進め! 我らは力の同盟!   作:クラウス道化

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IFルート:凛として散る桜の如く

 俺は決して、褒められるような前世を送った覚えはない。

 

 だが、それにしたって今世はあまりにも酷すぎる。

かつてこの世界には、女神様と邪神様が存在していたらしい。今の有様を見る限り、どちらも相当なサディストだったに違いない。そうでなければ、こんな世界を放置するはずがない。

 

 俺が再び生まれ落ちたのは、サキュバスが支配する村だった。

ここでは人間は人間として数えられない。ただの資源であり、所有物であり、使い潰されるための存在だ。与えられる食事は生き延びるための最低限だけ。価値があると判断されれば、家畜のように他の村へと売り飛ばされる。

 

 女は子を産ませるための道具として扱われる。

意思も尊厳も関係なく、数を増やすためだけに生かされる存在だ。

 

 男は労働力として酷使され、やがてはサキュバスたちの“食事”として消費される。

骨と皮になるまで働かされ、最後は跡形もなく消える。それが、この村で人間に用意された運命だった。

 

「……」

 

 俺はサキュバスの村で、奴隷として生きていた。

来る日も来る日も、彼女たちの食事の支度を行い、床を磨き、洗濯物を抱えて村中を歩き回る。拒否するという選択肢はなく、与えられるのは命令と、気まぐれな嘲笑だけだった。

 

 俺も近いうちに“出荷”されるのだろう。

あるいは、村に都合のいい種馬として一生を強制されるのかもしれない。どちらに転んだところで、待っている結末に違いはない。

 

「なあ、用意は出来たか?」

 

「……ああ。今夜、やろう」

 

 俺は床を磨く手を止めず、隣で同じように作業をしている少女、ダリアに返事をした。

顔を上げればすぐに怒鳴られる。だから視線は床の染みだけに落とし、言葉も息に紛れるほどの小ささで交わす。

 

 ダリアも、俺と同じ奴隷仲間の一人だ。

同世代の中では特に頭の回転が早く、サキュバスたちの機嫌や村の流れを、驚くほど正確に読み取る。無駄口は叩かないが、必要なことは決して見逃さない。俺がここで正気を保っていられるのは、彼女が隣にいるからかもしれなかった。

 

 俺とダリアは、ある計画を練っていた。

このクソッタレな村からの脱走──それだけが、俺たちに残された唯一の道だ。希望と呼ぶにはあまりにも脆く、成功する保証などどこにもない。それでも、他に選択肢はなかった。

 

 捕まれば、死ぬよりも酷い目に遭うのは確実だ。

見せしめにされ、尊厳を徹底的に踏みにじられ、長く苦しみ続けるだろう。それは、ここで生きてきた俺たちが一番よく知っている未来だった。

 

 それでも──。

何もせず、このまま搾取され続けるくらいなら、賭けに出るべきだ。たとえ結果が破滅でも、自分の意思で選んだ最後なら、それだけで意味があると、俺は信じたかった。

 

 ダリアは目だけで周りを確認すると、そっと口を開いた。

 

「掃除道具は全部、小屋の中に移動させた。水桶の中に纏めてある」

 

「分かった。……本当に夜、掃除するのか?」

 

「仕方ないだろ。昼よりも汚れが見えやすいからな……」

 

 監視が最も緩くなる時間帯は、日没から深夜にかけての間だ。

その時間帯になると、大半のサキュバスは眠りについているか、あるいは酒や“娯楽”に興じている。村全体が緩んだ空気に包まれ、見張りの意識も散漫になりがちになる。

 

 もっとも、それは俺たちにとって決して有利な条件ばかりではない。

サキュバスの多くは夜目が利く。暗闇は身を隠す味方になることはなく、俺たちにとって不利な状況だろう。

 

 それでも、この時間帯に賭けるしかない。

昼間は監視の数も目も多すぎるし、太陽の下では人間の姿は嫌でも目立つ。慎重に状況を洗い出した末、俺とダリアは結論を出していた。

 

 危険を承知で、夜に動く。

それが、俺たちに残された唯一の活路だった。

 

「じゃあ、俺はこっちを掃除してくるよ。また、後でな……」

 

「へっ、上手くやってくれよな」

 

 ダリアは一瞬だけ笑みを浮かべると、箒と塵取りを手に取る。

そして、自然な仕草で別の作業場所へと移動していった。

 

 今はまだ、何も始まっていない。

だが夜になれば、俺たちはこの村を抜け出す。戻れない一歩を踏み出すのだ。その覚悟を胸の奥に押し込み、表情には一切出さないよう気をつけながら、俺は再び床に向き直った。

 

 ・・・・・ 

 

「はあ……はあ……!!」

 

「クソ、クソ! オレのミスだった! 罠だったなんて!」

 

「今は言ってる場合じゃない! 走るぞ!」

 

 俺はダリアの手を強く握り、必死に走っていた。

夜の闇を切り裂くように踏み込むたび、湿った土が足元で弾け、荒い足音が静寂を引き裂いていく。

 

 背後からは、甲高く歪んだ笑い声が追いすがってきていた。

それは追跡のための声ではない。獲物を追い詰めること自体を楽しむ、余裕に満ちた嘲笑だった。

 

 ダリアは肩で荒く息をしながら、悔しそうに歯を噛みしめていた。

普段は冷静さを崩さない彼女の瞳に、焦燥の色が滲んでいる。呼吸の乱れ以上に、その視線が事態の深刻さを物語っていた。

 

 俺たちの逃亡劇は、開始からわずか数分で瓦解しつつあった。

村の外縁にある、老朽化した石壁。その一部に空いた穴を越え、すぐ先に広がる森へ入り込む。そのまま闇に紛れて遠くへ逃げる──あまりにも単純で、だからこそ現実的だと信じていた計画だった。

 

 だが、思惑は最初から大きく外れていた。

石壁の穴には、あらかじめ魔術的な罠が仕掛けられていたのだろう。俺たちが身を屈め、くぐり抜けてから数秒もしないうちに、村全体に脱走者の存在を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 

 その瞬間、俺は悟った。

この穴は偶然の抜け道などではない。サキュバスたちが“遊び”のために、わざと放置していた罠だったのだ。

 

 そう理解した途端、腹の底から怒りが噴き上がった。

恐怖よりも、絶望よりも先に、燃えるような憎悪が胸を満たす。俺たちは玩具じゃない。ただの余興でもない──その叫びを、俺は歯を食いしばって押し殺し、ダリアの手をさらに強く握り締めた。

 

「へへ……楽しかったぜ、ヴェーク……。お前と色々話してさ……」

 

「諦めるには早い! 必ず助かる……! 一緒に――」

 

「オレはもう無理だ……。この足じゃあな……」

 

 そう言い残し、ダリアはその場で立ち止まった。

月明かりに照らされた彼女の足は、酷くやせ細り、今にも折れそうなほど震えている。無理を重ねてきた代償が、はっきりと形になって現れていた。これ以上、逃げ続けられないことは一目でわかった。

 

 俺は考えるより先に、ダリアを背負い上げていた。

彼女は何かを言っていたが、答える余裕もなく、俺は歯を食いしばり、再び必死に走り出した。

 

 ダリアの体重が、ずしりと背中にのしかかる。

一歩踏み出すたびに足が悲鳴を上げ、呼吸は喉を焼くように荒れていく。背後から聞こえる笑い声は、次第に大きく、はっきりとしたものになっていた。追ってくるサキュバスたちが、もうすぐそこまで迫っている――それが嫌でもわかる。

 

 やがて、闇の向こうに崖が現れた。

行き止まりだ、と理解するのに時間はかからなかった。俺は立ち止まろうとした、その瞬間――。

 

 衝撃が、体を貫いた。

足元の感覚が消え、世界が上下を失う。俺たちは声を上げる暇もなく、闇の中へと投げ出され――そのまま、深い谷底へと落ちていった。

 

 ・・・・・ 

 

「ぐう……! い……痛ぇ……!」

 

 朦朧とする意識の底から、無理やり浮かび上がるようにして、俺はうっすらと目を開けた。

背中から全身にかけて、鈍く、それでいて芯を抉るような痛みが走り、思わず息が詰まる。体は震え、指先ひとつ動かすのにも、嫌になるほどの時間がかかった。

 

 ゆっくりと起き上がろうとする。

だが、思うように体は言うことを聞かない。骨が軋む感覚と、内側から込み上げる吐き気に、何度も視界が揺れた。

 

「ダ、ダリア……!」

 

 その名を呼んだ瞬間、意識がはっきりと現実に引き戻された。

俺は歯を食いしばり、周囲を必死に見渡す。闇と岩に囲まれた谷底の中で、少し離れた場所に、横たわる人影を見つけた。

 

 ──ダリアだ。

 

 彼女は、ピクリとも動かずに倒れていた。

嫌な予感が、背筋を凍らせる。俺は痛みを無理やり押し殺し、転ぶように、這うようにして、全力でダリアのもとへと向かった。

 

「──ああ……!! 嘘だろ……おい……ダリア……!!」

 

 震える声で呼びかけながら、ダリアの体を抱き起こそうとして、俺は凍りついた。

彼女の背中には、一本の刀が深々と突き刺さっていた。

 

 あの時の衝撃。

崖の手前で体に走った、あの不自然な衝撃。

 

 サキュバスの誰かが、俺たちに向かって刃を投げたのだ。

それがダリアを貫き、そして俺たちは体勢を崩し、崖から落っこちた。

 

「──ごほっ!! ……っ……ぐ…!」

 

「ダリア……!」

 

「ああ……。ゲホッ!」

 

 ダリアは血を吐きながら、辛そうに咳を繰り返していた。

小さく痙攣するその体を見るたび、胸の奥が締め付けられる。どうしようもなく、視界が滲んだ。気づけば、頬を熱いものが伝っている。

 

 俺がもっとしっかりしていれば。

もっと慎重に考えていれば。別の方法を選んでいれば──こんな結末には、ならなかったかもしれない。

 

 次々と浮かぶ仮定が、胸を刺す。

後悔と自己嫌悪が絡み合い、呼吸すら苦しくなっていった。

 

「はははっ、ごほっ、ごほっ! お前のそんな顔……初めて見た……」

 

 俺の顔を見上げて、ダリアは弱々しく笑った。

血に濡れた唇で浮かべたその笑みは、驚くほど穏やかで、どこか安らいでいるようにも見えた。恐怖も、怒りも、もう乗り越えてしまったかのような表情。

 

「行け……オレは、もう……」

 

「喋るな!」

 

 俺は思わず怒鳴り、その言葉を力づくで遮った。

震える手で傷口を押さえる。止血しようと必死に圧をかけても、指の隙間から温かい血が溢れ出し、掌を赤く染めていく。

 

 どれだけ押さえても、血は止まる気配を見せない。

ダリアの体は小刻みに震え、その体温が恐ろしいほどの速さで失われていくのが、触れているだけではっきりと分かった。呼吸も浅く、か細い。命そのものが、指先から零れ落ちていく感覚。

 

 ……分かっている。

こんな傷、助からない。前世でも、戦場で嫌というほど見てきた光景だ。

 

 人は、驚くほど簡単に死ぬ。

それだけのことだった。

 

「これが……自由の味か……。あぁ……最高、だな……」

 

「……ダリア……」

 

 弱々しく伸ばされたダリアの手が、俺の頬に触れた。

血と土に汚れた指先は驚くほど冷たく、それでも確かに、生きている温もりの名残を伝えてくる。

 

 ダリアは、いつものように一瞬だけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。

そして、その手は力を失い、俺の頬をなぞりながら、ゆっくりと滑り落ちていった。

 

 ・・・・・ 

 

 あれから俺の人生は、まるで早回しにされた映画のように、瞬く間に過ぎ去っていった。

ダリアを弔うため、石も花もない地面に急いで穴を掘り、最後に土を被せた。その血で赤黒く染まった刀を手に、俺は誰にも見つからぬよう、遠くの森へと姿を消した。

 

 生きるために、誇りも理性も削ぎ落とした。

泥水を啜り、毒虫を噛み砕き、腹を満たすことだけを考えながら、俺はただ復讐のための牙を研ぎ続けた。

 

 いつの間にか使えるようになっていた時魔法を、来る日も来る日も飽きることなく練習した。

時間を止め、巻き戻し、歪める。失敗するたびに視界が白くなり、魔力切れの代償として激しい頭痛と吐き気が俺を襲ったが、それでも手を止めることはなかった。

 

 そうして年月が流れ、気づけば俺の背丈は、村を出た頃の倍ほどになっていた。

少年だった体は、怒りと憎しみ、そして復讐だけを糧に鍛え上げられた、紛れもない男のものへと変わっていた。

 

 ──そして、俺は帰った。

 

 血と欲望に満ちた、あの忌々しいサキュバスの村へ。

誰にも頼らず、ただ一人で舞い戻ったのだ。

 

「……」

 

「ひい……!! や、やめて──」

 

 血飛沫が俺の頬を掠める。

断末魔を途中で断ち切られ、倒れ伏すサキュバスの首には、刃が突き立っていた。

 

「この──」

 

 俺は柄を握る手を緩めることなく、その場に留まらない。

背後から襲いかかってきた別のサキュバスを、振り向きざまに一刀で斬り伏せる。手応えなど感じなかった。肉を裂く感触も、骨を断つ振動も、全てが意識の外に放り出されていた。

 

 気がつけば、村は血潮の海と化していた。

倒れた死体は折り重なり、踏み場もないほどに積み上がった肉の山から、濃密な血の臭いが立ち昇る。それは鼻腔を焼き、喉の奥にまとわりついて離れなかった。かつてこの村を満たしていた甘美な欲望の香りは、今や完全にかき消されている。

 

 生き残った人間の奴隷たちは、俺を見ようともしなかった。

何も言わず、ただ怯えた顔で村を後にしていく。

 

 彼らがこの先どうなるのか、俺には分からない。

だが、この修羅の世界で、弱き者が長く生きられないことだけは知っている。

 

「はあ……はあ……。よ、よりにもよって継承の日に……」

 

 かすれた声が、死の静寂を引き裂いた。

 

「仕留めそこねていたか……」

 

 死体の山に埋もれた一人のサキュバスが、こちらを睨んでいた。

魔術師風の装いは血に汚れ、その瞳は憎悪に染まっていた。だが、もう長くはないだろう。

 

「く、くく……。だが、これも、運命か……」

 

「……遺言か? 悪いが、それを聞く気はない」

 

 サキュバスの口元が、血に濡れたまま皮肉げに歪む。

咳き込むような呼吸の合間に、嘲るような笑みを浮かべ、彼女は途切れ途切れに言葉を紡いだ。

 

「我が身に宿る怨念よ……次代に、継承せん……!」

 

「なっ──」

 

 刹那、サキュバスの体から眩い光が迸った。

反射的に身を引いたものの、その光は俺に向かって流れ込むように収束していく。

 

「何だったんだ……」

 

 目を開けて見ると、あのサキュバスはすでに息絶えていた。

憎悪を宿していた瞳は虚ろに開かれ、もはや動く気配はない。

 

 自分の体を見てみるも、変化をした様子はない。

胸の奥にわずかな苛立ちが燻っていたが、それ以上の感情は湧いてこなかった。

 

「……片付けるか」

 

 俺はそう呟き、振り返る。

死体を焼き払うための松明を求めて、血に濡れた村の奥へと歩き出した。

 

 ・・・・・ 

 

 復讐は終わった。

燃やし尽くすべき憎しみも、向けるべき相手も、もうこの世界には存在しない。

 

 あとは、抜け殻のような空虚な毎日が俺を待っている──はずだった。

 

『その身に宿る力──あなたが適任者とは思えません』

 

『その力があれば、私の娘を救うことができる!』

 

『なんと! 我の夢の世界ですら閉じ込めることが出来ぬとは!』

 

『魔物殺し……! 我が身が滅ぼうとも──未来永劫、呪ってやるわ……!』

 

 どうやら俺は、とんでもない“遺産”を継承してしまったらしい。

行き場を失った怨嗟、断ち切られぬ執念、叶わなかった願い。救われることのなかった感情たちが混ざり合い、凝縮された感情エネルギーの塊──世界そのものですら扱いかねる力が、俺の身体に宿っているというのだ。

 

 それは、あの村で歴代のサキュバスの長が代々受け継いできた力だったらしい。

とはいえ、自然と使えるようになった時魔法を除けば、俺は他の魔法はろくに行使できない。誰かに教えを請おうにも、俺の身に宿る力を知れば、目を曇らせて奪おうとする未来しか見えなかった。

 

 この力の匂いを嗅ぎつけ、多くの魔物たちが俺に牙を剥いた。

アカシックレコードなるものに接続し、世界の理に干渉しようとする者。失ってしまった存在を蘇らせようとする者。あるいは、ただ力を欲し、さらなる高みを目指す者たち。

 

 ──そのすべてを、俺は倒してきた。

 

 強大な魔物ですら、身に余す力だ。

この力が、悪しき心を持つ者の手に渡れば、どれほどの惨禍を招くか。……想像するまでもない。だからこそ、俺は立ち止まれなかった。

 

 俺は各地を転々とし、追っ手を撒くように彷徨っていた。

安寧を捨て、居場所を捨て、ただ斬り続ける。それが、この力を継いだ俺に課せられた、生き方だった。

 

『そう警戒しないでください。あなたに宿る力は、私が求めるものではありません。人形作りが生業でして……その刀を直す代わりに、ある素材が欲しいのです』

 

『感謝いたしますわ~! この湖ならば、ワタクシたちでも安全に暮らせますわね!』

 

『助太刀感謝いたします。ご老人。イリアス様のご加護がありますように……』

 

『誤魔化してくださり、ありがとうございます。どうです? 私といっしょに潜入工作員を──』

 

 とはいえ、悪いことばかりではなかった。

俺は決してヒーローにはなれない。称えられることも、救い主と呼ばれることもないだろう。それでも、眼の前で助けを必要とする魔物や天使、人々を守ることはできた。忌み嫌われ、恐れられる類の力ではあるが、使い方次第で誰かを救うこともできたのだ。

 

 そうして生き延びるうちに、気がつけば俺は、髪が白く染まるほどの歳を重ねていた。

身体はまだ動く。だが、胸の奥に澱のように溜まった怨念は、年を追うごとに重さを増している。

 

 ──次の継承者を、決めなくてはならない。

この力を、そして溜まりすぎた怨念を、外へと渡さなければならない。さもなくば、いつかそれは内側から弾け、俺だけでなく、周囲すべてを巻き込む災厄となるだろう。

 

 そう考えて、俺は責任を果たすために歩を進めるに至った。

それが、普通になれなかった俺に残された、最後の役目だった。

 

 ・・・・・ 

 

 候補者すら見つけることができず、途方に暮れていた矢先のことだった。

荒野を当てもなく歩いていた俺は、一人の竜人に声をかけられた。

 

「あなたが、魔物殺しか?」

 

「ああ、そうだ。……君は?」

 

「私の名はグランベリア──最強の剣士を目指す者だ。……手合わせ、願いたい」

 

 迷いのない声だった。

凛としてこちらを見つめるその瞳は、剣のように真っ直ぐで、愚直とすら思えるほどの覚悟を宿している。力を誇るでも、名を売るでもない。ただ強さを求める、その在り方が伝わってきた。

 

 俺は何も言わず、刀を抜いた。

言葉で測る必要はない。その刃に宿る信念が本物かどうか──それを確かめるには、剣を交えるのが一番早い。

 

「はあ……! はあ……! 私の、勝ちです。魔物殺し……!」

 

「……くっ!」

 

 荒野には、膝をつく老人が一人。

それが、今の俺だった。人生で初めてと言っていい、完全な敗北。腕は震え、息は荒く、立ち上がる力も残っていない。

 

 だが、不思議と心は晴れやかだった。

胸に長く澱んでいたものが、風に晒されて薄れていくような感覚がある。

 

 グランベリア──彼女なら、この力を正しい方向へと使えるだろう。

おそらく、俺以上に。そう確信できたことが、何よりも嬉しかった。

 

「無惨にも敗北した、この哀れな老人の頼みを……聞いてくれないか?」

 

「……聞きましょう」

 

 俺は、これまでのすべてを語った。

忘れがたい幼馴染との記憶。俺に宿ってしまった力の正体。復讐と放浪に費やした、長く険しい旅路について──。

 

 グランベリアは一度も口を挟まなかった。

視線を逸らすこともなく、ただ剣を納めたまま、最後までじっと耳を傾けていた。

 

 すべてを話し終えたとき、荒野には短い沈黙が落ちる。

そして、グランベリアは静かに一歩進み出ると、俺に向かって深く頭を下げた。

 

「あなたのお陰で、虐げられている民や、この世の円環は保たれてきたのでしょう。──その力、責任をもって継承いたします」

 

「そう、言ってくれるか……。ありがとう」

 

 俺は微笑み、静かに胸元へ手を当てた。

 

 忌むべき力であることに変わりはない。

だが、孤独な年月を共に歩んできた相棒でもあった。それを手放すことに一抹の寂しさはあったが、それ以上に、次の世代へ何かを繋げられたという事実が、胸の奥をじんわりと温めてくれる。

 

 俺が力を手放すと、グランベリアの体が柔らかな光に包まれ──。

 

「……なあ!?!?」

 

 光が収まった瞬間。

俺の眼の前に立っていたのは、ピンク色で、やたらとフリフリしたドレスを身にまとったグランベリアだった。

 

「ど、どういうことですか!? 魔物殺し!?」

 

「……く、くくく……!! あーはっはっは!! 俺にも分からん……! だが、その格好は……っ、くくっ!!」

 

 どう見ても、あまり似合っていない。

つい先刻まで毅然と剣を構えていた竜人の剣士が、今や魔法少女めいた衣装に身を包んでいるのだ。そのあまりの落差に、堪えきれず笑いが漏れた。

 

「わ、笑うな!!」

 

「ぐべえっ!?」

 

 次の瞬間、俺の頬に拳が突き刺さる。

なんとも酷い老人虐待である。

 

 だが、痛みと共に、可笑しさがまた込み上げてきた。

こうして怒鳴られ、殴られ、笑えるということ自体が──きっと、俺が背負ってきたものを、ようやく手放せた証なのだろう。

 

 ともあれ。

俺はこうして、長い旅に一区切りを打てたのだった。

 

 ・・・・・ 

 

 力を継承した後、俺が向かった先は──ヤマタイ村と呼ばれる場所だった。

かつて大戦の戦火に呑まれ、多くの土地が死に絶えたこの大陸において、数少ない自然が色濃く残る土地だと聞いている。緑は深く、水は澄み、季節の移ろいが今も息づいているという。

 

 引退……と呼ぶべきかは分からない。

だが、これ以上刀を振る理由もなくなった今、どこかで腰を落ち着けようと考えていた。

 

 そこで思い出したのが、俺の刀を定期的に手入れしてくれている人形師のことだ。

折に触れて、自分の故郷に来てほしいと言っていた。拠点にしても構わない、とまで言ってくれたが──当時の俺は追われる身だった。余計な災いを呼び込むわけにはいかず、その申し出を断り続けていた。

 

 だが、今は違う。

すべてが終わった今、腰を落ち着ける場所として、これ以上ない選択肢に思えた。

 

 他に候補地がなかったわけではない。

以前、俺が助けた天使たちの集団が興したという、イリアス大陸の街。話を聞く限り、治安も悪くなく、受け入れ態勢も整っているらしい。悪くはない。だが──この年齢で過酷な海を越えるのは、正直なところ骨が折れる。

 

 そう考え、俺は渡された一枚の地図を頼りに、ヤマタイ村へ向かうことにした。

刀ではなく、残された時間を携えて。

 

 ・・・・・ 

 

 山越えには随分と苦労させられたが、大きな問題もなく目的地へと辿り着いた。

 

 局地的に森が残っている光景は、これまでにも何度か目にしてきた。

だが、ヤマタイは違う。地域全体に緑が息づき、山も谷も、生き物の気配に満ちている。

 

 戦火に焼かれた大陸に、まだこんな場所が残っていたのか──。

俺は胸の奥に込み上げるものを覚えながら、村へと続く道をゆっくりと進んでいった。

 

 しばらく歩いていると、淡いピンク色の花を咲かせた木々が視界に広がった。

柔らかな風に揺れる花びらが、はらはらと宙を舞う。その光景に足を止め、俺は思わず見入ってしまう。この木を、以前に人形師から教わったことがある。

 

 ――桜、と呼ばれる木だ。

 

「止まられよ、旅の人」

 

 花の美しさに気を取られていると、不意に背後から声がかけられた。

静かでありながら、芯の通ったよく響く声。まったく気配を感じなかった。相当な手練れ──いや、高位の魔道士であることが、理屈ではなく直感で分かった。

 

「……老人相手に驚かさないでくれ。心臓に悪い」

 

「それは妾の台詞よ──魔物殺し。ヤマタイ村に、何をしに来たのかの?」

 

 俺は小さく息を吐き、軋む身体を誤魔化すようにして、ゆっくりと振り向いた。

 

 そこに立っていたのは、まさしく“白”という言葉を具現化したかのような妖狐だった。

透き通るような肌、均整の取れた顔立ち。尾も耳も、身に纏う着物でさえ純白で、まるで穢れという概念そのものを拒むかのようだ。

 

 神話からそのまま抜け出してきたと言われても、疑う気にはなれない。

その美しさだけでなく、場の空気を支配するかのような神聖な気配。俺は知らず背筋を伸ばし、一瞬、言葉を失っていた。

 

「……俺のことを知ってるんだな」

 

「もちろんよ……。お主の血に染まったその肉体──千里離れていようとも嗅ぎ分けられるわ。かような人間など、一人しか考えられぬ」

 

「そう、か……」

 

 別に、今も血濡れで歩いているわけではない。

だが、俺の生涯が血に塗れたものであったことは否定しようがない。どれほど洗い、拭ったところで、完全に消えるものではない過去だ。

 

「敵意はない。俺はただ……死に場所を求めて、ここまで来ただけだ」

 

「ほう? それを素直に信じろと?」

 

「ある人形師から、この場所の話を聞いてな。刀を置くには良い場所だと思ったんだ」

 

 そう告げると、妖狐は言葉を発さず、じっと俺の顔を見つめてきた。

視線は鋭く、しかし感情は読めない。値踏みされている──それだけははっきりと分かった。俺を受け入れた場合の利と害、そのすべてを天秤にかけているのだろう。

 

 やがて、妖狐は小さく息を吐いた。

手にした扇子をパチンと鳴らして閉じると、くるりと背を向ける。

 

「妾の名は白天狐……。この地方を治める者じゃ。魔物殺し──お主を歓迎しようぞ」

 

「感謝する。俺はヴェーク……まあ、無職の死にかけだな。自分の墓代くらいは稼ぐつもりだ」

 

「くく……それは重担であるな……」

 

 そうして、半ば拍子抜けするほどあっさりと、俺がこのヤマタイ村に身を寄せることは決まった。

 

 ・・・・・ 

 

 ヤマタイ村での生活は、これまでの人生で味わったことのない充足感に満ちていた。

長く続けてきた流浪の日々。常に追われる身だった俺にとって、居場所を与えられ、何も考えずに休める時間があるという事実は、想像以上に心を癒してくれるものだった。

 

 人手不足という事情もあり、俺は村でさまざまな仕事を引き受けることになった。

農耕の手伝い、道場での稽古、道具の修理。どれも華やかさとは無縁だが、長い放浪生活で培った、生き延びるための知恵が意外な形で役に立った。

 

 最初は遠巻きに様子を窺っていた魔物や村人たちも、次第に声をかけてくれるようになった。

恐れが完全に消えたわけではない。それでも、挨拶を交わし、同じ時間を積み重ねるうちに、俺はいつの間にか“村の一員”として扱われるようになっていた。

 

 幸いなことに、生活に使うゴールドに困ることもなかった。

俺が各地で拾い集めてきた素材を、人形師が変わらず買い取ってくれたのだ。

 

 それに加えて、定期的に俺が耕した畑の土を買い取りに来る、少々珍妙な魔物もいる。

無口で、こちらが話しかけても何も言わない。それでも、土を受け取ると童のように飛び跳ね、手に持つランタンを揺らして嬉しそうにしている。

 

 何の役に立っているのかは、よく分からない。

だが、俺が鍬を入れた土地を価値あるものとして扱ってくれる存在がいるという事実は、老いゆく身には思いのほか嬉しいものだった。

 

 老骨に鞭を打った甲斐があったものだ。

思っていたよりもずっと早く、俺はこのヤマタイ村での生活に溶け込んでいた。

 

「『ウォークと天使長は、かつて女神が生み出した生体兵器と対峙した。主を失い、意志なき機械となった狂戦士は、容赦なく襲い掛かる──』」

 

 松明に照らされた村の広場に、俺の朗読する声が静かに響く。

目の前には、人と魔物の子どもたちが入り混じり、皆そろって目を輝かせていた。かつて魔物殺しと呼ばれた俺の過去の体験談は、ヤマタイ村の子どもたちにとって、格好の“冒険譚”として受け入れられている。

 

 もちろん、血生臭い部分は極力ぼかしてある。

死の重さも、憎しみの連鎖も、今は語る必要はない。ただ悪が現れ、立ち向かう者がいて、最後には平穏が戻る──そんな、分かりやすい勧善懲悪の物語に仕立てていた。

 

 もしかすると、俺にもこんな未来があったのかもしれない。

世界中を旅し、人々を助けて回る。勇者のように称えられ、自らの体験を本にまとめて出版したりして──。

 

 そんな想像が頭をよぎり、俺は小さく首を振った。

それは、俺が歩んできた道ではない。だが今、こうして物語を語る老人としてここにいることも、決して悪くはないと思えた。

 

「さあ、今日はここまでにしておこう。続きは、また明日だ」

 

「えー!! もっと聞きたい!!」

 

「僕も! 僕も!」

 

「くく……夜ふかしする悪い子の家には、魔物殺しがやってくるぞ?」

 

 子供たちの歓声に重なるように、楽しげな声が割り込んできた。

 

「やばい! 帰らなくちゃ!」

 

「ヴェークさん、白天狐様、お休みなさい!」

 

「ああ、お休み……」

 

 蜘蛛の子を散らすように、子供たちは解散していく。

広場には、俺と白天狐だけが残された。

 

「今日も楽しそうじゃったのう……旦那様よ?」

 

「はあ……」

 

 悩みがあるとすれば、二つ。

一つは、村人たちがなぜか俺を称える神社を作ろうとしていること。俺は決して称えられるような高尚な人間ではない。それに、拝まれるのは恥ずかしいのでやめてほしいものだ。

 

 そして、最後に──。

白天狐が、なぜか俺に恋慕を抱いているらしい、という点である。

 

 初めて会ったころとは、態度が百八十度違う。

顔を合わせるたびに距離は縮まり、最近では遠慮という言葉をどこかに置き忘れてきたようだった。今もこうして、白天狐は当然のように俺の肩にもたれ、頬を擦り付けてくる始末である。

 

「ええい、やめんか。八十近い爺さんに色目を使うんじゃない」

 

「年齢など、愛の前では些末なものよ……」

 

 俺が窘めても、白天狐は悪びれる様子もなく、ただニコニコと笑っている。

初対面のときに垣間見えた、あの威厳に満ちた統治者の姿はどこへ行ったのやら。少なくとも、俺と話すときの彼女は、最近はいつもこんな調子だ。

 

 毎日のように俺の家へやって来ては、飯の支度を整え、しまいには添い寝まで要求してくる。

読み聞かせの時間には必ず顔を出し、子どもたちを押しのけて最前列を陣取る始末だ。神聖な存在として村人に崇められているというのに、本当に大丈夫なのだろうかと、時折心配になる。

 

 俺はといえば、結局その圧に負け、好き勝手させていた。

距離を置こうと、何度か試みたこともある。だが、高位の魔導師でもある彼女に、隠れ場所など意味をなさない。俺がどこへ行こうとも居場所を把握され、気づけば隣にいる──それがいつもの結末だった。

 

 俺は白天狐の気持ちを受け取るつもりはない。

……そう、思っていたはずなのに、気づけば十年近くも、こうして共に過ごしてきた。

 

 拒み続けるのも、そろそろ失礼だろう。

白天狐はこの地を治め、人々に慕われる存在だ。俺のような老いぼれと結ばれて、本当にいいのか──そう悩み続けてきたが、最終的に尊重すべきなのは、他でもない彼女自身の気持ちなのだと、ようやく理解した。

 

「今日は、贈り物があるんだ。白天狐……手を、出してくれないか」

 

「──!」

 

 その瞬間に浮かんだ、驚きと喜びが入り混じった表情を、俺は忘れないだろう。

こうして俺は、長い道の末に辿り着いた、遅咲きの幸せを掴んだのだった。

 

 ・・・・・ 

 

「……起こしてくれるか……」

 

「旦那様……」

 

「……花見には、いい日だからな……」

 

 白天狐と結ばれてから、さらに長い時間が過ぎ去った。

俺の齢は九十を超え、死神の足音が、もはや遠慮もなく耳元で囁く距離まで迫ってきている。病魔に侵された身体は鉛のように重く、手足は枯れ枝のように細くなり、自力で立ち上がることすら難しい。

 

 それでも、不思議と恐れはなかった。

歩き続けてきた人生の終わりが、ようやく見えただけのことだ。

 

 妻である白天狐の手を借り、俺は縁側に腰を下ろす。

この家に移り住んだ当初、気まぐれに植えた一本の桜が、今では立派に育ち、満開の花を咲かせていた。ひらひらと舞い散る淡い桃色の花弁は、春の訪れを告げる祝福のように、穏やかな風に身を委ねている。

 

 ──悪くない景色だ。

 

「白天狐……水を、持ってきてくれないか……」

 

「はい、旦那様……」

 

 俺が水を求めると、白天狐は台所まで行った。

足音が遠ざかり、気配が完全に消えたのを確かめる。

 

 俺は、桜の影に向かって、静かに声をかけた。

 

「まさか、お迎えが来てくれるなんてな……」

 

「……」

 

 桜の影から現れたのは、黒いローブを纏った女性だった。

漆黒の鎌を携え、音もなく立ち、ただ静かに俺を見つめている。その佇まいに威圧感や敵意はなく、淡々とした“役目”だけが滲んでいた。

 

「今回は特例だ。お前の魂は特殊なのでな。それに、あの狐が禁術を用い、現世へ留めてしまう可能性を考慮し、迎えに来た」

 

「……まあ、そうだろうな……。さあ、連れて行ってくれ」

 

 俺がそう告げると、死神はゆっくりと目を閉じた。

 

「……まだ業務時間外だ……」

 

 そう言うと、死神は黒い霧となって消えた。

どうやら、最期の時間を少しばかり与えてくれたらしい。俺が苦笑を浮かべていると、白天狐が水を持って戻ってきた。

 

「旦那様? いかがされましたか?」

 

「くくく……珍しいものを、少しな……」

 

 俺は白天狐の差し出した水を受け取り、一口だけ喉に流し込む。

冷たさがゆっくりと身体に染み渡り、その感触に、生への未練のようなものが、ほんのわずかに混じった気がした。

 

「過ちばかりの人生だったが……。白天狐、お前に会えて良かった……」

 

 白天狐が小さく息を呑む。

何か言おうとして口を開くが、言葉にならないのか、その唇はかすかに震えるだけだった。

 

「最後の弟子、アスカノミコトは、強い子に育った……」

 

「ええ……。きっと、お若いころの旦那様以外、敵わないでしょう……」

 

「くく……買いかぶりすぎだ……」

 

 耳に届くのは、風が桜を揺らす音だけ。

花弁は絶え間なく舞い落ち、その淡い色彩が、老いた視界にはやけに眩しく映っていた。

 

 間違いだらけの人生だった。

それでも、死ぬまでの間に、ほんの少しでも他人の役に立てたのなら、それでいい。血に塗れた道であったとしても、最後には桜のように咲けたのだと──そう信じたかった。

 

「ああ……桜が、綺麗だな……」

 

「そう、じゃのう……旦那様よ……」

 

 俺は、ゆっくりと瞼を閉じる。

舞い散る桜の花びらに身を委ね、天へと昇っていく自分の姿を、ただ静かに思い描いていた。

 

 悔いも、安らぎも、すべてを胸に抱いたまま──次の冒険へと、旅立った。

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