なんとか体を回復させたあと、俺たちはイリアスヴィルへと帰還。
街中では魔物と天使たちが歓声を上げ、力の同盟とウリエラの帰還を祝福してくれた。
中央広場に向かうと、檻の中の住民が増えていた。
見覚えのないサキュバス、真っ黒な全身鎧に身を包んだ巨体の兵士、酒臭い妖狐に、落ち着きなく跳ね回るバニースライム。
「うっぷ……。は、吐きそう……」
「うわーん!! ブラディさまが負けちゃったー!」
「わ、儂は弁護士が来るまでは喋らぬぞ!」
「困ったことになった……」
どうやら、ブラディの部下たちのようだ。
白天狐から借りた無線で聞いた声と同じなので、間違いないだろう。俺は縄でグルグル巻きにしたブラディも中に放り込んだ。
「ぐべえ! もっと優しく扱え!!」
「おお、ブラディ様……」
「ブラディさま、怪我してる……」
「もふゆが、唾つけてあげ──オロロロロ!!」
「ひええええ!! 出してくれー!! 出してくれー!!」
「ブラディ、少し離れろ……」
なんとも言いようのない、混沌とした状況だ。
だが──ともかく、これで俺たちはイリアスヴィルを襲っていた脅威を払い、自分たちの暮らす世界を揺るがす危機を取り除くことに成功したのだ。
振り向くと、ウリエラが屋根の上に立っており、両手を掲げて大声を上げた。
「見ての通り、ブラディは降伏した!! ──この戦争、俺たちの勝利だ!!」
ウリエラがそう宣言すると、イリアスヴィル全体が揺れるような歓声が沸き起こった。
魔物も天使も関係なく、皆が抱き合い、肩を組み、喜び合っている。俺はその光景を眺めながら、心の中でホッと息をついた。
「──旦那様」
声に振り向くと、白天狐が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「姫君が入っていた石棺を、船から無事に回収いたしました。すでにこちらへ運んであります」
「そうか……」
ついに娘との対面が出来る。
そう思うと、何だか緊張してきた。
「な、なんだか緊張してきたな。我の服装、変な部分はないか?」
「季節に合ってませんわ~!」
「プレゼントを持ってないと、ガッカリされるかもね……」
「だから、我はサンタではないと……!」
ぺこは頬を膨らませながら、エクレアとミクリの頭を触手でペシペシとはたいた。
どうやらぺこを緊張しているらしく、ソワソワと落ち着かない様子だ。
俺たちは白天狐の案内を受けて、石棺が置いてある場所に向かった。
・・・・・
着いた場所は、よくお世話になっている酒場だった。
クローズの看板が掛けられており、店を閉めているらしい。俺はドアを開け、酒場の中に入る。
「よく帰ってきたな! ブラディ相手に勝つとは、大したもんだ!」
入った途端、上機嫌な店主がカウンター越しに声を張り上げた。
普段は賑やかな店内だが、テーブルや椅子はすべて壁際に寄せられ、空いた中央には真っ白な石棺が据えられている。その存在感は重く、まるで場の空気まで静かにさせるようだった。
「本当にギリギリでしたけどね。それよりも、店に運んで良かったんですか?」
「どうせ広場で大騒ぎだし、客なんざ来ねぇよ! それにな──俺も気になってたんだ。噂の姫君がどんな奴なのか……!」
「野次馬ではないか……。まあいい。我らは店主に世話になったからな」
ぺこはあっさりと店主が見ることを許可した。
俺は一度深呼吸し、鎧を外して身軽になる。
「では、開けましょう……」
白天狐が石棺にそっと手を添え、指先で複雑な文様を描くように動かした。
淡い光が走り、すぐに、プシューッという空気の抜ける音とともに、石棺と蓋の隙間から白い煙がふわりと噴き出した。
やがて煙が消えたころ、石棺の蓋がゆっくりと浮き上がっていた。
白天狐は慎重な手つきでそれを横へとスライドさせる。
「……」
中に横たわっていたのは──ぺこの面影を色濃く残した少女だった。
寝息を立てており、とても安らかな表情だ。
少女の手には──見覚えのある、青い花冠が握りしめられていた。
俺はそっと指で頬を撫でる。
すると、少女は薄く目を開いた。ぺことは違う瞳──俺と同じ色の瞳が、こちらを見据える。
「まさか──父上ですか?」
「……初めまして、だな。俺はヴェーク。冒険家で……君の父親だ」
そっと手を伸ばし、ヴェペリアの頭に触れる。
すると彼女は、花が綻ぶようにニコリと微笑んだ。
その笑顔は、ぺこの面影と俺の面影がきれいに溶け合った、まぎれもない“娘”の笑顔だった。
・・・・・
「もぐもぐもぐ……」
「もぐもぐもぐ……」
「は、はは……。ヴェペリアは、本当に……よく食べるなあ……」
「ヴェークの顔が青白くなってますわ~!!」
「これからは、財布がもっと大変そうだな! アタシも応援するから、頑張れよ~!」
初めての対面を終え、俺たちはヴェペリアと交流を深めることにした。
イリアスヴィルを救ってくれたお礼として、店主さんの厚意で酒場は貸し切りにしてもらっている。テーブルの上には色とりどりの料理がずらりと並び、ヴェペリアとぺこは次々と手を伸ばし、楽しそうに口に運んでいた。
「ずっと眠っていたものですから、お腹が減りました。母上、そちらのローストビーフを頂いても?」
「ああ、おかわりもいいぞ!」
「あー、うん。そうだな。どんどん食べていいぞ……」
「感謝します。母上、父上。もぐもぐもぐ……」
「食べる口が増えた……」
「…………」
ヴェペリアはぺこに似て──よく食べる。
気づけば、テーブルの上に積まれていたご馳走の山が、ゆっくりではなく、氷が太陽に融けるみたいな速度で消えていった。俺は立ち眩みのような感覚に襲われて、思わずよろめく。
娘に会えた喜びで胸がいっぱいのはずなのに、それとは別のところで頭をよぎる現実的な問題。
幸せと食費に対する不安が、同時に胃のあたりをぐるぐると回っていた。
「しっかし、ヴェペリアは行儀がいいな!」
「むう~。ワタクシが色々レクチャーしようと思いましたのに……」
「陽絹さんと白天狐さんが礼儀作法を教えてくださいましたから……」
食事をしながら、ヴェペリアはゆっくりとこれまでのことを語ってくれた。
剣の扱いが得意で、食べることが大好き。それに加えて、農作業にも興味があり、畑仕事は趣味らしい。
外見はぺこによく似ているが、性格はどちらかというと俺に近い。
初めて見るものには目を輝かせ、気になったことはすぐに質問する──そんな好奇心旺盛な一面がある。
ただ、その好奇心がときどき暴走するらしい。
無茶をしては陽絹や白天狐にこっぴどく叱られていたようだ。
そんなふうに楽しげに語るヴェペリアを眺めていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
──この子が、俺とぺこの娘なのだと思うと、自然と頬がゆるんだ。
・・・・・
「そういえば……ブラディはどこに居るのですか?」
「あー、それはだな──」
俺は今までの事情を説明した。
全てを聞き終えると、ヴェペリアは小さく息を吐き、沈んだ声でつぶやく。
「そうですか……。では、我々は負けてしまったのですね」
「そうなるな。……ブラディとは仲が良かったのか?」
「そうですね。一緒にお風呂に入ったり、読書会をしたりしていました」
その口調は落ち着いているが、どこか寂しさをにじませている。
ぺこが立ち上がり、鼻息を荒くして声を出す。
「……娘の友達が苦しむなど、断じて許せぬ! 我が今から牢を壊して助けに行く!」
「そんなことしたら、イリアスヴィルから裏切ったって思われるぞ!」
ぺこの腕を慌ててつかまえ、なんとか暴走を止める。
「父上……。ブラディは外に出せないのでしょうか?」
「……難しいだろうな。戦争を仕掛けた張本人だし。正直、牢屋に入れただけでも温情で──」
「店主よ! 我に酒を持って来い! 今日は浴びるほど呑むぞ!!」
勢いよく酒場の扉が開き、風を巻き込むようにブラディが飛び込んできた。
その後ろには、彼女の部下たちがずらりと整列している。どう見ても捕らわれの身とは思えない堂々たる登場だ。
「速攻で脱獄してんじゃねえか!」
「おお! 熱く気高き拳とハートを持つサキュバスではないか! どうだ、我の傘下に入り、力の限りを尽くして──」
「おい! 早速問題を起こそうとしてんじゃねえ!」
その更に後ろから、ウリエラが額に青筋を浮かべながら姿を現した。
どうやら、脱獄したわけではなさそうだ。
「ウリエラ、どうしてブラディが外に?」
「えーっと……なんだっけ。メフィストが“司法取引”かなんかをさせて、社会的な奉仕活動をさせて罪を償わせるんだってさ」
「その通りだ! イリアスヴィル発展のため、我が手腕を余すことなく発揮することとなったのだ! 我は心の底からこの街に服従し、やる気はメラメラだ!」
「まあ……イリアスヴィルで決めたことなら、俺たちがどうこう言うことじゃないけど……」
「うむ! ……ところで、次のイリアスヴィルの代表を決める選挙はいつだ?」
ブラディは両手を腰に当て、眩しいほどの自信に満ちた仁王立ちを披露した。
「選挙なんてねえぞ。俺が決定して、全部決めてるからな」
「なんだと!? ──この独裁者を打ち倒し、イリアスヴィルに真の平和をもたらすぞ!! 我に続け! ヴェーク!」
「頭に響くから……少し静かにして……」
「ブラディさま、ばんざーい!!」
ウリエラは面倒臭そうな表情を浮かべ、ブラディたちを遠い目で見た。
「俺だってこいつらを自由にしたくねえけどよ……」
「今から一ヶ月後──我がもう一人のライバル! 妖王ベリアルが襲来するのだ!」
「……妖王?」
「…………」
ブラディは胸を大きくそらし、勝ち誇ったように語り始めた。
どうやら以前、彼女は“自分と同じように別世界を渡り歩く存在”と遭遇したことがあるらしい。
その名は──ベリアル。
ブラディと同じく異界から来た魔王であり、規格外に強力な存在だという。
「奴の目的は我と同じ──異なる世界を支配すること! だがな、間抜けにもこの世界へ移動する際に膨大な魔力を消費し、弱体化しておった。そこで! 我が鎧袖一触で追い返してやったのだ! ワーハッハッハ!!」
「なんか……どこかで聞いたような話だな……」
「まあ、そのベリアルってヤツにも対応するためにも、こいつも戦力にしようって話になってな。今回の侵略で怪我人しか出てねえし、俺もまあイイかなって思ってよ」
ウリエラは嫌そうな顔をしつつも、決定には納得しているようだった。
ヴェペリアはブラディを見ると、ニコリと微笑んだ。
「ブラディ。お勤めご苦労さまでした」
「おお、ヴェペリアではないか!! 何やら、上機嫌な顔をしているな!」
「父上と母上に会えましたからね」
そう言って、ヴェペリアは俺とぺこの間に立つ。
気づけば俺は、するりと手を伸ばして彼女の頭を撫でていた。
ぺこも同じことをしたいようなのだが──娘の方が背が高いせいで届かない。
結果、ぺこは触手を一本伸ばしてぽふぽふと撫でている。
その様子を目の当たりにしたブラディは、目をこすり、まじまじとヴェペリアを見返した。
「父上……? ヴェークが?」
「ええ。異なる世界の父と母ですが、私の両親であることには違いありません」
「な、ななな、なんだと!? これは奇妙な縁もあるものよ!! まさか、我が友人の父親がライバルだったとは!」
「まあ、そういうことだ」
呆然とするブラディに、俺はゆっくりとヴェペリアの肩へ手を置いた。
・・・・・
ブラディが隣のテーブルで馬鹿騒ぎしているのを横目に、俺はヴェペリアへ声をかけた。
「そういえば、ヴェペリアは何かやりたいことはないのか?」
「やりたいこと……ですか」
ヴェペリアは小さく首を傾げ、天井を見るように視線を上げて、しばらく考え込む。
「農業は……また今度にして、父上の本のように、冒険がしてみたいです」
「……ヴェペリアを連れて、冒険に繰り出そうではないか!」
「そうだな。せっかくだし、この世界をゆっくり回ってみるのも悪くない」
ヴェペリアは俺の提案を聞くと、頬を綻ばせた。
「力の同盟の仲間が増えて、アタシはすっげぇ嬉しいぜ!!」
「歓迎いたしますわ~!! まずは上下関係を教え込みますわ~!」
「歓迎のトランプゲームをしよう……。レートは優しくしてあげる……」
「…………」
力の同盟の仲間たちも、快くヴェペリアを迎えてくれた。
せっかくだ。
帰り道をのんびり寄り道しながら、この世界をもっと見て回ろう。まだ、俺たちの知らない景色や出会いが、きっとたくさん残っているのだから。
ぺこが手を叩き、場の視線を一身に集めて声を上げた。
「それでは、我らの新たな仲間を祝して──乾杯といこうではないか!」
号令に合わせ、全員がジョッキを手に取り、勢いよく高々と掲げる。
笑顔も、照れくさそうな顔も、無言のままの顔も──そのどれもが、同じ歓喜の色を宿していた。
力の同盟はまだまだ続いていく。
たとえ世界が違おうと、種族が違おうと、共に冒険をして積み重ねた時間が、確かに俺たちの心を結びつけているのだ。
ヴェペリアと出会ってから、気がつけば半年以上が経っていた。
修羅世界での冒険はとても刺激的で……いや、正直に言えば 刺激が多すぎた。
まずは、地下で巨大な帝国を築き上げていたラ・モードお姫様帝国。
そして、絶対的な姫君として君臨していた“この世界のエクレア”と、“うちのエクレア”による、謎の緊張感をはらんだダンス勝負。
ブラディと肩を並べて挑んだ、妖王ベリアルとの死闘。
さらに、イリアスヴィルの再開発に関わり、気づけばカジノ王兼不動産王として名を馳せてしまったミクリ。
恋愛のもつれで刺され、しばらく入院していたアイシス。
プロメスティンに自分を増やされかけて、本気で震えていたシェーディ。
宇宙人らしき存在に拉致されかけた俺。
あらゆる土地を平坦にして農地へ変えようとするヴェペリアとぺこを、必死で止める羽目になったこともある。
とにかく、濃密すぎる日々を過ごしてきた。
そんな俺は、久しぶりに戻ってきたイリアスヴィルの宿で、机に向かい、原稿用紙を広げていた。修羅世界での出来事を記録に残すためだ。
「んー……『ガブリエルの一日三十六時間労働により世界は豊かになり、本人も功績が認められて鼻高々に──』……ここ、さすがに省いてもいいか」
窓の外を見れば、イリアスヴィルは以前よりさらに発展し、活気があふれている。
通りを行き交うのは魔物や天使だけではなく、人間の姿も珍しくなくなった。
俺たちが旅の中で結んできた、数多の勢力間の和平条約。
その積み重ねが、確かに世界を少しずつ平和へと導いているのだと実感する。
それに、荒れ果てていた大地が回復しつつあるのも大きい。
様々な魔物や天使の知恵と技術が集まって作られた、超巨大飛行農耕機── “ガブリエラ・ふわふわ号”。あれが空をゆっくりと横切っていくたびに、踏みつけられた自然が息を吹き返し、緑が広がっていく。
まるで世界が、ようやく深呼吸を始めたかのようだった。
「父上。原稿は捗っていますか?」
声の方へ振り向くと、ヴェペリアが扉を静かに開けて入ってきたところだった。
彼女は机に近づき、そっと手を置いて、俺が執筆している原稿を覗き込む。
「書きたいことが多すぎてな……むしろ困ってるところだよ」
「それは良いことですよ。ですが──父上。そろそろ出発のお時間です」
言われて時計を見ると、思っていた以上に針が進んでいて、俺は小さく息をついた。
「おっと……悪い。そうか、もうそんな時間か。じゃあ──帰るとするか」
今日はついに、俺たちの世界に戻る日だ。
まだまだ修羅世界のすべてを見て回れたわけではないが、一度区切りをつけるのも悪くない。それに、ヴェペリアが居ればこちらの世界にすぐ戻れる。
俺は原稿用紙を片付け、ヴェペリアと並んで宿屋をあとにした。
外へ出ると、力の同盟の仲間たちがすでに集まって待っていてくれた。
「遅いぞ、ヴェーク」
「久しぶりにサキちゃんに会えますわ~! お土産、ちゃんと持ちましたの?」
「ん~、アタシは久しぶりにイリアスベルクでゆっくりしてえかなあ~。いや、温泉も悪くねえか……?」
「むうぅぅぅん……! カジノから離れたくない……!」
「…………」
こちらの世界でできた新しい知り合いたちには、一度帰宅することを事前に伝えてある。
お見送りを兼ねた宴会も、一昨日に盛大にやったばかりだ。
「じゃあ、俺たちの世界に戻るか!」
こうして、俺たちの長かった並行世界での冒険は、一度ピリオドを打つことになった。
・・・・・
南の大穴を降りてゆくと、力の同盟は世界を隔てる扉を開いた。
転移の魔法陣を抜けた先は、相変わらず混沌が渦巻く異空間だ。
以前は胸がざわつくばかりだったが、ここがシェーディの故郷だと思うと、不思議と足はすくまなかった。
シェーディに命令され、俺たちは一列になり、周囲に警戒しつつ混沌を歩く。
「それにしても、この空間は本当に不思議だな。いつか探索してみたいもんだ」
「正気か? ……まあ、原住民が仲間にいるからな。可能ではあるのかもしれんが」
「シェーディの娘に会いたいですわ~!」
「きっと可愛いよ……」
「…………!」
シェーディはそっと尻尾を揺らして、エクレアの言葉に応える。
その動きは、彼女が照れているときによく見せる仕草だ。言葉こそ通じないが、長く一緒に旅をしてきたおかげで、尻尾の揺れ方や表情の変化だけで、何を伝えたいのか不思議と分かるようになってきた。
「もう次の冒険の話かよ! いや、次の次の話になるのか? やっと魔王城に行くんだもんな!」
「そちらの世界の魔王城は、どのような──」
ヴェペリアの言葉が終わるより早く、先頭を歩いていたシェーディがぴたりと足を止めた。
尻尾が大きく跳ね、パタパタと警戒するように振られ、そしてピンと上へ伸びる。
「…………!!」
ただ事ではないと、全員の動きが自然と止まる。
混沌の空気がわずかにざわつき、どこか遠くで何かが軋むような音がした。
「地面、揺れていませんか?」
エクレアが足元を見つめながらつぶやく。
俺もそっと手を地面に触れさせると、確かに微かな振動が伝わってきた。何かが近づいてくるかのような震えだ。
「こんなとこで地震? そもそも、浮いてんのか流れてんのかも分かんねー場所だぞ?」
「しかし、エクレアの言う通りだ。……我の触手センサーも揺れを感知している」
「ミクリの尻尾センサーも、そうだそうだと言ってる……」
俺たちが怪訝に思っていると──揺れが少しずつ大きくなってきた。
「…………!!!」
「わわわ、一体何事ですの~!!」
「ち、父上……! ここは早く離れたほうが良さそうです!」
「そうだな! 一旦、転移の魔法陣に──」
戻るべきだと判断した俺は振り返る。
だがその瞬間──。
俺たちが通ってきた、真っ白な金属で作られた一本道が、奥からバキバキと凄まじい音を立てて崩れ落ちていった。
破片が宙に吸い込まれるように散り、道はみるみるうちに消えていく。
「かなり不味いぞ! 道が無くなってる! 走れ走れ!!」
俺は声を張り上げ、みんなに先へ進むよう促した。
力の同盟は一斉に駆け出し、一本道を必死に疾走する。
しかし、全力で走り始めてから十秒も経たないうちに──地面の揺れが一気に激しくなった。
ぐらり、と世界が傾いたように感じた次の瞬間、ふわりと身体が浮く。
足元を見ると、大きな亀裂が走り、俺の足がそこに深くはまり込んでいた。
「ヴェーク!!!」
「行け──!!」
俺は叫ぶと同時に──混沌へと落ちていった。
ぼんやりと沈んでいた意識が、闇の底から浮かび上がる。
風を切る音と、規則正しい翼の羽ばたき──その音を聞きながら、俺はゆっくりと目を開けた。
「……あら、もう起きたの? 久しぶりね、ヴェーク」
「──!!」
喉の奥から、悲鳴とも息ともつかない声が漏れた。
忘れたくても忘れられない。俺を抱えて空を飛んでいるのは……師匠、ルシフィナさんだ。彼女の背には聖なる天使を思わせる光翼が広がり、頭上には淡く輝く天使の輪まで浮かんでいた。
無意識のうちに距離を取ろうともがいたが、がっちりと腕の中に固定されていて、逃げるどころか身動きひとつできない。
ルシフィナさんは口角をつり上げ、まるで獲物を捕まえた捕食者のように愉快そうな笑みを浮かべていた。
ルシフィナさん。
俺の師匠は──天使だ。修羅世界のエデンさんからそう聞かされてはいたが、実物を目の当たりにしても、やはりどこか信じがたい。引退した魔王か何かだと俺は思っていたのだが……どうやら本当に天使だったらしい。
「あー、えっと……お久しぶりです。その、お葬式はご希望通りきちんと執り行いましたので……」
「あら、ありがとう。ヴェークは相変わらず変わり者で面白いわね……混沌に満ちたこの空間で、第一声がそれだなんて」
どうやら、俺は死んだわけではないようだ。
てっきり、地獄からルシフィナさんが迎えに来たのかと思っていたのだが、まだ生きているらしい。
そんなことを考えていたら、ルシフィナさんがじとっと湿り気のある目でこちらを見つめてきた。
「また失礼なことを考えてるわね……。楽しい楽しい“特訓”がお望み?」
「いえ!! 何でもないです!! 本当に!!」
「ふふ、それならいいの。……でも、あなた、この姿を見ても全然驚かないのね?」
「実は並行世界で、妹のエデンさんに会ったことがあって。色々と教えてもらったんですよ」
「……本当に、変わってるわねぇ。いい意味で、だけど」
クスクスと笑いながら、ルシフィナさんはふわりと動きを止めた。
「そういえば、どうしてここに?」
「息子を迎えに行く途中よ。誰に似たのか分からないけど……。あの子、無茶ばっかりするのよね」
「ルカくんが?」
「ええ、そうよ。向かってる途中で、あなたが上から落ちてきたものだから……ついでに拾ったの」
どうやら、落下して気絶した俺をルシフィナさんが回収してくれたらしい。
「ありがとうございます。俺、仲間と一緒だったんですけど、誰か見ませんでしたか?」
「残念だけど、見てないわね……」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がすうっと軽くなった。
落ちたのが俺だけである可能性が高い──そう思えたからだ。
それに、この空間のプロであるシェーディも一緒だ。
きっと無事に切り抜けている。俺はそう信じることにした。
ルシフィナさんはふと顔を上げ、何かを確かめるように上空を見つめた。
次の瞬間、その場でくるりと軽やかに回転し始める。
嫌な汗が背中を伝う。
ろくな予感がしない。
「……あの、ルシフィナさん? 一体、何をしようとしてるんですか?」
「ここはまだ浅い層だから。ヴェークには先に帰ってもらおうと思って……」
今度は俺の足首を掴み、ハンマー投のようにグルグルと回し始めた。
ひやりとした感触に身が強張る。
「あばばばば……!!」
「あなたは頑丈だから、たぶん大丈夫よ。どこに出るかは分からないけど……。久しぶりに会えて嬉しかったわ。それじゃ、元気でね」
「し、死ぬ……!! また死──」
返事を言い切る前に、視界が光に包まれた。
俺はまるでロケットのように、ルシフィナさんの腕から解き放たれ、一直線に射出された――。
あの悪魔より悪魔のような天使に投げ飛ばされてから、おそらく一ヶ月ほどが過ぎた。
俺はとある島の領主となり、今日も元気に統治を行っている。
そう、この島では俺が王様なのだ。
「また、リュウグウノツカイか。……まあいいや。ジェサイアさん。晩御飯が採れましたよ~」
「……」
「今日はお刺し身で食べましょうか。石のナイフでささっと料理して……はあ」
俺はがっくりと項垂れ、地平線の向こうで揺れる陽光をぼんやり見つめた。
飛ばされた先は――無人島だった。
目に入るのは、ところどころ紫色に変色した木々と、正気を失って襲いかかってくる海の魔物たちばかり。まともな環境とは到底言えない。
そしてもう一つ。
海から流れ着いた氷漬けの天使。彼女は、くしゃみをする三秒前のような微妙な表情で固まっており、眺めるたびになんとも言えない気持ちになる。
その顔立ちは、以前に出会ったエリゴーラさんによく似ていた。
そこから、彼女がジェサイアだと判断したのだが……一ヶ月経ってもまったく解凍される気配がない。下手に氷を割ったらどうなるか分からないので、そのまま保管している。
「あーあ。みんな何してるんだろうなあ。元気だといいんだけど」
俺は砂浜に三角座りし、寄せては返す波を眺めながら遠くの仲間たちに思いを馳せた。
冒険に必要な荷物は仲間たちが持っていたため、ハーピーの羽で脱出することもできない。
泳ぐ案も考えてみたが、海に出た瞬間に正気を失った魔物たちに袋叩きにされるのは目に見えており、どうしても実行に移せずにいた。
「……ずっとこのままだったら、どうしようかなあ」
ため息を一つ吐き、俺は膝を抱えたまま頭を沈めた。
耳に入ってくるのは、寄せては返す波の音と、風に揺れる木々のざわめきだけ。
もしこの生活が永遠に続くのだとしたら――考えるだけで胸がざわつく。
あまりにも寂しすぎる。
「……ん?」
ふと顔を上げ、空を見つめる。
聞き覚えのない羽音が、バサリ、バサリと島の上に響いた。
そしてそれは、急速に近づいてくる。
「うわっ! 飛ばされる!!」
突如として巻き起こった凄まじい風圧に、周囲の木々がまとめて横倒しになる。
慌てて目を凝らすと、奇妙で、やたらと巨大な鳥のような影が空を横切っていた。
その異様な鳥はゆっくりと高度を落とし、島へと接近してくる。
やがて羽ばたきの余韻を残したまま、俺の目の前へと着地した。
とっさに危険を感じた俺は、岩の影へと身を隠す。
「──くええっ!」
「休憩にちょうど良さそうな島ですね。ガルダをこの辺りで少し休ませましょう」
「イリアスさまー! ちょっとだけ遊んでもいい?」
「わぅぅ……水遊び♪」
巨大な鳥に気を取られて気づかなかったが、その背には数名の乗り手がいた。
ぷるぷる揺れるスライム、尻尾を揺らす犬娘――そして、小さな天使。よく見ると、天使の手には何か乗っている。
「──! イヌエル! プルエル! 下がりなさい!」
「あっ……」
小さな天使がこちらを向いた途端、空気が張りつめる。
彼女は即座に身構え、翼をわずかに広げた。
俺は慌てて両手を上げ、敵意がないことを必死にアピールする。
だが小さな天使は警戒を緩めず、ジロリと疑いのこもった目を向け続けてきた。
「あ、その……」
久しぶりに“会話できる相手”と遭遇したせいで、喉の奥がひゅっと詰まった。
どんな言葉を発すればいいのか、考えるより先に心が焦る。
黙り込む俺を前に、小さな天使の手の上に乗っていた存在が先に声を上げた。
「原住民をいじめる気ですか? 女神という存在はどこに行っても傲慢ですね……」
「お茶くみ人形は黙りなさい」
「……陽絹?」
小さな天使の手には、お茶くみ人形が乗っていた。
目の色は違えど、その顔立ちは俺が知る陽絹に瓜二つだった。
俺が思わず名前を口にすると、人形は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「うわっ……。早くこの島から離れましょう。おそらく島流しにされた凶悪な囚人ですよ、この男は。獣は臭いで分かりますよ」
「あなたに嗅覚センサーを搭載した記憶はないのですが……。それにしても、陽絹と言えば……影紬の制作者の名前ではありませんか。そこの男、名乗りなさい」
「あっ、そ、そうだったな……。俺はヴェーク、冒険家だ」
名乗った瞬間、小さな天使の表情がぴたりと止まった。
目を丸くし、驚きで固まっている。
「ヴェークさんだ! 久しぶり~♪」
「……ぷるこじゃないか!? ああ、本当に久しぶりだ!」
俺は知っているスライムに出会い、喜びの声を上げる。
近づいてきた、ぷるこの手を握って上下にブンブンと振った。
「……はあ、全く。今まであなたは何をしていたのですか? ルカが心配していましたよ?」
「何って……。話せば長くなるんだけど……」
「もう話す必要はありませんよ、イリアス。早くこの島から離れましょう」
「……もしかして、陽絹の娘か? 俺は──お父さんだ!!」
俺は勢いで言ってみたものの、影紬はあからさまに顔をしかめた。
「知らない男が父親を名乗ってるんですけど……。私は怖い……」
「あなたも恐怖を感じることがあるのですね。──ああ、こちらも名乗らなくてはなりませんね」
小さな天使は胸を張り、得意げな表情で自らの名を名乗った。
「私は創世の女神イリアス。絶対にして唯一の存在。──冒険家ヴェークよ、私にその力を捧げなさい」
その言葉を耳にした瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
一ヶ月の孤独と停滞が、ぱっと霧散するように消えていく。
ああ、これは――間違いなく“呼び声”だ。
島の風が、背中をそっと押すように吹き抜ける。
新たな冒険の幕が、静かに――けれど確かに、上がろうとしていた。