進め! 我らは力の同盟!   作:クラウス道化

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閑話 小さな女神と謎の本

 どこか神聖な雰囲気をまとった少女が、ある街の宿の一室で悩んでいた。

彼女の名はイリアス。どこにでもいない、ごく一般的な“自称女神”である。世にあふれる神を名乗る存在と彼女が違う点があるとすれば、本物の女神であることだ。少なくとも、イリアス自身はそう固く信じて疑っていない。

 

「むむむ……このような本、見たことも聞いたこともありません……」

 

 手にしていた分厚い本を開き、イリアスはじっと中身を見つめた。

表紙には、『ワールドウォーカー』と書かれている。そのタイトルを目にした瞬間、彼女は首をかしげた。

 

 女神として、人が作り出したものの大半は把握しているつもりだった。

だが、この本に関しては、イリアスの中にまったく情報がなかったのだ。

 

「ウォーク……ひねりの欠片もない偽名ですね。もう少しマシな名前にできなかったのでしょうか。これが私の教えより人気だなんて……ぐ、ぐぬぬ……!」

 

 イリアスは頬をふくらませながら、中身を読み進めていく。

自らが編んだありがた〜い聖典よりも、今の民衆はこの本に夢中らしい。そんな噂を耳にし、こうして自ら調査に乗り出したのだ。

 

「悔しい、悔しいですが……そこそこ面白い……。それに、今の私にも、必要な知識になりそうで……くぅ……」

 

 その内容は、きわめてシンプルだった。

冒険家である主人公が様々な場所に訪れ、そこで出会った者たちと関係を築きながら、旅を続けていくというものだ。

 

 物書きとしては素人だ、とイリアスは分析した。

第一巻はややレポート風味が強く、キャラクターの描写が薄い。だが徐々に小説らしさを帯びていき、二巻、三巻あたりになると人気を得るために必要なものが少しずつ揃っていく。

 

 イリアスは今、とある事情により深刻な弱体化状態にあった。

誰が仕掛けたかは分からないが──『六祖大縛呪』と呼ばれる強力な封印術によって、神としての本来の力を大幅に制限されているのだ。この封印を打ち破り、かつての力と地位を取り戻すために、イリアスは現在、二人の忠実なお供を伴って各地を巡る旅を続けている。

 

 脆弱な今の身体では、大陸を移動するだけでも神経をすり減らす消耗の連続だった。

だが、この一冊の書物には、そんなイリアスにとって実に有益な情報が数多く詰まっていた。旅の足がかりとなる生の情報、土地の風習、歴史──そうした断片が、確かにここには記されていたのだ。

 

 イリアスの記憶にある歴史と、現実とのあいだには、あまりにも大きな乖離があった。

かつて人の敵と己が定めた魔物たちが、今では人間の街を何食わぬ顔で歩き回っている。そして、信仰の中心であったイリアス教の威光は、見る影もなく地に落ちていた。それはまるで、世界そのものがすっかり作り替えられてしまったかのようだった。

 

「イリアス様、食堂が開いたよ~♪」

 

「はあ、やっとですか。女神である私を待たせるとは……。もし私を満足させることができなければ、裁きの雷ですね」

 

 スライムのぷるこ──イリアスが勝手にプルエルと呼んでいるスライム娘が、パタパタと部屋に入ってきた。

イリアスは手にしていた本を鞄にしまおうとしたが、プルエルが目を輝かせながらその本をじっと見つめていることに気づいた。

 

「どうしました?」

 

「わぁ~♪ この本、近所のお兄さんがよく持ってきてた本だよ! 裏山のみんなで回し読みしてたんだぁ~!」

 

「ふむ、魔物の間でもなかなか人気のようですね。ま、まあ、私のことを信仰する魔物もいますし? 人気なら負けていませんね?」

 

 イリアスは胸を張り、得意げな表情を浮かべていた。

だが──その内心では、自分の知らないところで誰かが注目を集めていることに、ほんの少しだけ悔しさを感じていた。

 

 ・・・・・ 

 

 宿の一階にある食堂で、旅のお供と肩を並べながら夕食をとる。

ニコニコと食べるプルエルに、同じくお供である犬娘のわんこ──イヌエルが、口元についた汚れを舐めていた。

 

 イリアスは、イヌエルの口元についた汚れをハンカチでそっと拭ってやると、フォークに刺した野菜をゆっくりと自分の口へ運んだ。

プルエルの可愛らしさは言うまでもなく、イヌエルの無邪気な愛らしさもまた、自然と心を和ませてくれる。もぐもぐと食べるたびに、嬉しそうに尻尾を振る姿があまりにも微笑ましくて、思わずイリアスの口元に笑みがこぼれた。

 

「そういえば、裏山に本を持ってきていたお兄さんとは誰なのですか?」

 

「イリアスベルクのヴェークさん! よくお手伝いに来てたんだ! 冒険が大好きで、あたしとイリアス様が冒険に出る少し前に、ヴェークさんもお供を連れて旅に出たんだよ~!」

 

「……」

 

 イリアスは食事の手を止め、代わりに今聞いた名前をゆっくりと口の中で転がした。

ヴェーク……この時代において、その名を持つ者は何人か存在するはずだ。だが、イリアスベルクに住まう者の中に、その名を持つ人物はいない。少なくとも、イリアスの記憶にはまったくなかった。

 

 本の著者として記されていた名前は──ウォーク。

覆面作家であり、その正体や素性は一切、公にされていない。イリアスの胸にひとつの疑念が芽生える。この冒険好きのヴェークという人物こそが、作家の正体なのではないか、と。

 

 考えれば考えるほど、その確信は揺るぎないものへと変わっていった。

自分がこの本の存在を知らなかったのも当然だ──そもそも、神として記憶にない人物が書いたものなのだから。そう考えれば、すべての辻褄が合う。“ウォーク”というペンネームも、おそらくは深い意味などなく、自身の名前をそのままもじっただけなのだろう。

 

「ついていったお供はどういった方々でした?」

 

「お姫様のエクレアちゃんに、お菓子をくれるアイシスさん! 楽しい遊びを教えてくれるミクリちゃん! 何でも食べちゃうぺこちゃんもいたよ~♪」

 

 聞いてみると、なんともバラバラな種族と個性の集まりだった。

スライムに淫魔、狐に人間。中には、自分が何の魔物か分からない者もいる。

 

 イリアスは最後に紹介された、記憶喪失のぺこという魔物が特に気になった。

彼女のことについて詳しく話を聞くうちに、次第に嫌な情報ばかりが集まってくる。胸の奥に冷たいものが積もっていくのを感じながらも、イリアスはあくまで平静を装い、口元の笑みを崩さなかった。

 

「わふぅ……イリアス様、食べないの……?」

 

「──ああ、少し考え事に夢中になってしまいました。美味しいですね、ここのサラダは。裁きの雷は勘弁してあげましょう」

 

 イリアスはそう呟くと、目の前の食事に口をつけ、ぱくぱくと食べ始めた。

 

 ・・・・・ 

 

「『俺は君の愛しい人ではない! 愛の呪いを払わなければ!』そう言うと、ウォークは指輪を持って溶岩鉱窟へと飛び込んだ──」

 

「わぁ~、ウォーク! 頑張れ~♪」

 

「イリアス様、すっごく上手♪」

 

 イリアスの読み上げる声が、静かな宿屋の一室に心地よく響き渡っていた。

食後、プルエルとイヌエルが本をめぐって奪い合いになりかけたため、イリアスが仲裁に入り、その場を収めた。そして最終的には、両者の不満を抑える形で、イリアス自らが朗読することになったのだった。

 

 最初は、内心かなり渋っていた。

女神としてのプライドがある以上、自分の著作よりも人気を集めている本をわざわざ朗読するなど、到底納得のいくものではなかった。

 

 だが同時に、それは自らも内容を確認するにはまたとない好機でもある。

イリアスは不満を飲み込み、理性で割り切ることにしたのだった。

 

「ドラゴン娘は、悲痛な叫びを上げながら探し回る。だがウォークはすでに──」

 

 イリアスは一拍置いて、静かに本を閉じた。

 

「……もう遅い時間ですね。続きは、また今度にしましょうか」

 

「わふん……♪」

 

「はぁ~い♪」

 

「ふふ。二人とも、とってもいい子ですね。さあ、明日も旅がありますから早く寝ましょうね……」

 

 イリアスは二人の頭を撫で、ベッドに寝かしつけた。

そして部屋のランプを消すと、自らも隣のベッドに入る。部屋が暗くなると、静寂が部屋を包み込んだ。静かで、気持ちの良い夜だった。

 

 イリアスはこの様になった当初、自分がこうなるとは思っていなかった。

魔物は淘汰すべき存在であり、人は女神を畏敬の念を持って崇めるべきだと考えていた。しかし、地に足をつけて旅を始めてから、その考えは少しずつ変わっていた。

 

 プルエルとイヌエルも当初、穢らわしい魔物と認識していたが、今ではそんな思いは欠片もない。

むしろこの小さな二人と共に居るのが楽しくて仕方がない。まるで家族のようで心が温まるのだ。

 

 人々は自分()を失っても──何も変わらなかった。

人を生み出した自分が率先して率先して船頭となり、世界を正しい方向へと導くべきだと信じていた。それが自分の使命だと信じて。

 

 だが実際には人は思った以上に逞しかった。

女神の導きが無ければ生きていけないと思っていたが、むしろ自分が居た時の方が窮屈だったのかもしれないと、そう感じるのだ。

 

 イリアスは寝返りを打つと、すぐに別のことへ思考を切り替えた。

プルエルから聞いた、謎の魔物──ぺこについてだ。

 

「もしも、あなたが私のように変わったとしたら? ……いえ、彼女のことですから、封印が解かれたら──」

 

 毛布の中で、ぎゅっと手を握り締めた。

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