そろそろ、次の冒険の準備をしなければならない。
目指す場所は──ヘルゴンド大陸。俺にとっては命をかけた一世一代の冒険となるはずなのだが……。
「故郷の酒が懐かしくなってきたぜ! いや、あんまり美味しくなかったから、思い出のままにしておきてぇな……」
「ミクリとしては、たまも様にお会いすることは避けたいですね……。村を勝手に飛び出して来たことを怒られるかもしれません……」
「緊張感のかけらもないな……」
俺はソファの上であぐらをかき、ぺこと並んでぼんやりと窓の外を眺めていた。
その背後では、アイシスとミクリが、まるで天気でも話すかのような気軽さで、次の目的地について語り合っている。実際、アイシスにとっては帰省のようなものだし、ミクリにもヘルゴンド大陸に知り合いがいるらしい。
「楽しみですわ~! ワタクシの拳、魔王様に通じますかしら!? もし打ち倒せたら、世界で一番のお姫様を名乗ってもよくってよね~♪」
「それをやったら名乗れるのは“お姫様”じゃなくて……“勇者”だよ」
「エクレア、それはミクリの役目……。勇者忍者の称号は渡さない……」
「だからなんだよ、勇者忍者って。なんで揃いも揃って反逆を試みて──いや、今はそんな話はどうでもいい。みんな聞いてくれ。そろそろ俺は出発しようと思ってるんだ。それで……お前たちはどうするんだ? ついてくるか?」
俺は力の同盟のメンバーに視線を向けながら、そっと問いかける。
彼女たちはついてくるのだろうか? 修行がしたいだけなら、この街に留まっていればいい。定期的に資金も届けられるし、生活に困ることはない。ミクリはさておき、他の三人なら──まあ、そうそう妙な使い方はしないだろう。……おそらく。
アイシスはわずかに肩をすくめ、苦笑しながら首を振った。
「アタシたちは一蓮托生だろ? ついてくに決まってるぜ!」
「旅費は全額負担してくださいね……。それと、三日に一度はミクリを“りらくぜーしょんさろん”と“おしゃれなかふぇ”に連れて行ってください……」
「お前は冒険を舐めてるのか。ぶっ飛ばすぞ」
「いひゃい、いひゃいです……!」
生意気な狐の頬をぐにぐにと引っ張りながら、俺はエクレアの方に視線を向ける。
彼女の反応は意外なものだった。エクレアは腕を組み、じっと考え込むように眉をひそめ、そして小さく首を振った。
「ワタクシも、行きたいですわ。ですが……行けません……」
「どうした? 急にそんな深刻な顔して……理由を聞いても大丈夫か?」
「ワタクシは……その……。──ベッドでないと眠れないのですわ~!!」
「急に繊細なお姫様キャラが出てきたな? ここに来る道中、ずっと宿では泊まれなかっただろ? その時はどうしてたんだ?」
「宿にたどり着くまでの間、不眠不休で走って泳いでましたの~!!」
「えぇ……」
あまりにも脳筋すぎる解決法だった。
エクレアは地面にゴロゴロ転がり、嫌だ嫌だと全身でアピールしている。お姫様の振る舞いじゃないだろ、とツッコミを入れつつも、俺はどうしたものかと頭を悩ませていた。
実際のところ、睡眠は冒険において重要な要素だ。
ベッドの問題はさておき、野営でまともに眠れず疲労が蓄積すれば――いずれ必ず、どこかで問題が起こるだろう。エクレアは旅についていきたいようだし、なんとかしなくて。
「ふん、しょうがないな。我も残って、このしょうもないスライムの面倒を見てやろう。感謝するがよい」
「一番の問題児をここに置いてくわけないだろ。お前は強制参加だ、強制」
「そんなー。我のような、か弱い乙女が旅をするなど……」
「か弱い要素どこだよ。一番サバイバル耐性あるじゃん。何でも食えるし」
ぺこのうるさい抗議を適当に受け流しながら、俺は黙って思考を巡らせた。
・・・・・
「青い空に……広い海……! これこそ、冒険ってやつですわねっ! この素晴らしい砂浜も、ワタクシが世界で一番のお姫様になった暁には、リゾートとして“開発”してあげませんと!」
「悪徳政治家みたいなこと言ってんなぁ……。俺は反対だな。むやみに自然を傷つけるのはよくないし、ここに住む魔物たちにも迷惑がかかるだろ?」
「うーん……そうですわね。なら、土地の利権だけでも……」
「あらゆる角度から搾り取ろうとするな」
エクレアは砂浜に大の字で転がりながら、どこまでも続く青空を見上げて叫んでいた。
その隣では、水着姿のアイシスとミクリが仲良く砂遊びに興じている。
髪の毛も肌も真っ白な小さいミクリに、褐色肌に燃えるような赤髪の大きいアイシス。
対照的な二人は、大胆な水着に身を包んでいる。ただ、アイシスの水着は普段着とあまり変わらない気もするが。
……それにしても、二人が作っている砂の城、妙に完成度が高い。
モチーフがあるのだろうか? まさかとは思うが──魔王城がモデルじゃないだろうな。もしそうなら、完全にネタバレだ。やめてほしい。
「ずぞぞぞぞぞぞっ……」
「ぺこ、海水を飲むのはやめろ。……ちょっと引き潮になってないか?」
俺は全員を引き連れ、レムズ海岸と呼ばれる場所に来ていた。
イリアスヴィル近くの迷いの森を抜けた場所にある、隠れ家的なビーチだ。砂浜は白く透き通り、波は穏やかで非常に美しい。
ここに来た目的は、野営の練習と泳ぎの訓練をするためだ。
聞いた話では、最近は嵐の影響で海がたびたび荒れているらしく、イリアス大陸とセントラ大陸を結ぶ連絡船の運航も不安定になっているという。航海士や漁師たちも、そのたびに対応に追われ、かなり苦労しているそうだ。今回の訓練は、船から放り出されて海に落ちた場合を想定したものだ。
練習せずに遊んでいるのは、全員が泳ぎに問題がなかったからだ。
エクレアはスライムなので息継ぎが不要だし、ぺこもなぜか息継ぎを必要としない。アイシスはよく泳いで大陸間を移動していたというし、ミクリに関しては水面を走り回れる。左足が沈む前に右足を出し、右足が沈む前に左足を出し続ける……といった具合だ。俺も試してみたが、百歩ほどで沈んでしまった。
なんと、泳ぎの練習が必要なのは──俺ひとりだけだった。
「ぜぇー、ぜぇー……よし、なんとかクロールで沖まで泳いで、二百回は往復できるようになったな……」
「ワタクシとしましては、ヴェークが一番怖いですわ。どうして全身鎧でそんなに泳げるんですの……?」
海に飛び込み、体の一部を浮き輪のように膨らませて、ぷかぷかと浮かぶエクレア。
その顔には、『心底不思議です』と書いてあるかのようだった。
「そりゃ練習したから……。海でもこれ着とかないと襲われるだろ。魔物に」
「えぇ……」
「最近、アタシはお前が一番怖いと思うときが結構あるぜ?」
漆黒の全身鎧──俺の旅には欠かせない装備だ。
これのおかげで、倒れても魔物娘たちに服を脱がされ、しっぽりと襲われずに済んでいる。重さは百キロ以上あるが、慣れた今となってはそれほど不便はない。イリアスベルクの鍛冶屋のおっさん、渾身の作品だ。
「人間は脆弱なんだ。これくらいできるようにならないと、旅はできないんだよ。──あのクラゲ娘、こっちに来てるな。──■■■■■■■■!!!」
「ひええ……。魔物が人間の咆哮だけで逃げてった……」
「こんなのを人間と思うわけがなかろう。我も初めてヴェークと出会ったとき、同族だと思って近づいたわ」
沖合からやってきた魔物に警告の雄叫びを上げると、彼女は回れ右をして逃げていった。
大半の魔物はこれで怖がって逃げてくれるので助かる。……ただし、例外に出会った場合は面倒なことになる。いわゆる武芸者タイプの魔物が多く、体が闘争を求めて襲いかかってくる。たいていの場合、そういう奴は強いので全力で迎え撃つしかない。力の同盟のメンバーはほぼ全員、このタイプだ。
「おお! 純粋な闇パワーが鎧から溢れて、黒い靄みたいになってるぜ! アタシの必殺技をぶつけないと破れないレベルだ」
「ウギギ、マジカ……ワガ、ヨロイヲ……ヤブルコトガ、デキルノカ……セカイハ、ヒロイナ……」
「おい、ヴェーク。とっとと人間に戻れ。そろそろバーベキューを始めるぞ。我は働いてお腹が減った」
「オオオオオッ、オマエは、カイスイをタダ飲んデいた、だけダロう……! ……ふう、久しぶりに着たせいか、なかなか暑かったな。よし、そろそろ夕食の準備をしようか」
「ワタクシ、ヴェークのことが分からなくなってきましたわ……」
「ミクリも……」
俺は兜を外すと、食料を入れた袋を取りに向かった。
・・・・・
夜──昼間に海へ潜って集めた食材を並べ、俺は焚き火の周囲に皆を座らせた。
ぺこは森に生えていた竹の枝を串代わりに使い、その先端に魚や貝などを次々と刺していく。その手つきは手慣れており、ささっと効率よく準備を進めていた。
俺は食材の下処理をしながら、ぺこの様子を監視する。
五回串に刺すごとに、一回は自分の口へ運ばれている。まぁ……許容範囲だろう。
アイシスとミクリは近くの小川へ水を汲みに行っている。
エクレアは火の番をしながら、焚き火の周りでくるくる踊っていた。どういう情緒なのか、さっぱり分からない。俺は魚をさばきながら苦笑しつつ、黙々と夕食の支度を続けた。
「……連れが多い旅も、案外悪くないかもしれないな」
「ほお? 我が合流して二人で旅したときは、いつも嫌そうな顔をしていたぞ?」
「いや、あれは嫌だったんじゃなくて、常に腹が減ってげっそりしてただけだ……。あのときは、一人旅用の携帯食と最低限の荷物しか持ってなかったからなぁ」
星が輝く夜空の下、焚火がパチパチと音を立ててはじける。
暖かな光が辺りを照らし出し、同時に心の奥底にある安堵感もそっと温めているかのようだった。遠くからは微かに虫の声が響き、波のざわめきと混じり合って耳に届く。静寂が支配する夜の中で、その微かな音色は心地よく感じられた。
「オッホホホホ~♪ オッホホホホ~♪ 世界で~♪ 一番のプリンセス~♪ 世界は~♪ ワタクシのものですわぁ~♪」
「せっかくの雰囲気が全部台無しだよ。まったく……」
「ははは、そうだな。おっ、二人が帰って来たぞ。早く飯にありつこう」
ミクリとアイシスが水を満たした皮袋を持って帰ってきた。
二人が戻ったことで、再び騒がしさが戻る。だが、これも悪くない。いつもよりワイルドな夕餉を囲みながら、俺たちはそれぞれの話を交えつつ、楽しいひとときを過ごした。
・・・・・
さて、最後の問題がまだ残っている。
エクレアがベッドでないと寝れない問題だ。これに関しては、慣れてもらうしか方法はないように思えたが、俺には一つだけ別の考えがあった。
「エクレア、これを使えば眠れるんじゃないか?」
夕食を終え、焚き火の前でくつろぐエクレアの前に、俺はそっとある物を広げた。
「これは……寝袋ですわね。あまり見たことのないタイプですけど……」
「テントの中で敷いてみて、試しに入ってみてくれ」
「う~ん……わかりましたわ……。──あら? この感覚は……」
テントの中から、エクレアの嬉しそうな声が聞こえてきた。
俺が用意したのは寝袋だ。──ただし、普通の寝袋ではない。
「サザーランドのベッドに似ていますわ~!」
以前、エクレアがサザーランドで壊してしまったベッドと寝具を買い取り、それらを材料に俺が手作業で仕立てた特製品なのだ。
解体したベッドは折り畳み式の骨組みとして生まれ変わり、寝具も布地として再利用。さらに、その内部にはハーピーの羽毛を詰め込んで、極上の寝心地を目指した。おまけに魔法で強度も高めており、耐久力はかなりのものだ。制作にはかなり手間がかかったが、その甲斐あってか、エクレアは快適そうに寝袋の中で体を揺らしていた。
「これなら大丈夫ですわっ! ヴェークに感謝ですわ~!」
「良かった。じゃあ、そろそろ寝る時間だから、みんなも寝支度をしてくれ」
「むぅぅぅぅぅん……!! ミクリもほしい……! あの特製寝袋、ずるい……!」
「材料がなくて寝袋は無理だったけど、代わりに枕は作っておいたぞ」
「許します……♪」
「ちょろいな」
野営の練習は大成功に終わった。
・・・・・
──そして翌朝、新たな問題が発生していた。
熟睡したエクレアの寝相が、想像を超えて壊滅的に悪かったのだ。
朝一番に目を覚ました俺がテントの外へ出ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
沖にぷかぷかと浮かぶ、小さな島が誕生していたのである。
昨夜、エクレアは寝袋に包まり、満足そうに眠りについていた。
だがそのあと、テント内でゴロゴロと転げ回り、ついには寝袋ごとテントの外へ転がり出てしまったらしい。そのまま勢いを失わず、砂浜を転がり続け、最終的には寝たまま海へと漕ぎ出していったようだ。
火を避けて水に落ちるとはこのことか。
回収した寝袋を乾かしながら、俺は朝焼けの空を見上げ、この世の理不尽さを静かに嘆いた。