宣戦布告を受けてから、一週間。
力の同盟の面々はイリアスヴィルを駆け回り、手の届く限りの仕事を片っ端から手伝っていた。
俺が任された主な仕事といえば、迷いの森での薬草採取だった。
冒険家になる前、この森で薬草を摘んでは街で売り、小銭を稼いでいた時期がある。そのおかげで、どんな地形のどのあたりにどんな草が自生しているか、おおよその見当はついていた。
とはいえ、並行世界では細かな違いも多く、少しばかり手こずる場面もあった。
見慣れた草が別の場所に生えていたり、形がわずかに違っていたり――そんな些細な差異が、たしかに“別の世界”なのだと実感させる。それでも、大半の薬草は以前と同じように採取できたのだから、上等な結果と言っていいだろう。
そのほかにも、イリアスシェルター内の備蓄整理を任された。
食糧が詰まった袋にひたすら時魔法をかけ、保存状態を維持する地味な作業だが、こういう積み重ねが後々の命綱になる。
俺たちはそれぞれの持ち場で活躍できたが、中でもシェーディの働きは群を抜いていた。
住民が避難するためのイリアスシェルター拡張工事では、まさに要となる働きを見せ、その姿に多くの視線が集まっていた。
「…………」
「おー、こりゃ凄い」
ブンブンと尻尾を振りながら、シェーディは包丁を振り下ろした。
刃先が岩盤に触れるたび、乾いた音とともに火花が散る。ここは、掘削用マキナや大量の爆薬、さらには強力な魔法を用いても数日を要するほどの難所だと言われていた。
だが――シェーディの包丁はまるで岩を粘土のように削り取っていく。
硬質な壁が形を失い、あっという間に空洞が広がっていくのを、俺と他の作業員は感心しながら見ているしかなかった。
一時間も経たないうちに、掘削は完了していた。
シェーディは何事もなかったように包丁をホルダーにしまい、尻尾をひと振り。そのまま、次の掘削現場へと軽やかに歩いていった。
「おお、すごいのです! タツノコが百名集まっても歯が立たなかった岩盤が、いとも簡単に……!」
「落盤に注意するのです!」
「ハイ! ワカッタノデス!」
「タツノコ陸軍、バンザーイ!」
掘り出された岩塊を、無数のタツノコ陸兵たちが外へと運び出していく。
これらはイリアスヴィルの城壁強化や、防衛戦で使われる土のうの素材として再利用されるらしい。
「シェーディ、疲れてないか?」
「…………」
タツコノ陸兵たちが破壊できなかった大岩を破壊し終えた俺は、シェーディに声をかけた。
すると、彼女は黄色い作業ヘルメットのつばを指でクイッと押し上げ、誇らしげに親指を立てる。
――どうやら、まだまだ体力は有り余っているようだ。
「明日は休みになる予定だけど、あんまり頑張りすぎないようにな?」
「…………!」
ムフンと鼻息を鳴らし、シェーディは尻尾をブンと振る。
そして再び包丁を構えると、岩盤をガリガリと削り始めた。硬い音が坑道に響き、砕けた岩片が再び地面を転がっていく。
俺は別の仲間の様子を見に行くことにした。
・・・・・
次にやってきたのは、中央広場だった。
魔術師のローブに身を包んだ一団が、地面に敷かれた大きな絨毯の上で紙符に筆を走らせている。
筆先が描くのは複雑な文字と記号。
書き上げられた符は次々と別の魔物や天使の手に渡され、魔力を吹き込まれると淡い光を帯びていく。
今作られているのは、街の建物を守るための護符だ。
建物の壁に貼り付ければ結界が展開され、外からの攻撃を防ぐことができる。大規模な攻撃に対しては、魔術師が対応するそうで、この符は保険のようなものだ。
「ヨシ……! これは駄目……! ヨシ……!」
ミクリが忙しそうに、完成した符の出来を確認していた。
この護符にはヤマタイ村で使われる陰陽術の技術が応用されており、その専門知識を持つミクリが監督役を務めている。
「ミクリ、なにか手伝えることはないか?」
「大丈夫……。これで一区切りだから……」
ミクリは符の束をまとめると、ほっと息を吐き、肩の力を抜いた。
立ち上がってパタパタとこちらに駆け寄ってくる。俺はなんとなく、労うようにミクリの頭を撫でた。
「あっ……」
「今日もお疲れ様」
「う、うん……。すごく頑張ったから、少しは安心だね……」
「ああ。これで一安心だ」
子供扱いされたことに頬をふくらませるかと思ったが、意外にもそうではなかった。
いつもなら手を振り払って噛みついてくるのに、今日はおとなしく受け入れている。なんだが、新鮮な気持ちだ。
短いやりとりのあと、ミクリはふと視線を落とし、表情を曇らせる。
「……ねぇ、ヴェーク……。この戦い、勝てると思ってる……?」
「……」
ミクリは不安を隠せないまま、まっすぐに俺の目を見つめてくる。
勝てると断言したい。しかし、軽い希望の言葉だけでは、彼女の不安を本当には拭えないだろう。それでも、迷いを見せるわけにはいかなかった。
「俺たちは一人じゃない。心強い仲間がいる。みんなで力を合わせれば、きっと乗り越えられるさ」
「……逃げたいって、思わない? 多分、イリアスヴィルと修羅同盟は相打ちになる……。私たちが関わらなくても、きっとなんとかなるよ……」
「正直に言えば、俺だって怖いさ。けど、こうして自分たちの場所を守ろうと必死に戦ってる奴らを見てたら――協力したいって、思わないか?」
ミクリはしばらく黙っていた。
やがて、かすかに息を吐き、そっと頷く。そして、珍しいことに、ためらうように一歩近づき、俺の胸に身を預けてきた。驚いたものの、自然と手が動き、ミクリの背をぽんぽんと優しく叩く。
その小さな体の震えが、胸の奥に伝わってきて――俺は、目を閉じた。
「……頑張ろうね……」
「ああ。お互いにな」
ミクリは身体を離すと、少し照れくさそうに微笑んだ。
その笑顔は、ほんの少しだけ大人びて見えた。彼女はぐっと背伸びをして息を整えると、符の山の方へと軽やかに戻っていく。
「……ちょっと背が伸びたな」
わずかに大きくなった背中を見送りながら、俺は息を吐いた。
少しだけミクリの様子を見たあと、次の仲間を探すために歩き出した。
・・・・・
街の一角にある酒場へと足を踏み入れる。
昼間だというのに、店内は賑やかな笑い声と酒の匂いが渦を巻き、まるで夜のような活気に包まれていた。
すぐに、アイシスの姿が目に入った。
カウンター席に腰を下ろし、テーブルの上には空になったジョッキがずらりと並んでいる。
「おらおら~! 仕事は終わったし、今日は呑むぞ~!」
「肉をありったけ持ってこ~い!」
隣では、ウリエラが陽気に笑いながらジョッキを掲げていた。
アイシスの肩に腕を回し、豪快に酒をあおる姿は、見ているこちらまで酔いが移りそうだ。二人ともすでに頬を真っ赤に染め、上機嫌に盛り上がっている。
大きな戦いを前にした、束の間の息抜き。
今日のアイシスは、思いきり遊ぶと決めていたのだ。
俺は少しだけ眉をひそめたが、テーブルの上に並ぶ酒瓶を見て安堵する。
どれも人間用の酒で、魔物用のように喉を焼くほど強烈な代物ではない。これくらいなら、一時間もすれば酔いも抜けるだろう。
ブラディは『一週間待つ』と言ったら本当に待つ魔物だ。
だが、他の連中は分からない。もしかすると、こちらが油断している隙を狙って襲ってくるかもしれないのだ。
とはいえ、今のところ、誰も酔いつぶれて動けなくなるような様子はない。
少しだけ肩の力を抜き、俺は二人の席へと歩み寄り、声をかけた。
「楽しそうだな、二人とも。呑みすぎてないか?」
「分かってて聞いてるだろ! ヴェークさんよぉ!」
「この程度じゃ、呑んだうちに入らねぇよ! お前も俺の酒を呑みやがれ!」
俺が席につくなり、ウリエラが豪快にジョッキを押し付けてきた。
その勢いに押されて、俺は苦笑しながら受け取り、軽く喉を湿らせる程度に口をつける。
「これ、アルハラって言うんだぞ」
「問題ねぇぜ! 力の同盟はちょっとしたアルハラは推奨してるからな! 呑んで食って踊って──今日は楽しく過ごそうぜ!」
アイシスは上機嫌に笑いながら、カウンター奥の小さなステージを指さした。
視線を向けると、エルフが軽快にドラムを叩き、天使や魔物たちがリズムに合わせて陽気に歌っている。その中心でマイクを片手に堂々と立っていたのは――うちのエクレアだった。
「ブラディに塩~♪ 王気取りの悪党~♪ 討ち破った日には~♪ 呑み歌おう~♪」
「それでもこの地は~♪ 俺らのもの~♪ 今こそ取り戻せ~♪ 夢と希望を~♪」
「にんじんだいすき~♪ う~さちゃ~ん♪」
大勢がそれぞれ歌う中、ボムボムと二人で歌いながら、くるくると踊っている。
その隣で歌うボムボムは、少し顔を赤くして目を泳がせていた。どうやら、ステージ慣れはしていないようだ。
「こうやって楽しめるのも、最後かもしれねぇな……」
「おいおいウリエラ! 辛気臭いこと言うじゃねぇよ! お前らしくないぜ?」
「ああ、俺らしく無いな。けどよぉ……なんか、悲しくなってきてな……ウオォォォォン!!」
「うわっ、見事な泣きっぷりだな」
ウリエラは滝のような涙を流し、鼻をすすりながら慟哭する。
その様子に、アイシスは一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐに笑いながら肩を叩いた。
「天使長は泣き上戸ですからね。以前はそんなこと無かったのですが……」
「ホルミエルさん、そうなんですか?」
「さんは必要ありませんよ。天使長は他の七大天使を全員失ってから、お酒が入ると……この調子です」
「……ガブリエラは?」
「……お労しや、天使長」
ホルミエルは俺の横にちょこんと座った。
カウンターの向こうでは、店員が慣れた手つきで次々と料理を仕上げていく。
すきやき、ステーキ、ローストチキン――湯気と香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
ホルミエルは目を輝かせながら、出された皿を次々と平らげていった。
「むふん……今日は最高の日ですね。堕天してしまわないか、少し心配です。あなたもいかがです?」
「いや、俺はもう食べたから……」
「そうですか。では……私はアルコールに挑戦してみましょう。いつもはマスコット性が抜けるとかなんとかで呑ませてもらえませんでしたからね」
そう言うと、ホルミエルは店員にビールを頼んだ。
ジョッキを受け取ると、ぐいっと傾けてごくごくと飲む――が、半分ほどで手が止まり、ぺろっと舌を出して苦笑いを浮かべる。
「やはり、苦くて呑めませんね。お水をもらえますか?」
「お~い! ホルミエル! 俺と一緒に踊ろうぜ~!」
「ヴェークはアタシとな!」
「あっ、おい──」
返事をする間もなく、アイシスが俺の背中を押してステージへと引きずり出した。
店内の喧騒が一段と高まり、拍手と口笛が飛び交う。俺はアイシスに向き直ると、彼女はにんまりと笑って俺の手を取り、軽快なステップを踏み始めた。
「ナナ~、ナナナナナ~♪ ナ~♪ ナ~♪ ナ~♪ イリアスヴィル魂~♪」
「わわわ~い♪ わわわ~い♪」
エクレアの歌声が響く中、俺は楽しげな喧騒に一時身を委ねるのだった。
・・・・・
酒で火照った体を冷ますように、俺は夕暮れのイリアスヴィルを歩いていた。
目指すのは、街外れにある使われなくなった教会だ。
長く放置されたその建物は今や崩れかけ、壁も屋根もほとんど残っていないという。教会へ続く道に人影はなく、風に揺れる木々のざわめきだけが、静かに耳に届く。
やがて教会に近付くと、金属がぶつかり合う音が微かに聞こえてきた。
「遅いぞ、エデン!」
「くっ……!」
音を頼りに進んでいると、崩れた教会の前で対峙する二人が見えた。
ぺことエデンだ。
ぺこは包丁を逆手に構え、獣のような勢いで間合いを詰め、一閃。
エデンは瞬時に槍を振るってその一撃をいなし、地を蹴って後方へ跳んだ。額には汗が浮かび、荒い息を吐いている。
「思っていたより鈍っているな。やはり今からでも、鍬を振る生活に戻ったほうが良いのではないか?」
「──戯言を……!」
「我は事実を述べているまで──」
ぺこの攻撃は止まらない。
むしろ勢いを増していく。エデンは防ぎながら反撃を試みるが、その槍先はことごとく受け流され、次第に体勢を崩していく。
そして――ぺこが足を振り上げた。
蹴りの軌道に気づいたエデンは、とっさに防御の構えを取ろうとする。
だが、間に合わない。重い衝撃が脇腹を打ち抜き、エデンの身体が宙を舞う。そのまま苔むした石畳に叩きつけられ、鈍い音が空気を震わせた。
「ぺこ、やりすぎじゃないか?」
「……白々しい奴め。お前もわかっているだろうに」
俺が声をかけると、ぺこは包丁を布で磨きながら答えた。
地面に転がるエデンは体を起こし、よろよろと立ち上がる。額から血が伝い、頬を染めていた。それでも彼女は、槍を杖代わりにして身を支え、深く息を整える。
「これは、私が望んでやっていることなのですよ、ヴェーク」
「エデン……」
「今の私に必要なのは、錆びついた肉体を動かすこと。それも……全力で」
その瞳には、決意の光が宿っていた。
エデンが視線を落とす先には、美しく修復された槍があった。かつてボロボロだったそれは、ぺこが体内で再構成し、再び銀の輝きを取り戻したのだ。
「ふむ……これは我にも良い運動になる。自分たちの世界では、こうして全力で相手に出来るものなど居なかったからな。――エデン、もう一本、頼めるか?」
エデンは血を拭い、無言で頷いた。
槍を構え直した瞬間、空気が再び張り詰める。地を蹴る音とともに、二人の影が交錯する。
エデンの槍が閃き、ぺこの包丁がそれを弾く。
火花が散るたびに、エデンの瞳は一層鋭くなり、動きが研ぎ澄まされていく。地を蹴り、跳躍。空気を裂くように槍が振り下ろされた。
「くっ……!」
「はああぁぁぁ……!」
槍の切っ先を、ぺこは包丁の腹で受け止める。
衝撃が地面を伝い、石畳がひび割れた。ぺこが捌こうとした瞬間、エデンがぐっと押し込む。
ぺこの足がめり込み、地面が沈む。
勢いを殺しきれず、ぺこは数歩後退した。
「力押しか……! だが、それもまた一手よ……!」
次の瞬間、包丁が弾かれ、くるくると宙を舞った。
俺は一歩退き、落下してきた包丁が、さっきまで自分の足元だった場所に突き刺さるのを見た。視線を戻すと、ぺこの喉元に槍を突きつけるエデンの姿がある。
「存外……やるではないか。その槍、今は何のためにある?」
「残された天使のため。そして、居なくなってしまった家族に――恥じないために」
エデンは息を吐き、槍を引いた。
俺は刺さった包丁を抜き、ぺこへと手渡す。
「今夜は、寝かせんぞ」
「誘っているのですか?」
「ああ、そうだ。また腑抜けてみろ……我の胃の中に放り込んでやる」
エデンは口角を僅かに上げたあと、また槍を構える。
金属がぶつかり合う音が、夕闇の教会跡に響き続けた。
俺は近くの木陰に腰を下ろし、静かに二人の訓練を見守る。
ふと空を仰ぐと、西の空にひときわ明るい星が瞬いていた。
戦の前触れに染まる空の下、その光だけが不思議と穏やかに見える。
――まるで、誰かが遠くから見守っているようだった。