突然始まったポージング大会のせいで、話は中断された。
俺とぺこは、途中で声をかけてその場を離れることにした。盛り上がりすぎていたあの空気の中で、俺の声がちゃんと届いていたかどうかは怪しかったが。
「……」
珍しく、ぺこはどこか落ち着かない様子だった。
イリアスシェルターの無機質な通路を、二人並んで歩く。
靴音だけが響く中、お互いがどう切り出すべきかを探って、妙な沈黙が続いた。
気を遣って黙っていたが、このままでは何も変わらない。俺はそう思って、思い切って口を開く。
「記憶、どれくらい前に戻ってたんだ?」
「玉藻と会って……しばらくだな。さっき話にも出ていたが、あれは我と同じ六祖。顔を見ていたら、心が妙にざわついてな。そのあと、お前の友人の植物族を見ていたら……ふっと、思い出したのだ」
「プリエステスか? 華音って子は、あいつに似てたのか?」
「いや、全然似ておらん。華音は無邪気で幼稚――プリエステスとは真逆の存在だ。ただ、同じ“グリーン”だったからな」
そう言って、ぺこはふと立ち止まり、通路脇の部屋を覗き込む。
俺もつられて視線を向けると、室内では、ちょこに似た金髪の天使が、楽しげに野菜を収穫していた。
「正直に言う。我は……怖かった。自分が受け入れられるのか。アイシスの先祖が記した通り、我は“ヤバイ奴”なのだ。……まあ、それだけで片づけられるような存在ではなかったのだが」
「俺だって、隠してたことはある。言いたくないなら、無理して言わなくてもいいと思うぞ」
「……ヴェーク。お前は、いつだって迷える我を導いてくれるな」
「俺は羊飼いじゃないけど、迷える子羊を保護するくらいならできるさ」
そう言って、俺はベンチに腰を下ろした。
ぺこは少し離れた壁に背を預け、静かに目を閉じる。沈黙が落ち着いた空気を満たし、やがて、その中からぽつりぽつりと言葉がこぼれ始めた。
ぺこ──蛭蟲と言う魔物について。
「……以前の我は残忍で、欲望のままにすべてを喰らっていた。天使も、人間も……同族もな。当時はそれで良いと思っていた。孤独よりも、空腹の方が勝っていた。……ふん、今の我から見れば、あのころの自分は哀れで仕方ない」
ぺこは、静かに過去を語り続けた。
自分と他の六祖のこと、そして自らを生み出した邪神のこと。尽きることの無い食欲に振り回されていたこと。自分の種族が分からず、自身の由来がどこから来たのかも知らぬまま、ただ存在のルーツを探し続けていたことを。
「邪神様は我を可愛がってくれたが……我の遺伝子がどこから来たのか、その由来だけは、ついぞ明かしてはくれなかった。孤独に苛まれた時期もあったが――今は違う。ヴェーク、お前は我を理解し、受け入れてくれた」
「俺は、少しでも役に立てたかな?」
「ドアホめ。十分すぎるほど助けられている。あのお気楽で能天気な“力の同盟”の連中にもな」
そう言って、ぺこは俺の兜をそっと撫でた。
俺は嬉しくなって思わず微笑んだ。ぺこの心が癒える手助けが出来たのであれば、それはとても喜ばしいことだった。
「これからも、ぺこって呼んでいいのか? それとも蛭蟲の方が良いか?」
「ぺこで良い。ぺこは……我が名字に使わせてほしい。そうだな、ヒルコ・ペコ……とでもしよう」
「分かった。改めてよろしくな、ぺこ」
「ああ。これからも──我と共に在ってくれ」
俺はその言葉にうなずき、ぺこの手を取った。
互いの手が重なり、言葉よりも確かな絆を伝えていた。
・・・・・
イリアスシェルターを出て、俺たちは街の様子を見ることにした。
幸いなことに、この世界でも俺たちの世界の通貨――ゴールドが流通していた。
そのおかげで、買い物や食事には困らない。俺たちは露店で焼きたてのパンと、脂の乗った豚の串焼きを買い、中央広場の噴水横にあるベンチ腰を下ろした。
「もぐもぐ……」
「……んー、俺が知ってるのとは、装丁が違うな。でも、それだけか……?」
俺の手には、一冊の本が握られていた。
俺が作者である、ワールドウォーカーの第一巻。雑貨屋の棚で見つけ、調査のために購入したのだ。
ペラペラとページをめくると、内容は間違いなく俺の書いたものと同じだった。
巻末の作者紹介もウォークとなっているし、修正や加筆の跡もない。だが──出版社の名前だけが、見覚えのないものに変わっていた。
「“ブラディ出版”って……。あいつ、俺の本を無断で出してるのか」
「訴えるか? もっとも、この世界では司法より私刑のほうが優先されるだろうが」
「だろうな。……この場合、法律ってどうなるんだ? 並行世界にも著作権って適用範囲に入るのか?」
「知らん。アイシス辺りに聞けば分かるのではないか?」
「まあ、今は置いとこう。それより、やっぱりブラディが問題の元っぽいな」
そう言って本を鞄にしまい、俺も串焼きの豚肉に齧り付く。
香ばしい脂が舌の上でとろけ、想像していた以上にうまい。どうやらこの街の豚はサツマイモを餌にして育てられているらしく、肉にほんのりとした甘みがあった。――アイシスには、きっと内緒にしておくべきだろう。
俺はぺこと山盛りの料理を置き、ひとり街の聞き取り調査に向かった。
目的は二つ。
ワールドウォーカーの知名度と関連した話を確かめることと、ブラディについての情報を集めること。
道行く魔物や天使に声をかけ、軽く世間話を交えながら情報を拾っていった。
まず、ワールドウォーカーについて。
どうやら、この世界でもかなり普及しているらしい。理由は定かではないが、少し前にブラディの配下が世界各地に本をばらまいて回ったのだという。
そのため、イリアスヴィルの外でも名前は知られているようだ。
ただし、本の内容は“フィクション”として扱われている。まあ、それも当然だろう。自分たちの暮らす世界とはまるで異なる風景が描かれているのだから。
この情報に加え、北の方に進めば進むほど、環境が荒廃していることも聞いた。
そして、肝心のブラディ。
彼女は、最強の竜と呼ばれているらしく、魔王を超えた覇者を自称しているらしい。もっとも、偉大なる盟主やら邪王やら、気分でコロコロと二つ名を変えているらしく、曖昧に覚えられているようだったが。
ヘルゴンド大陸を根城にしているらしく、ほとんどそこから出てこないそうだ。
ときおり、ヴィジョンと呼ばれる魔術を使い、巨大な自らの幻影を映して演説を行ったりしているらしい。支配欲が強く、領土拡大のために各地の勢力と衝突を繰り返しているらしい。
俺は集めた情報を簡潔にぺこへ伝えた。
「もぐもぐ……やはり、ブラディが原因か」
「ああ。俺たちの世界にも一度来てるし、目をつける機会はあった。あいつなら、別の世界を支配したい――そう考えてもおかしくない」
「ふん。この世界ですら手に余らせておるのに、大層な野望だな。だが、我が力を発揮すれば、あのドラゴンなど──」
ぺこの言葉が途中で途切れた。
空が、不意に陰ったのだ。
・・・・・
『ワーッハッハッハ!! 哀れなイリアスヴィルの民よ!! 我だ! 偉大なる竜の王、ブラディである!!』
「噂をすれば、だな。……ん?」
「我は何を見せられているのだ?」
腹の底から楽しげな笑い声を上げながら、巨大な幻影が現れる。
それは俺が以前、死闘の末に追い返すことに成功したブラディ──だったのだが、その幻影は明らかに様子がおかしかった。
「……尻ではないか」
「尻だな……」
上空を覆い尽くすように、巨大な尻が広がっていた。
えらく食い込んだレオタードがイリアスヴィルの上空を覆い尽くしている。ブラディは自らの尻を映し出し、高笑いをしていた。
どうやら、ヴィジョンを出す位置を間違えたらしい。
本来なら街の外に出して全身を映すところを、街の中心部に出したせいで――イリアスヴィルの空を、ブラディの尻が独占していた。
『ワーッハッハッハ──ん? なぜ山しか見えないのだ……? ──ま、まさか!?』
ブラディのヴィジョンが慌てた様子で、下を向いた。
どうやら、彼女にはこちらの光景も見えているらしい。俺はぺこの手を取り、建物の影に隠れた。彼女に今、俺がここに居ることが露見するのは、あまり良いことでなさそうだ。
数秒間、沈黙。
そして、ブラディの巨体がぷるぷると震え始めた。
『ま、またなのか!? 見るな! 我の臀部を見るでない!!』
「お尻の魔王様ー!! こんにちはー♪」
『おお、その声はうさか。こんにちは! ──ではない!! おい、クロム! またヴィジョンの位置がおかしくなっておるぞ! どうなっているのだ!?』
ブラディが怒った様子で、どこかに向かって叫ぶ。
姿は聞こえないが、どうやら近くに部下が居るらしく、別の方向に向かって文句を言っている。騒ぎを聞きつけた街の住人たちが外に出てきて、空を指さしながら口々にやじを飛ばしている。
「へへ、今日もいい尻だな! ブラディさんよぉ!」
「ぶひひ……! グレッタ先輩に負けず劣らずの美尻ですね!」
『セクハラだぞ! 品の欠片も無いオーク共が!! クーロームー!! メンテナンスをしておけと言っただろう! また怠けておったな! 風呂にも入らず、何をしておったのだ!?』
「あー……相変わらず元気そうだな」
ブラディの怒鳴り声が続いたかと思うと、ヴィジョンにノイズが走った。
数秒後、映像はぷつりと切れて、街の外に再出現する。肩を上下させて深呼吸するブラディの顔には、明らかな安堵の色が浮かんでいた。
「お前の宿敵の姿か……? これが……」
「まあ、うん。ちょっとアレだけど、めっちゃ強いんだ。相手が弱ってたのに、対峙したときは、死を覚悟したからな……」
ぺこは何とも言えない顔でヴィジョンを見上げる。
『んっんっ……。ワーッハッハッハ!! 哀れなイリアスヴィルの民よ!! 我だ! 偉大なる竜の王、ブラディである!!』
さっきまでの混乱などなかったかのように、ブラディは胸を張り、高らかに笑い声を上げる。
ポジティブなのは良いことだ──俺はそう思いながら、彼女を見守った。
・・・・・
『我の慈悲のもと、修羅の世界でつつましく暮らす民よ! 聞け! 我は決断した! お前たちの困苦な生活ぶりに業を煮やし──この手で救済を行うことにしたのだ!』
空に響く声が、誇らしげに街中を震わせた。
ブラディは胸を張り、高らかに宣言する。
『そして今日は、この本に関わる話がある! そう──我が誇りをかけて売り出している傑作、ワールドウォーカー!!』
ブラディは手に本を持ち、堂々と掲げる。
俺は急に自分の本が出されたことに驚き、目を丸くしてしまう。
『お前たちは、これをただのおとぎ話だと思っているだろう──だが、違う!! この本に書かれていることは、概ね真実なのだ!!』
誇らしげに宣言するブラディ。
ブラディは翼を大きく広げ、俺の本について語りだした。彼女はこの本は異世界で発売されていたものだと言い、ほとんどがノンフィクションであると語った。
俺は眉を顰める。
どうやらブラディは俺の本を使って何かを企んでいるようだ。
『我は思った。この世界は……すでに、限界を迎えつつあると!! 地は裂け、海は黒く濁り、天は朽ち果てた……! ──もはや、絶望的な状況であるのは明白だ!!』
その声は、どこか哀れみを帯びていた。
ブラディはゆっくりと視線を落とし、ヴィジョン越しにイリアスヴィルの街並みを見下ろす。街のあちこちで、住民が足を止め、ざわめきながら空を見上げていた。
『ならば、より良き地へと歩み出すべきではないか──! この朽ちゆく世界にしがみつくのではなく、我と共に“安寧の大地”へ! 異世界への門は、いま、開かれようとしているのだ!!』
ブラディの翼がさらに大きく広がり、背後から差す光がその輪郭を縁取った。
その姿は、まるで滅びゆく世界に降り立つ“救世主”のようだった。
「……そういうことか」
俺たちの世界がなぜ危機に瀕しようとしているのかが、理解した。
『さあ、我の手を取るがいい! ──そうしていないのは、もはやお前たちだけなのだから!!』
その宣言とともに、ブラディの隣に新たなヴィジョンが展開された。
『我々は同盟を結んだ! そして、異世界へと侵攻する!! まず紹介しよう──植物族の導き手たる、慈愛の聖百合……ガブリエラ!』
『ふふふっ、どうぞよしなに……』
緑がかった羽根をゆるやかに広げ、植物のように柔らかく揺れる天使。
穏やかな笑みを浮かべてはいたが、その瞳の奥には冷たく濁った光が宿っていた。
──ウリエラが言っていた、残りの七大天使の一人。
それは彼女に間違いない。
『続いて──黄色の衣の姉妹団を率いるもの、虫族の魔勇者、瑠渦!』
『えっ。も、もう映ってるの? あ、あー……こんにちはー?』
無数の白い羽をきらめき、虫魔の女性が慌てて手を振る。
腰には鋭い剣、背には黄色のマント。その仕草はどこか愛嬌があるが、歴戦の兵のような気配が滲んでいた。俺はその顔にどこか見覚えがあったものの、誰なのか思い出せなかった。
『そして最後に──恐れおののくがいい。──無尽大帝アスカノミコトである!!』
『……』
艷やかな黒髪を背に流し、長耳のエルフが静かに立つ。
目を閉じ、ただ沈黙を保ったまま──だがその一挙一動に圧倒的な威圧感があった。
腰には一本の刀。身体を包むのは、ゆったりとしたヤマタイの和服。
その存在感は、ブラディにすら引けを取らなかった。
「あす☆みこだ……」
「なんだ、知り合いか」
「SNSのな。……俺の知ってる飛鳥命とは、まったく雰囲気が違うな……」
俺は、平行世界の友人の変わりように息を呑んだ。
あす☆みこ──本名、飛鳥命。
俺が水晶ネットワークで知り合ったエルフだ。
エルフの里に生まれた姫でありながら、極度の人見知りで、ほとんど外に出ない引きこもり。
俺とは言葉を交わすだけの関係で、実際に姿を見たことはない。ただ、彼女自身が描いたデフォルメ調の似顔絵をSNSのアイコンにしているので、ふんわりとした容姿の雰囲気だけは知っていた。
ブラディは再び高笑いをして、話を続けた。
『イリアス大陸以外の有力者は、すでに我の作戦に賛同し、同志となった! 残りは、お前たちのみだ!! ──ウリエラよ!! 我に従え!』
イリアスヴィルの住民はざわめき始める。
アスカノミコトに怯える魔物の声や、ガブリエラに怨嗟の声を上げる天使の声も聞こえてきた。
街の空気が張り詰め、緊張感が漂っている。
ブラディは口角を吊り上げ、心底楽しげに、狂気を滲ませたような表情を浮かべている。
『一週間、待つ!! それまでに我らに合流せよ!! さもなくば、容赦はせんぞ! お前たちが拒否したなら──この街を滅ぼす! よく考え、選択せよ! ワーッハッハッハ!!』
ブラディはそう宣言し、高笑いと共にヴィジョンは消えていった。
「……大変なことになったな。だが、敵は見えたぞ」
「ああ、そうだな。問題が単純になったようで何よりだ。のんびり食べてる場合じゃないな。ぺこ、行こう」
「そうだな」
俺たちの世界に迫る危機が、こうして判明した。
竜の王ブラディを中心とした軍勢による侵略──。ここで、俺たちが止めることが出来なければ、並行世界間での大戦争が起きる。
そうならないように阻止しなければならない。
俺とぺこは信頼する仲間の下へと、急いで戻るのだった。