪神様はポツリと言葉を漏らした。
ルカとアリスには、“あの子”が誰を指すのか分からなかった。だが、あまり追求すべきではない――そう直感的に理解できた。
・・・・・
話を聞くだけでは我慢できなくなったのか、邪神様は六祖たちの輪に入ってきた。
「たまもよ。その男──ヴェークとはどのような人物なのだ? 断片的に聞く限り、悪い男ではなさそうだが」
「へ、陛下まで……。別の我の話はもう良いではありませんか……」
話題は自然と、たまもが知る特異点世界の蛭蟲の相手──ヴェークへと移った。
たまもから視線が外れ、この場で彼を最もよく知る人物に注目が集まる。
「えっと、僕が答えられる範囲の質問なら……」
「早く話しなさいよ~! どんな男!? かっこいいの!? 蛭蟲はなんで好きになったか分かる!?」
「容姿は……普通、ですかね。背は大きくて、体は鍛えていました。近所ではよく手伝いをしてくれる、優しい人だと評判だったかな」
「お前、結構ズバズバと物を言うのだな……」
「……ふむ」
「我は礼を尽くす人間は嫌いではないぞ」
「……む~、何だか平凡ってカンジね。私の趣味じゃないかも。もっと、セレブリティ溢れる男が良いわね~。毎日パーティしたり、ショッピングとかしたいし~」
ルカはヴェークとのエピソードを語り始めた。
宿に泊まりに来てくれたこと、料理を教えてくれたこと。イリアスヴィルに来るたび、ルカの母の墓に手を合わせ、供え物をしてくれたこと。話をよく聞き、適切な助言や支援をしてくれたこと。
「稼いだお金は、ほとんど食費に当ててるって言ってたんですけど……今思えば、冗談じゃなかったんですね」
「そうであろうな。よく食べる、我が愛娘のために尽くしておるようだ」
「……蛭蟲の無辺際たる胃袋を掴み、さらに満たすことに成功したというわけか。封印の影響で小柄で少食気味になっているとはいえ、並大抵のことではないのう」
六祖全員が唸るように頷く。
それは蛭蟲自身も同様だったようで、腕を組んで黙考していた。邪神様は微笑んで聞いていたが、ふと思い立ったように口を開いた。
「一度会ってみたいのだが……未だにどこにいるのか分からぬのだろう?」
「仲間の一人が別世界にいると言っていましたが、場所の特定はできなかったみたいです」
「うーむ、天界に行った可能性が高いが……蛭蟲が大人しく連れて行かれるとは思えんのう。話を聞く限り、力の同盟とやらは癖の強そうな魔物ばかり。そういった連中は騒動を起こして回るものよ。すぐに話題になりそうじゃが」
「あんたに命令よ! そっちの蛭蟲と男が居たら必ずここに連れてくること! 絶対よ!」
「愚妹がお世話になっているお礼をせねばな」
「くくっ、そちらの蛭蟲をからかうのも一興か……」
「別の自分とはいえ、それは哀れだ……やめてやれ……」
辟易した蛭蟲がポツリと呟くも、六祖たちと邪神様は全く聞く耳を持たない。
こうして、どこかの世界にいるらしいヴェークさんは、知らぬ間に超越者たちの注目を浴びてしまった。
ルカは少しだけ申し訳なさを感じつつ、楽しげな会話を見守るのだった。